団塊世代の起業・独立 Vol.15 60歳だからこそ、自分のやりたい仕事をする起業スタイル

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局
私は、吉本時代の 秘書をパートナーに起業をしました。それは、コミュニケーションチャンネルをなるべく簡潔にしたかったのと、自らがやりたいと思う仕事だけをするため。寺 田さんも同じように考えられていたようです。

 

株式会社寺田屋

代表取締役社長 寺田 美 昭さん

1946年大阪府生まれ。「ダイヤモンドにだずさわって30年余り 待ちに待った60歳を迎え、成熟した真のジュエラーたる べくさらなる人生を歩みだそうと、ジュエリー販売からメーカー業への転身を図る。2006年8月8日、自らプロデュースするジュエリーの製造販売会社とし て、株式会社寺田屋を設立。

 

一人で起業をしたのは、あらゆること からフリーになるため

 30年間、ジュエリー販売の道を究めてきた寺田さんが、自らプロデュースしたジュエリーコレクションを発表したの は2006年2月のこと。その後、8月にはジュエリーの製造販売会社として、株式会社寺田屋を設立した。寺田屋には社員はおらず、寺田さんひとりの会社で ある。

blue 「フリーであることが必要だと考えたんです。私一人であれば、“せざるを得ない”ということがない。社員がいれば、彼らの生活を考 えなくてはならなくなります。やりたいけれどあきらめざるを得ないというのもでてくるでしょうし、やりたくないのにやらざるを得ないということもでてくる でしょう。そんな制約からフリーになりたかったのです。一人なら、自分の食いぶちを稼ぐだけでいい。ポリシーを曲げる必要もありません。男として、自らの フィロソフィーをつぶされることは、何よりもつらいことなのです」

? フリーであること。それは、事務所を慣れ親しんだ大阪ではなく、東京 の地に開設したことの一つの要因にもなったようだ。「義理があるから、この仕事はあの人にお願いしなくちゃ、といったある意味でのしがらみからもフリーに なりたかった。もちろん、東京が世界でもっともエキサイティングでクリエイティブな街だからというのが、一番の理由ではあるのですけどね」

  一方で、実績のない個人という立場の弱さも考えたという。「ですから、信用を得る意味で、株式会社にしたんです。資本金も出資を募るのではなく、今までの 貯蓄から1000万円を差し入れました」

 

  

分野は違っても、生かせるノウハウはある

 しかし、同じ業界とはいえ、小売 とメーカーという、ある意味ではまったく違う仕事を始めることに不安はなかったのだろうか。「不安?ありませんでしたね。30年間、お客様と接してきて、 そこから学んだものが私にはありますから。デザインの専門的な勉強はしていませんが、どんなジュエリーをお客さんは求めているかということなら分かりま す。“売れる”デザインならば、自らの手でジュエリーを売ってきた私のノウハウが生かせるのです」

 そして迎えた、2006年12月8日。 寺田さんのコレクション「Y style」の初売りの日である。友人の開催した展示会にショーケース一つ分のスペースを借り、トライアルとして約50点のジュエリーを展示。結果は、 2000万円を超える商いに。「手ごたえは感じています。すべて1点ものという意味での気楽さもありますが。それは、100人のお客さんがいても、100 人全員に気に入ってもらう必要はないということ。99人がイヤだと言っても、1人が気に入ってくれさえすればそれでいいのです」

 

 

これからも元気にがんばろうや

 王冠こうして、寺田さんの黄金の60代は幕を開けた。その生き方 は、そのまま団塊の世代へのメッセージでもある。「団塊の世代というのは、とにかく人数が多いんです。ずっとその競争のなかで生きてきましたから、ちょっ とのことじゃへこたれない強さを持っています。壁にぶつかっても、どうしたら壁を乗り越えられるかと知恵を絞る。そうやって、今日の日本を背負ってきまし た。だから、“これからも元気にがんばろうや”と同世代の人たちには言いたい。がんばる後ろ姿を若い世代に見せること、それがこれからの元気な日本をつ くっていくことになるのだと思うのです」

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