第157回 シュッピン株式会社 代表取締役社長 鈴木慶

起業家インタビュー

執筆者: ドリームゲート事務局

第157回 

シュッピン株式会社

代表取締役社長

鈴木 慶 Kei Suzuki

1959年、東京都生まれ。埼玉県で育つ。埼玉県立菖蒲高等学校卒業。早くから仕事をしたいと考え働き始める。21歳で独立。友人と埼玉県でレンタルレコード店を開業した。業績はまずまずだったが、共同経営者との経営方針のズレからスピンアウト。1982年、ソフマップを設立。東京・高田馬場で、パソコンソフトのレンタル事業を開始する。その後、ソフマップは中古パソコンの売買事業に鞍替えし、新品も扱うなど、一大企業に育っていった。2000年、ソフマップの社長を退任し、ドリームテクノロジーズの社長に専任。同社は2001年、ナスダック・ジャパン(現:JASDAQ)に上場を果たす(2003年に社長を退任)。2005年、シュッピン株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。インターネットを介し、カメラ、時計、筆記用具、ロードバイクの中古品および新品の売買をスタート。業績を順調に伸ばし、2012年12月20日、シュッピンを東証マザーズに上場させた。

ライフスタイル

好きな食べ物
寿司ですかね。

こだわりの職人の寿司をいただくと、感動しますね。エモーションの塊だと思います。お酒は、ワインが赤、白問わず好きです。飲めないお酒はないんですが、ちゃんぽんすると必ずやられます(笑)。特に、ワインのあとのウィスキーは確実にまずいですね(笑)。

趣味
カメラと時計です。

カメラは集めるのも、撮るのも好きです。けっこうまめに出かけて、撮影しています。時計を通じて知り合った仲間と一緒に遊びに行ったりすることもあります。すごい方が多くいらっしゃって、お付き合いの中で受けた刺激や情報は、僕にとってものすごくプラスになりました。

行ってみたい場所
ヨーロッパが好きです。

僕が好きな時計の本場って、やはりヨーロッパでしょう。ソフマップ時代は商売柄アメリカや韓国、台湾ばかりで、ヨーロッパにあまり行けなかったんですよ。今一番行きたいのは、イタリアのサルデーニャ島。地中海沿岸の街が好きですね。

インターネットを利用し、価値ある中古品の
安心・安全な取引を支えるベンチャー企業

ソフマップの創業者である鈴木慶氏が2005年に立ち上げた、こだわりの中古品を売買するシュッピン株式会社が、昨年末、東証マザーズに上場。自身が立ち上げた会社3社が上場企業となり、今、日本屈指の“シリアルアントレプレナー”と紹介されている。だが、鈴木氏は「どの会社も最初から辞めるつもりで始めていませんから」と反論する。「シュッピンのビジネスモデルは、当時のソフマップと真逆です。まず、シュッピンが扱っているこだわりの商品たちは時を経ても陳腐化しにくい商品です。反対に、どんどん進化するパソコンは、言ってみれば生鮮食料品のようなものでしょう。人材採用・教育とコスト、扱い商品、販売手法、どれをとっても有利なビジネスモデルだと確信しています」。今回はそんな鈴木氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<鈴木 慶をつくったルーツ1>
理由なき「右向け右」には、まず反抗。
周囲から“変人”と見られていた少年時代

 生まれたのは東京の府中市ですが、その後すぐに家族で埼玉に引っ越ししました。物心ついたあとの暮らしの記憶は、すべて春日部市近辺ですね。父は、外資系企業のサラリーマンを経て、旅行会社を興しています。ただで海外旅行に行ける旅行会社の仕事に憧れていましたね。父が帰宅したら、玄関まで鞄を受け取りに行き、靴を揃える――それが我が家のルール。しつけにはとても厳しく、「勉強しなさい」が口癖の両親。でも、僕は小さな頃から、何でも人から頭ごなしに「やれ」と言われたことに、まったくやる気が出ないタイプなんですよ。鉄拳制裁をよしとする父のゲンコツが怖いから、いつも勉強するふりだけはしていましたが、どんどん勉強が嫌いになりました。理科と図工の授業は嫌いではなかったけど、学校の成績はからきしダメでしたね。

 小5の時、理科の実験で、先生から「調合後の液体の色が何色になるか」質問されました。クラスのみんなは「赤」と言うけど、僕一人だけは「青」と主張。あてずっぽうではなく、理科が好きだったんで、それなりの根拠はあった。でも、子どもって大抵、大勢の意見に流されますが、僕は絶対にそれが嫌だったんですよ。いつも、「本当か? もしかしたら違うんじゃないか?」って、考えていた気がします。で、結果、答えは「青」になる。そんな時、心の中で、大きな満足感を覚えていました。自分なりに勉強したと思えるのは理科だけで、それは単純に好きだったから。いつだって、好きなことと嫌いなことが、みごとなくらいそのまま顔と行動に出てしまう。当時の同級生たちにしてみれば、僕はかなりの“変人”だったと思います(笑)。

 僕は鳩に興味を持って、小学校から中学にかけ、小屋を自作して飼っていました。卵を産ませて育てて、レースに参加させるのですが、これが、すごくかわいくてね。でも、エサ代がけっこう高かった。それで、自分の小遣いや昼の弁当代を浮かせてエサをやっていたんです。ずっとそうやっていると、学校でその話が有名になってしまって、休み時間になると、「昼飯を食わないで我慢して、自分の小遣いまで全部使って、鳩にエサをやってる鈴木ってどいつだよ?」と見学にくるやつらが現れたほど(笑)。一度好きになったことは、人から何を言われようがまったく気にせず、寝食を忘れるくらい没頭してしまう。その代わり、自分が面白いと思えないことは、やっぱりやりたくない。物事に対する考え方と行動のスタンスは、今でもあまり変わらないかなぁ。

<鈴木慶をつくったルーツ2>
高校卒業、教材販売会社、旅行会社に勤務。
年齢と学歴の不条理が、独立に目を向けさせた

 中学から高校までは、サッカー部に所属していました。ポジションはずっと、右のウィング。釜本邦茂、ベッケンバウアーらの全盛期ですよ。まあ、勉強は相変わらず低空飛行です(笑)。その代わり、走るのは早かった。ちなみに中学1年の時、全学年が参加する持久走大会では2位でした。この頃から、新聞配達を始めています。理由は単純で、小遣いが欲しかったから。雨の日と冬の時期は、本当にしんどかった。それよりも、許せなかったことがあります。バイト料に関してです。同じ条件で、同じ軒数を回って配達しているのにもかかわらず、年齢が若いというだけで時給が安い。当たり前だというかもしれないですが、僕はこの時、世の中は理不尽だと。こういった古い習慣はなくすべきだと。思えば、納得できないことに対する反発心は、昔から強かったですね。

 高校は自宅から少し離れた、県立菖蒲高校へバスを使って通学していました。大学進学には、まったく価値を感じておらず、とにかく早く仕事がしたかったんです。旅行会社を興した父の影響は、特にないです。経営者の息子だからいい暮らしができたわけでもないし、苦労する姿も見ていましたからね。いってみれば、恩恵も被害も受けていない。ただ、父自身は兄弟みんな優等生の家庭環境に育って、大学も出ているのに、「大学は役に立たない」が口癖だったんですよ。その影響は多少あったかもしれません。オーディオなど機械系に愛着を感じていたこともあって、実は、航空機の整備士になろうと試験を受けてみたのですが、これがかなりの狭き門で、あっさり落とされています(笑)。

 結局、高校卒業後は、新聞広告で見つけた旅行会社に就職。一所懸命仕事しようと、働き始めたのですが、2年目になってどうにも納得できないことが。後から入ってきた、未経験の大卒社員の給料が僕より高いんですよ。すでに僕は営業から旅行プランの作成、添乗員もこなしているのに、頭にくるじゃないですか。それからですね、独立への思いが強くなったのは。転職しても、この構図はかわらないことはわかっていましたし。当時、高校時代の友人のほとんどが大学生でしたでしょう。今に見ていろ、彼らが卒業した時には、はるか先にいってやる。有言実行が大事だと、旅行会社の中でも、「俺は絶対に独立する」と宣言していました。社長だけには内緒にしていましたけど(笑)。

<起業>
最初の起業は、レンタルレコード店だった。
共同経営者との経営方針のズレから新たなチャンスと出合う

 独立したい思いが強いといっても、アイデアもノウハウもなかったんですよ。旅行会社で働きながら、洗剤の原液を仕入れてボトルに自分で考えたブランドをつけて売ったり、顔写真スタンプの販売とか、いろいろ副業で試していました。でも、売れるわけがないですよ。マーケティングの「マ」の字もわかってないんだから。貯めていた貯金も一瞬で消えた……。今考えても、アホでしたねえ(笑)。ちょうどその頃、菖蒲高校の同窓会に出席したんですよ。そしたら、同級生の男が塾を経営して、かなり稼いでいると。しかも、彼は大学生です。僕からすれば、大学生という立場に負けて、仕事で負けて、ショックのダブルパンチですよ。聞けば、家庭教師をやっていたら評判がよく、忙しくて回りきれなくなったので、場所を用意しただけだと。商売はニーズありきという大原則に、この時初めて気づかされました。

 お互い一匹狼的な性格で意気投合して、彼と一緒に商売をすることになりました。当時、急速に伸びていた、レンタルレコード店です。僕は当時、21歳。これが最初の起業体験となります。二人で開業資金の100万円を折半し、手持ちのレコードを供出して、埼玉県の大宮駅にある木造建物の2階でスタート。お金がないので、看板、内装、レコードラックまで全部手づくりです。友人からは、「文化祭の模擬店かよ」と笑われましたよ(笑)。2カ月後の運転資金が見えないなかでの始まりで、不安でしたが、それは杞憂に終わりました。初日からもう、驚くくらいのお客さまが来てくれて、感動して手が震えたことを覚えています。その後も商売は順調に続いたのですが……1年半がすぎた頃から、経営に対する考え方の違いが生じてきたんですよ。同等の経営権を持つ共同経営の難しさを学びました。

 店舗を増やそうとも考えたのですが、すでにチェーン化している大手がいましたから、もう勝ち目はない。共同経営者とも「将来は別の道で」と話していましたし、僕は勝負に出たかった。そのためには、人と同じ商売ではダメ。マスコミが取材に来るような、誰も手がけていない商売じゃないと。それが自分の出した結論でした。「孫正義・西和彦 天才と神童の戦い」という雑誌の記事を見てから、コンピュータの世界を調べまくっていたんですよ。当時、パソコンがマイコンと呼ばれていた頃です。まだまだ高くて、買えない人のことを「ないコン族」なんて言ってましたっけ。この頃、ソフトウエアの存在を知って、その高価さからレンタルニーズが確実にあると確信。そして1982年、僕はソフマップを設立し、日本初のソフトウエアレンタル事業を始めることになるのです。

<ソフマップ急成長>
「売っても買ってもソフマップ」の世界を創出し、
家電量販店を凌駕する、パソコン販売業界の雄に

 スタートは、高田馬場のマンションの小さな1室。ビラを電柱に張りながら、ほそぼそと始めたのですが、最初はまったくお客さまが来ませんでした。何度やめようかと思ったことか。でも、早稲田大学の理工学部の学生たちが、少ないながらも支持・応援してくれて、何とか持ちこたえていたんですよ。そんなある日、朝日新聞から著作権問題の取材を受け、記事が掲載されました。そしたら、今度は雑誌社が来るわ、テレビ局が来るわの大騒ぎ(笑)。お客さまもすごかった。店があった7階からマンションの外まで行列です。マスコミのすごさを思い知りましたよ。商売は絶好調でしたが、違う悩みも。すぐに雨後のタケノコのように競合店が現れたんですね。また、著作権問題をクリアしなければ、いずれ店が続けられなくなると考えていたところ、ある支援者からのアドバイスもあって、商売を中古パソコンの売買に鞍替えしたんです。

 ニーズの大きさにぶっとびました。パソコン雑誌に「中古パソコン買い取ります」という広告を出した途端、電話が鳴りやまない。買い取ったパソコンを店に並べると、右から左に売れていく。1日の売り上げがすごい時だと、数百万円ありました。やっと金鉱を掘り当てたんだと感慨深かったですね。そこから体力をつけて、中古の下取り交換、新品も扱うようになって、「売っても買ってもソフマップ」の世界をつくり上げた。もちろんこの頃は、大手メーカーからの直接仕入れは無理。秋葉原の裏通りに無数あった現金問屋さんから仕入れさせてもらってね。店を仕切るのは、こわもてのおじさんばかりで、最初はビビってましたけど、「ソフマップ、頑張ってんな。協力してやっから」と。仲良くなってからは、現金問屋さんがソフマップの倉庫代わりのような(笑)。それからは、ひたすらがむしゃらにやって、気がづいたら10年後、ソフマップは年商1000億円を超える企業に成長していたという感じです。

 「Windows 95」発売後のパソコンブームを見越し、初心者向け展示販売に力を入れるとともに、秋葉原の1号店にシカゴ(ChicagoはWin95のコードネーム)というニックネームをつけ、発売前夜のカウントダウンイベントはまさにお祭り騒ぎでした。僕からすれば、1995年から1996年にかけてが、ソフマップの一番きれいな華の時代だった。ところが翌年、山一証券の倒産など、不況の風が吹き荒れて、業績がいっきにダウン。ソフマップ経営危機という、風評に翻弄され、それが銀行の貸し渋りにつながり……最終的には丸紅さんへの第三者割当増資で乗り切ることができましたが、ずいぶんと苦しみました。その後、インターネットの普及があり、ITバブルが進むなかで1999年のソフマップは、過去最高の増収増益を記録。そして、その翌年、僕はソフマップの社長を退任し、新しい会社のかじ取りに乗り出すことになります。


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<試行錯誤からの脱出>
ソフマップの社長退任後は、何度も痛い目に。
社員たちの声に、やる気のスイッチが入る

 ソフマップの経営者だった90年代中盤に、ものすごい技術を持った技術者たちに出会ったんです。それまで僕は他社がつくった製品を長く売ってきたので、自分で開発した商品を売りたくなったんですよ。その技術者たちと組んで1995年に設立したのが、ドリームテクノロジーズ。両社の社長を兼務してきましたが、2000年のソフマップ退任を機に、こちらの経営に専念。当時は、ナスダックジャパンや東証マザーズが誕生し、金融機関からの借り入れではなく、投資など直接金融で資金調達するベンチャー上場スタイルが大はやり。20代の上場経営者も生まれるなど、僕にとっては隔世の感でした。正直、自分が必死でやってきたことを振り返ると、この環境がすごくうらやましかったですね。そして、ドリームテクノロジーズもその波に乗り、2001年に上場を果たします。

 ただ、その頃から、エンジニアたちをマネジメントすることに限界を感じ始めていました。僕は技術者ではないので、うまくコントロールできなかったんですね。それで、2003年に自ら申し出て、退社しました。もう、パソコンは使うだけでいいやって。その後、秋葉原でタピオカドリンクの販売を始めましたが、季節変動による売り上げの波に対応できず、撤退。子どもが安全に遊べる室内遊園地を経営する会社の会長にも着きましたが、シュッピンのビジネスに専念するために退社。自分には何でもやれるという、驕りがあったのだと思います。でも、そうやって何度も痛い目に遭って、試行錯誤しながら動いているうちに、だんだんと迷いがなくなっていきました。
 
 これからは、自分がわかってること、得意なことに専念していこうと。その決意のかたちとなったのが、現在、代表を務めている、シュッピン株式会社です。今から18年前、カメラが趣味だった僕は、シュッピンの前身となる、マップカメラという屋号の会社を立ち上げていました。一眼レフや長玉のレンズなど、ハイエンドかつ、こだわりの中古カメラ関連製品を売買するビジネスです。この事業がずっと増収を続けていたんです。そして、現在のインターネットを主軸としたビジネスモデルを考え、やる気のある社員にさらにやる気を出してもらうために上場することを決めました。そもそも家業的な経営スタイルだと、やる気のある社員にとって、居心地が悪いじゃないですか。「じゃあ、やるか!」。僕のやる気にスイッチが入ったんですよ。

<こだわりの場、誕生>
人材とコスト、扱い商品、販売手法、
どれをとっても成長可能性の高いビジネス

 ちなみに、私が社長時代のソフマップは、唸りながら成長してましたね。まだインターネットのない時代でしたので、売り上げ拡大のためには出店することが最善な方法でした。新しい店舗をつくる時には、エース級の人間を店長として送る必要があります。資金計画はもちろんですが、人材の採用、教育にはいつも悩まされていました。出店の基本は繁華街ですから、店舗を構えるために5億円、10億円の投資が必要となる。常に、ものすごいリスクを背負った挑戦だったんですよ。それらのポイント考えると、シュッピンのビジネスモデルは、ソフマップと真逆にあると思います。まず、シュッピンが扱っているこだわりのある商品たちは時を経ても陳腐化しにくいんです。反対に、どんどん進化が進むパソコンは、言ってみれば生鮮食料品のようなものです。

まず上場を目指す以上、常に成長し続けられるビジネスモデルが必要です。このビジネスは基本的に、1商材1店舗。そして、流通はすべてインターネット。当然、出店がないので社員の転勤もない。腰を落ち着けて仕事に専念できる環境があります。そもそもみんなカメラが大好きなマニアたちですから、自ら楽しみながら勉強してくれる。カメラの話をさせたら止まらないほどです(笑)。最近は店舗で確認してオンラインショップで購入する“ショールーミング化”も進んでいます。人材採用・教育とコスト、扱い商品、販売手法、どれをとっても有利なビジネスモデルだと確信しています。

 そして、カメラを取り扱う「マップカメラ」だけにとどまらず、同じようなこだわりの商品を横展開しています。それが、時計の専門店「GMT」、筆記用具の専門店「KINGDOM NOTE」、、ロードバイクの専門店「マップスポーツ」です。屋号をそれぞれ分けたのは、お客さまに対して“こだわりの場”であることを強調したかったから。ビジネスのネット化は、旅行や証券など商品のかたちのないものから始まりました。その後、本、衣服、靴など、従来ネットでは売れないだろうと思われていたものが売れるようになっています。中古品のネット化は難しいと思われていますが、確実に中古品もネット化すると思っています。なぜか? いや、シュッピンの取り扱い商品が本当に売れているからですよ。売ってくれるお客さまが、また別の商品を買ってくれる。“もの”にこだわれば、こだわるほど欲しい“もの”が増えていきます。営業のスタッフが“もの”に愛着を感じる人間だから、お客さまの気持ちと行動がよくわかるんです。

<未来へ~シュッピンが目指すもの>
徹底的に絶対的に扱う商材を深掘りしていく。
そこにこだわり続ければ、どこにも負けない!

車やブランド品など高額品を店舗で売買する、本や生活雑貨などを郊外の大型店で売買する、そして、インターネットオークション。これまで、中古品を取り扱うビジネスは、大きくはこれらの3つに分類できると思います。しかし、シュッピンのビジネスモデルはこの中には当てはまりません。当社が取り扱う商品は、現在、カメラ、時計、筆記用具、ロードバイクの4種類のみ。機械式時計など、職人が手づくりし、世代を超え幅広いファンを持つ、価値の下がりにくいものも扱っています。そうやって商材を絞り込んだのにも理由があります。まず、どの商品も単価が高く、場所を取らないサイズでしょう。カテゴリーを狭くすれば、スタッフたちの商品に対する審美眼、販売ノウハウなどをスピーディに高めることができ、それにより、お客さまからの高い信頼が得られるからです。

 どうしても実物を見て確認したいというお客さまに対応するため、1商材につき1店舗のみ設けていますが、先述したとおり、メインはインターネット経由の売買です。競合に比べてコストを徹底的に削減したことで、商品買い取り価格に反映できます。シュッピンは、「インターネットを利用して価値ある大切な中古品を、安心、安全に取引できる」場所を創出した企業といえるでしょう。おかげさまで、設立以来、増収を続けていまして、昨年(2012年)、12月20日には東証マザーズへの新規上場も果たすことができました。現状の商材カテゴリーだけでも、まだまだ十分な伸びしろがあると見ていますが、もちろん、将来的には第5の商材を扱う可能性はありますよ。

 過去に僕が代表を務めた、ソフマップは東証2部(現在はビックカメラの子会社となり未上場)に、ドリームテクノロジーズはジャスダックに上場しています。そして、シュッピンは東証マザーズへ。3つの上場企業をつくった経営者ということで、“シリアルアントレプレナー”なんて言われていますが、僕はそんなつもりはまったくないんです。そもそも、どの会社だって、辞めるつもりで始めたわけじゃないですからね。ただ、シュッピンのビジネスモデルには絶対の自信がある。ランチェスターの法則ではないですが、商材の幅を広げるのではなく、徹底的に絶対的に4つの商材を深掘りしていく。そこにこだわり続ければ、どこにも負けないと確信しています。自分たちの好きな“もの”を扱えて、その商品にシュッピンは育ててもらっている。そういった意味では、これまでの社長経験のなかで、一番気持ちがすっきりしています。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
自分のビジネスをクレイジーなくらい好きになる。
そうすればお客さまとマーケットが見えてくる

 世の中には、起業に向く人、向かない人がいると思っています。なので、すべての読者にお勧めできる世界ではありません。事業を立ち上げて、失敗した時のリスクは本当に大きいですからね。でも、そういう僕も、最初にお話しましたが、何でもまず自分でやってみて、試してから、考えたり悩んだりするタイプだったんで、あまり強く言えないんですけど(笑)。ただ、「失敗してもいいや」くらいに考えている人がいたとしたら、「絶対に起業するな」と伝えたいです。ちなみに、うちの高3と高2の子どもに、「おまえたち、将来は何をするんだ?」と聞くと、簡単に「社長になる」って答える。頼もしいのですが、「おいおいちょっと待て!なめたらいかんぞ!」ですよ(笑)。いずれにせよ起業を目指すなら、自分が手がけたい事業のことを勉強し、しっかり突き詰めてから挑戦してください。

 自分がやっている仕事経験のアドバイスしかできませんが、僕は自分がもともとすごく好きな商品で商売をしてきました。ソフマップの時なんて、UNIXマシンも扱っていましたからね。「家でUNIX使う人なんていないだろ」って話で、秋葉原で売ってる店はうちだけでしたよ(笑)。それぐらい扱う商品にとことんこだわっていたというわけです。中途半端に好きだからではダメで、それくらい突き詰めないと。どこまでも突き詰めることで、自然とマーケットの本質やお客さまのニーズが見えてくる。「好きなカメラを売れば儲かりそうだ――」。そんなのうまくいくわけがないですよ。そうではなく、誰にも負けないくらいとことんカメラの知識を学んで、半端じゃなく好きになれば売れるようになる。その執念こそが、あなたの事業を成功につなげてくれるカギだと思います。

 別に、“もの”だけの話ではないですよ。飲食業であっても、どんなサービス業であっても、商材を異常なくらい好きになると、まず説得力が違ってくる。そうなれたら、どんなお客さまだって「どうせ買うなら、この人から買いたい」となるんですよ。ちなみに、今、時計って時間を見る道具じゃないでしょう。僕は時計が大好きで、例えば、世の中には数千万円の時計もざらにある。こだわりは、こだわる人とのつながりをもたらしてくれます。たくさんの貴重な出会いもありました。何が言いたいかというと、とどのつまり、ビジネスとはエモーションだと思うのです。かたちのある“もの”を提供する場合でも、お客さまが本当に期待しているのは感動なんですよ。ビジネスをとおして、エモーションを伝えることができれば、成功する可能性が高くなると思います。繰り返しになりますが、あなたの手がけたいビジネスを、異常なくらい、とことん好きになることから始めましょう。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓

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