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第162回 株式会社日本介護福祉グループ 藤田英明

起業家インタビュー

執筆者: ドリームゲート事務局

第162回
株式会社日本介護福祉グループ(茶話本舗)
代表取締役会長
藤田英明 Hideaki Fujita

1975年11月生まれ。明治学院大学社会学部卒業。1998年から、社会福祉施設の現場介護業務、相談員業務、管理運営業務、経営などに従事。2004年に夜間対応型の小規模デイサービス(通所介護)を行う施設を埼玉県熊谷市で開設し、起業。事業展開後、その事業を売却し、2007年、株式会社日本介護福祉グループを設立。夜間対応型の小規模デイサービスを「茶話本舗」ブランドでフランチャイズ化。2013年8月現在、「茶話本舗」は、北海道から沖縄まで全国685事業所を展開中。近年では、「茶話本舗」のさらなる質の向上と事業展開に取り組みながら、クリニック併設型のサービス付高齢者向け賃貸住宅や訪問介護・看護、保育や海外展開などの事業にも目を向け、介護事業を“産業化”するべくさまざまな活動を積極的に行っている。幕末、全国の勤皇志士たちから絶大な信頼を集めた「水戸学藤田派」の始祖で、水戸藩主徳川斉昭の側近として藩政改革にあたった藤田東湖の子孫。著書に『図解でわかる介護保険・介護報酬の改正ガイド』(アニモ出版刊、山田芳子氏との共著)、『社会保障大国日本 VER.1.0 PRACTICE』(幻冬舎ルネッサンス刊)がある。ほか主な役職として、株式会社JCコンサルティング(代表取締役社長)、社団法人お泊りデイサービス協会(会長)、財団法人日本介護フットサル協会(理事長)、株式会社Clotho(取締役)、株式会社Caihome(取締役)、社会福祉戦略研究所株式会社(代表取締役)など多数。

- 目次 -

ライフスタイル

好きな食べ物
レバ刺しです

中学生の頃からずっと、大好物はと聞かれれば「レバ刺し」です。最近は牛の生レバーがダメなので、馬のレバーを取り寄せて食べてます。昔はかなりの大酒のみでしたが、24時間緊急対応の介護職を始めた15年前に、飲酒はきっぱりやめました。

趣味
多趣味です。

車、サーフィン、フットサルに読書と、けっこう多趣味なんですよ。特に車がものすごく好きで、今保有しているのは、自分でチューニングした750馬力の国産車など3台。ちなみ、その暴れ馬は、きつい渋滞にはまったら最後、近くに止めて帰るしかありません(笑)。

行ってみたい場所
ギリシャです。

先進国の中で、一番、財政破綻に近い状態といわれている、ギリシャに行ってみたいですね。そんな渦中の国で今、国民の方々はどんな気持ちで生活しているのか、実際にこの目で見てみたいんです。日本だって、いつどうなるかわかりませんから、後学のためにも。

最近感動したこと
ある社員の成長です。

私は人を育てることが大好きで、期待できる社員を見つけたら、超スパルタ、マンツーマンで指導します。先日、そうやって指導した社員が、期待以上の成果を挙げ、人間的にもデカくなってくれた。自社の社員の成長を実感するたびに、感動していますね(笑)。

設立6年で685拠点、総年商230億円のFCチェーンを立ち上げた業界の革命児

自身のライフテーマは「Change The Society!」。お泊りデイサービスのブランド「茶話本舗」というオリジナル&イノベーティブな高齢者介護事業を創出し、フランチャイズ化。2013年8月現在、スタートから6年で、全国685拠点、チェーン総売り上げ230億円の一大チェーンに育て上げたのが、藤田英明氏だ。彼は、現在まだ37歳という若手経営者でありながら、業界の常識を変えた異色の起業家である。「私は日本が進むべき道は、経済成長をしながら福祉を充実させる、社会保障大国であるべきだと考えています。メイド・イン・ジャパンの社会保障を、世界に向けたビジネスに変えるということ。そのノウハウ、人材・システムなどをしっかり仕組み化して輸出できれば、自動車産業なんて目じゃないくらい最強の輸出産業になり得るはず」。今回はそんな藤田氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<藤田英明をつくったルーツ1>
4歳から始めたサッカーにのめり込んだ青春時代。
偏差値26からの受験勉強で有名私大に合格

 産声をあげたのは埼玉県の病院でしたが、実家は東京の浅草です。父は中卒で三井銀行(当時)の取締役に登りつめたバンカーで、父の兄も野村證券のロンドン支社長を務めるなど、藤田家は金融一族だったんですよ。ちなみに、うちのご先祖様は、水戸藩第9代藩主・徳川斉昭の側近を務め、その懐刀として活躍した藤田東湖で、自分は彼の子孫に当たるそうです。そんな家系に育ち、4歳からはサッカーにのめり込みました。小学3年生の時、マラドーナのプレーをテレビで見てからは、彼が私の神様。サッカー漫画のまねをして、蹴ったボールを、走るトラックのボディの下を狙って通す遊びをして、何度もボールをパンクさせたこともいい思い出です(笑)。地元のクラブチームに入って、本当にサッカー漬けの毎日。勉強なんてまったくしませんでした。で、銀行マンである父は、転勤が常でした。小学校6年生の、なんと3学期に、鹿児島県に転校することとなりました。

 もちろん鹿児島の中学でもサッカー部に入部しています。朝の6時半から朝練、授業を受けて、放課後は夜の10時半まで練習。そんな毎日です。中学の途中で、また父が転勤することになりましたが、私はどうしても鹿児島でサッカーを続けたかった。そのわがままを聞いてもらって、中1の途中から高校を卒業するまでずっと一人暮らしです。高校のサッカー部では彼女をつくってはいけないという決まりがありました。でも、みんな青春じゃないですか。当時、同級生の部員が、彼女をつくっちゃったんですね。その時は私が何とか説得して別れさせました(笑)。「必死で続けてきたサッカーができなくなってもいいのか。何が正しくて何が正しくないかよく考えろ」と。今もそうですが、生きていくうえで常に正しい道をいく、昔からそのことを大切にしています。

 高校3年になって、ふと考えました。俺はこれまでサッカーしかやってこなかった。確かに、プレーも、サッカー理論も上達してきたけど、それだけでいいのか、と。中学、高校の模擬テストの偏差値は、最高で26。本気を出したら勉強がどれだけできるのか、試してみたくなった。それからしゃにむに受験勉強を始めて、早稲田大学、慶応大学、上智大学、中央大学、法政大学を受験。早稲田の政経学部以外は、すべて合格することができました。で、どこを選んだのかというと、どこも選べない理由がありまして。推薦で明治学院大学社会学部への進学が決まっていた、というオチです(笑)。

<藤田英明をつくったルーツ2>
大学卒業後、喧嘩三昧の日々を送る。
ある米軍兵士との出会いがひとつの転機となる

 大学生とはいっても、授業にはほとんど出ずにサッカーに明け暮れたいのに、膝の半月板のケガでサッカーをできない煩悶たる日々を送っていました。大学を一応卒業はしたものの、特にやりたいこともなく、半ば自暴自棄になっていたんだと思います。

 それからはすさんだ日々ですよ。ずっとサッカーで体を鍛えていたから、体力には絶対の自信がある。喧嘩しても基本、誰にも負けません。毎晩毎晩、東京の繁華街を練り歩いて、喧嘩に明け暮れる毎日。そんなある夜、六本木の路上で黒人の米兵に喧嘩を吹っ掛けた。勝てると思ったら、ボッコボコの返り討ち。フルボッコです。前歯が吹っ飛び、鼻を折られ、初の戦意喪失となった私に、その米兵が言うわけです。「おい、これからメシを食いに行こう」と。わけがわかりませんでしたが、結局、その米兵について行きました。顔は腫れ、口から血を流しながら(笑)。

 食事の席で彼が言いました。「おまえはなぜそんなに荒れているんだ? 若いし、バイタリティもある。その力を、障害者、高齢者など、社会的弱者を助ける仕事に使ってみたらどうだ。もしくは軍隊へ行け。まあ、使い物にならんと思うが(笑)」。その夜は痛みと疲労のおかげで爆睡して、翌日、彼の話をよくよく考えてみたんです。19歳の頃、認知症になった祖母の介護を手伝っていたこともあって、確かにそうだと思えてきて。その日にすぐハローワークへ行って「高齢者のお世話をする仕事がありますか?」と。そしたら担当者は、驚くほどたくさんの求人票を見せてくれたのですが、どれも同じような内容と条件ばかり。結局、その場ではどこを選べばいいかわからず、家に帰ってネット検索し、トップに表示されている施設に電話して、面接に出向いたんですよ。

<初めての就職>
履歴書なしで面接に出向き、特別養護老人ホーム職員に。
自分よりもお年寄りを優先する心構えで、働き始める

 そこは、埼玉県の秩父地方の社会福祉法人が運営する特別養護老人ホーム(特養)でした。バイトすらしたことないですから、履歴書が必要なことも知りません(笑)。それでも、面接してくれ、なんと70人の応募者のうち、2人の採用枠に残ってしまった。あとで聞いたら、「力仕事ができ、辞めなさそうだったから」というのが採用理由だったそうです。で、最初に自分に与えられた仕事は、車椅子を磨く、洗濯物を畳む、床にワックスをかける……。1週間くらいで、「大事な仕事だけど、俺じゃなくてもできる仕事だよな」と思い始めたんですよ。おまけに施設のにおいは、想像以上にきついですし。教育担当の主任に、「辞めようと思います」と伝えたら、「おまえ、あんがい根性ないんだね」と返された。その言葉にカチンときて、生来の負けず嫌いの性格が頭をもたげてしまった。「ふざけるな! 根性は誰にも負けない。絶対に続けてやる」と。今考えれば単純な思考回路なんですけど、あの時に辞めなかったからこそ今がある。

 この主任から、こんなことも言われました。「常に自分よりお年寄りを優先すること。疲れていても、必ず笑顔で接すること。人生最後の時間を、安らかにすごしていただくことが、我々の一番の仕事なのだから」。いい話ですし、素直に納得できました。なのですが、この主任、その3カ月後に仲間を連れて集団退職するんですよ(笑)。理由を聞いたら、「私を必要としている人はほかにもいる」と……。「そりゃ詭弁でしょう。目の前のお年寄りはどうするんですか!」と詰め寄りましたが、結局駄目でした。当然その後、現場はいきなりの人手不足で大変な状況に。何とかせねばと考えた私は、施設に住み込みで働き続けることを決めました。毎日毎日、お年寄りと3食を食べ、介護をし、一緒に風呂に入り、ひとつ屋根の下で寝起きを共にする。そうやって24時間ずっと一緒に生活をしているとわかるのですが、施設の中での生活はお年寄りたちにとって本当につまらない毎日なんですね。徐々に何とかしなければ、という思いが強くなっていきました。

 当時はまだ、介護保険制度が導入される前で、最低限の安全はご提供しますが、業界全体がよりよいサービスを提供する、という考えが希薄だったんです。男性の高齢者の方々は悲惨な戦争を経験し、焼け野原から今の日本をつくり、女性はその活動を支えてきてくれた。そんな方々の人生の最終ステージは、やはり安心して楽しんでもらいたいじゃないですか。そこで、男性のお年寄りとは釣りに行く、女性とは買い物に出かける、家族を交えて1泊2日の旅行を企画する。そんなサービスを勝手に始めました。これは本当に、皆さんから喜んでもらえましたね。次に、施設の事務方と現場のコミュニケーションがうまくいってないことが見えてきた。そこで、所員全員のモチベーションを高めるため、双方の言い分を上手に伝えるパイプ役を買って出たんです。生き生きと前向きに働いている所員がいることが、利用者にとって一番の幸せだと確信していましたから。そうやって私が特養で働き始めてからの2年半は、あっという間にすぎていきました。

<さらに問題点が見えてきた>
平均睡眠時間2時間の激務を続けながら、
理事長に毎日1つの改善企画を提案する日々

 この特養を、本気で日本一の介護サービスを提供する施設にしたいと思っていたんです。2000年に介護保険制度が導入され、民間が参入してくるでしょう。現状維持のままでは、民間の創意工夫に負けてしまう。それを防ぐために、理事長に毎日、改善アイデアを書いた企画書を提出し続けました。おそらく在所中に、2000案くらいは出したと思います。当時、ろくでもない別の施設の話も聞こえてきていました。だからこそ、ここを日本一の施設にして、全国から見学者を集めて、真似してもらい、介護業界自体を盛り上げたかった。そのためには、どこもやっていないサービスを自分たちでいち早く立ち上げ、スピードをもってやりきるしかありません。当時の私は、介護職、生活相談員、事務長、施設長代理をすべて兼務し、毎日送迎運転手もやり、そのうえで最高のサービスを実現するためにアイデアを出し続け、睡眠時間は平均で2時間くらい。それでも毎日が楽しく、充実していました。

 日本には、特養への入所を希望しても入れず、自宅待機している人が40万人以上、治療の必要もないのに、病院や老人保健施設を転々とさせられている社会的入院状態にある人が13万人以上存在するといわれています。また、現在の日本の高齢化率は24%ですが、2045年には、39.9%に増加します。当然、要介護、認知症のお年寄りは増え続ける一方です。そんな状況のなか、借金大国の日本に求められているのは、コストパフォーマンスの高いサービスしかないでしょう。そこで私が考えたのが、連泊も可能、ご本人の状態に応じて自宅に帰っていただくこともできる、24時間365日いつでも営業している、利用定員10人の「お泊りデイサービス」です。このパッケージを展開すれば、絶対に利用者から受け入れられ、成功するという確信がありました。もうひとつ、大規模老人ホームではポストが少なく昇格が難しいため、所員の成長モチベーションが上がりません。「お泊りデイサービス」を多店舗展開することで、その問題も解決できます。しかし、当時は誰にもまったく受け入れてもらえなかったんですよ。

 ならば、「お泊りデイサービス」のアイデアを持って、自分で起業しよう。私は、いったんこうと決めたら、動くのが早いんです。すぐに退職届を出して、その特養を退職し、起業準備に取りかかりました。とはいっても、先立つものは資金。預金口座には、10万円しか残っていません。A4で1100ページにも及ぶ膨大な事業計画書を持参し、融資を求め、銀行を回りました。実は、銀行マンである父が「俺が融通してやる」と言ってくれていたんです。もちろん、それは断って、あくまでも自分の力で勝負。結果、13行をかけずり回って、最後の最後に副支店長が話を聞いてくれた地銀が、その場で400万円の融資を決めてくれました。そして、400万円とプラス10万円の開業資金で、私の起業家人生が幕を開けたのです。

●次週、「介護ビジネスが世界を救う!? 「社会保障大国日本」を本気でつくる!」の後編へ続く→




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<起業>
日本の標準的な自治体といえるエリアを選定。
全国展開のためにマーケティングしたかった

 私が考えた「お泊りデイサービス」は、戸建ての「民家」を賃貸で使うことが前提です。初期費用を抑えるメリットもありますが、利用者となる明治、大正、昭和初期生まれのお年寄りたちにとって、普段の生活に近い、心が落ち着く場所をつくりたかったから。利用者の多くが認知症の方ですから、生活スタイルのギャップからくるリロケーションダメージ(編集部注:環境の変化によるストレスから、認知症の症状悪化等を引き起こすこと)を防ぐためでもあります。また、年中無休で、朝6時半から夜9時まで利用者をお預かりすることで、共働きのご家族でも利用しやすいように考慮。そして基本的な利用料金は、1日の自己負担金1000円程度、宿泊料金800円、食事は3食で1000円というリーズナブルさ。1カ月フルに活用しても約8万4000円ですから、生活保護受給者であっても利用可能な設定です。私はこのモデルが必ず成功すると確信していましたし、起業前の事業計画ベースで、フランチャイズ(FC)方式を活用すれば、2025年に全国で6000拠点を展開できる可能性があると予測していました。

 このビジネスモデルが本当にうまくいくかどうか検証するため、場所を決めなければなりません。関東圏内で、人口、高齢化率、福祉施設数、入居待機者の数などをリサーチした結果、人口15万人程度で農家もサラリーマンも混在する日本の標準的な自治体といえる熊谷市に決定。そして、次に物件探しを始めましたが、このハードルが高かった。過去に民家を使ったデイサービスなどないため、空き民家はたくさんあるのに、貸してくれる物件が出てこないのです。そこで発想を変え、建設会社を当たることにしました。建設会社は、季節労働者用の寄宿舎を持っています。寄宿舎の空きがないか飛び込みで聞き回り、同時に、このビジネスが動き出せば、民家を施設用にリフォームする仕事が獲得できるというメリットを提案。そんな活動のなか、ある建設会社の社長と出会い、リフォーム代金の一部を家賃に上乗せした合計15万円で、一軒家の元寄宿舎を貸してくれることになりました。
 
 そして、送迎用の中古自動車(マーチ)を3万円で購入し、ハローワークで私と同い年の男性2名を採用。県への指定申請もスムーズにとおって、2004年5月、ようやくサービスを提供できる体制が整いました。利用者募集に関しては、地域の居宅介護支援事業所のケアマネージャーや、病院のソーシャルワーカーを訪問して、自分たちのサービスを説明して回りました。「藤田さんの思いはわかったけど、具体的にはどんな体制で?」「通常基準は5人に1人が職員と利用者の比率ですが、うちは2.5人に対して1人なので、利用者本位のきめ細かなサービスを提供できます」「夜の宿泊は大丈夫なの? しかも800円で?」「法律を見ても、宿泊を禁ずるとは書かれていないので問題ありません。利用者のニーズにどこまでも応えるのが民間がやる意義ですから」などなど。そうやって必死で営業に駆けずり回った結果、熊谷の最初の施設はオープン1週間前で登録定員がいっぱいに。実際に使っていただいた利用者や家族からの評判も上々で、すぐに事業としても順調に回り始めました。

<第二創業へ踏み切る>
あるFCビジネスの重鎮が加盟を決断。
そこからいっきに、加盟件数が増えていく

 起業前、この「お泊りデイサービス」は、人口2万人に対して1拠点と予測していました。しかし、スタートからわずか1年半で、人口15万人の熊谷エリアで23拠点40事業所を展開するまでに急拡大。当初予測だった10拠点の約2.3倍の需要が隠れていたわけですね。そのほか、周辺サービスである、訪問介護サービスやケアマネージャー事務所なども少しずつ実験的にオープンしていきました。いずれにせよ、FCモデルに持っていくためのマーケティングとしては、完璧な成功だったです。そこで、私の計画を次のステップに進めるため、創業メンバーの2人と相談し、熊谷エリアの施設運営および経営を彼らに任せることを決断。その後、事業を引き受けてくれるオーナー探しを始め、都内の会社を飛び込みで回っていた時に、あるご高齢の経営者と出会うんですよ。その方に自分が事業にかける思い、志をしっかりとご説明した結果、ほぼ二つ返事で熊谷エリアのすべての事業を2億円で買い取っていただくことになりました。

 その売却資金を元手に新会社を設立。FC本部はやはり東京に置きたかったので、今も本社がある両国に古い6畳2間のアパートを借り、そこからのスタートです。そして、某求人サイトの広告費に800万円を投下して、創業メンバーを募集。600人を超えるエントリーがありましたが、募集内容と小さな事務所との間にかなりのギャップがあったと思います(笑)。ただし、そこがいい“ふるい”になりました。結果、私の志にしっかり共感してくれた6人を採用し、お泊りデイサービス「茶話本舗(さわほんぽ)」の第1号店を2007年4月にオープン。同時に「茶話本舗」の出店を加速させるため、念願だったFC事業もスタートさせました。ただし、私はまったくのFC新参者。また、高齢者介護サービスのFCがこれまで存在しなかったため、業界内外からは「絶対に失敗する」といったよくない評判ばかり。しかし、社会問題の解決はイノベーションから生まれると信じていたので、成功だけを目指し、脇目をふらず突っ走ることができました。

 苦戦しながらも、FC加盟が少しずつ増え始めた時、ある経営者から加盟の面談申し込みが。それが、さまざまなFCビジネスに加盟しながら事業拡大を続けるメガフランチャイズの老舗企業、メガエフシーシステムズ株式会社・中島康博社長でした。最初はそんな人だとはつゆ知らず、初対面はファミレスで(笑)。そんな出会いでしたが、すぐに「茶話本舗」の事業を気に入っていただき、後日、大勢の同社役員の前で、プレゼンすることに。私のスタイルは今も経営者っぽくないですが(笑)、当時は金髪、ジーパン、Tシャツです。その恰好で行ったプレゼンの結果は、半数が賛成、半数が反対でしたが、最終的に中島社長が反対を押し切って、加盟を決断。FC業界で動向が注目されている同社の加盟は、当社にとって大きな追い風になり、そこからいっきに加盟数が伸びていきました。そして現在、メガエフシーシステムズさんには「茶話本舗」を展開していただき、好調に運営いただいています。さらに中島社長からは、FCビジネスについていろいろな指導、助言や凡事徹底の大切さなど教えていただくなど、私にとって本当に幸運な出会いだったと思っています。

<未来へ~日本介護福祉グループが目指すもの>
介護業界を優秀な人材が集まる魅力的な業界に!
「社会保障大国日本」をつくるために走り続ける

私はけっこうな読書家で、愛読書は『論語』『貞観政要』『孫子』や『三国志』など。ほか、歴史物もよく読みます。それら昔の本を読んでいていつも感じるのは、いつの世も後継者問題が組織の大きな転機をつくるということ。だから、社長である自分の一番大事な仕事は後継者づくりだと決めていました。介護職には、お年寄りの視点に立った「目配り、気配り、心配り」の3つの視点が求められます。それって、顧客、従業員、会社の視点に立って、最適な仕事をする経営者と同じだと気づいたんですよ。だったら、介護職を極めた人材なら、介護職を極めた自分と同じく、経営者が務まるのではと。もともとワンマン経営を長くするつもりはありませんでしたから、先の考えのもと、2008年7月に、介護職を長く経験してきた小柳壮輔に社長の座を譲り、私は会長職に就きました。介護職に優れた人材は、経営者としても優れた人材になり得る可能性が高い――。その考えは間違っていないと思います。小柳の経営者としての評価を100点満点でいうと、95点をあげられますから。

 2013年8月現在、おかげさまで「茶話本舗」は、北海道から沖縄まで、全国で685拠点を展開し、チェーン全体の年商は230億円を超えています。FCオーナーの内訳を見ますと、法人加盟が7割、個人の脱サラ加盟系が3割といった感じです。個人で始めて法人化し、今では20拠点の「茶話本舗」を運営する成功者も生まれています。2045年の6000拠点は、おそらく実現できるでしょう。しかしそのためには、介護業界をもっともっと魅力的な業界にして、優秀な人材がどんどん集まるようにしなくてはいけない。もうひとつはサービスの改善とイノベーションの継続です。例えば、民家を使う、体力維持のため施設内にバリアフリーをなるべくつくらない、宿泊も可能とするなど、私は業界の常識やしがらみを廃し、利用者であるお年寄りやそのご家族の満足のためだけに新たなサービスをかたちにしてきました。しかし、サービスを提供するのは、結局は人です。そういった意味で、人材育成はこれからもずっと、私の重要な仕事といえるでしょうね。

 日本の介護保険の総費用は約9兆円ですが、2025年には約20兆円に拡大する見込みです。ここに医療保険、介護・医療の周辺産業を含めると市場規模は180兆円以上。そして、世界一の高齢化先進国である日本の介護市場を、今、世界中が注目しています。もちろん、海外進出の準備も万端です。ちなみに、台湾の出生率は0.9%に下がって高齢化率も進み、介護保険制度導入に向けた動きが加速しています。また、中国の高齢者数は現在2億人ですが、2030年にはなんと5億人になる計算です。そうなった時の市場規模を個人的に試算してみましたが、とてつもない数字になりました(笑)。私は日本が進むべき道は、経済成長をしながら福祉を充実させる、「社会保障大国」であるべきだと考えています。メイド・イン・ジャパンの社会保障を、世界に向けたビジネスに変えるということです。そのノウハウ、人材などをしっかり仕組み化して輸出できれば、自動車産業なんて目じゃないくらい最強の輸出産業になり得るはず。世界に役立つ問題解決の答えを提案すること――。それが日本という国に生まれた、私の使命だと信じています。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
起業の原動力はさまざまだが、儲けを優先してはダメ。
一番大事なのは、何を実現したいのかという志

 私自身の起業理由を考えると、収益をいかにあげるかということではなく、よりよい社会をいかにつくるか、ということが一番の目的でした。起業前に働いていた特養で、その問題解決欲求がどんどんふくらみ、苦労の中で考え抜いた「お泊りデイサービス」のフランチャイズ展開のビジネスモデルを考案し、起業。結果として予想以上の資金が手に入りましたが、それを再びよりよい社会づくりのために再投資していった。その繰り返しでここまでくることができたわけです。結局、いくらお金がたくさんあったとしても、本当の満足は得られないのです。そういった意味で、事業を始めるために必要なものは、自分は何を実現したいのか、という志です。そして、その志を実現するために、自分はいったい何ができるのか、それを本気で考え、愚直に前に向かって進んでいく。それが起業継続=ゴーイングコンサーンの大前提であると思います。

 しかし、ご存じのとおり、今後の日本は、少子高齢化、労働人口の減少が続いていきます。このままでは、介護保険や年金の持続可能性もかなり危うい。だからこそ、私は「社会保障大国日本」をつくるための絵を描き、我々のサービス進化させることで、外貨を獲得する生き残り策を本気で考えているのです。いずれにせよ、イノベーションを繰り返し、コストパフォーマンスの高い社会保障の仕組みを構築しないと、国家として成り立たなくなる。人口700万人のスウェーデンという高福祉国家と、人口1億2000万人の日本では、国民をまとめるやり方が違って当然なんですから。そのスウェーデンですら、制度を維持できなくなりつつあるという話を聞きますし。また、国策として原子力発電所を海外に売っていくより、介護保険制度の仕組みとノウハウ、コストパフォーマンスの高い高齢者介護の仕組みとノウハウを売っていったほうが、日本が世界から尊敬されると思いませんか? 今、未来の国づくりを考えれば考えるほど、自分のやるべきことが増えていくんですよ(笑)。

 これから起業し、経営者を目指すなら、必死で勉強するしかないですね。持論として言いたいのは、人間は“繰り返す生き物”だということ。先述したとおり、過去の書物を読むと、いつの時代のリーダーも、悩んでいるポイントが変わらないんですよ。ちなみに、昔の武将には肉声と手紙くらいしか通信手段がありませんでした。それでも、寝首を掻かれることなく、組織をしっかり統率できていた。かたや現代の経営者には、携帯電話、インターネット、SNSなど、ありとあらゆる通信手段があるのに、意思が伝わらなかったり、バイトスタッフの軽はずみな行動の情報が外部に拡散され、店が潰れるようなこともある。その違いは何なのか? そういった昔の武将のマネジメント手法にとても興味があって、今、いろいろと勉強しているところです。個人的なお勧めとしては、『論語』『貞観政要』を正論として読む、その真逆にある考えとして『孫子』『君主論』を読んでみる。そこで迷ったら、その時はドラッカーを読んでみる。過去から学べること、書物から学べることは、本当にたくさんあります。いずれにせよ、強い経営者になりたいなら、必死で勉強し続けるしかないと思います。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓


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