第45回 株式会社GDH 石川真一郎

起業家インタビュー

執筆者: ドリームゲート事務局

第45回
株式会社GDH代表取締役社長/CEO
石川真一郎 Shinichiro Ishikawa

1967年、東京都生まれ。東京大学理学系大学院物理学専攻修士課程修了。小学生の頃から、算数が大好きな理系少年。中学・高校はゲームに熱中し、共通一 次試験の前週もゲームセンターに通い詰めでゲームをし続けるほど。それでも現役で東京大学合格! 学者の道を目指したが、ノーベル賞は取れそうもないと自 己分析。ビジネス構築の道に転向し、1991年、ボストンコンサルティンググループ(BCG)に入社。1995年より約1年間、社費留学で欧州経営大学院 (INSEAD)へ留学し、MBA取得。1999年5月、BCGを退職し、先に友人と一緒に投資家として始めていたデジタルアニメーション制作を手掛ける 株式会社ディジメーション・代表取締役に就任。2000年2月、アニメーション制作会社のゴンゾと、ディジメーションの持株会社として株式会社ゴンゾ・ ディジメーション・ホールディング(GDH)設立。翌2001年、株式会社GDH・代表取締役兼CEOに就任と同時に、GDHグループを統括。2004年 11月、東証マザーズ市場に上場した。

ライフスタイル

好きな食べ物

値段よりは雰囲気重視です。
何でも食べますよ。高い店よりも、雰囲気のいい店に行きますね。家の近所に、ナポリ窯で調理してくれるイタリアンレストランがあるのですが、そこは気に 入ってよく伺ってます。日本蕎麦も好きなんですよ。土日のどちらかは、昼に蕎麦屋に行って、お酒かビール飲んで、日本蕎麦っていうパターンです。

趣味

庭いじり、です。 
趣味ってあまりないのですが、私の奥さんはオーストラリアの人なので、土地が激安なオーストラリアに家があるのと、あと、日本は借家ですが小さな庭がある ので、それらの庭に石を置いて、ちょっと移動させて、う~んと考えて、また少し手を加えて。そうやって庭をいじっていると、なんだか自分で宇宙をつくって いるような・・・。とても心が落ち着くんです。

休日

3週間を1年に2回。
1年に2回、3週間の休みを必ず取っています。奥さんと一緒にオーストラリアの家に行って、くつろぐことが多いですね。ちょっと話はそれますが、奥さんは 私がリスクを取って起業する際に、ひとつの約束を迫りました。「私は侍と結婚したのだから、給料が落ちるのなら、髪の毛はずっと長髪にしておくこと」って (笑)。なので、この会社を立ち上げてからずっと長髪を保っているんです。

行ってみたい場所

冒険できるような場所へ。
今、行っておきたい場所は、アラスカやアフリカなどの自然がたくさん残されている国。もしくは、フィンランドなど北欧の湿地帯とかを巡ってみたいですね。 エジプトもいいなと思っていたのですが、もっと年をとってからでもいいかと。あ、あとはニュージーランドも。でも、奥さんが「どうせそっち行くならオース トラリアに帰りましょう」って言いそうですね(笑)

世界的に評価されているアニメ文化を、
よりグローバルに発展させ続ける!

 日本のアニメは世界に誇る映像文化である。これは多くの人が納得できる話。10年以上前に、放送、通信、ITの融合によるメディアコンバージョンの世界を 予測し、アニメの3DCG化、および、さらなるアニメ文化のグローバル化推進を企てた男がいる。それが、GDHグループを率いる、石川真一郎氏。そして今日も、GDHはアニメーションとオンラインゲームマーケットを主軸とし、世界一のリーディングカンパニーを目指し躍進を続けている。今年初頭、アメリカの一大CATV網「スパイクTV」で放送され、DVD販売も10万本を超えたヒット作、「アフロサムライ」が、今秋日本で劇場公開されるという。これは有名俳優、サミュエル・L・ジャクソンを主演声優に迎えた、大型プロジェクトだ。「今、アフロサムライの公開が待ち遠しくて仕方ないんです」と笑顔で答えてくれた石川氏。今回は、そんな石川氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<石川真一郎をつくったルーツ1>
算数の問題集で遊んだ小学時代。中学からは筋金入りのゲーマーに

 東京の世田谷で生まれて、その後、千葉の津田沼へ。もう1回、世田谷に戻って、5歳からはずっと神奈川の保土ヶ谷で育ちました。父はある大手ゼネコンの会社員。母は、3歳下の妹が生まれるまでは、東京都庁のキャリア職員として働いていたんですよ。当時では、かなり珍しい存在だったと思います。あ、母方の祖母も一緒に暮らしていました。幼少の頃の私は、本当に手のかからない子だったと聞いています。絶対に危ないものに近づかないんですって。ケーキなどのお菓子でも、触って、絶対に安全とわかるまで食べようとしなかったそうです。こんなチャレンジングなビジネスをやっている今からは想像できないかもしれませんが(笑)。

 小学生で熱中したのは、軍艦や戦闘機などのプラモデルづくり。本もけっこう読みましたね。今では、新聞も雑誌もほとんど読みませんが・・・。走るのが速かったので、ハンドベースとかドッジボールの変形みたいなボールゲームとかも得意で したよ。あと、算数が大好きでした。大好きだから、どんどん勉強するようになっていたんです。4年生くらいになると自分で中学入試の問題集を手に入れて、自分で問題を一所懸命考えて、答えを導き出す遊びに熱中してました。自分で採点して、「ほら、合ってる」ってほくそ笑んだり(笑)。

 中学・高校は麻布学園に進みました。相変わらず、数学や物理が好きでしたね。実験は嫌いなんですけど。毎日毎日、保土ヶ谷から麻布まで片道1時間半くらいかけて電車使って通学するんですよ。麻布の近くには六本木があって、電車の帰り道には自由が丘がある。いわゆる繁華街。当時の私はゲーマーだった。今のような明るいゲームセンターではなく、真っ暗な店内でテーブル形ゲームに没頭するわけです。その頃にはまったゲームは、「マリオブラザーズ」「ドンキーコング」「ギャラクシアン」「ゼビウス」など、数え上げればきりがない。無料のコーヒーで、1回行けば6時間くらい粘ってましたからね。

<石川真一郎をつくったルーツ2>
物理学の学者を目指し東京大学へ。研究室でついたあだ名は「峠くん」

 高校に上がると、麻雀も覚えました。行っちゃいけないんだけど、雀荘に通ったり(笑)。でも、相変わらずゲームは好きでした。私が高校3年生の頃、ナムコ(現・バンダイナムコゲームス)から「ドルアーガの塔」というゲームが発表され、これに僕ははまりまくった。「ゼビウス」なども手がけた天才ゲームクリエイター、遠藤雅伸さんの作品ですね。高校3年生にもらったお年玉の総額が確か3万円ほどで、それをぜんぶ100円玉に両替して、共通一時試験の前週もほぼ毎日のようにゲームセンターにつめてプレイし続けてましたからね(笑)。昼はゲーム、夜は受験勉強、寝なくても全然OK、それくらい好きで、はまってたんです。

 ちょっと話を先に進めますが、今から2年前、遠藤さんにお会いする機会を得て、当社が「ドルアーガの塔」のアニメーション化権を取得。2008年春に放送を開始します。また、傘下のゴンゾロッソの制作・運営で、「ドルアーガの塔」のオンラインゲームも同時期にサービス開始予定。すごくうれしい仕事ですよね。

 大学は東京大学へ進学しました。実験よりも難しい理論が好きだったので、数学と物理を天秤にかけて、現実世界により近い理論物理を学ぼうと。2年の時には、スポーツにも少しだけ熱中しました。テニスやゴルフなど、時間のかかる競技は性格的に受け付けなかったので、バドミントンに。1年間ですが、かなり一所懸命取り組んだんです。だから今でも利き腕の右腕の筋肉が、左腕よりも太いんですよ。当時は学者になろうと思っていたので、大学院へ。佐藤研究室に入って、宇宙物理を研究することに決めました。いわゆる宇宙の始まりであるとか、超新星がどう爆発するだとか。そんな途方もなく浮世離れした研究をしていましたね。

 車も好きだったんですよ。当時はバブルの絶頂期でしょう。バイト代もすごく良かった。最初に買った車は、大学3年生のときのカローラ・レビンAE92型。これで、箱根の峠を走りに行くんです。あと、昔のスカイラインの復刻版、GTR-R32がすごくほしくなって。時給7500円くらいの家庭教師を週に5本、ほか毎日22時から深夜の2時までファミレスでバイト。1年間で550万円ほど貯めて、現金で買いに行きましたよ。今考えれば、厭味な学生ですねぇ(笑)。余談ですが、佐藤研究室の同期は僕ともう一人。背の高い彼のあだ名は「壁くん」、私のあだ名は「峠くん」でした。

<研究者の道を捨て、ビジネスの世界へ>
ノーベル賞は取れないと自己分析し、コンサルティング業界への就職を決断

  私が研究室に在籍していた1990年当時、すでにインターネットを活用していました。膨大な計算をするために、世界中の大学に設置されているスーパーコンピュータの状況をインターネットで調べて、空いているマシンで計算させるわけです。それでも結果が出るまで48時間とか72時間とかかかるので、空き時間はやっぱり峠をGTRで走りに行ったり、雀荘に行ったり。で、時間を見計らって帰ってきたら、バグがあって、ダウンしていたりする。それでバグを取り除いてもう一回・・・がっかりですよ。でも、教授に言わせると「僕らの時代はパンチカードだったんだから、カードを装着する前に転びでもしたら一巻の終わりだった。それに比べれば君たちは幸せだ」と(苦笑)。

 博士課程に進もうかどうか考えました。宇宙物理学の世界って、想像を絶するほど高度な研究オタクの集まりなんです。どうせこの道に進むなら、難しいかもしれないけどノーベル賞くらいは狙ってみたいと思っていましたが、世界を見渡してみると、自分には勝てないオタクがごろごろいる。また、彼らほど自分はこの道にはまれないだろう、と。あと、私はいろんな人と出会える機会が大好き。でも、この世界にはワクワクドキドキできるような出会いは少なさそうだ、と。そんな2つの理由から、これからの人生をもう一度考え直すことにしたんですよ。

 当時は金融業界でデリバティブが登場し始めた頃で、理系出身の院生たちの中で、外資系証券、投資銀行への就職がはやり始めていました。私も話を聞きに行きましたが、すごいんですよ、接待が。超高級レストランに高級クラブですからね。お金を儲けてなんぼの世界なわけです。振り返れば、3年間だけと決めて一所懸命やって、3億円くらい貯めてベンチャー起業するという手もあったかと思うのですが、物理学の研究者としては、なんとなくお金のために働くことに抵抗を感じたんですね。それで今度は夢と知的欲求の両方を満たしてくれる業界はないかと探しているうちに、コンサルティング業界に出合った。

 物理学はほぼ完成された学問でしたが、ビジネスの世界はまだまだ新しい理論構築が必要とされる“のりしろ”がたくさん残されている。また、いろんなタイプの経営者に会うこともできる。そこで、選択肢に上ったのが、ボストンコンサルティンググループ(BCG)とマッキンゼーでした。結果として、私はBCGにお世話になることに決めたのです。

<MBA取得>
2010年を見据えた提案を行った後、よりグローバルな自分を目指し社費留学へ

 ある友人が教えてくれたのですが、「マッキンゼーは濃紺のダブルブレザーにトラディショナルタイ、かたやBCGは刑事コロンボのような渋みの効いたスーツ。そんな感じ。だから、石川君はBCG向きだね」と。ホントかよと思いつつ、1週間で7万円のバイト料がでるということで、BCGのスプリングジョブに参加してみたのです。そしたら本当にそうでした(笑)。野獣の集まりのような、でも学者肌の人も多い。まあ、元来アウトロータイプの私には向いている職場かもしれないと感じたんですね。ここからが、私がかかわっていくビジネス史が始まります。

 何かの縁だったのでしょう。最初に手がけたプロジェクトが、ゲームセンターの仕事だったんですよね。その後は、薬品、輸入食材などの業界を担当しつつ、入社1年半後くらいにハイテクとメディアコンバージェンスのプラクティスチームが社内で立ち上がって。私は1992年から、その中心的役割の一人を担うようになります。通信、放送、ITはいかにして融合していくのかを予測、研究するわけです。そして1994年からは、大手家電メーカーの“2010年ビジョン”づくりのプロジェクトに参加しました。

 1995年から2000年で、一気にネットが広がっていく。ポータルサイトなどのビジネスもこの間に確立されるだろう。2001年から2005年の間に電話、ガス、電気などのインフラ系大企業が、超スーパー過剰投資をおこない、ブロードバンド化とコモディティ化が急速に拡大する。次の2006年から2010年の間に、ブロードバンドは世界中に行き渡り、あり余ったインフラを有効活用するためのグローバルなコンテンツが必要とされる時代になるだろう。さて今は1994年です、2010年、御社はどうしますか・・・?

 大手家電メーカーのプロジェクトを終えた1995年、グローバルで活躍できるビジネスパーソンになりたかったこともあり、社費留学でフランスの欧州経営大学院(INSEAD)へ留学させてもらいました。とても面白い学校でしたよ。入学のルールとして同国籍人は15%以上とらないんです。だから、イスラエル人とレバノン人が同じクラスにいたりして。また私はここでアントレプレナーコースを選択したのですが、起業という道にもすごく興味が生まれてきた。そこで、クラスメートに「日本が世界に誇れるリッチなコンテンツは何だと思う?」と聞いて回ったのです。彼・彼女たちの回答のほとんどが、「カラオケ、ゲーム、アニメでしょう」に集約されていた。ただ、カラオケには言語の壁があり、ゲームの国内市場は大手の寡占状態、しかし、アニメには今後必ずデジタル化のチャンスが必ず訪れるはず。そして、MBAを取得し日本に帰国した私は、あるビジネスを手がけ始めたのです。

今秋公開の「アフロサムライ」が話題に!
目指すは当然、世界一のコンテンツホルダー

<社長を知人に任せ、自宅で起業>
コンテンツ屋とコンサルタントが融合。世界一のコンテンツホルダーを目指す

 1996年2月、MBAを取得して日本に帰国する前、私は欧州経営大学院(INSEAD)の仲間と欧米を旅行して回りました。その時に、イギリスで「アニモ」という2Dの普通のアニメをデジタルプロセス化するシステムの存在を知ったのです。帰国後、梶田という会計士の勉強をしていた知り合いを鎌倉のファミレスで口説いて、ディジメーションを設立。そして約1000万円で「アニモ」を購入し、自宅に設置。経営は梶田にすべて任せ、私はボストンコンサルティンググループ(BCG)の勤務を継続します。メンテナンスフィーを稼がないとなりませんからね。梶田の頑張りもあり、ディジメーションは順調に成長し、1998年には売り上げ2億円、利益も2000万円。で、梶田から逆にこう口説かれたんです。「この事業で世界一を目指すのが石川さんの夢なんでしょう。それをやらないと石川さんの男が廃るよ」と(苦笑)。

 そして1999年5月にBCGを退職し、私はディジメーションの代表取締役に就任します。この事業はアニメーションのデジタル化、いわゆる下請け仕事ですから、自社でIP(知的財産)を持ちたいと思っていたんです。その年の9月でした、ゴンゾの村濱に出会ったのは。彼は、「エヴァンゲリオン」などを制作したガイナックスという会社の元・プロデューサーで、5人のクリエイターとゴンゾを立ち上げたんですね。当時の代表作として世界的に評価されたデジタルアニメ「青の6号」なども制作しており、その村濱から、「一緒にやりませんか?」と打診された。「お互い世界一を目指すなら一緒になって一気に目指しましょう。一番を二人で目指すと大変じゃないですか」とも。

 もうひとつ、ゴンゾにはビジネスのプロ経営者がいなかったんです。当時のゴンゾの経営状態を調べてみると、数億円の債務超過であることがわかりましたし。しかし、ゴンゾの優れたコンテンツと私のビジネスマネジメントの両輪が合わされば、必ず良い化学反応が生まれるだろうと決断。そして2000年に、ゴンゾとディジメーションの経営統合を前提に、持株会社ゴンゾ・ディジメーション・ホールディング(後のGDH)を設立したのです。ゴンゾの債務超過分は、外資系のベンチャーキャピタルからの出資を受けて、穴埋めすることにしました。

<DVD販売が予想外のデメリットに>
2007年度にすべての膿を出し切り、さらなるメディアミックス戦略を推進

 さあ、一緒になって一気に拡大といきたかったのですが、会社内で文化の衝突が起き始めました。やはり、コンテンツ屋とコンサルタント出身のビジネスマネジャーの考えは相容れないものが多い。そしてなぜか、私ならこう考えるという指摘をすると、必ず相手が傷つけられるらしい・・・。妻からも、「あなたは、映画・スタートレック/ネクストジェネレーションに出てくるヒューマン・アンドロイド、データ君みたい」なんて言われていますしね(笑)。その部分はすごく苦労しましたが、現在当社のCOOを任せている内田に助けてもらって、なんとかしのぐことができました。

 それからは、テレビ局、映画会社などとのパートナーネットワーク構築に尽力し、深夜枠のティーンエイジ以上向けの番組を年間6タイトルというラインナップで制作を継続。GDHの経営を軌道に乗せ、2004年11月には東証マザーズ市場に上場することができました。その後もオリジナル作品の「銀色の髪のアギト」や宮部みゆきさん原作の「ブレイブストーリー」の劇場版アニメ、テレビシリーズとして「SAMURAI7」「巌窟王」などのヒット作を手がけ、事業はこのまま順調に進んでいくと思っていたのです。

 上場後の次なる成長戦略として、DVDの販売に注力し始めました。これは私にも予想外だったのですが、インターネットの世界に無料動画配信サイト「ユーチューブ」や、ファイル交換ソフト「ウィニー」「ビットトレンド」などが登場。独自調査の結果、25歳以下のユーザーが多く、当社の作品も相当数ダウンロードされてしまっている。これではDVDが売れるわけありません。そこで、軌道修正し、DVD販売事業からの撤退を決断。結果として、2007年度にすべての膿を出し、約25億円の赤字決算となりました。

 新しい戦略として資源シフトしたのが、ブロードバンドへの参入。特に、オンラインゲームが好調です。傘下のゴンゾロッソが運営している大規模参加型RPG「マスター・オブ・エピック」は、今年テレビアニメ化されています。オンラインゲームは根強いファンコミュニティーを持ったサービスですから、これからも様々なメディアミックスが期待できる優良なマーケットだと考えています。

<未来へ~GDHが目指すもの>
ブロードバンドとグローバルの市場で、当社のコンテンツをメジャーに育て続ける

 今、楽しみにしているコンテンツは、やはり「アフロサムライ」ですね。これは、人気俳優のサミュエル・L・ジャクソンさんが主演声優を務めたゴンゾ15周年記念作。今年1月から全米で1億2000万世帯が加入している「スパイクTV」というCATVで放送され、すでに米国では10万本のDVDが売れるというヒット作となっています。この劇場版が凱旋映画化され、10月27日から封切りとなるのです。ぜひ、みなさんも劇場に観に行ってください。期待以上の作品に仕上がっていますから。また、バンダイナムコゲームスさんと共同で「アフロサムライ」のゲーム化も進んでいます。

 当社は2010年までに、100タイトル、1500話のアニメライブラリーを完成させる計画です。これだけのラインナップが完成すれば、アニメ専門のテレビ局が持てるのです。アニメのブロードバンド配信も、2010年くらいからきちんと売り上げに貢献できると踏んでいます。そして、まず狙うべきマーケットは中国を含めたアジア全域。インターネットのインフラは、欧米よりもアジアのほうがリードしていますからね。現状、短編アニメも含ると約90タイトル、1200話まできていますので、この計画はほぼ確実に達成できるでしょう。

 冒頭でもお話しましたが、来年から「ドルアーガの塔」のオンラインゲームとテレビアニメもスタートします。オンラインゲームも、ブロードバンドを見据えた優良なマーケット。こちらは欧米も含めた世界的市場を狙って、育てていきたいビジネスです。グローバルという観点では、やはりハリウッドも視野に入れています。当社のコンテンツを世界的メジャーにしていくためには避けては通れない道でしょう。まだ、どんなことができるのか模索している段階ですが、「GONZO+(ゴンゾプラス)」というキーワードを掲げ、グローバルな大ヒットを手がけたいですね。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
マクロな差しで、ミクロな自分を考える。リスクテイクこそ、一番のリスクヘッジである

 まず、自分の人生の中で、今、どのあたりのタイミングに自分が位置しているのかを把握しないといけないですね。やりたいこと、成し遂げたいことがあって、それは今やるべきか、将来やるべきか、しっかりと考えるのです。私の場合、学生時代に外資系投資銀行へ就職していれば、がむしゃらに3年働いて、そのお金を元に起業するという選択肢が確かにありました。でも、私は常に楽しくしてないとダメな性格ですから、当時はお金儲けの道に進むことはできなかった。お金に興味ありませんでしたからね。でも、人はそれぞれですから、そういう選択だってあるということです。

  そして、物事をマクロに捉えてみるといいと思います。まあ、人間、普通にいけば80歳くらいまで生きられるでしょう。人生の目標として、死ぬときに達成しておきたいことは何なのか、それを決めておいたほうがいいです。3年先の事って、案外わかりづらいものですけど、例えば30年先に世界がどうなっているかは、調べれば簡単にわかります。きっと、今よりも国境という概念が希薄になって、でも国としてはアメリカ、中国にパワーが集中して、日本は辺境国のひとつになっているのではないでしょうか。そうなった時に、日本人というアイデンティティーはどんな効力が残されているのか・・・。個人的にはあまり魅力的なものとは思えませんが。

 そういった意味で今、リスキーであると思えることにチャレンジすることが、一番のリスクヘッジだと思います。チャンスと思えるマーケットですか? やはりこれからは高度な情報化社会になっていくことは間違いないですから、金融、インターネット、コンテンツの分野がより必要とされるマーケットでしょう。世の中の変化スピードは当然速まっていく。だからマクロに世界を捉えて、ミクロに今の自分を考えることが必要なのです。もしも、あなたが所属している会社や組織が今は魅力的なものではないとしても、将来的な可能性が残されているとしたら、留まるという選択が一番良いのかもしれないですね。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:刑部友康

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