第1回:世界50カ国を旅行×父親に交際を大反対された中国人の彼女×うつ病時に思い出したふんどしで起業。3人3様、それぞれが起業に至ったストーリーとは

起業家インタビュー

執筆者: ドリームゲート事務局

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vol.1 世界50か国を旅行×父親に大反対された中国人の彼女×うつ病で出会ったふんどしで起業。3人3様、それぞれの起業に至るエピソードとは

株式会社ボルテージ取締役会長  ファウンダー 津谷 祐司氏

株式会社ボルテージ取締役会長  ファウンダー 津谷 祐司氏

1963年、福井県生まれ。1985年、東京大学工学部都市工学科卒業後、博報堂に入社。以来11年間、主に企画・制作、空間プロデュースの仕事に従事する。在職期間中の1993年からの4年間、UCLA映画学部大学院に私費留学。監督コースで映画製作に携わる。1999年、博報堂を退職し、携帯コンテン ツ会社・株式会社ボルテージを起業。代表取締役に就任。世界初の携帯ネット対戦ゲーム「バトル東京23」でMCFモバイルコンテンツ特別賞を受賞。電子書籍 サイト「100シーンの恋」、音楽サイト「歌詞で胸キュン」、ゲームサイト「恋人ゲームシリーズ」などでヒットをとばす。監査法人トーマツが主催する企業 成長率ランキング「日本テクノロジーFast50」を2006~2013年と8年連続受賞。2010年6月上場。

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株式会社スクールウィズ 代表 太田 英基氏

株式会社スクールウィズ 代表 太田 英基氏

1985年生まれ。東北、宮城蔵王の温泉街育ち。中央大学卒。大学2年時に広告事業「タダコピ」を立ち上げた後、約2年間、世界50カ国を旅したのち、2度目の起業にチャレンジ。2013年7月にスクールウィズ社を起業。

株式会社ワンダーラスト 代表 堀江 健太郎氏

株式会社ワンダーラスト 代表 堀江 健太郎氏

1986年、兵庫県芦屋生まれ。2008年4月に株式会社日本IBMに入社。経営コンサルタントとして、5年間クライアントの経営戦略、組織戦略の立案に従事。2010年よりCouchSurfing、airbnbで海外旅行者のホスト開始し、海外旅行の可能性に目覚める。2013年4月に株式会社日本IBMを退職後、同年6月に株式会社ワンダーラストを設立。

有限会社プラスチャーミング 代表 中川 ケイジ氏

有限会社プラスチャーミング 代表 中川 ケイジ氏

1976年、兵庫県芦屋市生まれ。美容師としてサロンを経営後、30歳で兄の経営する経営コンサルティング会社に役員として参加。しかしハードワークが祟り、うつ病に。休職中に出会った「ふんどし」に天命を感じ、2011年12月にふんどしのECサイト「SHAREFUN(しゃれふん)」をスタート。日本ふんどし協会会長も務める。

みんなの生い立ちは?最初から起業家志向だった?

津谷 津谷

今日はお集まりいただき、ありがとうございます。ボルテージのファウンダー・津谷祐司と申します。当社は、“恋愛”と“戦い”のドラマをテーマとした、ストーリー、ゲーム、占いなど約60のオリジナル・サイトを運営している会社です。

会社の沿革としては、1999年に創業し、2010年に東証マザーズ上場、翌年に東証一部に市場変更。昨年7月、代表取締役社長のポジションを後進に譲り、現在、僕は取締役会長となっています。

一方、僕は映画監督としての活動も行っておりまして、起業をテーマとした映画をつくりたいと考えています。人生のなかで生まれる、どんなドラマであっても、本人と他人の間に起こることですよね。今日、お越しいただいたお三方には、そのあたりをポイントとしたお話しをお聞きしていきたいと思っています。

まず、自分自身の起業の原点ってなんだったかと考えると、生まれ故郷で過ごした少年時代に行き着くのです。僕が生まれた福井県は日本一社長の多い県で、うちもご多分にもれず、丁稚奉公から仕事を始めた祖父が、苦労して立ち上げた繊維工場を経営していました。ところが、僕が小学生のころには、アジア諸国の勃興で日本の繊維産業は構造不況に陥り、周りの工場はバタバタつぶれていったのです。僕は、その跡取り息子の立場だったのですが、先の展望が見えず、 早くここから出ていきたいというのが、今につながる自分の人生のスタート地点だった気がしています。

まずは、自己紹介を踏まえて、子どもの頃のこと、当時の家庭環境のことなどを教えてもらえますか。では、太田さんから。

大田 大田

スクールウィズという会社を経営しています太田英基、28歳です。フィリピン英語留学専門の口コミサイトを運営しています。

津谷さんと同じく祖父が起業家で、父が家業を継いで、宮城県の蔵王周辺を商圏とし、植木屋さんを営んでいます。二代目の父は家業を継ぎましたが、仕事の傍ら、バレーボール協会の活動を熱心にするなど、けっこう自由人だったと思います。

きょうだいは、兄・姉がいる三人兄弟の末っ子です。

 

津谷

元気だし、声が大きいですね。もしかして、運動部の主将をやっていたとか。

津谷

はい、父の影響で、太田家の子どもは最低3年間、バレーをやるのが決まりだったんです(笑)。高校では、県大会のベスト8に残るか残れないか、そんな感じの成績で、僕は中学で部長、高校では副部長を務めていました。

思い返せば、一度部活のメンバーと衝突して、もう部長をやめようと思ったことがあります。悩んでいる僕を見かねた、7つ上の姉が、一冊の本を僕にくれたんですよ。それが、相田みつをさんの本でした。

そのなかで見つけたのが「せとものとせとものと ぶつかりっこするとこわれてしまう どちらか やわらかければ だいじょうぶ やわらかい こころを 持ちましょう」という詩でした。

その詩を知ってから、僕はもう一度頑張ることができたんですよ。メンバーとも和解して、その後はいい関係が築けました。もしも、自分を変えた何かを一つ挙げよと聞かれたら、即座に「相田みつをさん」と答えます(笑)。

津谷

素晴らしいお姉さんじゃないですか! お母さんはどんな感じでしたか?

津谷

自営業者の妻となって、父の仕事を手伝いながら、いろんな苦労をしてきたのでしょう。僕にはいつも、税理士や弁護士など、「資格を取って独立しなさい」と言っていました。お金で苦労していたこともあったのか、“士業”が母にとって、一番食いっぱぐれがない職業として映っていたのだと思います。

津谷

ありがとうございます。では、堀江さんお願いします。

堀江 堀江

ワンダーラストの堀江健太郎、28歳です。当社は、Web上で簡単に自分の旅記録が作成でき、それをすぐに共有できるWebサービス、「Compathy(コンパシー)」を運営しています。

生まれたのは、東京の北区で、弟が一人います。父は、大手鉄道系企業のエンジニアとして勤務していましたが、1990年代に、エンジニア派遣会社を起業。現在も経営を続けています。

なのに意外と安定志向で、僕には「大手企業へ行けと」よく言っていました。結果、僕は大学卒業後、日本IBMに進むことになるのです。

ちなみに、中学3年の時、彼女ができ、家族に紹介するために、自宅に招待したんですよ。そうしたら、父が激怒して、彼女を「家から追い出せ!」と。その彼女は在日中国人だったのです。父は、中国・韓国に偏見を持っていて、彼女の国籍の話をした瞬間に、ブチ切れてしまった。その後、彼女とはだんだん気まずくなって、結局、別れることになりました。

津谷

それはキツイですね。堀江さんは、彼女が中国人って知っていたのですか?

堀江

はい。ただ、中国人だから好きになったのではなく、偶然、中学の同級生を好きになったら、中国人だったというだけです。今、世界から偏見をなくしたいと考え、「Compathy(コンパシー)」を運営していますが、このキツイ思い出が、一つの発火点になっていると思います。

津谷

なるほど。では、中川さんお願いします。

堀江

おしゃれな“ふんどし”ブランド「SHAREFUN(しゃれふん)」の販売をしております、プラスチャーミングの中川啓次、37歳です。僕の生まれは、兵庫県の芦屋市ですが、けっして裕福な家庭の生まれではありません。普通のサラリーマン家庭で、11歳上の兄、7歳上の姉がいる3人きょうだいです。

ちなみに兄は、リクルート社に入社して営業で頭角を現し、コンサルティング会社を起業して、上場させた起業家です。小さな頃から、兄には憧れていましたね。

津谷

阪神淡路大震災が起こったのは何歳の時でしたか?

堀江

僕が18歳の時です。たくさんの命が奪われましたが、自分はまだ生かしてもらっている。確かに、あの震災を境に死生観が変わったと思います。僕にしかできないことをやらなければ、という思いが強くなりましたから。

津谷

その後は、どんな進路を?

堀江

東京の大学に進学し、兄が経営するコンサルティング会社でインターンをしたり、当時はITバブルでしたから、ITベンチャーへの就活をしていました。そんな活動の中でわかったことがあります。自分は、チームや組織で働くことが苦手だということです。

津谷

それを自己認識してから、どうされたのですか?

堀江

大学卒業後は、地元の兵庫に戻って、美容師になりました。個人のセンスで頑張れば、上を目指せる仕事ですから。キムタクさん主演のドラマ「ビューティフルライフ」にも背中を押されたと思います(笑)。

なぜ起業したの?

津谷

あはは(笑)。ありがとうございます。では、質問を変えます。太田さん、経営者でなくてもいいのですが、憧れの人物っていますか?

大田 堀江

人の人生を追いかけることに興味がないので、誰かの伝記や成功譚を読むことはほとんどありません。
僕は、スクールウィズを立ち上げる前、2年ほどかけて、アジア、アフリカ、欧州、南米などなど、世界中を旅して回っていたんです。

単にいろんな国を訪れるだけではなく、その国々で働いている日本人をインタビューしながら。実際に、300人以上にお会いしています。
その活動をとおして知った、ケニア・ナッツ・カンパニーの創業者・佐藤芳之さんの生き方には憧れましたね。

彼は、50年近く前に単身アフリカに渡り、一代で年商30億円、ケニア最大の食品加工メーカーをつくり、さらに佐藤は68歳の時、その成功をケニア人に譲り、新たなビジネスに挑戦しているすごい人物です。

津谷

どうやって、300人もの人に会えたのでしょうか?

大田

フェイスブックやツイッターはもちろん使いましたし、現地の日本大使館、ジェトロ、また、日本人が集まる飲食店などでのヒアリング――面白い日本人に会うための情報収集は、考えられることすべてやったと思います。

津谷

では、堀江さん、憧れる人物はいますか?

堀江

アンドリュー・カーネギーです。25歳くらいで、彼の本と出会い、大きな感銘を受けました。鉄鋼会社の成功で財をなし、財団を創設し、大学や図書館などを、後進のためにつくる。そのやり方に非常に共感できました。

努力をした人は成功できる可能性がある。そこには不平等があってはならない。そんな彼の精神を自分も受け継いでいきたいと素直に思いました。

津谷

堀江さんは、差別への葛藤を早くから感じていましたしね。ちなみに、お父さんと衝突しなかったのですか?

堀江

実は高校1年の時にぶつかって、殴り合いのけんかをしてしまいました。悲しいことに、僕が勝ってしまったんですよ。陸上部で体を鍛えていましたから。それ以来、父は家に居づらくなったのか、アパートを借りて一人暮らしを始めてしまいました(笑)。

津谷

普通は逆で、親が子どもを追い出すけどね(笑)。ちょっと話を変えます。太田さんは、2度目の起業なんですか?

大田 堀江

はい。学生時代、仲間5人と広告ビジネスを立ち上げています。それから3年ほどは順調に成長していったのですが、メンバーが20人くらいに増え、その箱としては5人の経営陣は多すぎる。マネジメントがしづらくなってきたんです。

そこで5人で相談し、取締役を3人に減らそうと。結論としては、一番勢いのある役員を新社長とし、そのブレーキ役に最適な役員と、初代社長の3人体制としました。結果、僕を含め2人の創業メンバーが取締役を辞任。その後、僕は半年間、事業運営が軌道に乗るのを見極めてから、その会社を去りました。24歳の時です。

それからフィリピンでの英語留学を経て、世界を巡りの旅に出かけ、帰国後にスクールウィズで再び起業した、というプロセスです。

津谷

なるほど。で、現在、スクールウィズのメンバーは7人ということですが、どうやってリクルートしたのですか?

大田

旅の状況をリポートするツイッターのフォロワーが2万人弱ほどついてくれていました。その中から、一緒にやりたいと応募してきた人がほとんどです。

何人もアプローチしてくれましたが、半分以上は入社に至りませんでした。理由は、自分が望む人材ではなかったケースもあり、ベンチャーゆえの薄給など条件面で断られたケースもあります。

津谷

では、中川さんに質問です。美容師の仕事はうまくいっていたのですか?

中川

正直、うまくいっていたと思います。最初の修業期間は大変でしたが、スタイリストになってからは、ブログなどインターネットを駆使して、お客さんをたくさんつかみ、サロン経営にも大きく貢献していましたから。

でも、30歳になった頃、コンサルティング会社を経営していた兄から、「うちの役員に就任して、経営を手伝ってほしい」というアプローチが届くのです。悩みました。

津谷

サロンからはそうとう引き留められたのでは?

中川

そうですね。でも、憧れていた兄からの頼みですし、いつか自分がサロン経営者になった時、この経験が生きるのではないかと、その誘いを受けることにしました。

津谷

その会社では活躍できたのですか?

中川 堀江

いいえ、取締役として働き始めましたが、業績向上に貢献できない……まったく売れないのです。メンバーのほうが断然売れていましたし、兄が取ってきた仕事を回してもらっても、僕がやるとうまくいかなくなる。「社長の弟なのに」という陰口も聞こえてくるようになりました。

当然ですが、気持ちは落ち込みますし、頑張ろうと躍起になっても結果がついてきません。そんなある日、営業の帰りだったでしょうか、兄から「夕食に行こう」と誘われました。着いていった道玄坂の地下にある焼肉屋の席で言われたことは、「もとからお前のことを“信用”しているが、まだ“信頼”はできていない」。もちろん、僕を奮い立たせようという思いの言葉だったのでしょう。でも、かなり落ち込みましたね。

津谷

その後は、どうなったのでしょう。

中川

一所懸命仕事をやっているのに、誰からも「ありがとう」と言われない自分。阪神淡路大震災を機に、自分にしかできないことをやろうと決めていたのに、この体たらくは何なんだと……。どんどん気持ちがマイナススパイラルに陥っていきました。

そして、東日本大震災が発生。それから僕はうつ病に陥り、ドクターストップ。半年間の自宅療養を言い渡され、休職することになりました。

津谷

その間はどんなことをしていたのですか?

中川

結婚していた妻が派遣で働いてくれたので、何とか生活は続けていくことができました。

津谷

“ふんどし”との出合いは?

中川

兄の会社で働いている時、鳥取の米子でサプリ会社を経営している会社社長と商談していた時のことです。彼が、「中川君、俺もいろんなコンプレックスがあったんだが、“ふんどし”をつけるようになってから、ものすごく自信が出たんだよ」と。

その社長は、高級外車に乗り、F1観戦に何度も海外に出かけるような豪快な経営者でした。そんな方でもコンプレックスがあったのかと驚きました。

「“ふんどし”で、どんな効果があったのですか?」とお聞きしてみたら、「朝起ちするようになった!」と(笑)。それはどうでもいいとして、自分でも買ってみたんです、“越中ふんどし”を。その時に思ったのは、色もデザインも古臭くて、センスがないなあということでした。

でも、実際に自分で着用してみたら、確かにブリーフやトランクスのようなウエストの締め付けがなく、とても気持ちよかった。

津谷

“その程度の思い”だったのに、なぜ起業を思いたったのですか?

中川

背中を押してくれた要因はいろいろあるのですが、「やれる!」と思った瞬間は覚えています。

自宅療養中、妻を送り出した午前の時間、ベランダでぼーっとしていました。毎日、毎日、やることがないので、ベランダで植物の世話をしたり、道路を見降ろして、歩く人の数を数えたりしてたんです。その時ですね、「これをやれば絶対に、たくさんの人からありがとうと言ってもらえるって」。なぜその時だったかは、わからないのですが。

津谷

その時に、何か特別なものを見たとか、聞いたとか?

中川

いいえ、そのようなことはありませんでした。ただ、兄の会社で深夜に一人働いていた時、小さな天狗を見たんですよ。
その天狗は、腰に何かしらの布を巻いていました。今考えると、あの天狗が巻いていたのは、“ふんどし”だったのではないかと(笑)。これ、本当の話ですよ。

津谷

面白いですね~。“ふんどし”ビジネス立ち上げの話はまた後ほどお聞きします。堀江さんは、なぜ日本IBMを退社してまで、ワンダーラストを起業したかったのですか?

堀江 堀江

もともと、人種差別や国籍の偏見に問題意識を持っていましたでしょう。その解決策を求めるべく、海外旅行をする際、「カウチサーフィン」というWebサービスを使って、泊めてもらえるホストファミリーを探していました。ホテルではなく、現地の一般家庭に泊ると、文化や習慣など、いろんなことがわかります。外国語の勉強にもなりますしね。

また、「カウチサーフィン」は、自らもホストになれるんですよ。3年くらいの間に、200人くらいの外国人を日本の自宅に泊めてあげたりしています。
生まれた場所が違うと、言葉や文化、習慣など、すべてが違う。この“違っていること”の発見が、ものすごく楽しかったんです。特に僕が感じたのは、外国人たちの、キャリアの多様性がハンパないこと。日本のような決められたレールはあまりなくて、みんな自由に人生を謳歌している気がしました。

そのうちに、カウチサーフィンよりも、もっと多くの人たちに気軽に使ってもらえる旅関連のサービスをつくりたい。その思いがどんどんふくらんでいきました。

津谷

会社から、引き留められましたか?

堀江

はい、多少ですが。僕はけっこう正論を吐く社員だったんです。だから、煙たがられていたんだと思います。
もうひとつ、もちろん、素晴らしい同僚、先輩もいましたけど、会社や顧客の愚痴を言う先輩たちを見て、「こうはなりたくないな」という思いも強くなっていきました。そもそも僕たちコンサルは、それを変えるのが仕事じゃないですか。
そして、退職と起業を決し、某IT起業の優秀なエンジニアを紹介してもらい、彼を引き抜いて、本格的に事業計画を練り始めたのです。ちなみに、彼は在日韓国人で、僕の思いや志をすぐに理解してくれました。

津谷

では、太田さんの2度目の起業のプロセスを教えてください。

大田

2年の世界旅行から帰国すると、資金はほぼスッカラカンになっていました。帰国してから半年くらいはブラブラすると決め、旅行ファンを招いた講演会やイベントを開催するなどして、生活費を稼いでいたんです。
その傍ら、旅で学んだことをまとめた本を出版して、200万円ほどの印税を獲得。その間、国内ベンチャー企業数社から、「うちが開設するアジア支社代表にならないか」というアプローチをいただきました。でも、やっぱり自分でやりたかったんです。

フィリピン留学の口コミサイトの立ち上げは決めていましたが、僕はエンジニアではありません。なので人集めには苦労しましたね。ちなみに1人目のエンジニアとは、自分が住んでいたソーシャルアパートメントで知り合いました。

最初は、十畳くらいの自宅がオフィスで、仕事机以外、プライベートなスペースはベッドのみという状態(笑)。2013年4月に、スクールウィズをリリースし、9月には、渋谷区のインキュベーションオフィスに入居することにしました。

スタートアップ資金は、自己資金のみです。その後、信用金庫から運転資金として、融資を受けています。

津谷

経営について悩んだ時、誰かに相談していましたか?

大田

学生時代に起業した会社のメンバーに聞くことが多かったですね。バックオフィス系の仕事は、ほとんどわからなかったので、そこはしっかり聞きましたし、ばっちり教えてもらいました。うちの経理処理も、その会社の顧問税理士にお願いしているんです。

あと、ベンチャービジネスのイベントなどで知り合いになった、経営者仲間に相談することもありますね。

スクールウィズは2013年12月に、やっとマネタイズの仕組みを導入しました。学校からのコミッションフィーと広告収入が主な収益です。売上ゼロから脱せて、正直ホッとしています(笑)。今年はここから大きく伸ばしていきます。

津谷

今後のファイナンスについては、どんな計画ですか?

大田

現在、資金調達を検討しています。ベンチャーキャピタル(VC)からの出資もそうですが、事業シナジーのある事業会社からの出資も検討していけたらと考えています。

津谷

中川さんの、ビジネス立ち上げプロセスはどんな感じでしたか?

中川 堀江

「“ふんどし”で起業します」と伝えると、十人のうち十人に反対されました。「営業もできなかったのに、売れるわけがないと」。でも、実際に自分で使ってみた“ふんどし”は、とても快適で、おしゃれなものがあれば、必ず売れるはずと、確信してしまったのです。

起業資金は、引っ越しのために残しておいた30万円のみです。幸いに、京都で和装メーカーを経営している知り合いがおりまして、その方にプレゼンしたら、「面白い」と。委託で僕が考える新しい“ふんどし”の製造を請け負ってくれることになりました。しかも、売れた分だけマージンを払えばよいという好条件で。

あとはすべて自分一人でやる、組織をつくらずやる、と決めていたので、20万円をかけて販売・宣伝用のサイトをつくり、基本的な準備は完了です。

津谷

先ほどの天狗の話もありましたけど、なぜ成功を信じることができたのでしょう?

中川

“ふんどし”を使ったのは、34歳にして人生初の行為でした。快適だったことは当然として、この“ふんどし”を締めるという行為が、何か新しい生活習慣になるというか、もともと持っていた日本人のDNAが目覚めるというか……。

確かに、ブリーフもトランクスも快適で便利かもしれません。しかし、“ふんどし”にはそれ以上の魅力がある。しかし、デザインがよくない、おしゃではない。ステテコにデザイン性を付加したことで、新たな使い方をされたように、“ふんどし”も絶対に日本国内のみならず、世界に広がっていく文化になるに違いない、と。
それ以上の明確な理由はうまく説明できませんが、これをやれるのは僕しかいないと、確信してしまったのです。

津谷

ちなみに中川さんは、昔からファッションに興味があったのですか?

中川

そうですね。小さな頃から、僕は、勉強もいまひとつ、運動もいまひとつ。人と違う何かを探して勝たねばと思っていました。
僕らが中学になった頃は、面白いやつか、おしゃれなやつが、かっこいいといった風潮がありまして。その頃から、いろんな雑誌でトレンドをチェックして、服を買いに行ったりしていました。

津谷

では、堀江さんの立ち上げのプロセスを。

堀江

僕の場合は、一定期間自分たちのビジネスだけに集中できる期間が必要だという判断から、最初からVCを使おうと思っていました。スタートアップ資金は、私の貯蓄200万円、パートナーのエンジニアの貯蓄100万円と、VCの出資300万円を合わせた600万円です。

津谷

今、VCとはどのくらいの頻度で打ち合わせをしていますか? また、彼らが堀江さんに期待していることはどんなことでしょう?

堀江

週に1度、2時間くらいのミーティングを行っています。VCの方は、支援しているビジネスがスケールアップしていく、どんどん伸びていくプロセスにエクスタシーを感じているとおっしゃっていますね。

津谷

VCから資金調達をしようと考えた一番の理由は?

堀江

うちのビジネスは、2年間ほどは売り上げが見込めない、離陸までの期間を長く必要とするモデルなのです。いくつか金融機関を回りましたが、融資はほとんど断られましたから。VCしかないだろうというのが理由です。

起業することに、彼女や妻は反対しなかった?

津谷

では、質問を大胆に変えます。太田さんは、彼女がいますか?

大田 堀江

では、ここ数年の彼女遍歴をお話しします(笑)。まず、世界旅行に出かける前に、当時付き合っていた彼女とはお別れしました。その後、世界旅行に出かけ、インドで知り合った女性と、恋に落ちかけたのですが、成就には至りませんでした。

で、今は、交際を始めて4カ月目の彼女がいます。

津谷

どこで知り合ったのでしょう?

大田

旅関連のイベント会場です。彼女は、そのイベントを運営する会社の社員で、当日、フェイスブックでお互い友だちになって、交流しているうちにお付き合いすることになりました。

津谷

その女性と結婚について話したりしますか?

大田

そうですね、少なくとも僕は、結婚を意識してお付き合いをさせてもらっています。なので、子どもの人数とか、将来の仕事や生活のこととか、半分本気・半分冗談ですが、割りと話し合っています。特に僕は、幾つになってもチャレンジしていたいし、世界を駆け回りながら仕事をしていたい。なので、そんな生活についてきてくれるのか、そこにストレスを感じないのか、とか。

津谷

安定志向の女性は多いですからね。

大田

そうですね。でも、彼女は将来、起業したい派のようです(笑)。

津谷

中川さんはすでにご結婚されて、お子さんもいるんですね。

中川

はい。一時期、兄の会社の営業をしていた女性で、2年の付き合いを経て、2010年に結婚しました。

津谷

うつ病で自宅療養していた中川さんの起業を、よく認めてくれましたね。

中川 堀江

実は、僕もそれが一番の心配でした。起業を決める前、僕の療養も兼ねて、気晴らしに韓国の済州島へ旅行に出かけたんです。旅行費用は妻のへそくりで(笑)。

日常生活のなかでは言いだしづらかったので、ここぞと決意して、旅行中、妻に切り出しました。「兄の会社を退職して、“ふんどし”で起業したい」。
そうしたら妻は、「いつ辞めるって言い出すのかな、って思ってた。あなたは組織の中で輝くのではなく、自分のセンスや個性を輝かせて成功するタイプ。だから絶対に大丈夫」と一言。

ものすごく、嬉しかったです。

津谷

奥さんのご実家のほうからは、心配されなかったですか?

中川

妻の実家は自営業なので、独立にはあまり抵抗がなかったようですよ。

津谷

「日本ふんどし協会」を立ち上げる、「ふんどしアワード」を開催するなど、それらのアイデアは本当に面白いですね。どうやって思いついたのですか?

中川

“ふんどし”で起業すると決めてから、本当に自然に頭の中にアイデアがどんどん浮かんできたのです。自分でも不思議なのですが。

津谷

今、御社の“ふんどし”はどのくらい売れているのですか?

中川

1枚3000円のものが、ネットと実店舗合わせて月間1500枚くらいでしょうか。ほか、百貨店の特別イベントなどが開催されると、短期間でさらに売れます。

津谷

相変わらず、中川さんは営業が苦手なのですか?

中川

そうですね。なので、当社からはいっさいお願い営業をしないと決めています。営業をしなくて済むように設計してサイトをつくっていますし、ほか様々な仕掛けをしているつもりです。

津谷

例えば、どういった?

中川

先日、『人生はふんどし1枚で変えられる』という自著を上梓しました。この時も、サイトでスライドムービーをつくって、出版社さんを公募しています。

家入一真さんに協力してもらい、「中川ケイジが本をつくる。まだ読んでいないけど、面白いと思うよ」などとコメントしてもらって(笑)。結果、8社の出版社から打診いただき、ディスカバーさんにお世話になることにしました。

津谷

ディスカバーさんに決めた理由はなんですか?

中川 堀江

僕は、この本を本気で映画化するつもりなんです。ビジネス書としてではなく、うつ病で悩んでいるすべての人たちに、「僕も同じ境遇だったけど、今は楽しくやっているよ」「人生は変えることができるんだよ」というメッセージを届けることが一番の目的。広くこのメッセージを届けるために、映画化は絶対だと思ったのです。

で、主演は瑛太さん、麻生久美子さん、米子の社長が古田新太さん、幻の天狗は鈴木福くん、配役もそこまでイメージしています(笑)。
結果、8社の出版社の中で、「映画化まで本気で一緒にやりたい」という気持ちを一番強く見せてくれたのが、ディスカバーさんだったのです。

津谷

そういえば、家入さんの最初の本もディスカバーさんでしたね。さて、堀江さんは彼女いますか?

堀江

残念ながら、起業前に別れてしまいました。大学時代の同級生で、5年間、お付き合いしてきたんですが。

津谷

別れの原因はなんだったのでしょうか?

堀江

一言でいえば、もう僕にはついていけないということだと思います。同棲もしていたのですが、「偏見を世界からなくすために起業する」と伝えたら、「もう別れましょう」と。

津谷

彼女はどんな会社に勤めていたのですか?

堀江

大手損害保険会社です。

津谷

なるほど。今、狙っている女性はいますか?

堀江

いません。

津谷

合コンや飲み会など、出会いのチャンスはけっこうあるでしょう?

堀江

あるにはあるのですが、「職業は何ですか?」と聞かれて、今の仕事を説明すると、残念ながら、だいたいスルーされてしまいます(笑)。

ベンチャーが成長軌道に乗るために必要なこと

津谷

では僕からの最後の質問です。中川さんの夢と不安を教えてもらえますか?

中川 堀江

夢は、“ふんどし”を世界中に広めることです。パンツとケンカしなくていいし、使うのは寝る時だけでもいい、自分の下着ラインナップのなかに、1枚だけ、“ふんどし”を取り入れてほしいと思っています。

不安は、やはり運転資金でしょうか。日本政策金融公庫から小額の融資を受けましたが、やはりキャッシュはあればあるほど安心ですから。
広報・宣伝は自分、製造はパートナーである京都の和装メーカー、販売はネットショップや実店舗。どこまで人を雇うことなく、自分一人でこのビジネスを広げていくことができるか――そこも多少不安ではありますね。

逆に僕から津谷さんへの質問です。これまで多くのヒットゲームを手がけられていますが、ヒットのコツを教えてください。

津谷

“ふんどし”をヒットさせてしまった人に、お伝えできるようなアイデアは正直ちょっと思い浮かびません(笑)。ひとつだけアドバイスをするとしたら、やはり、大手が参入してきた時のリスクヘッジでしょうか。

それが低価格という力技なのか、事業提携なのか、手法に関してはわかりませんが。“ふんどし”ビジネスで、ピカピカの優秀な人材を求めるのは、そうとう難しいでしょう。いずれにせよ、一人ではなく組織的な経営が必要となるタイミングを予測し、見定め、その際の人材獲得シナリオを検討しておいたほうがよいと思います。

中川

ありがとうございます。

津谷

では、太田さんの夢と不安、何か質問があればお願いします。

大田 堀江

短期的な夢というか目標は、早くスクールウィズの売り上げを高め、事業成長のドライブを仕かけることができるようにすることです。ひたすら組織を大きくすることはあまり考えていなくて、世界中の人々が使いたいと思ってくれるサービスをつくりたいと思っています。なので、例えば社員と一緒にダーツでオフィスを決め、今年はロシア、来年はブラジルと、世界のいろんな場所を仕事場として、働きたい。あとは、1年の内、社員全員が1カ月は休めるような、そんな会社にしたいです。
長期的には、事業も人生も、世界を視野に考え、動かしていきたい。どうすればそれができる自分であり続けることができるのか、今は明確な答えがなく模索中です。ただ、何歳になっても、チャレンジし続けている自分でありたいです。
津谷さんへの質問ですが、事業を後進に任せるタイミングは、どのように考えておられたのでしょうか?

津谷

僕の場合は、何でも10年区切りで考えることにしていました。大前研一さんの考えを参考にしたのですが。ボルテージ設立からちょうど10年で東証一部まで持っていって、昨年、社長のポジションを後進に譲ったわけですが、取締役のメンバーには、常々、僕の考えを伝えていました。
現在、スクールウィズの経営ボードは太田さん一人ですよね。まだ早いかもしれませんが、いつか事業を任せて新たなチャレンジができるよう、経営パートナーを増やして事業成長のスピードを高めるという選択肢を頭に入れておいたほうがいいと思います。

大田

ありがとうございました。

津谷

では、最後に堀江さん、夢と不安と、私への質問があればお願いします。

堀江 堀江

昨年の12月にビジネスをローンチしたばかりで、まだまだトライするプロセスが続いていきます。ただ、人々の心の国境をなくすため、新たなアイデアをどんどん考えている時間が、とても楽しいです。カーネギーに負けずに事業を成功させ、努力すれば夢は続いていくことを信じて、頑張っていきます。

不安は、起業してから体重が10キロ近く増えたことでしょうか(笑)。休みもなく、毎日、朝昼なく働いているので、1日4食がデフォルトになってしまいました。健康改善が今の最優先検討課題です(笑)。

津谷さんへの質問は、スタートアップ時、メンバーに多くの給料が払えないなか、彼らのモチベーションをどうやってアップさせるかということです。どのような工夫をされていましたか?

津谷 堀江

事業の先は見えない、金はない、創業時は本当に大変です。私はある時から、メンバーに事業アイデアを出させる時間を設け、真剣に聞く機会を設けました。そして、メンバー自らの頭で考えた事業の改善点などを、しっかりまとめさせ、90秒で皆の前でプレゼンさせるのです。

これは、簡潔・正確に、自分の考えをしっかり相手に伝える訓練になりますし、そのプレゼンが納得できる内容であれば、すぐにでも経営に取り入れる。ダメなものであれば、なぜダメか、その理由をわかりやすく伝えてあげる。そうすることで、メンバーにとって、他人事だった会社の事業が自分事になり、仕事に対する熱量が高まっていきました。

何もないけど、何とかその陣容で、思い描いた結果を導くことができるようなアイデアを考えて実施する。それもベンチャー経営者の面白みであり、特権だと思います。

堀江

ありがとうございます。

津谷

今日はお忙しい中、たくさんのユニークかつ、貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。もう少し大人しい方々の登場を予想していましたが、皆さん、アグレッシブすぎて驚きました。もちろん、いい意味で、です(笑)。皆さんのドラマティックな挑戦を、これからも応援していきます。ぜひ、頑張ってください。

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