第42回 オイシックス株式会社 高島宏平

起業家インタビュー

執筆者: ドリームゲート事務局

第42回
オイシックス株式会社 代表取締役社長
高島宏平 Kohey Takashima

1973年、神奈川県生まれ。東京大学大学院工学系研究科修了。父の仕事の関係で、幼稚園、小学校合わせて、5回の転園、転校を繰り返す。丈夫ではなかっ た自分を克服するため、小学生時代からサッカーを始める。中学から中高一貫の男子校へ進学。体育祭を復活させるなど、様々なリーダー役を経験。この頃か ら、将来は何かしらのリーダーとして活躍したいと思うように。大学時代は、学生の国際交流活動、ベンチャー企業でのバイトに明け暮れた。就職のタイミング を逸して進んだ大学院時代に、自らベンチャー企業を立ち上げる。大学院修了と同時に、外資系コンサルティング会社のマッキンゼーに入社。2000年5月の 退社まで、Eコマースグループのコアメンバーとして活躍。退職後翌月の6月、インターネットを通じて、安全でおしい食材を一般家庭に宅配するオイシックス 株式会社を設立。代表取締役社長に就任した。2006年、Entrepreneur of the year Japanファイナリスト。2007年、DREAM GATE AWARD2007受賞。

ライフスタイル

好きな食べ物

葱が出るとうれしい。
好き嫌いはほとんどありません。最近は仕事での会食が続いているのですが、どんな種類の料理でも、葱を使ったメニューが出ると、うれしいと感じます。葱は本当に好きですね。お酒も何でも飲みます。中でも好きなのは、ビールとウィスキーですかね

趣味

フットサルと料理。 
昔取った杵柄ではないですが、サッカーは好きです。今でも、会社のチームで月1回のペースでフットサルをやっています。あとは、料理。パーティフロアなんかをレンタルして、社員を招待して自分で料理をつくって振舞うんです。味よりも、見た目重視ですが(笑)。

休日

一人暮らしならではの・・・。
休みが取れたら、たまった洗濯物を片付けて、アイロンかけて、あとは部屋の掃除ですかね。それと、仕事に関連してしまうのですが、新しいタイプのレストランや、デパ地下に視察に出かけることも多いです。

行ってみたい場所

海外であればパリのマルシェ。
海外旅行に行けるのなら、パリのマルシェ(市場)を見て歩きたいです。あと、銀座と広尾にある「泥武士」という飲食店があるのですが、もともとは熊本発祥の店なんです。この店が僕は大好きなので、いつか熊本の本店に行ってみたいと思ってるんですよね。

本当においしくて安全な食材を一般家庭へ。
「Oisix(おいしっくす)」が生産者と消費者のギャップを埋める!

 「一般のご家庭での豊かな食生活の実現」を企業理念とする、オイシックス株式会社。同社が展開する、有機野菜、無添加などの安全食品の宅配、感動食品専門スーパー「Oisix(おいしっくす)」に、今すぐインターネットを使ってアクセスしてみてほしい。様々な食材のネーミングや、食材のストーリーを眺めるだけでも楽しいから。常時1570品目、を超える安全でおいしい魅力的な食材がラインナップされており、これまでに約30万人のユーザーがここで商品を購入しているという。7年前、このサイトを立ち上げたリーダーがオイシックスの代表取締役社長、高島宏平氏。食材マーケットを全く知らなかった彼らの挑戦は、徒手空拳、そして暗中模索。当然、平坦な道などなかったといえる。しかし、創業時に掲げた企業理念をいっさいぶらさず、ここまで愚直に一歩一歩、前進、成長を続けてきた。高島氏は言う。「“Oisix”を、世の中になくてはならないインフラとして育てていきたい」と。今回は、そんな高島氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<高島宏平をつくったルーツ.1>
転園、転校を繰り返した少年時代。喘息を克服するためサッカーを始める

 僕が生まれたのは神奈川県ですが、父の仕事の関係で、幼稚園で2回転園、小学校で3回転校しています。家族構成は父と母、2つ下の妹の4人家族です。幼稚園の頃、大阪に引っ越したのですが、その時の記憶は鮮明ですね。大阪弁が全くわからなかった。先生が言ってることすら理解できず、それが理由ですごく怒られたんです。しょうがないじゃないですか、そんなの(笑)。でも、引っ越しを重ねて、新しい環境へ何度も放り込まれることで、だんだん転校上手になっていくんです。周囲の雰囲気によって自分のキャラ設定を変えることとか、いじめられない身の処し方とか。初対面というか、転校初日のインパクトづくりの大切さとか。そのおかげか、今でもいっさい人見知りとかしないですね。

 小学生の頃は、あまり丈夫じゃなかったんですよ。喘息持ちでしたし。でも、それを克服するためにスポーツを始めました。低学年ではドッジボール、高学年になってからはサッカーにのめり込むんです。「キャプテン翼」がはやっていましたから、その影響もありましたね。喘息に打ち勝つために、ゼーゼーいいながらも走り続けたりして。今考えれば、けっこう危険なチャレンジだったんですよね(笑)。まあ、スポーツをし続けたことで、だんだん健康になっていったんだと思っています。今ではほとんど休みませんから。仕事が忙しいという理由が主ですけど。

 勉強は、あまり言いたくないですが、できるほうでしたね(笑)。といいますか、点を取る戦略立案に長けてたんだと思います。問題を出題する立場の人は、どのあたりの問題を出してくるだろうか、どう引っ掛けようと考えているのか。山を張るのもそうですが、それらを先読みすることが得意でした。中学からは中高一貫の私立高校で、横浜にあるカソリック系の聖光学院に進学しています。中学でもサッカーは続けました。

<高島宏平をつくったルーツ.2>
何かを企んでは、リーダーに納まる。将来の自分像をつくり始めた中高時代

 中学3年生の時、希望者を募ってカナダに体験旅行に行くという学内行事があったんです。1学年で40人位ずつ、3チームくらいの班に分かれて旅行するのですが、僕が班のリーダーになりました。3チームの中で僕らの班が一番できないやつらが集まった班だったんですけどね。引率として英語の先生が一緒に来るのですが、その先生は文法は得意なんですけど、実際の英会話コミュニケーションを苦手とする人でした。ここは自分がいろいろ考えて乗り切らねばと。僕はピンチになると燃えてくるタイプなんですよ。自分なりに責任感を持って頑張って、チームみんなで無事に楽しい旅を終えた時に、リーダーの立場の面白さをそれまで以上に実感したことを覚えています。

 高校でもいろいろリーダー的な役割を経験しています。学園祭の実行委員になったり、劇団を立ち上げたり。学園祭ってすごく楽しいじゃないですか。仲間内で、1年に1回の学園祭以外にもイベントをやりたいよねという話になって。なぜだかわからないですが、僕らの代の頃、聖光学院は体育祭をやってなかったんですよ。じゃあ、自分たちで体育祭を立ち上げようと。みんなを巻き込んで、体育祭を実現したんです。リーダーとして何かを企んで、それを実現してみんなと喜びを共有する。チームで何かを達成した時の一体感って、ものすごいエクスタシーを感じるんですよ。やっぱりリーダーは面白い。この時、将来は何かしらのリーダーになっていたいと思っていました。思い返せば小学校の卒業文集に、僕は「大名になりたい」って書いてたんですよね(笑)。

 大学は東京大学に進学しました。僕はもともとバリバリの文系タイプだったのですが、理系の工学部を目指して受験したのです。理系から文系への転向は簡単かもしれないけど、文系から理系への転向は難しいと考えた結果です。何かはわからないですが、将来リーダーの立場になった時、理系の考え方を身につけておいたほうが有利だと思ったんです。そうそう、僕らの前の代までは、聖光学院から東大に進学する生徒数は毎年20人くらいだったのですが、一橋や早稲田を受験する同級生に「どうせなら東大を受験しなよ」と声をかけました。その結果、僕らの代は東大に50人くらい進学したんですよ

<東京大学の時代>
就職のタイミングを逃して大学院へ。サークル感覚で有限会社を立ち上げる

  大学に入学すると、ISEC(アイセック:学生の国際的インターンを支援する世界最大規模のNPO学生組織)の活動にのめり込みました。海外の学生たちと交流したり、国際会議を開催したり。僕の代で立ち上げた台湾の学生との交流イベントは、その後10年くらい続いたと聞いています。あとはベンチャー企業でのアルバイトです。バブルが崩壊した後でしたが、学生イベントを企画してスポンサーを募ったり、PHSの販促を手伝ったり。ちなみに、この時にお世話になったベンチャー企業の専務は、後に再起業してその会社を上場させています。学生を集めたクラブイベントもいくつか開催しました。東京都と組んだ「ストップ・エイズ」イベントとか、当時、核実験を推進していたフランスのシラク元大統領への反対イベントとか。まあ、いろいろとやりました。大学の4年間は、多くの人と出会い、自分自身を耕していた時期といえますね。

 そうこうするうちに、就職するタイミングを逸してしまいまして(笑)。大学院へ進学することにしました。1990年代後半は、インターネットの台頭が始まった頃で、僕自身も「インターネットにはすごい可能性がある。この世界にタッチしておくべきだ」と強烈に感じたことを覚えています。これまでサークル的な活動は十分やってきましたから、仲間に声をかけ、会社を立ち上げてインターネットに関わってみようと。「インターネットで遊ぶ」をコンセプトに、僕が代表者となって有限会社コーヘイを設立。格安航空券、シルバーアクセサリーのEコマース、秋田県の小坂町で行った炭鉱サミットの世界同時インターネット中継、沖縄と東京のクラブをインターネットで中継しあうイベントなど、面白いと思うことは何でもやりました。多い時には30人ほどで活動していましたよ。ほとんど儲けにはつながりませんでしたが(笑)。

 リーダーもそうだが、社長業って意外と面白いかもしれない。将来、自分で会社を経営していくという選択肢が明確になったのも大学院の頃です。でも、この会社の延長では小さな成功はできても、大きな成功はできないだろう。やはり、社会に出て経営をしっかり学びたいと思うように。それで、マッキンゼーに就職することにしたのです。商社も考えてみたのですが、5年間は下積み期間が続くそう。マッキンゼーの社員平均在籍期間は3年らしい。思い切りこき使われるかもしれないけど、ここならいろいろ覚えることができそうだと。修了年の2月から、寝ずに修士論文を書いて、なんとか大学院は修了することができました。教授がこの年で退官することになっていましたから、汚点を残したくなかったのかもしれませんね(笑)。

<マッキンゼーでの2年間>
週末、コーヘイ時代の仲間たちと事業アイデアの議論を交わす

 マッキンゼーでは大手企業がインターネットビジネスに進出する際のプロジェクトを中心に担当しました。僕が入社した当時は、まだインターネットに詳しいコンサルタントが少なかったこともあり、面白いプロジェクトに参加させてもらいましたよ。営業する際にもけっこう重宝がられまして、30社くらい同行を依頼されたと思います。大手企業の経営ボードメンバーと直接交渉できる機会は面白かったですね。あとは、『東洋経済』や『ダイヤモンド』などのビジネス誌に、Eコマースの記事を執筆したこともいい経験でした。25歳の若造が記名で執筆することで、いきなり先生って呼ばれるようになるんですから。

  マッキンゼーのコンサルタントとして仕事をしながら、毎週末、コーヘイを立ち上げたメンバーと集まっては勉強会と称して事業計画を練っていました。インターネット関連のビジネスを立ち上げようと思ってはいましたが、常に考えていたのは、自分たちが一番熱意を捧げられる事業領域はどこかということ。リクルート社が展開している求人ビジネスも、昔はなかったものですよね。でも、今あの求人コンテンツがなくなったら、困る人は多いでしょう。衣食住という、いつの時代も人間が必要とするもので、なくなったら困ってしまう新しいビジネスを立ち上げようと、常に考えていました。

 それで行き着いたのが食品です。それまでも、カタログを使った自然食品の宅配事業会社はいくつかありました。しかしその多くは、いいものをつくる生産者を助けることがコンセプトの中心で、消費者が安心して食べられる、おいしくて体にいいものを、気軽に購入できるというものではなかったのです。また、インターネットを使えば、食材流通に多く介在している中間業者を省くことができ、流通コストも改善できる。ただ、カタログをインターネットに置き換えたというものではなく、人それぞれの食生活をサポートできる仕組みをつくろうと。当時はネットを使った食品販売事業の成功事例がありませんでした。だったら自分たちがそれを実現してやろう。だんだんと闘争心に火がついてきたんです。

安全な食材提供はまだまだニッチマーケット?
品揃えを拡充し「Oisix」はインフラを目指す!

<2000年6月、「Oisix」誕生>
実験的に野菜20品目からスタート。生産者と消費者のギャップを埋める!

 気づいてみると、事業計画がどんどん完成に近づいていまして。すぐにでも営業できる体制ができ上がっていたんですよ(笑)。それで、2年間お世話になったマッキンゼーを退職し、2000年6月、10人のメンバーでオイシックス株式会社を立ち上げたのです。成すべきことが明確でしたから、退職することへの迷いは全くありませんでした。僕たちオイシックスが実現すべきは、「一般のご家庭での豊かな食生活の実現」です。生産者の論理ではなく、消費者であるお客さまの視点に立った食材提供サービスを、インターネットを活用して実現していこうと。

 最初の難関は、やはり生産者の開拓です。僕たちは食品関連ビジネスの経験がいっさいありませんから、まさに徒手空拳、暗中模索のチャレンジですよ。まあ、後になって、知らなかったからできたんだなと思うことが多々ありますが(笑)。インターネットで野菜を売るといっても、生産者の方々にとっては当然、チンプンカンプンでしょう。何度も何度も産地へ足を運んで、夜を徹して一緒にお酒を飲んで、膝をつき合わせながら交渉しました。そうやってなんとか3つの生産者グループにご協力いただき、20種類の野菜をラインナップして、Eコマースサイト「Oisix(おいしっくす)」を実験的にカットオーバーさせることができました。

 生産者の開拓を進めていくうちにわかったことがあります。当社にご協力いただいている生産者の方々は、おしなべて「自分たちがつくる野菜は日本一」という誇りをお持ちです。ですが、農家ゆえに、他の農家や、店舗で売られている野菜をあまり口にしたことがないわけです。自分でつくっていますからね。それはすなわち、目指すべき味、他者との競争がなかったということ。インターネットであれば、野菜を食べた消費者からの反応がすぐに返ってきますよね。消費者の生の声を生産者にお返しすることで、自分たちがつくっている野菜に求められていることが初めてわかったという声も少なくないのです。そうやって、消費者と生産者の間にあるギャップを埋めていくことで、双方に喜んでいただけること。これもこの事業の醍醐味であるといえますね。

<社員一丸となってピンチを乗り切る>
提携物流センターがいきなり業務停止。社員総出、1カ月かけて危機を回避

 最大のピンチは、設立2年目に訪れました。配送を委託していた物流センターが業績不振により、いきなり業務を停止するという事態が発生。翌日から業務が止まるということは、24時間以内に新たな物流拠点を見つけて、物流を再開させねばなりません。すぐに移転先を確保して、社員全員が在庫の移し変え作業に取りかかりました。これができなければ、オイシックスは潰れてしまう。社員全員が通常の業務を終えた後、泊り込みで運搬し、仕分け作業を続けたのです。

 通常の流れに戻すために、1カ月くらいはかかりました。その間、僕を含めて社員全員がほぼ泊り込みで働きましたから、心配したご家族の方から電話が鳴り止みません。何人かの社員に捜索願が出されてしまったり……。なんとか復旧させることができたのですが、本当に冷や汗続きの1カ月でしたね。でも、このトラブルを乗り切ったことで、会社はひとつ強くなったと思います。「俺たちが徹夜で頑張れば、どんなトラブルも乗り越えられる」と。当然ですが、二度と繰り返したくないですけど(笑)。

 生産者の開拓、ユーザーへのPRを地道に続け、おかげさまで今では契約生産者は1000軒を超えています。規格外の野菜を集めた「ふぞろいな野菜たち」、まるで桃のようにジューシーな「ピーチかぶ」など、ネーミングにも力を入れています。わかりやすくいえば、名もない野菜たちにドレスを着させてあげるようなものですね。そうすることで、お客さまも食材をイメージしやすくなりますから。

 もうひとつ。味覚って人それぞれでしょう。ですから、その商品にまつわるストーリーも重要なんです。具体的にどういうことをしているかといいますと、商品到着日に生産者からのコメントをメールでお届けするのです。生産者が考えていることや、その野菜にまつわる物語がわかれば、消費者にとって目の前の食材がぐっと身近になりますから。このサービスを始めてから、リピート率が一気にアップしました。オイシックスの食材は、五感すべてを使って楽しんでほしい。そんな思いがあるのです。

<未来へ~オイシックスが目指すもの>
「Oisix」がなくなっては困る。そんなインフラとなることが目標

 オイシックスのお客さまが増えたことで、生産者の方々にやっと、出荷メリットのあるロット数をオーダーできるようになりました。そう思えるようになったのは、設立4年目の頃ですね。関連サイトへのリンクをどんどん推進して、サイトへのアクセス数を増加させ、現在、個人運営のサイトも含めると、5万サイトとのリンクネットワークが完成しています。もちろんチラシを配布したりと、足を使ったユーザー獲得営業も続けていますよ。そうそう、2004年には、厳選したスイーツを取り扱う「Okasix(おかしっくす)」もカットオーバー。徐々にではありますが品揃えを充実させ、ユーザー獲得の努力を続け、これまでの購入経験者数は30万人を超えています。

 当社の昨年度年商は36億1100万円。常時取り扱う食品は1570種ほど。うち、野菜が占めるシェアは10%ほどですが、売り上げにおけるシェアは30%ほど。いかに安全でおいしい野菜が市場から求められているかということが、この数字から見て取れると思います。正直、オイシックスはまだ路地裏の名店といった存在。一度購入いただければ、ほとんどのお客さまがリピーターになってくれます。しかし、まだまだ体に優しい安全な食材の提供は、ニッチなマーケットなのです。ですから短期的な目標としては、もっともっと品揃えを充実させて、たくさんの新規ユーザーにご購入いただけるマーケットづくりをし続けなければならないと思っています。そのために、小さなお子さんを持つお母さまへの認知を高めるなど、同じユーザーをターゲットとする様々な企業との提携や、当社で実店舗を展開するなどの戦略の必要性を感じています。

 正直、安全な食材はまだまだ高価なのです。しかし、ある程度の価格に下げることができれば、購入数が拡大することはわかっています。数年かけて、まず売上高を100億円まで持っていき、規模の拡大による購買力の強化、様々なコストが削減できる体制を実現する必要がありますね。そうなって初めてニッチではなく、インフラとしての食材提供業者のポジションが見え始めるでしょう。その先は、売上高1000億円を目標として、誰もがオイシックスのサービスがあるのは当たり前、なくなったら困ってしまうと感じていただける状況をつくり上げたいです。それが実現すれば、ひとまず僕の起業の志は達成できたといってもいいのではないでしょうか。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
起業=社長になるという考えは間違い。自分の得意を生かす起業を検討すべき

 起業するうえで、一番大切なことは何か? 僕は、仲間づくりだと思っています。起業する=社長になることと思っている人って多いでしょう。ほら、「僕は社長に向いていないから、起業は無理だよ」って人がいるじゃないですか。でも、それは違いますよ。事業はひとりでつくるものではありません。目指すべき目標を達成するための仕組みなのですから、リーダー役、経理に強い人、技術力に長けている人、営業が得意な人、様々なスキル、そして様々な性格さえも必要であると思うのです。もしもやりたいことが生まれたならば、自分の得て不得手をよくよく考えて、足りない能力を探し出してスタッフィングする努力をすればいい。

 苦しい時、言葉がなくてもお互いの感じていることが理解し合える。お互いが相手に対して嫌だと思うことを認識しながらも、ずっと付き合っていける。そんな深い関係の仲間を数人でいい、つくっておくことです。起業は始めることよりも、続けることに意義があります。始めれば、いいことよりも、大変なことのほうが多いです。ピンチに遭遇しても、逃げることなく一緒に頑張れる仲間。そんな視点で、仲間を探してみてください。もちろん、自分の不得意なことをリカバーしてくれる人材というポイントも重要ですね。

 事業アイデアのつくり方ですか? まずお伝えしておきたいことは、食品業界への参入はできるだけしないでくださいということ。競合が増えると当社が困りますから(笑)。でも、起業にとって重要なのはアイデアを探すことではなくて実行力ですよ。事業アイデアなんて、そこら中に転がっていると僕は思います。実際に起業してみればわかるのですが、事業経営って、何かやることを決めるよりも、やらない決断を下すことのほうが多いんですから。だから、少しでもやりたいことがあるなら、しっかりとやり切る決意を持って、一歩先へ踏み出して、実際に行動を始めてみるしかない。そもそも、やりたいことがまだおぼろげだったりするならば、起業なんてしなくていい。起業しないという決断をすることも、必要なことだと思います。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓

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