第145回 株式会社サイブリッジ 代表取締役社長 水口 翼

起業家インタビュー

執筆者: ドリームゲート事務局

第145回 株式会社サイブリッジ 代表取締役社長
水口 翼 Tsubasa Mizuguchi

1982年、東京都生まれ。2001年、青山学院大学経済学部入学。1年次の後期試験の頃、大学の同級生だった彼女から妊娠を告げられる。すぐに学生結婚を決意し、1年間の休学へ(大学は5年で自主退学)。出産費用とふたり分の学費を稼ぐため、某企業でWebデザイナーの契約社員として働き始める。19歳で1児の父となる。その翌年、個人事業主として起業。2004年5月、企業のWebサイト構築事業を主業務として、東京渋谷区にて株式会社シンクマーク(2005年に商号をサイブリッジに変更)を設立し、法人化。代表取締役社長に就任。その後、より収益率の高いWebインテグレーション事業、インターネットメディア事業などへと事業領域を拡大しながら、会社を着実に成長させてきた。また、ベンチャー企業としては珍しく、社内風土や文化の醸成を重要視し、数々の独自かつユニークな「社内制度」を企画、実施。その取り組みがマスコミに取り上げられること多数。現在、連結子会社7社を抱えるグループ企業として、従業員数は約100名。“one more Value”というコーポレートメッセージを掲げ、年商1000億円規模のメガITベンチャーを目指している。

ライフスタイル

家族のこと

子どもがまだまだほしい。
今、9歳の長女、4歳の長男、2歳の二女、0歳の三女と4人の子どもがいます。3歳くらいが一番かわいいんですよ。その時期の子どもが常に家庭内に1人はいる状態を実現するには子どもを産み続けないといけない。だから、もっとたくさん子どもがほしいです。会社の経営目標って達成が難しいですけど、子どもの人数って目標達成もしやすいですからね(笑)。

ドラマのこと

数値目標を立てて観まくります。
日常生活にも数値目標、ほしいですよね。主要なテレビドラマは、毎日放送している朝ドラや昼ドラ以外は、録画してほとんど観ています。昨年は43本のドラマを観ました。ただ観るだけだと時間のムダな気がしますが、目標のために必要な事だと考えると気持ちよく観ることができます(笑)。

家族旅行のこと

1年半かけて、全都道府県の県庁巡りを制覇しました。ただ旅行に行くよりも目的意識と数値目標があったほうがいいですからね。たとえば、鳥取県の場合だと、砂丘を30分だけ楽しんで、県庁をこの目で見て、1時間の滞在時間とか(笑)。私はパスポートはおろか、運転免許も持っていないので、すべて公共の交通機関での移動です。けっこう大変ですよ(笑)。子どもなんてまだ乳飲み子ですからね。2泊3日ともなると、着替えやら替えのオムツやらで大変な量になります。世間の人の旅行って楽なんだろうなぁと思います。

好きな食べ物

ソーセージです。
ソーセージやウィンナーが好きです。土日の休日はだいたい食卓に並びます。あとは、ハッシュドポテト、油揚げにアスパラガス(笑)。お酒は飲めますが、ほとんど飲みません。酔うためのツールだと思っているので、いまだに美味しいとも思いません。

学生結婚、学生パパ、学生社長で3足のわらじ。
ハタチの起業の決断は、家族を養うための選択

生き馬の目を抜く苛烈な競争が強いられる、IT業界。そんな世界に、弱冠20歳、妻子持ちの学生起業家がたったひとり、個人事業主として参戦したのは、2003年のこと。翌年の法人化から9期目となる今、業容はいっきに拡大し、連結従業員数約100名、連結子会社7社を抱えるグループ企業に成長している。地道に歩み、勝ち続け、生き残ったのだ――。そんなサイブリッジグループの舵を取るのが、29歳の代表取締役社長、水口翼氏である。「就職して働いたとしても、リストラや倒産、転勤など、他者の意思決定によって自分や家族が不幸になる可能性があります。でも、起業はすべて自己責任の世界ですが、自分の意思決定と、継続の努力でリスクをコントロールすることができます。仮に失敗したとしても、自分の意思決定の結果であれば、納得できるんじゃないか……そう考えて起業を選択したんですよ」。今回はそんな水口氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<水口 翼をつくったルーツ1>
ニッポンの一般中流家庭の長男として誕生。
自主性、主体性を大切にする両親のもとで育つ

 父は農協貯金(現・JAバンク)に勤めるサラリーマン。母は専業主婦で、2つ下に弟がいます。そんな、普通の中流家庭の長男として、東京の八王子で産声を上げました。自宅の隣には公園があって、その裏手には山もあったので、近所の友達たちと外で遊んだりもしましたが、基本的にはインドア派。漫画や小説を読んだり、アニメを見たり、あとは工作なども好きでした。何かに取り組みながら、自分の知識がたまっていく感覚が好きだったのだと思います。金曜の朝は再放送のアニメが見たくて、よく仮病を使って学校を休んだりもしていましたね(笑)。どちらかというとリーダータイプだったのかもしれません。うっすらと目立ちたがり屋だった記憶があるし、小学生の頃、学級委員に自ら手を挙げて立候補していましたから。

 あと、地域の剣道連盟の理事もしていた祖母の勧めで、幼稚園の年長から剣道を始めました。一般的な礼儀やしきたりは、剣道の稽古を通じて学んだと思っています。両親から、勉強しろとか、塾に行けとか、うるさく言われたことはなかったですね。どちらかというと「自分の好きなことをしなさい」という放任主義がルールの家庭です。まぁその代わり「責任も自分でとりなさい」という感じでしたが。父は今57歳ですが、日本の初期世代のオタクだったこともあり、本や漫画のコレクションが自宅にけっこうありました。それもあって、読書が好きになったのでしょうね。最初にはまったのは『ドラえもん』。何度も何度も繰り返し、台詞を暗記するくらい読みました。そのせいで視力が悪くなって、最終的には母にコミックを捨てられてしまったのですが……(笑)。

 もうひとつ、小5のクラスの担任の先生が、1年間に1万ページ読めばドーナツ食べ放題、3万ページ読めば回転すし食べ放題というルールをつくっていて、司馬遼太郎さんの歴史小説やSF、宗教など偏った分野を中心に、1日1冊のペースで読みあさりました。結果的に、3万ページを軽く突破。ドーナツ食べ放題には連れて行ってもらいましたが、なぜか、回転すしはうやむやにされたんですよね(笑)。放任主義と言いましたが、少しだけルールがありました。漫画は『ドラえもん』はいいけど、戦い系の『ドラゴンボール』はダメ。スーパーファミコンも最初は1週間に1回1時間まででした。でも、夜中に起きて、ひとりでこっそりやっていましたけど(笑)。家には父が使っていたNECのパソコン「PC98」が何台もあって、初めてPCに触れたのは小学生の時。勝手に起動させては、フロッピーゲームで遊んでいました(笑)。

<水口 翼をつくったルーツ2>
合格点より1点上の努力を常に心がけて実践。
昔から、目標設定と、効率的な努力が好きだった

 中学に上がってからは、剣道部に入部。最後は副主将で、結果としては市内でベスト16くらいだったでしょうか。そんなに強くはなかったです。勉強は、歴史小説を読むのが好きだったこともあって、国語、社会は特に勉強しなくてもできました。でも、英語がまったくの苦手。ただし、自ら合格点より1点上の努力を常に心がけて実践していましたので、全体の成績はそこそこよかったんじゃないかと。試験は一夜漬けばっかりでしたけど(笑)。振り返ってみれば、目標設定と、効率的な努力が好きだったんですね、昔から。ただ、物事には無関心な、あまりかわいくない子どもだったと思います。「高校なんていかなくても、ホームレスでもすれば生きてはいける」なんて考えていましたから(笑)。根底には、人と同じ生き方はしたくないという思いはあったのでしょう。

 でも、高校は推薦ですんなり合格できたので、行くことにしようと。内申点がよかったみたいです。家から一番近い公立高校で、レベルは、中の上くらい。もう運動部には入らないと決めていたので、吹奏楽部に入部しました。文化系ではあるものの、吹奏楽って運動系の部活と同じようにひとつのことに一生懸命取り組むあの感じが、今の会社経営にもつながっている気がします。 楽器は“ファゴット”という木管楽器を担当し、最後は副部長を務めました。中学の剣道部でも副主将だったでしょう。今、私は会社のトップを任じていますが、実はナンバーツーのほうが向いているのではと自己分析しているんですよ(笑)。とかいいつつ、高校時代は生徒会長もやっていました。やっぱりあの頃は目立ちたがり屋だったのかもしれません。

 高校時代にアルバイトも始めました。コンビニの店員で、アルバイト料は、だいたい、ゲーム、CD、本を買って消えていました。職業を選ばなければ生活はできる、生きていけるんじゃないか――。また、そんなことを考えてみたり(笑)。何か明確な目標を持っている人ってすごいなあと思っていましたね。ちなみに弟は、アニメの専門学校を出て、最近までいわゆるニートでした。私たち兄弟に、両親は大学に行けとは言いませんでしたし、やはり、それぞれの主体性に任せるといったスタンスです。でも、高校3年の秋くらいに、大学へ進学する、就職する、働かない、の3つの選択肢を考えて、消去法で、まぁ所詮モラトリアムの延長だったわけですが、大学受験をしてみることにしました。

<短い大学生時代>
大学1年の終わり頃、彼女から妊娠を告げられる。
結婚も、父になることも、まったく躊躇しなかった

 受験勉強に真剣に取り組み始めたのは、3年の12月くらいから。文系学部狙いで、国語と社会は偏差値60くらいあったので、あとは偏差値30の英語を必死で暗記。結果、青山学院と成蹊の経済、法政の社会に合格しました。その中から、何かの雑誌で見た「合コンでモテるランキング」の上位だった青学への進学を決めたのです(笑)。2001年4月の入学後、まずはバイトをしまくりました。高校から続けていたコンビニ、アパレルショップの店員、会社の事務スタッフ、コンサート会場の運営スタッフ、住宅展示場の係員、飲食店のウエイターなどなど。どうせ自分の時間を切り売りするなら、掛け持ちでできるだけ稼ごうと。また、いろんな業界や職業の経験値を、できるだけ効率的に積みたいという考えもありました。

 大学に少し顔を出して、毎日深夜まで働いて、それでも手にできる給料は十数万円でしたね。あと、せっかくだからと、いくつかのサークルに加入してみましたが、どれもいまひとつ面白くない。それで5月頃、自分でサークルを立ち上げました。外向けにはオールラウンド系と言っていましたが、他大学の学食を食べ歩いてネットにレビューを書いたり、ほかの大学の学園祭に出店したり、1万円でどこまで行けるとか「ザ!鉄腕!DASH!!」の真似ごとをしたり(笑)。30人くらいのメンバーが集まって、楽しくやっていました。で、このサークルでいまの妻に出会いました。6月頃から付き合いが始まり、そして、年が明けた1月の後期試験が始まった頃、彼女から妊娠したことを告げられたのです。

 小さな命が映っている、エコー写真を見せてくれた彼女に「生んでほしい」と説得をしました。自分が19歳で結婚すること、父親になることへの不安よりも今までの平凡な生活や人生に、大きな変化が生まれることを楽しんでいる自分がいたことを覚えています。うちの両親は、「おまえが決めたことなら、おまえの親として責任をとる」と言ってくれました。ただ、やはり彼女の両親からは、最初、猛反対されました。そこを一所懸命に説得して、ふたりともが大学を卒業することを条件に、何とか結婚の許可をもらうことができました。

<個人事業主で学生起業>
3足のわらじをはきながら、ある程度の金額を
稼ぐためには、起業がベストの選択肢だった

 2002年の春、私は1年間の休学届を大学に提出し、出産費用と生活費、ふたり分の学費を稼ぐために働き始めることになります。普通のアルバイトでは到底そこまでの金額を得ることはできませんから、大学1年の時にバイトでお世話になっていたある会社に契約社員として雇ってもらい、Webデザイナーの仕事をスタートさせました。勤務は10時から18時まで。社長ともうひとりが営業担当で、私がデザイナーという3人体制の小さなベンチャー企業です。会社の仕事をこなしながら、知人から依頼された外部のWeb仕事もいくつか請け負い、1年間である程度のインターネットとWebデザインの知識、サイトなどの運営ノウハウを習得することができました。

 そして、1年の休学期間を終えた私は、最初は個人事業主として、起業することを決断しました。Webサイト制作の仕事なら自宅でもこなせますから、大学に通いながら子どもの面倒も見ることができます。そして、パソコン1台とインターネットにつながる回線さえあれば、初期費用も運転資金もそれほどかかりません。つまり、まだハタチの年齢で、父親でもあり、大学生でもある自分が、3足のわらじをはきながら、ある程度の金額を稼ぐためには、起業がベストの選択肢だったというわけです。

 起業のリスクを感じなかったか? まあ、何とかなるだろうと思っていました(笑)。こんなに社会保障制度の整った国なので、事業に失敗しても死ぬことはないですからね。子どもを産むと決めた時点でどんな苦労でも厭わずにするつもりだったので、職業さえ選ばなければほかにいくらでも仕事もあると思っていましたし。リスクについては違う見方をしていた部分もあって、就職して働いたとしても、リストラや倒産、転勤など、他者の意思決定によって自分や家族が不幸になる可能性があります。でも、起業はすべて自己責任の世界ですが、自分の意思決定と、継続の努力でリスクをコントロールすることができます。仮に何らかの問題に衝突して失敗したとしても、自分の意思決定の結果であれば、納得できるんじゃないか……そう考えたんですよ。もちろん、私の両親が反対することはありませんでした(笑)。そんな経緯を経て、私の起業人生が幕を開けます。それが2003年のこと。開業した時はまだ、文字どおり“弱冠20歳”でした。

●次回、「目標を地道に突破しながら、年商1000億円のメガベンチャーを目指す!」の後編へ続く→

ユニークな「社内制度」が独自の社内文化を醸成。
29歳のアントレプレナーが目指す1000億円企業

<法人化>
フロー型よりも、ストック型のビジネスが強い。
薄くても長く続く仕事を獲得すべく方向転換

 Webサイトの制作を中心に、ひとり自宅で事業をスタートさせました。当時は、中小企業の経営者が集う異業種交流会に顔を出して、「学生結婚なので大変なのです」と、自分の状況を営業ツールにしながら、仕事をいただいてました。当然ながらひとつでも悪い評判が立てば仕事がなくなり、家族が食べていけなくなる状況なので、どんなに小さな仕事でも丁寧に、きちんと仕事をすることを意識してやっているうちに、口コミで少しずつ発注が増えていきまして、初年度は約450万円の収入を挙げることができました。妻と私のふたり分、約200万円の学費と、生活費が何とか賄える計算です。たとえ、そこそこの会社に就職したとしても、入社1年目で手取りでその年収を得ることは難しいでしょう。そういった意味でも、起業という決断は正しかったと思います。

 2年目はすでに受注も増えていて1500万円ほどの売り上げ見込みがあり、2004年5月、信用力の向上も考えて株式会社シンクマーク(現・サイブリッジ)を設立。前年に、最低資本金特例が施行されたこと、収入に対する個人と法人の税率も勘案した結果の法人化です。スタート時の資本金は5万円でした青学に通いやすいだろうとオフィスを渋谷に構えましたが、仕事も面白く、学校からはどんどん足が遠のいてしまいました。キャンパスに行ったのは、健康診断くらいだと思います(笑)。会社を設立したからには、大きく育てたいという気持ちももちろんありましたが、私の場合はそれよりも、家族を養うために最適なやり方を選択しているという思いのほうが強かったですね。ちなみに、妻は大学を無事卒業させましたが、私は休学期間も含め、5年間在籍した後、自主退学しました。ほとんど大学には行ってなかったので大学に支払うよりも会社で人件費やその他に投資した方が合理的だと判断したからです。妻の両親からは卒業を条件に結婚を許してもらっていましたが、「大学を卒業しなければ就職もできず家族を養っていくこともできないから」という理由だったので、卒業できずとも意図の部分はクリアできたからというのが退学の理由です。

 Webサイトの制作業務は、労働集約型で、時間の切り売り的な要素が強く、単価もそれほど高くない。売り上げを伸ばそうとすると、徹夜をするなどして労働時間を長くするしかありません。そのため、会社を設立して以降は、単価の高いコンサルティングやシステム開発、定期収入となるようなサイト運営マネジメントなどの仕事を増やしていきました。フロー型よりも、ストック型。薄くても長く続いて行く仕事をどれだけ多く獲得できるか。その方向に舵を取り、会社として、そして事業としての仕組みづくりに苦心していくことになります。設立のきっかけが家族を養うことだったこともあり、一気に成長するベンチャーよりも、潰れない仕組みをいかにつくるかをいつも意識していました。

<付加と価値>
高額家賃のビルを本社に、大手求人サイトを多用。
それぞれ本来の価値以上の成果を得るための戦略

 2005年からは、知識集約型でさらに収益性の高い自社メディア事業をスタートさせています。ちなみに、現在、当社取締役である濱田優貴との出会いは、ドリームゲートのメーリングリストを介してなんですよ。当時、濱田は、有限会社キャンパスシティという会社の経営者で、大学生向け大学ポータルサイト「キャンパスシティ」や、学習塾特化型求人メディア「塾講師ナビ」を運営していました。そんな濱田と意気投合し、サイブリッジを存続会社として、事業統合したのです。社員を増やし始めたのもこの頃から。知り合いなどの縁故採用をしてしまうと、意思決定や上下関係があやふやになる恐れがあります。だから当社の第1号社員は新卒大学生なんですよ。

 自分の手をあまりかけずとも、より多くの仕事をこなしていくためには、業務の効率化が必須です。いかに無駄を減らし、スタッフが自分の能力を最大限に生かして仕事に集中できるか。業務フローのマニュアル化、社内情報の共有化は徹底して行ってきました。できるだけ少ない労力で、できるだけ高い価値を獲得する。そのための努力が、昔から好きなんですね。従業員がまだ8名だった時に、家賃300万円の渋谷のオフィスを借りました。分不相応かもしれませんが、これは大手企業に対しての信用確保が一番の狙い。ビル名でネット検索すれば、家賃はすぐにわかります。毎月これだけの家賃を払える会社なのだと理解してもらえますから。

 2007年、2008年には、リクナビ、マイナビ、エン・ジャパンなど、9社の大手新卒求人サイトに登録しています。かなりの出費となりましたが、これにも人材採用以外の狙いがありました。人材会社の営業マンは、実に多くの人事担当者や経営者に会います。彼らは「こんな面白いことをやっている会社があります」と、当社の取り組みを営業トークとして話してくれる。言ってみれば、優秀な広報担当を雇っているようなものですね。もちろん、本来の採用活動としても成功裏に終わりました。2万人を超える新卒学生からのエントリーが届き、その年は15名の新卒採用に成功しています。少し多く採ってしまったという、感もありましたけれど(笑)。

<未来へ~サイブリッジが目指すもの>
地に足をつけて着実に業績を伸ばしつつ、
1000億円規模のメガベンチャー企業に育てたい

  まだまだサイブリッジは、知名度の低い会社であると考えています。また、私たちのようなベンチャー企業、特にIT業界は変化スピードが速く、会社そのものも臨機応変に形態を変化させていく必要がある。だから当社では、ある特定の事業にロイヤリティを感じる人よりも、基本的には変わらない、文化や風土に共感できる人材を求めます。そのため、社内制度を充実させ、公開しているのです。たとえば、第一子誕生の際に66万円を支給する「出産祝い金」、社内の小口現金のやり取りを肩代わりする社内通貨「cbri(シブリ)」、本人と家族の誕生日に強制帰宅させる「ハッピーバースディ制度」など、ほかにもまだたくさんある。また、Webカメラで社内を撮影し、24時間外部に向けて放映しています。これは、私が働いている姿を子どもたちに見てほしいと思って始めたんですよ(笑)。

 さらに、社内委員会制度も。小学校のクラスにあるようなやつですね。購買委員会は、ドリンクなどをネットで安く仕入れ、定価よりも安く社内で販売します。ほかにも、美化委員会、放送委員会、図書委員会、社史編纂委員会などなど。社員全員がどこかの委員会に所属し、各々責任を持って、業務以外でも会社の日常を支えてくれています。ちなみに、昨年の夏は節電の影響もあって、「かき氷食べ放題」という制度を設けました。5万円もする本格的なかき氷機を購入したのですが、意外に面倒くさいと不評(笑)。これら、社内制度や委員会制度は、もちろん内向きの施策ではありますが、会社としてマスコミに取り上げられるという副産物もあります。また、自社サイトに掲載しているだけで「面白い会社だ」と、競合との差別化となり、受注に結びつくことも。そうやって、小さな取り組みでも何らかの意味づけをしながら、会社としてのブランディングに役立てているのです。

 今後も、受託開発とメディア事業を継続成長させながら、ネットとネット以外の新規事業にも挑戦していきます。ネット以外の新規事業でいうと、子会社のダイニングキッチンが展開している3店舗の飲食事業です。最近のネットの新規でいうと、「オールクーポン」というメディアを運営する子会社が、テレビ東京さんから出資いただきました。先日買収したソーシャルアプリ開発の「空飛ぶ」という会社は、うちとミクシィさんで株を保有しています。サイブリッジ本体で資本提携する計画はないので、外部の連結対象グループ子会社をつくりつつ、事業の幅を広げていく戦略です。また、昨年、サイブリッジベンチャーズという投資会社を設立し、自社とシナジーがありそうなシード事業への出資活動も始めています。これからも地に足をつけたかたちで着実に業績を伸ばしつつ、いつか1000億円規模のメガベンチャー企業に育てていきたい。マクドナルドの藤田田さんが、「1000億円の売り上げがないと企業じゃない」と、おっしゃっていたので(笑)。まあ、今、私はまだ29歳。本気で自分の夢に取り組める状況は、まだ少し先だと思っています。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
したいならならやる、嫌になったらやめればいい。
ただし、明確な目標を持って起業することが大事

 私は、特にインターネットにこだわっているのではなく、得意分野がたまたまそれであっただけで、ビジネスはあくまでもお金を稼ぐための手段であると考えています。ただ、大切なのは売り上げよりも、より多くの価値を創造して利益をつくること。そう考えながら、これまでサイブリッジの経営に携わってきました。実は振り返ってみると個人事業の頃からおかげさまでお金に窮したことはないです。手元に入ってくるお金以上にお金は使わないという商売の原則どおりにやっているからだと思います。逆に言えば身の丈に合わない冒険をしていない、それほど果敢なチャレンジをしてこなかったということでもあるかもしれません(笑)。もうひとつは仕組み化、幹部社員が辞めても仕事が回る、たとえば自分がいなくても会社がうまく回るよう、特定の誰かに依存しない経営の仕組み化を大事にしてきました。読者へのメッセージとしては、起業したいならならやればいい、嫌になったらやめればいい。という感じですかね。ちなみに、今の自分なら起業はしないかもしれなません。だって、毎月給料が振り込まれるサラリーマンって楽じゃないですか。多少本気で、図書館や古本屋で働きたいと思っています(笑)。

 IT業界もかなり枠が埋まってきていて、事業を大きく成功させる当たりくじを引く確率はかなり低くなっているのは事実です。これから100億円、1000億円の売り上げ規模を目指すならかなり難しいと思いますが、そのレベルでないものであれば、いける可能性はある。だから、どこを目指して起業するかによって、判断は変わってくると思います。たとえば、フランチャイズオーナーとして独立するくらいの収入を得たいなら、数年前のIT業界より今のほうが容易なはずです。もちろん、そこから先、どうやって継続して事業を成長させていくかは話が違うんですけど。やはり、個々人が望む目的によって、そこは判断するしかないですね。私の場合の目的は、家族を養うためでした。あとは、充実した人生を送りたかったから。起業したら、当然、紆余曲折があるだろう。でもそこでの経験が自分を成長させてくれる、高めてくれるという確信はありました。

 今後チャンスのありそうなマーケット? あったら聞きたいです(笑)。ありがちかもしれませんが、高齢者分野の医療、新エネルギー分野、教育分野ですかね。不景気がずっと続いていますが、これからも同じような状態が続くんです、きっと。そんな中でもシュリンクしない市場がいいですね。既存のマーケットでも、まだまだやりようがあるんですよね。ビジネスに限らず、アイデアって複数のことをやっている時に生まれる気がしています。漫画家の長谷川町子さんは、スルメを噛んでいる時に、アイデアが浮かぶと『サザエさん』に書いていました(笑)。たとえば、移動時間を無駄にしないために何か考えようと意識する。無駄な時間をつくらいないことも、アイデアを生む手法なのかもしれません。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓

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