起業の心得:ゲンイチ第104回 本を書こう・・・その2

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

前回の続きです。本を書く、自費出版でなく、ちゃんと本屋さんに並べてもらって、曲がりなりにも著者の仲間入りをする。その為には・・・。
ここからは、僕が名古屋のパネルでお話したことです。

僕が最初に本を書きたいな~って思ったのは1997年だったと思います。この年からコンサルタントって仕事を始めたので、「やっぱり、実績として学位と書籍がいるよね」って思った訳です。ごくごく、自然な発想でしょ。そこで、早速実行しました。まず、社会人入試で母校、同志社大学大学院の総合政策研究科に入りました。98年春です。研究テーマはベンチャービジネスです。実は大学院は学位と書籍の一石二鳥作戦でした。だって、よく考えたら、大学で卒論がなかった吉田は2000字以上の文章を書いたことがなかったのです(笑)。修士論文は確か4 万字~6万字程度といわれていました。この修論を下敷きに、本を書こうと思ったのです。

そして、僕は2000年春にめでたくマスターを取って卒業。立派な修論も出来上がり、ほぼ作戦とおりの2年でした(笑)。

出版しようと動き始めたのは2001年春でした。実はもう一つ、出版ネタがありました。というのは、僕はこのメルマガもそうですが、99年から今に至る6年間、ほぼ週刊でメルマガを書いています。下に吉田のメルマガ沿革を付けておきますね。

6年間、300週、週に1000文字書いたとして、30万文字書きました。「吉田雅紀のGENKIな365日語録」は日刊だし(笑)、blogや雑誌などからの執筆依頼もあるから、もっと書いていると思います。そうそう、blogと言えば僕は2003年3月から「よしだのデジカメ絵日記」を始めています。これはblogでなく、僕のサイト日記でした。その年の年末、blogが爆発的な人気を得ます。火を付けたのは吉田かも?(笑)

話がメルマガのことになりましたが、これだけのコンテンツがあるので、これをネタに各出版社を営業しました。でも、大手はどこもダメで、8社目に出会ったのが、大阪の出版社でした。正確にいうと出会ったのは出版社でなくそこの編集者です。宮崎愛子さん。この出会いで本が出ることになりました。彼女とはその後、その出版社をお辞めになってからもお付き合いが続きます。今はオーストラリアのパースで、ご主人と幸せに暮らしておられます。(^_^)

まず、コンテンツありきです。中経出版の菊池編集長がおっしゃった「出版のプロが支援したくなる人」の6つですが
1. 潜在読者が30万人はいるだろうと推測できるコンテンツを持っている人
2.これまでにない新しいコンテンツ、テーマの切り口を持っている人
3. 自分の本を自ら売る意欲と機会を持っている人
4.独りよがりにならないで、原稿の修正などに耳を貸し、受け入れる人
5.物書き専業でない場合は、出版社と共にリスクを分担しようというスタンスのある人
6.人生で最高のものを著してみようという夢を持っている人
1.2.6. はコンテンツの話です。
さて、次号で3.4.5.について吉田の考えを書きますね。

起業、経営ノウハウが詰まったツールのすべてが、
ここにあります。

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