第131回 株式会社ロボ・ガレージ 代表取締役社長 ロボットクリエイター

起業家インタビュー

執筆者: ドリームゲート事務局

- 目次 -

第131回
株式会社ロボ・ガレージ/
代表取締役社長 ロボットクリエイター

高橋智隆 Tomotaka Takahashi

1975年、大阪府生まれ。立命館大学産業社会学部を1998年卒業後、翌年に京都大学工学部に再入学。在学中より二足歩行ロボットの開発を始め、関西テクノアイデアコンテストグランプリ、キャンパスベンチャーグランプリ、学生ベンチャー大賞等を受賞。2003年、同大学工学部物理工学科メカトロニクス研究室を卒業と同時に個人事務所「ロボ・ガレージ」を創業し京都大学内入居ベンチャー第一号となる。2004年には中腰にならずスムーズな二足歩行を実現した「CROINO(クロイノ)」が、米『TIME』誌で「最もクールな発明」に、『ポピュラーサイエンス』誌では「未来を変える33人」の一人に選ばれる。2004年より世界最大のロボット競技会「ロボカップ」に出場し、5年連続優勝。2009年、株式会社ロボ・ガレージに組織変更。創業から一貫して一人でロボットの技術開発、製作、デザインを手がけている。東京大学先端科学技術研究センター特任准教授、大阪電気通信大学総合情報学部メディアコンピュータシステム学科客員教授、福山大学工学部電子ロボット科客員教ヒューマンキッズサイエンスロボット教室アドバイザー。

ライフスタイル

好きな食べ物

「うな重」と「フルーチェ」のピーチ味です。
好き嫌いが多いというか、食わず嫌いがめちゃ多いです。もともと食にはあまり興味がなくて、グルメの冒険をせず、過去に食べて知った味を安心して食べたいタイプ。漫画『ドラゴンボール』に出てくる仙豆(せんず※1粒で10日は飢えをしのげる)があればいいのにと本気で思うくらい(笑)。ただ、腹が減った時に無性に食べたくなるのは、「うな重」。ほか、大好物は「フルーチェ」のピーチ味。お酒は昼間に飲むビールが好きです。

趣味

工業製品の所有です。
車、時計、船など、昔から工業製品が大好きです。先日、クルーザーを購入し、色を塗り替えました。関西人ですから、100万円のものを定価で買うよりも、1000万円のものを100万円で買うような掘り出し物が好き。昨年、東京に活動拠点を移したので、中古住宅を購入して手を入れている最中です。でも残念ながら、「ロボットリビング」が似合うような近未来的空間では、全くありません(笑)。

行ってみたい場所

アブダビです。
昨年(2010年)10月、今年10月、テーマパーク「Ferrari World(フェラーリ・ワールド)」がオープンしました。つぶれる前に行かなきゃと思っているんですよ。何となく、第三セクターがつくった地方の遊園地のようなダメっぽさが漂っている。もし本当につぶれたら、展示物を格安で手に入れたいですね。

お勧めの本

『人生を決めた15分 創造の1/10000』(武田ランダムハウスジャパン)
著者 奥山清行
アンカー
エンツォ・フェラーリをデザインした日本人・ケンオクヤマこと、奥山清行さんの仕事術を自ら解説した本です。世に出回っているビジネス書の9割は個人的にインチキだと思っていますが、実際のプロジェクトを例に挙げての文章には説得力がある。私は本嫌いなのですが、各ページが独立していて食事中やトイレ中に読みやすい。もう1冊挙げるとすれば、青色発光ダイオードの研究者・中村修二さんの『怒りのブレイクスルー 常識に背を向けたとき「青い光」が見えてきた』ですね。こちらは勢いのある文体で、一気に読める。

まだ見ぬ素晴らしきロボット社会の到来をけん引し続ける、
『TIME誌』から最もクールな発明と称された日本人

 体長40cm前後のロボット「ROPID(ロピッド)」が動き始める。まずは腕を上げ、顔を向け、挨拶。すると、これまでのロボットのイメージを覆す、中腰にならないスムーズな二足歩行、しゃがむ、走る、跳び上がる――驚きの動作。開発したのは「ASIMO」のホンダでも「AIBO」のソニーでもない。それは、2003年にロボ・ガレージを個人で創業したロボットクリエイター・高橋智隆氏。学生時代から、美しいデザインで身をまとい、高い機能を搭載したロボットを、たった一人、しかも手づくりでつくり続けているのだ。「大量生産時代の次はまた個の時代。個人のセンスや発想で社会や大企業をも牽引できるようになった。私のビジネスモデルのメリットは、ただの下請けにならないこと。自分で勝手に考えてロボットをつくって、見せびらかしても、それに共感してくれる企業からしか依頼はきません。でも、結果として好きな仕事しか依頼されないわけですから、それでいいんです」。今回はそんな高橋氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<高橋 智隆をつくったルーツ1>
既成品が欲しければ手づくりさせる教育方針。
幼少期の夢は、ロボットを開発する科学者

 父は大学病院の内科医でした。私が生まれたのも京大病院です。その父の仕事の関係で大阪、滋賀、カナダと移り住んでいます。父の仕事柄、家族旅行に出かけても、患者が危篤だと途中で引き返したり。だから医者にはなるまいと。そもそも父は生き物が好きで、本当は昆虫学者になりたかったんじゃないですかね。でも、昔は成績が良かったら医者か弁護士ということになるらしい。まあ、人間も昆虫も生きものという点では共通していますか。多くの家庭がそうであるように、「勉強しなさい」と言われつつ、それを無視して普通に遊んでいました(笑)。

 公立小学校でだいたいいつもクラスで2番目くらいという「そこそこ」の成績。母方の祖父は役人だったんですが、東大工学部を主席に近い成績で出たような人で、自宅に自分専用の工作室を持っていました。ものづくりが好きになったのはそんな祖父の影響も大きいと思います。一緒に竹やぶで竹を切ってきて、竹とんぼや弓矢をつくったり。弓矢はなかなか良く飛ぶもので、それなりの殺傷能力があった気がしますが、公園で実射もしました。まだ、のどかな時代でしたね(笑)。私たちの小学生時代って、戦隊物の超合金とか、「ミクロマン」なんかが流行っていたんです。でも、両親は「低俗だ」と。代わりに買ってくれたのがレゴブロック。確かに大人が見ても、おしゃれなおもちゃです。

 だから、代わりにブロックなどを使って自分でつくるしかない。色画用紙を切り張りしてクルマやロボットをつくっている当時の写真が残っています。今やっていることと本質的に全く変わってない(笑)。そうやってものづくりに没頭する時間も多かったですが、サッカーや野球、クワガタ虫捕りなど、友だちとも外でけっこう遊んでいましたよ。この頃の夢は、ロボットをつくる科学者になりたいというもの。これは、幼稚園の頃に読んだ手塚治虫さんの「鉄腕アトム」の影響ですね。マンガの中に出てくるアトムの設計図にワクワクしたのを覚えています。

<高橋 智隆をつくったルーツ2>
第一志望の釣り具メーカーから内定が出ず、
本気でものづくりを志向し、京都大学へ再入学

 中学受験をしたのですが、第一志望は不合格で、第二志望の私立比叡山中学へ進学しています。団体行動が嫌いだったので、部活には入りませんでした。高校もまた第一志望からふられて、第二志望の私立立命館高校へ。この頃、琵琶湖でブラックバスを狙うルアーフィッシングにのめり込んでいました。ルアーやリールなんかの用具のデザインや機能も面白い。バルサ材を使ってルアーを自作したりしていました。

 あとは、モーグルスキーと日本拳法。私は、ぱっと始められて簡単にできちゃうものには興味が持てない。奥が深くて難しいものほど、意地になって続けてしまう。だから今でも忙しい合間に続けています。そんなでしたから、中学、高校へと進むにつれ、幼い時に抱いた「ロボットをつくる科学者になりたい」という夢はおぼろげに……。世はバブル景気で、高級車や不動産、株など、ものが右から左に流れるだけでお金が沸いて出る時代でした。多くの人が理系学部を卒業しても銀行や証券会社に就職する。なので、理系科目のほうが好きだったのですが、受験をすることなくエスカレーター式に立命館大学産業社会学部という文系学部に進学しました。

 大学時代は学校にはほとんど行かず、遊んでばかりいました。車をいじったり、冬はスキー、夏も南半球まで出かけてスキー。ところが、卒業の頃には完全にバブル景気が崩壊。就職活動を始めたのですが、結局、第一志望の釣り具メーカーからは内定を得られず……。でも、何となく世の中や会社の仕組みがわかってきたんです。東大や京大に入りさえすれば、将来設計の選択自由度が広がるんだなあと。だったら、京大の工学部に入り直して、メーカーでものづくりに携わりたい、中でも究極の機械でもあるロボットを学ぼうと。しかし高校入学以来遊んでばかりいたので“激アホ”でした。予備校に通いながら受験勉強を始めましたが、時間が全く足りない。でも、自発的な勉強はすごく楽しかったです。

<賞金稼ぎのロボ制作>
受験勉強中に書いた落書きのアイデアをカタチに。
二足歩行ロボットの特許を取得し、商品化される

 数学や物理など、好きな科目から受験勉強を開始しました。嫌いな科目は完全に後回し。模擬試験も、手を付けていない科目はちんぷんかんぷんなので、体調不良など適当な理由をつけて途中で棄権して帰る。だから、合否判定は最後まで不明。でも、センター試験、二次試験とクリアし、京都大学工学部に無事合格。受験自体が、まるでバラエティ番組の企画のような感じ。「高橋君は今世紀中に合格できるでしょうか!?」みたいな(笑)。この勉強中、集中が途切れると、ノートの端に色んな落書きをしていたんです。その中にロボットのアイデアもあった。子供時代、改造したプラモデルが動き回る「プラモ狂四郎」とか「プラレス3四郎」というマンガがはやっていました。だから本当にプラモデルが歩いて欲しいなとずっと思っていました。

 そして2度目の大学生活が始まりました。受験中に思いついたアイデアを元に京大1年生の時に最初につくったロボットは、「機動戦士ガンダム」に登場する「ザク」のプラモデルを使って、電磁石をつけた足で鉄板の上を二足歩行できるようにしたものでした。タミヤの工作キットのリモコン操作で、前後に歩いたり方向転換したりする。全くの趣味でつくったものでしたが、想像以上にうまく歩いてくれたので、大学にあった特許相談室に持ち込んだら、「特許を出願しよう」「企業に売り込もう」ということになりました。当時はちょうど大学にTLO(技術移転機関)が置かれ始めた頃です。そして在学中にロボットが商品化されました。いきなり「特許ビジネスでぼろ儲け!」と思っていましたが、それほど甘くはない(笑)。結果的に5000台くらい売れて、私の手元に残ったのは100万円くらいだったでしょうか。

 その後もすぐに次のロボットのアイデアを思いつき、つくり始めました。当時、制作費は1台10万円くらいとローコストでしたが、工具など欲しい物はたくさんある。賞金目当てに、技術アイデアのコンテストや、ベンチャー・ビジネスコンテストなどにどんどん応募して、自作のロボットを持参してガシャンガシャン動かしプレゼンテーションしました。すると、そのインパクトだけで、片っ端から優勝して、賞金やパソコンなどの賞品を獲得。賞品は翌日には売り払って制作費に充てました。今は拠点を東京に移していますが、1年くらいまでは関西の実家の6畳の自室が工房です。CADの設計図などいっさいなく、自作のイメージスケッチや落書きをもとに、試行錯誤しながらドンガンつくっていく。

<まずはカタチから>
設計図を用意せず、ゼロから完成まで手づくり。
機械、デザインとしてもいいものができる理由

 そもそも設計図というものは、大勢で「ここの設計はどうしよう」と相談したり、工場に部品製作の指示をするために必要なものなんです。言ってみれば、情報を共有するためのツール。私のように部品から自作してしまう場合は、ちゃんとした設計図は要らない。木型を削りだして、カセットコンロで熱したプラスチックを押しつけて、裏から掃除機で空気を抜いて三次元形状の部品を成型する。そんな風に、部品と向き合いながら製作している方が、機械としてもデザインとしてもより良いものができるんですよ。

 設計図がないことで、困ることも当然あります。たとえば、商品化の話が来た時に、「このロボットを量産して売りたいから、設計図を見せてほしい」と言われても、「ありません」。「分解して採寸するから、本体を貸してほしい」と言われても、「一体しかないから渡せない」。そういう時は、量産のための試作機をもう一体つくって、それを納品します。これまで、ロボット分野は主に研究・実験対象であり、学術理論に重きを置かれてきました。ロボット本体は実験装置でしかないので、鉄骨がむき出しで配線グジャグジャ、動きも機械的。なかなか我々の暮らしの中に入ってくるイメージがわかない。だから、外観も動きもコミュニケーションもすべてデザインして、近未来の家庭用ロボットのコンセプトモデルをつくろうと思うようになりました。

 ロボット開発に明け暮れた京大での学生生活でしたが、当初起業するつもりはありませんでした。ただ、ホンダの「ASIMO」やソニーの「QRIO」が登場するなどして、ロボットが社会的に注目され始めていました。また、先ほどお話ししたTLOなど、大学発ベンチャー支援も充実してきた。私の場合は2度大学にいっているので、就職して会社員になったとしてもかなりスタートが遅れてしまいます。これだけお膳立てが整っているなら、もう独立してやるしかないかと。特に何の元手も必要なかったので、最悪失敗しても就職すればいいくらいの軽い気持ちでした(笑)。そして、京大の「ベンチャービジネスラボラトリー」の第一号として入居し、私の社会人生活が始まったというわけです。

●次週、「世界から注目を集めるロボットクリエイターに!」の後編へ続く→

自作のロボットを見せびらかすのが一番の営業法。
ロボットクリエイター・高橋智隆のビジネスモデル

<追い風を受け起業>
基本的に誰かから依頼されたものではなく、
勝手に思いついて、考えながらつくっている

  京都大学を卒業した2003年に独立して、最初に発表したのが、「NEON(ネオン)」というロボットです。当時はホンダの「ASIMO」やソニーの「AIBO」が話題になるなど、ロボットブームが到来していました。その年の4月、パシフィコ横浜で「ROBODEX2003」というロボットの大規模イベントが開催されました。そこで招待出展できることになり、「鉄腕アトム」の誕生日2003年4月7日を記念し「NEON」を発表しました。私のロボットへの憧れの原点であるアトムをイメージさせるような、まるでアニメーションの中から飛び出してきたような外観を持つロボットです。そして翌2004年に発表したのが、「ひざが曲がったままの歩行姿勢」の問題を解決する新技術を搭載したロボット「CHROINO(クロイノ)」です。

 この新技術を「SHIN-WALK(シン・ウォーク)」と名付けて特許を取得し、今までいくつかのロボットに採用されています。また、クロイノは米国『TIME』誌の 「Coolest Inventions 2004(2004年最もクールな発明品)」に選ばれ、以来、アメリカ、ヨーロッパはもちろん、インド、ブラジル、ドバイなど、世界中で講演や展覧会に招待され、一緒に旅をしてきました。そうやって自作のロボットを見せびらかしていると、様々な企業から「そのロボットを量産して商品にしたい」「その特許技術を使いたい」「デザインしてほしい」などの依頼が舞い込みます。それをお受けすることで対価をいただくというのが基本的なビジネスモデルです。

  このように、最初に私が勝手に思いついたアイデアをもとに、勝手にロボットを製作します。たとえば、2006年には女性型ロボット「FT(エフティ)」を開発しました。当時、二足歩行できる女性型ロボットが存在しなかった。女性らしいしなやかな細身のプロポーションを実現することは、モータやコンピュータ、バッテリ、配線などがぎっしり詰まったロボットにとって非常に難しいことでした。また、ロボットの研究者がほとんど男ばかりでしたから、女性型というと「ロングヘア」「スカート」とか、「胸部からミサイル」とか(笑)そういう発想になりがち。そうではなく、本質的な女性らしさを出すために、微妙なX脚にしたり、肘や膝の関節を少し逆に曲がるようにしたりといった工夫を凝らしました。また、ファッションモデルの方からアドバイスをもらい、モデルウォークのプログラムをつくり、女性らしい歩き方にもこだわっています。結果、ファッション誌などにも「FT」が取り上げられました。今までのマッチョな男性型では力仕事や格闘などの用途しか連想されなかったのに対し、このFTの登場でロボットのイメージ自体を変えることができたのではないかと感じています。

<擬人化の必要性>
人間と機械のコミュニケーションを
円滑にするための装置、通訳のような役割

 また、「ロボカップ」という世界最大のロボット競技会において5年連続で優勝したり、乾電池のテレビCMで小型のロボットを用いてグランドキャニオンを登頂、ル・マン24時間や東海道53次を走破したりしました。そうやって様々なロボットをつくりながら、一貫して目指しているビジョンがあります。それは、近未来に人間と共生するロボットのコンセプトを提案していくことです。一連の作品を通じてそのイメージをつくり上げ、発信していきたい。ヒューマノイドロボットがユーザーとコミュニケーションを取ることでユーザーの嗜好やライフスタイルといった情報を収集し、その情報を元に家電製品や他の作業ロボット、防犯システムなどの身の回りの機械製品群をコントロールする、そんなロボットリビングを実現させたい。

 なぜなら昨今の機械製品は過度に高機能化し、操作が煩雑で使いこなせなくなっています。そこで今、iPhoneや任天堂Wiiなどのようにインターフェースを工夫した製品が注目されている。その流れの延長上にあるのが、人とコミュニケーションし、機械製品との間で通訳のように振る舞うヒューマノイドロボットです。人の形や動きを模していることにより、人間との円滑なコミュニケーションが可能になるし、また、物理的作業は他のそれぞれの機器が行うのだから、このヒューマノイドロボット自体は小型で良いはずです。例えるなら「ピーターパン」のティンカーベル、もしくは「ゲゲゲの鬼太郎」の目玉おやじのような存在といえるかもしれません(笑)。

 そんな未来の一部を、コンセプトモデルによって部分的に具現化していくのです。パソコンも携帯も古くは自動車も、最初に使い始めたのは新しい流れに敏感な、情報や知識に富み、経済的余裕のある階層です。彼らは割高な新製品を購入することで「出資者」となり、それを実生活で使用することで「被験者」となり、メディアやパーティなどでそれを自慢することで「発信者」となる。そして、それによって普及し始めるのです。今実際に、アブダビ、ドバイ、モスクワの富裕層から、こうしたロボットリビングについての問い合わせがあります。クールな日本のロボットリビングは、彼らにとってホームシアターやオーディオルームの延長のような感覚なのです。

<未来へ~ロボ・ガレージが目指すもの>
ロボットがいる未来の生活を提案することで、
一家に1台、ロボット時代の到来を実現したい

  今ではパソコンや携帯電話も、最初につくった開発者の思惑とは違った使われ方をしていますよね。それと同じで、私がこれまでお話ししてきたようなロボットの未来予測も、将来どのように変わっていくのかは正直わかりません。なぜなら、普及に伴ってどんどん新しいアイデアを生み出しながら成長を続けていくからです。そして、その用途は、必ずしも有用で便利なものでなく、何か新しい遊びのようのものだったりするので、予測が難しい。既に多くの「不便」「不安」が解消された今、新産業は遊びの中から生まれてきます。

 TwitterやFacebookやセカイカメラなど、誰かが考えた遊びがビジネスとなり、普及した後に初めて実用性が出てくるのです。だから、最初から「介護ロボット」をつくろうと思っても、絶対にうまく行かない。それはまるで自動車が発明される前に消防車をつくるようなものです。遊びからスタートして富裕層によって育てられ、一般に普及し、最後に特殊用途、例えば福祉介護や災害救助用などが派生する。それがテクノロジーの進化・普及の唯一の道筋なのです。

 だからこそ私は、自由な発想でロボットを生み出していきたい。きっとメディアアート、サイエンスアートに近いのでしょう。例えば先日は短編映画を製作しました。映像世界の中で、ロボットが実際に人間社会で暮らしている風景を作り出すことで、未来のビジョンがより明確に伝わると考えたからです。そして、ロボットによる実写映画というのは、映画史にとっても新しい試みです。アニメーションやCG、ストップモーションなどと並ぶ、新しいジャンルを生み出したといえるでしょう。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
第一人者になって自分でルールを
つくれるフィールドを見つけること

  ある程度経済的に自立していなければ、クリエイティビティを保てないと感じています。経済的に困窮していると、後手後手にお金のために働くことになり、創造性は失われてしまいます。私のビジネスモデルのメリットは、先に「作品」を発表することで、「下請け」にならないで済むことです。勝手に考えたロボットをつくって見せびらかしていると、それに共感した人からしか依頼が来ないので、結果として自身の能力が発揮しやすい仕事しか来ないのです。

 若手のITベンチャー起業家と話す機会も多いのですが、あまりに皆が同じ業態・ビジネスモデルであることに驚きます。でも、グーグルやソフトバンクといった「大手」のポジションは確固たるものだし、そこを頂点とした様々な中堅の企業の席も埋まっている。つまりある程度成熟してしまった産業にはもうほぼチャンスが残っていないはずなのです。

 よくある脱サラ開業のコンビニや赤帽と変わらない。だから、せっかく起業に挑戦するなら、新しい分野を狙うことが大切です。まだ大多数の人は気付いてはいないような、ほどよく眉唾な分野を選ぶべきです。そんな分野を自身の手で開拓していけば、自身の居場所や環境、それこそその世界のルールさえも自分でコントロールする事ができ、そして大きな果実を手にできるチャンスが巡ってくるはずです。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓

起業、経営ノウハウが詰まったツールのすべてが、
ここにあります。

無料で始める