第100回 夢の街創造委員会株式会社 中村利江

起業家インタビュー

執筆者: ドリームゲート事務局

第100回
夢の街創造委員会株式会社 代表取締役会長 
中村利江 Rie Nakamura

1964年、富山県生まれ。県立高岡高等学校から関西大学文学部へ進学。大学時代に女子大生によるモーニングコール事業を立ち上げ話題となる。大学卒業後の1988年、株式会社リクルート入社。入社1年目にして、トップセールスおよび年間MVP賞を獲得する。1990年に出産退社し、フリーのインテリアコーディネーターに。子育てがひと段落した1998年、ほっかほっか亭を展開する株式会社ハークスレイに転職。マーケティング部の管理職として、数々の新企画、効果絶大なPRを成功させ社長賞を受賞。2001年、経営コンサルティング会社、有限会社キトプランニングを設立し、独立。当時、クライアントの1 社だった夢の街創造委員会株式会社の経営に参加し、2002年、代表取締役に就任した。3億円近くの負債を見事に解消し、2005年には創業以来初の黒字化を達成。翌2006年6月、大阪証券取引所ヘラクレス市場に株式を上場。現在、同社会長として、新しくて便利な“夢の街”づくりを継続中。

ライフスタイル

好きな食べ物

赤ワインは毎日1本。
好き嫌いはほとんどありません。おいしいものなら何でも。性格柄、目新しいものや、変わったものは極力オーダーするようにしています。知らないことが悔しいので。たいていの場合、頼まなければ良かったと後悔するんですけど(笑)。あとは、重めの赤ワインが大好きですね。健康のために毎日1本は飲んでいます。お酒はけっこう強いほうですね。

趣味

週末の凝った料理です。
料理ですね。私は東京と大阪を行ったり来たりの生活をしていますが、土日にけっこう凝った料理をして、冷凍して、これで1週間食べなさいとか。最近の得意料理は、子どもが大好きなブリ大根でしょうか。先日、新幹線で帰っている20時頃に、「今日、ブリ大根を食べたい」と子どもから連絡が入りました。その日はさすがに無理でしたけど(笑)。

行ってみたい場所

海外ならエジプトです。
海外でいえば、エジプトでしょうか。まだ一度も行ったことがありませんし、ピラミッドやスフインクスとかをこの目で見てみたいんです。なぜあんな昔にこれほど大きなものができたんだろうと不思議に思えますから。リフレッシュのために、国内旅行はけっこうしています。国内は家族との旅行や仕事の出張で、けっこう回っていますよ。

最近感動したこと

映画「THIS IS IT」。
マイケル・ジャクソンのファンでもないんですが、先日、映画「THIS IS IT」を観にいったんですね。本当にすごい人が亡くなってしまったんだなあと、素直に感動しました。レイトショーで終わったのが深夜の3時くらい。それでも、半分くらいはお客が入っていて、みんな立ち上がって拍手していました。マイケル、すごいじゃんって思いました(笑)。

デリバリーを必要とするすべてのビジネスを、
夢の街創造委員会のネットソリューションで解決!

 デリバリー系飲食店などのオーダー受付代行を行う専門ポータルサイト「出前館」を運営する夢の街創造委員会。2002年、このままでは倒産というタイミングで、同社の二代目社長に就任し、経営を再建、上場企業に育て上げたのが中村利江氏である。「夢の街創造委員会という社名は、誰もが望む“あったらいいな”という“夢の街”をひとつでも多く“創造”する、そして“委員会”のように自ら手を挙げてプロジェクトに参加しようという意味が込められています。そのとおり、社内会議をする際もみんなで“出前館”を使って食事をオーダーし、より便利なサイトの使い方や新しいアイデアをどんどん出し合っています。私たち自身が“出前館”のヘビーユーザーなんですね(笑)」と語ってくれた中村氏。今回は、そんな中村氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<中村利江をつくったルーツ1>
門限は夕方6時、習い事もたくさん。しつけに厳格な地元のお嬢様として育つ

 生まれ故郷の富山県で、父は建設会社を切り盛りする経営者でした。社業に忙しい父に代わり、家を守る母はとても厳格。私は三姉妹の長女として、とても厳しいしつけのもとに育てられました。ずっと門限は夕方の6時で、勉強をしっかりしなさいと。そのほかに習い事もたくさん。ピアノ、ソロバンに書道と何かしらの教室にほぼ毎日通っていましたから、自由な時間があまりない小学時代でしたね。父の仕事柄、実家にはいろいろな大人が出入りしていました。たまに広い応接室をのぞいて見ると、立派な格好をした政治家や経営者仲間とお酒を飲みながら談笑していたり、作業服を着た職人さんたちが訪ねてきたり。社会の縮図を少しだけ垣間見たような気がしています。

 良くいえば地元のお嬢様なんでしょうけれど、悪くいえばありがちな成金家庭に育ったというわけです。それもあって小学校の頃は、男の子たちからけっこういじめられました。当時、そのあたりでは海外旅行に行く子どもなんてほとんどいませんでした。うちは家族全員でスイスに旅行に行ったりして、母がまるでアルプスの少女ハイジみたいな洋服を買い与える。それを学校に着せて行せるものですから、いやでも目立ってしまうんです。それじゃあ、かっこうのいじめの的になりますよね。幼心ながら「一刻も早くこの家から逃げ出したい」なんて思ったことが何度もありました。

 成績ですか? 勉強は常にしていましたから、全教科押しなべて良かったです。で、中学に上がると、今度はガールスカウトに入れと親から勧められてしまった。でも、活動に参加してみたら、これが意外に肌に合ったんですよ。それまで家ではいろんなものを与えてもらっていましたが、キャンプに行くといろんなことを自分でしなくてはならないでしょう。何というか、ひとりで生き抜くことの面白さというのか。すべてのプログラムが私にとって、すごく新鮮だったんですね。あと、ボランティアの募金活動も面白かったです。せっかく集めるんだからしっかり作戦を立てて、たくさん募金を集めようと。列の並び方を工夫して、かわいい女の子はおじさんに、かっこいい男の子はおばさんに声をかけるよう仲間たちに指導。かなりの額を集めることができました(笑)。

<中村利江をつくったルーツ2>
大学時代に始めたモーニングコール事業が、朝日新聞の「天声人語」で紹介され大反響

 高校は富山県内で御三家と呼ばれる進学校へ進むことができました。部活動は中学から続けていたバレーボール部に入部。そんなに強い部ではなかったですが、練習は一所懸命していましたね。相変わらず、母からは常に勉強しなさいと言われていまして、勉強から逃れるために部活を続けていたようなものです。小さな頃から、家を出たい、早く自由になりたいと思っていたでしょう。だから、絶対に県外の大学に進学しなければと。両親も、「良い大学に入れるならばよし」という考えでしたから、一応、国立のお茶の水女子大学と、すべり止めの私立大学をいくつか受験して。お茶の水は最初から受かる自信はありませんでしたが、両親へのポーズとして。

 晴れて、関西大学の文学部に合格し、私の自由な生活が始まりました。大学生らしく部活や飲食店でのアルバイトを始めてみたのですが、なんだか面白くない。ちなみに、部活は応援団のチアガール。群がってくるカメラ小僧たちが気持ち悪くて、すぐにやめました。漠然とですが、何かしら自分でできる仕事ってないかなって思っていたんです。ある日、いつも講義に遅れてくる男子学生が、「あ~、かわいい女の子が毎朝起こしてくれたら、遅刻なんかしないのに」とぼやくのを聞いたんですね。「何言ってるのよ、かわいい女の子なら周りにたくさんいるじゃない」と返したところでひらめいた。女子大生を集めて、モーニングコール事業を始めてみよう。これが大きな反響を呼んだんです。

 チラシをまいたら社会人を中心にどんどんオーダーが入ってきて、女子大生が始めたユニークビジネスということで朝日新聞の「天声人語」に紹介され、さらにオーダーが殺到しました。と、幸先の良いスタートを切ったかに思えたのですが、そこはまだ学生です。請求のことをすっかり忘れていました。自動引き落としの発想もなく、請求書を送るのですが取りっぱぐれが増え、結局この事業からは早々に撤退しました。でも、300人くらいの女子大生が登録してくれたんですね。バブル景気でしたし、当時の女子大生ブームもあったのでしょう。いろんな会社から仕事を手伝ってほしいというオーダーが入るように。この人材派遣もどきのビジネスでけっこう稼がせていただきました。

<リクルートへ>
営業スタイルをプッシュ型からプル型へ変え、1年目にしてトップセールス、MVPを受賞

 大学3年になった頃、今度は自分も会社で働いてみたくなり、「天声人語」の件でお知り合いになった朝日新聞の局長さんが「この会社は面白い」と教えてくれたのがリクルート社。3年と4年の間はアルバイトとして、ほぼ毎日、フルタイムで働いていました。『月刊ハウジング』という雑誌の写植校正から始まり、最後は関西版の立ち上げや編集までやらせてもらって。忙しかったですが、仕事も社風もとても刺激的でした。そうそう、こんなことも。たまたま用があって大学に行っていたら、「リクルートの総務から電話が入っている」と教員室に呼び出されたんです。電話に出ると、「中村さん、最近、私用外出が多すぎる」と。私の本業は学生なのにね(笑)。まあ、それくらい一所懸命働いていたんです。よく4年間で大学を卒業できたものだと今でも思います。たくさんの友だちが助けてくれたおかげです。

 就職は、そのままリクルートへ。大阪支社で編集・制作のプロの道を歩むと思っていたら、東京に配属となり、『月刊ハウジング』の営業職に。頑張れば頑張っただけ成果が出ると考え、誰よりもアポ取りの電話をかけ、多くの会社に訪問しました。最初は順調だったんですが、ある時ちょっとした問題にぶつかってしまって……。あと一息で目標達成という段階で、どうしても落としたい新規クライアントの部長に夜討ち朝駆けを続けたんですね。そうしているうちに、先方の社内で部長と私が愛人関係にあるという根も葉もない噂が広まってしまったんです。私の身勝手な行動で、部長に大きな迷惑をかけてしまった。それからですね、私の営業スタイルが変わったのは。プッシュ型ではなくプル型、クライアントから「来てほしい」と頼まれる営業になろうと決めたんです。

 ある仏壇店から大型受注を獲得した時の話です。仏壇店としては、大型で高価な仏壇を売りたいのは当然ですよね。でも、本当の読者ニーズはどうなのか。私は当時『月刊ハウジング』に掲載されている住宅の間取りをすべて分析し、一番ニーズがありそうなコンパクトサイズの仏壇をメインとした広告の提案をしたのです。その狙いは当たり、読者から大きな反響を得ることができました。反響があれば仏壇店の売り上げが上がるので、さらに広告を掲載しようとなる。そうやって一度Win-Winの関係を築くことができれば、信頼が生まれ、クライアントから声がかかるようになります。その後も、電話かけや訪問にかけていた時間を分析・提案に傾けていった結果、私の受注件数はどんどん増加し、1年目にしてトップセールスと年間MVPを受賞することができたのです。

<中食業界への転職>
新商品開発ストーリーをテレビに売り込み、勤務先企業の株価を4倍に伸ばす!

 仕事は続けたかったのですが、24歳で結婚し、そして出産。育児のために、わずか2年でリクルートを退職することになりました。育児を続けながら勉強し、興味があったインテリアコーディネーターの資格を取得したんですね。作品をコンテストに出品したら、賞を受賞して、それから2年ほどでしょうか、フリーランスのデザイナーとして、モデルハウスや注文住宅の設計の仕事に携わっていました。その後、子育てが一段落して子どもを保育園に預けられるようになったこともあり、もっと新しい自分の可能性を試したいという気持ちが強くなって。ちょうどその頃、偶然目にしたのが、「ほっかほっか亭」を展開する株式会社ハークスレイの求人広告です。上場したばかりで、中食市場にも興味があったため早速応募。店舗の販促をサポートする営業企画室に配属されることになりました。

 出社初日に、制服を手渡されました。私、背が高くて手足も長いので、サイズの合う制服がないんです。そもそも制服なんて着たくないので、「どうしたら制服を着なくてよくなるのですか?」「管理職なればいい」。なるほどと。スタッフ部門の成果が何かといえば、やはりコストダウンでしょう。なので、チラシの制作プロセスを徹底的に研究して、チラシにかかっていた年間経費を億円単位で削減。それで半年後にマーケティング部の管理職に昇進したんです。思い出の仕事といえば、「290円牛めし」のPRがあります。人気ドキュメンタリー番組の制作会社に、商品開発の裏側、コンビニ対ほか弁戦争など、視聴率が取れそうな構成内容に仕上げた企画書を売り込んだんです。

 番組が放送された翌日からものすごい反響で、牛めしは飛ぶように売れました。数カ月でなんと株価が4倍まで跳ね上がったほど。経営に大貢献したで しょう。社長賞をいただいたんです。その額、10万円……。正直、たったこれだけと思いましたが(笑)、狙いが当たったことは素直に嬉しかったです。そのほかにも、デリバリーやケータリング、インターネットオーダーの仕組みを、現場の声に耳を傾けながら開発し続けました。ちなみに、この時に私がコンタクトしたのが、出前オーダーを請け負うデリバリー総合サイト「出前館」を運営する夢の街創造委員会だったんです。クライアントの立場ながら、「システムはこう変えたほうが良い」「なぜ儲かっていないのに家賃の高いビルに入っているのか」などなど、いろんなおせっかいをしていましたね(笑)。その当時、まさか私がこの会社の社長になるなんて、想像すらしていなかったです。

東は釧路から、西は宮古島まで9200店以上が登録。
280万人の会員から月間50万件のオーダーが!

<二代目社長に就任>
自分の給料を社内で一番低く設定し、誰よりも一所懸命働く姿を見せ続ける

 株式会社ハークスレイに入社して3年。いろんな仕事を任され、役職がつき、部下も増え、忙しく働いていました。でも、私はこのままこの会社に骨を埋 めるのかと考えたら、頭に疑問符が浮かんできました。また、子どもが思春期に差しかかっていて、もっと時間が自由になる仕事をしたいなあと。企画提案で、ある程度仕事が取れる自信もあったので、経営コンサルタントとして独立することにしたんですね。おかげさまで初月から黒字で、自由な仕事と生活を楽しんでいました。ハークスレイ時代に取引があった夢の街創造委員会もクライアントの1社。その頃、当時の社長から、社外取締役になってほしいと頼まれました。もともと「出前館」は大化けする可能性があると思っていましたので、お引き受けし、その後も様々な提案を続けていきました。

 ただ、夢の街は2億8000万円の負債を抱えていて、そのままでは倒産してしまうような危うい経営状態。そこで当時、ベンチャー企業支援に力を入れていた大阪ガスさんに、プレゼンして出資を仰ぐことに。社長は「もしも出資が決まれば、最後のチャンス。中村さん、社長をやってくれ」と言います。その頃の私は毎月50万円くらいの給料を取っていて、会社の年商も3000万円ほど。方や、夢の街は月商で20万円を超える程度です。ただし、「出前館」はインフラビジネス。やりようによっては、年商20億円、200億円、2000億円も夢じゃない。個人のコンサルティング事業は、いつでも再開できます。もしも天下の大阪ガスさんが本当に出資してくれるなら、思い切って挑戦してみよう。そんな決断をしたんですね。結果、大阪ガスさんは4000万円の出資を決定。2002年1月、私は自分への約束どおり、夢の街の社長への就任を決めました。

 社長として経営を立て直すためにまず始めたのは、社員の総入れ替えです。自分の給料を社内で一番安い10万円に設定し、誰よりも一所懸命働きました。社員には嫌なこともたくさん言ったと思います。安定より未来の可能性を信じて一緒に働いてくれる人としかやってられませんから。踏み絵のようなものですよね。私とて、何度辞めたいと思ったことか……。でも、やる気のない社員はどんどん辞めていき、「社長がそこまで頑張るなら一緒に頑張ろう」という社員だけが残ってくれました。もうひとつ、仕組み自体の改善も行いました。出前はスピードが命。店側のスタッフも忙しい中、何度もメールチェックをしている暇はありません。そこで、ユーザーはネットでオーダーできますが、そのオーダー情報を店側にはファックスで届けることにしたのです。加盟店さんとユーザー双方にとって、何が一番便利なのか。そこをとことんまで突き詰めた結果です。

<できることはすべてやる!>
2005年に創業以来初となる黒字化を達成。2006年6月にはヘラクレス市場に上場!

 そうやって組織や仕組みを筋肉質に変えながら、加盟店さんを拡大するための営業を同時並行で進めていきました。「登録してもいいよ」と言ってくれた飲食店には何が何でもオーダーが入るよう、そのお店のチラシを自作して近所に配ったり、私たち自身もお客のふりをしてオーダーしたり(笑)。実際にオーダーが入るようになると、オーナーがスピーカーになって勝手に宣伝してくれるんです。「出前館、なかなかいいぞ」って。そんな強引なクチコミづくりにも取り組みました。あと、ピザチェーンなど大手企業への営業にも注力。何度足を運んでも門前払いだったピザハットさん。そこで、マイクロソフトのMSNに「出前館」の提携契約を取り付けて、MSN経由でアポを取ってもらいました。で、私もついて行ったら、ピザハットさんのご担当者は「また、君か……」と。でも、テストとして10店舗だけ出店いただけたんですね。実際、効果は非常に良く、その成功実績のおかげで、そのほかの大手ピザチェーンさんもどんどん加盟店になっていただけました。

 一方、ユーザーがオーダーする際の入り口は、パソコンからモバイル、インターネットテレビなどへと広がっていきます。様々な関連企業と提携することで、それら新たなデヴァイスへの出店連携も忘れませんでした。また、「出前館」の画面で郵便番号を入力すれば、出前可能な店舗一覧と配達時間が一目でわかるなど、ユーザビリティの向上もどんどん進めています。ちなみに、現在でもほとんどの加盟店さんはインターネットを使っていません。やはり飲食業界はネットリテラシーがかなり低い業界です。新しく複雑な取り組みを嫌がりますし、簡単なオペレーションでオーダーが取れることが最大のメリットですからね。加盟店さんにご負担いただくのは、初期費用2~3万円、毎月の使用料が3000円、オーダー1件あたりの手数料が5%となっています。

 出前を行っていたある洋食店さんは、「出前館」を使うようになる以前、チラシの制作費とポスティング費に毎月30万円ほどかけていたそうです。しかもチラシからのオーダーはわずか数件。今ではチラシの配布をすべて取り止め、「出前館」だけで出前のオーダーを取られていますが、毎月のオーダー件数はなんと1000件に届く勢い。そんな加盟店さんが喜ばれる声を聞くことができるこのビジネスに挑戦して良かった。心からそう思っています。そうやって様々な活動を地道にこつこつと続けてきた結果、社長就任後3年目の2005年に創業以来初となる黒字化を達成し、2006年6月にはヘラクレス市場に上場。現在、釧路から宮古島まで、約9200店の加盟店さんに「出前館」をご利用いただき、ユーザーである会員数は280万人を超えました。そして毎月、約50万件の出前オーダーが「出前館」をとおして生まれています。

<未来へ~夢の街創造委員会が目指すもの>
地域に密着しながら街の生活をより便利に、
事業を営む皆さんの商売繁盛に貢献し続ける

 今年の5月から、任天堂さんのWiiで「出前チャンネル」がスタートしています。大きな画面でみなさんゲームを楽しみながらオーダーされるのでしょう。一番顧客単価が高いんです。パソコンやモバイルが苦手なシニアの方々からの評判も上々です。直近の新たな取り組みとしては、TSUTAYAを展開されているCCC(カルチュアコンビニエンスクラブ)さんが発行されているTポイントとの提携ですね。ネットでTポイントが使えるのは、TSUTAYA以外では初めてのケース。現在、約3400万人の会員を抱えるTポイントユーザーが貯めてきたポイントが「出前館」で使えるようになるということです。Tポイントが一番活用されているのは、飲食店とコンビニですから、その効果がとても楽しみ。確実に「出前館」の知名度が高まるので、加盟店さんにも必ず喜んでもらえると思っています。

 2年前に始めた「予約館」も好調ですね。たとえば、フレッシュネスバーガーってとてもおいしいですが、待ち時間がけっこうかかるでしょう。そのイライラを解消するためにモバイルでオーダーしておけば、待つことなくお持ち帰りができるという。また、中食だけではなく、これまで生活関連トラブルサービスのJBR(ジャパンベストレスキューシステム)さんの「駆けつけ館」、漫画全巻を即日配達するTORICO(トリコ)さんの「漫画全巻出前館」など、様々な他業種企業と提携してデリバリービジネスの仲介を実現してきました。そうそう、冬には灯油のオーダーもけっこうあります。今春からは、ヤマト運輸さんが始めるネットスーパーシステムと「出前館」の提携も始まります。今、スーパーはどんどん即日配送販売に注力し始めているんです。高齢者の方々にとって、とても嬉しいサービスになるでしょうね。

 「夢の街創造委員会」という社名は、誰もが望む「あったらいいな」という「夢の街」をひとつでも多く「創造」する、そして「委員会」のように自ら手を挙げてプロジェクトに参加しようという意味が込められています。そのとおり、社内会議をする際もみんなで「出前館」を使って食事をオーダーし、より便利なサイトの使い方や新しいアイデアをどんどん出し合っています。私たち自身が「出前館」のヘビーユーザーなんですね(笑)。ここまでお話してきたことでおわかりになったと思いますが、当社の事業のキーワードは地域密着です。これからももっともっと、地域に密着しながら街に暮らす方々の生活を便利に、様々な事業を営む皆さんの商売繁盛に貢献していきたいですね。そのために、私は24時間ずっと「あったらいいな」と思える新サービスを考え続けています。常に新しい挑戦に取り組んでいたいですから。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
たくさんのチャレンジをして、たくさんの失敗を経験することです

 起業・独立は基本的にレールがない挑戦ですから、残念ながらその多くが失敗してしまうと思います。でも、小さな失敗を何度も繰り返すことで、必ず成功が見えてくるんです。なので、たくさんのチャレンジをして、たくさんの失敗を経験してほしい。ただ、たくさん失敗するためには続けることが必要ですよね。そのために、失敗したらほかにやり方がないか、必死で考える。そうすると、きっといろいろアイデアが出てくるじゃないですか。それが枯れるまであきらめることなく、チャレンジし続けるってことだと思います。あと、「やると決めたなら、どうあがいてもダメだということがわかるまで、ぐだぐだ言わずにやりなさい」。私なら起業を志す人対して、そんなアドバイスをするでしょうね。

 事業アイデアはどうすれば見つかるか? やはり生活者目線で物事を見ることが大切です。いろんなことを自分で体験してみて、不具合を見つけるとか、もっとこうすればいいとか、そう思えるものには必ずビジネスチャンスが隠れています。もうひとつ、大切にすべきは顧客からのクレームですね。私は当社に入ってくるすべてのクレームに目を通すようにしています。実際に、クレームから思わぬヒントが得られることがよくあるんですよ。たとえば、会社員の方なら今自分が携わっている仕事のクレームを常にウオッチして、課題解決策をとことん考えてみるといいのではないでしょうか。事業アイデアをつむぎ出すための良い訓練になりますから。

 ベンチャー企業を経営する人には、当然ですが成長意欲の高い人が多いです。具体的にいうと、1年後に同じ仕事をしていない人。仕事への取り組み方もそうですし、仕事の幅もそうですし、ずっと同じこと繰り返していては成長なんてできませんから。自分をどんどん高めるために常に挑戦し続けていないと。夢の街では、そんなベンチャー志向の高い人材を募集しています。ちなみに、ベンチャー志向の人は、面接しても給料のことにほとんどこだわりませんね。当社が中途採用をする場合、入社時は必ず前職の給料より下げるんです。最初は本当の実力がわかりませんし、「自分の力で取り戻してやると思える自信があるならどうぞ」と。うちでは年に4回の査定があって完全実力報酬型ですから、実際に給料が上がる人は、いっきに上がっています。これからも、当社に集ってくれた成長意欲の高いスタッフと一緒に、より素晴らしい未来の街づくりへの貢献を続けていきます。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓

現役社長 経営ゼミナール

Q.お客様が簡単には言ってくれない不満や意見を教えて頂くためには、何が必要なのでしょうか? (埼玉県・会社員)

A.
いきなり不満やご意見等だけ聞くのではなくお勧めや感想等、お客様の想いを簡単にお聞きできる土壌(接点)を日常的に用意しておくことが必要だと思いま す。例えば出前館では、注文いただいたお客様に、配達日にサンクスメールを送りながら、そのメールの返信にお客様の感想を簡単に書いていただけるようにし ています。

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