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第123回 特定非営利活動法人チャリティ・プラットフォーム 佐藤大吾

起業家インタビュー

執筆者: ドリームゲート事務局

- 目次 -

第123回
特定非営利活動法人チャリティ・プラットフォーム 代表理事
佐藤大吾 Daigo Sato

1973年、大阪府生まれ。大阪大学法学部中退。在学中からインターンシップのプロデュースに携わり、大学を中退後、インターンシップの専門事業会社・株式会社インターパーソナルを立ち上げる。2001年、総合人事コンサルティングファームの株式会社シンカと合併。2003年に再び独立し、株式会社ヒューマンデザインオーソリティを設立。キャリア教育事業に携わる。またNPO活動として1998年、議員事務所や官公庁などでのインターンシッププログラムを運営するNPO法人ドットジェイピーを設立(2000年に法人化)。2007年5月、NPOを財政面から支援するNPOとしてチャリティ・プラットフォームを設立。世界最大級の寄付仲介サイトである英国「JustGiving」と交渉の末、 2010年3月より一般財団法人ジャスト・ギビング・ジャパンを創業した。著書に『オモシロキ コトモナキ世ヲ オモシロク』(サンクチュアリ出版)、『タネダミキオでございます』(新潮社)、『人生のプロジェクト』(サンクチュアリ出版)などがある。その他、大阪大学客員研究員(2003年~)、早稲田大学客員研究員(2005年~)、NPO学会会員(2002年~)など、多岐にわたり活動。

ライフスタイル

好きな食べ物

焼き肉とか……。
焼き肉、焼き飯、焼きプリン(笑)。まあ、ごろ合わせですけどね。生まれが大阪ですから、鉄板で焼いたものが好きなのかもしれません。お酒は飲めますけど、かなり弱い部類だと思います。飲まされたら、すぐに夢の世界へ旅立ってしまいます(笑)。

趣味

トライアスロンとか……。
仕事の関係で、トライアスロンを始めて、今年完走できたんです。たくさん仲間ができますし、まだ国内の競技人口が20万人といわれていますから「トライアスロンやってます」というと、かなり尊敬されます(笑)。オイシイですよね。後3年はイケると思っています。

行ってみたい場所

アフリカとか……。
行きたいところがあれば、すぐに行ってしまう性質ですからね……。今まで長期間旅行をしたことがないので、1年くらいバックパッカーとして世界を放浪するというのに憧れます。でも今は仕事が楽しいので、長期の旅行はずっと後回しになってます。

お勧めの本

『愛と幻想のファシズム』(講談社)
著者 村上龍

本はかなり読みますから、1冊の推薦は難しいですが……。もちろんこれはフィクションですし、キャラクターに自己投影しているわけではありませんが、この国を変えていくというテーマと世界観が面白いので、この本にしておきます。ちなみに、信頼できる人から推薦された本は必ず読みますね。それが一番、いい本に出会える確率が高いと思います。

チャリティ・プラットフォームを始動させたことで、
日本の新しい寄付文化の創造が本格的に始まった!

  日本をより良き国に変えるために頑張って活動している、素晴らしいNPO法人は多数ある。しかし、その志とその実現ための行動は素晴らしくとも、資金難で苦しんでいるNPOが実は多い。その障害を取り除くために、国内初のファンドレイジングという手法を用いた支援型NPOを立ち上げたリーダーが佐藤大吾氏である。彼自身も議員インターンシッププログラムを運営するNPO法人を10年以上前から運営し続けている。そんな佐藤氏が今年の3月、新しいかたちのNPO支援策「JustGiving Japan」を始動させた。「チャリティ・プラットフォームおよび"JustGiving Japan"の現在の目標は、早期の黒字化を達成することです。イギリスの"JustGiving"は黒字化まで8年かかっていますが、私たちは3年後の実現を本気で目指しています。その先は、派手なことを言いますが、イギリスを抜いて世界一になる。もちろんできると思っています」。今回はそんな佐藤氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<佐藤大吾をつくったルーツ1>
考えたことを実行し、仲間が盛り上がったり、
喜んだりする姿を見ることが昔から好だった

  私が生まれた当時の堺市は、世界一空気が悪くて、日本で一番汚染された川のある街でした。また、O157事件が発生したり、有毒外来種である「セアカゴケグモ」が人を噛んだりしたことでも話題になりましたね(笑)。そういえば大学時代、スキー合宿の宿を取るため、信州のある旅館に予約を入れようとしたら、市外局番の「0722」と伝えた瞬間に「O157が発生した堺市の方ですか。申し訳ないですが……」と、宿泊を断られたこともありました。両親の話をしますと、堺市で父は居酒屋を経営していたんです。しかし、電電公社を退職した母が店を手伝うようになってからは、母が実質的なオーナー経営者に。居場所をうばわれた父は母から「外貨を稼いできて」と言われ、ホテルなどの契約調理師となりました。そんな雇われずに働く両親のもとで育ったからかどうかわかりませんが、私も3歳年下の弟も、起業の道を歩んでいます。

 小学生の頃の私は、赤レンジャーになりたいから、「ゴレンジャーごっこをやろう」と常に自分から周りを巻き込むタイプ。ただし、前に出て目立ちたいからというわけではなく、頭の中で考えたことを実行し、みんなが盛り上がったり、喜んだりする姿を見ることが好だったんです。学校の生徒全員が参加するジャンケン大会や相撲大会も開催しましたね。トーナメント表や総当たり表をつくるのが得意でしたから、その作業も引き受けて。小さな頃にそんな経験をたくさんして面白かった実感を持っていたから、それをこれまでずっと続けているという感じでしょうか。今だって自分が有名になることにはまったく興味がなくて、それよりも自分がつくった会社や組織、商品やサービスが多くの人に受け入れられて、世の中が変わっていく様を実感することが嬉しいんです。

 勉強は普通にできて、学級委員は小1から中3まで9年間ずっとやってます。思春期になると、リーダーになることが恥ずかしかったり、めんどくさくなったりするじゃないですか。でも、そのへんの感情が私にはまったくなくて(笑)。「やらなあかんのやろ」くらいの気持ちで引き受けていましたね。でも、悪さも率先してたくさんやりましたから、座る場所はだいたい一番前。ちなみに中学は、堺市でワースト1、2位を争う、凶悪な学校でした。毎日、PTAが中心となった授業参観が行われ、校門の前にはパトカーが常に待機。授業中にタバコどころかシンナーを吸う生徒がいたり、暴走族がメジャーな部活動だったり。優等生も不良も関係なく仲間がいましたが、私は幸いにも不良の道には走りませんでした(笑)。 幼なじみの親友が暴走族の頭だったんですが、彼は私のことをよくわかっていて、「大吾はこっち側にこなくていい」と。今でも彼とは仲良しですが、大阪で2つの居酒屋を経営し、成功させています。当時から集中力がすごかったですから、さすがだなと思いますね。

<佐藤大吾をつくったルーツ2>
やってみないとわらないなら、まずはやってみる。
一生懸命頑張れば、既存のルールも変えられる

  足が遅かったので、中学では陸上部に入部。1度くらいは運動会の徒競争で1等賞をとりたかったのと、走力を鍛えて高校野球をやりたかったから。勉強も部活も遊びもほどよくやって、3年の運動会では初めて徒競争で1位になれました(笑)。私は20歳まで「夢なし君」だったんですね。まあ、高校には行って、大学にも進学するんだろうくらいには思っていましたが、何になりたいという目標もなく……。母が電電公社勤務だったから、「大きな会社にいき。電電公社は年に3回もボーナスが出るで」とよく言われていましたねえ。自分の将来もそんな感じかなと。で、中学まではまだ成績が良かったので、進学高校に進むことは決めていました。当時の大阪は私立よりも公立のほうが進学率は良かったので、堺市にある府立三国丘高校を受験し、そこに進むことになるんです。

 高校野球? それがですね、入学して部活見学をしていたら、器械体操部に誘われてしまってそのまま入部。私が入学した前年の1988年にソウルオリンピックが開かれていて、池谷・西川の高校生コンビが大活躍してメダルを獲得。また当時は光GENJIが大人気で、「バク転やバク宙できたらもてるんちゃうんかな?」と、そんなよこしまな理由で(笑)。自分なりに一生懸命練習しました。ただし、三国丘の体操部には平行棒だけがなかったんです。だから6種必要な個人総合には出れずじまいでしたけど(笑)。あとは、ストリートダンス。「ダンス甲子園」がはやっていたので、それに感化されて仲間とチームをつくって。マイケル・ジャクソンも大好きでしたしね。まじめな三国丘では珍しく、チームの仲間と夜な夜なディスコに行っては、周りの空気を読まないちょっと迷惑なアクロバティックダンスを踊りまくっていました。

 ひとつ強く印象に残っている思い出があります。三国丘の修学旅行は制服で行くというルールがあったんですね。でも、生徒会長の女の子が「ディズニーランドに行くのに制服はダサいから絶対にイヤ」と言います。だったらみんなで何とかしようと、いろいろ画策して、多数決でルールを変えたんです。友だちが多いのが自慢ですから、組織票固もしっかりやって。その結果、私服OKになった。この時に思いました。必死で頑張れば既存のルールも変えることができる。やってみないとわらないことは、まずはやってみるべきだと。今の自分の行動力につながる原体験だったと思っています。ちなみに、その生徒会長を助けたおかげで、体育祭で自分たちのチームのダンスを披露する時間を無理やりつくってもらいました。その時に着る衣装代も運営費の中から捻出してもらって(笑)。

<大阪大学法学部へ>
周囲とは行動を少し異にする"らしくなさ"で、
学外交友を積極化させ、友だちをつくりまくる

 高校の成績は1年の時から760人中、720番くらいでしたか。入学したばかりの頃から、「あ、大学までは4年かかるな」と思ってました(笑)。3年では現役大学合格はむりだなと。ただ、私は「難関突破症候群」なんです。やりたいことが見つかった時、一番つぶしが効くように、選択肢を広げるための選択肢として、一番難しいことに挑戦しておくべきという考え方ですね。なので、現役の時も、地元の国立大阪大学で一番偏差値の高い法学部を受験しました。残念ながら万が一は起きませんでしたけど(笑)。で、必死で受験勉強し、一浪の末、念願の阪大法学部に合格することができました。阪大の近くには京都大学がありますね。阪大生の中には、京大に行けなかったという負け気分で入学してくる人が多いんです。でも、私の場合は猛烈に勝った気分で来てますから(笑)。もうノリノリでスタートダッシュからアグレッシブに動いていましたね。友だちをたくさんつくって、大学生活を目いっぱい楽しんでやるって。

 この頃からわかっていたことがあるんです。"らしくない"のがカッコいい。三国丘でストリートダンスをやっていたように、みんなと違うことをやるのが面白いんじゃないかなと。ティピカルに括られたくないので、それをいかに崩すかをいつも考えていたように思います。みんなが家庭教師のバイトをするところ、私は工事現場でバイトしたり。学内だけの交流にこだわるのではなく、どんどん学外での交友を広げていく。また、相変わらず友達が多いことだけが売りでしたから、広告代理店などからイベントの仕事を業務委託で請け負って、学生スタッフを手配するようになりました。代理店からは仕事の質と手配のスピードを喜ばれ、友だちからはいい仕事を紹介してくれたと喜ばれ、自分も時給の世界から抜け出せる(笑)。そうやって、周りとは違う"らしくない"ことを考えたり、実行することを、相も変わらず楽しんでいました。

 大学3年になると就職活動が始まりますよね。当時は就職のための情報が今よりもかなり少なかったんです。なので、関西の大学生数千人を集めた企業セミナーも開催して、企業の人事担当者や就職活動をする友だちからは喜ばれました。でも、自分としては一度も働いたことがないのに、「第一志望です。入社させてください」ということに違和感を感じていました。そう考え、いろんな大手企業に「お金は要らないので働かせてください」とお願いして回りました。でも、大手企業からはまったく相手にされず……。ただ1社だけ、インターネットの仕事を始めていたシステム開発会社の社長が「いいよ」と。右も左もわかりませんでしたが、毎日スーツを着て、その会社に通い続けました。わからないなりにも仕事を手伝っていく中で、営業でホームページ制作の仕事を受注できたり。だんだんと会社の仕組みがわかってくるようになっていきました。

<内定企業社長が逮捕!?>
大手企業への内定が決まるも、卒業できない事態に。
なし崩し的にインターンシップ事業を手がけ始める

 そのうちに、「自分も就職前に会社勤務体験をしてみたい」と、いろんな友だちから声がかかるようになったんですね。最初はその会社の知り合いの社長を紹介してもらって、ボランティアで学生を送りこんでいましたが、評判が広がっていって、私の元にいろんな会社から、「就職活動中の学生を回してほしい」という連絡が入るようになりました。友だちから感謝され、会社から頼りにされるのは嬉しいのですが、友達に連絡するにも電話代がかかります。そこから少しずつ費用をいただくようになって、結局、この活動を継続していくことにしたのです。で、いろいろ調べてみると、この活動はインターンシップと呼ばれており、アメリカでは100年前から企業の採用活動の一環として存在していることがわかりました。同じ頃、鈴木寛さんという通産省の若手官僚(現・文部科学副大臣)に出会って衝撃を受けました。彼から、「大化の改新以来、日本は西から変わってきた。大吾も関西で頑張れ」みたいなことを言われ、「わかりやした!」と。20歳をすぎてやっと、夢らしきものができたんです。

 当時、日本の企業にはインターンシップという制度がなく、私が始めたこの活動が、国内で初めてインターンシップという仕組みを広げることになる。これはある意味、日本を良き方向に変えていくことにつながるのではないかと考えました。そうはいっても、私は大学を卒業したら就職するつもりだったんです。難関突破症候群はそのままで、難しいといわれる業界のトップ企業に行こうと考え、最初にある会社から内定をもらったところで、私の就職活動は終了。インターンシップの仕事も、サークル的な状態でしたから、後輩に引き継ぐ予定だったんですね。ところが、卒業を目前に控えた3月に、内定していた会社の社長が逮捕されてしまった。内定者全員、「どうなってしまうんだ!?」と大騒ぎですよ。さらに、その翌日、私自身が卒業できないことが発覚……。今度はひとりで大騒ぎです(笑)。大手企業から内定もらったのだから、単位が足りなくても卒業させてくれるにちがいないと思っていたんですが、大学はいっさい容赦してくれませんでした(笑)。

 その後、あまりやる気が出なかったのですが、仕切り直しで次年の就職活動を再開。超後発組でしたが、「阪大生」といえば、当時はどんな大手企業でも会ってくれた。面接では、必ず志望動機と自己PRを聞かれますよね。「インターンシップというものを日本に広める活動をしています」と自作の企画書片手に語ると、人事担当者が乗り出してくる。「ご興味があれば、京大、阪大、神大(神戸大)の学生をいくらでも紹介します」。そうやって私の就職活動が、内定ではなく仕事につながり始めたというわけです。もちろん最初から計画していたわけではないですが、だんだん色気が出てきまして(笑)。3年目は確信犯的にそのやり方で、インターンシップの企業営業をしましたよ。卒業後の4年間は休学して、その活動に打ち込み、大学には8年間在籍しています。ちなみにその間、企業だけでなく役所や議員事務所でのインターンシップもできるのではないかと考え、議員インターンシッププログラムもスタート。大学への復学を断念し中退、これらの活動に専念していくことになるのです。

●次週、「NPOを支援するプラットフォームが、日本の寄附文化醸成を促進する!」の後編へ続く→

NPO業界全体をもっと盛り上げなければいけない。
そのために必要なことなら、何だって挑戦したい

<会社の口座残高340円!?>
暗中模索の会社経営でトラブル続出!
黒字倒産寸前の危機も経営者仲間に救われる

  最初は有限会社、その後に株式会社に改組して、企業インターシップ事業を続けましたが、あの頃は、いつもなし崩し的に物事を決めていた記憶があります。会社にしたのも、ある大手システム会社の人事担当者が、「佐藤さん、だんだん取引金額が増えてきたね。これ以上の金額を学生サークルに払うことは難しいから、そろそろ会社にしてよ。」と言われたからなんです。そもそも、インターンシップ事業だってそう。自分自身の就職活動の一環で始めた活動を、やりたいという友だちや会社の社長から頼まれて広げただけ。その後に始めた、議員インターンシップも、今注力しているNPO支援のプラットフォームも、みんな最初は誰かに「何とかならない?」と頼まれたことが始まりなので、自分がどうしてもやりたい!といって始めたことではなかった気がしています(笑)。ただ、それらすべてはなぜか日本で初の取り組みでした。自分でちょっと考えたり、人を支援したことで、人の要望が集まってくると、たくさんのニーズが隠れていたことが見えてくる。結局は、自分がやってみたら面白かったというのが一番ですが、いつも人の相談を聞いてきたらこうなったという感じです。ちなみに、「今度は何をするの?」と聞かれると、「誰に何を相談されるか」によりますね(笑)。
会社の経営も最初はとてもずさんでしたね(笑)。「340円事件」というのがありまして。経理担当アルバイトの女の子がある日、「社長、給料がもらえません」「いやいや、一生懸命働いてくれたんだからちゃんと取ってよ」。「通帳の残高が340円しかないんです」。「マジで!?」という会話に自分で驚愕したという(笑)。その時はたくさん契約があって儲かっていたはずなんですが、まったく資金繰りを考えていなかったんです。結局、お世話になっていた社長に急きょ借り入れをお願いして事なきを得ましたが、本気で黒字倒産するところでした。「末締め翌末払い」といった、請求と入金にタイムラグが存在することすら知りませんでしたから。あとはFAXのカバーレターも会社設立後しばらくして知ったんです。それまでは、そんなものつけず、書類をそのまま送付していました。あるアパレル会社から当社に送られてきたFAXのカバーレターを見た時は、感心するとともに、感動しましたよ。内容をそのまま丸ぱくりさせてもらったくらい(笑)。いや、勉強することだらけでした。

 企業インターンシップ事業は、2001年にある企業に売却しています。ある新聞の発表データに、「東証一部上場企業の3割以上がインターンシップを導入済み」とありました。そのデータを見た時に大きな達成感を感じてしまったことも理由のひとつです。また、インターンシップとは戦略的採用手法であって、企業の真のニーズはインターンシップを導入することではなく、そこから優れた人材を採用することなのだということに気づきました。私は就職活動を3回も経験していますから、学生の気持ちや就職活動はよくわかる。でも、就職したことがないので、企業の採用活動のことはよくわからない。さらに、顧客である企業からは、ホームページの制作や面接のサポートなど、インターンシップとは関係のない採用活動に関するオーダーをいただくようになっていました。そんないくつかの理由から、このままインターンシップ専門会社でいくよりも、採用業務全般に事業領域を拡大すべきだし、そのためには採用業務に関する経験やノウハウを持った会社と一緒に大きくしていったほうが良いと判断したのです。

 そしてその後、しだいにキャリア教育の領域に自分の興味が広がっていき、キャリア教育事業を行うため、二度目の起業を果たすことになります。

<国内初のファンドレイジング支援NPO誕生!>
この国を変えていく起爆剤となるのがNPO。
ファンドレイズという手法でNPO支援に注力

  企業インターンシップの事業は先の会社に吸収してもらい、私は1998年に設立(2000年に法人化)した議員インターンシップのNPO法人ドットジェイピーと、キャリア教育の株式会社ヒューマンデザインオーソリティのマネジメントに注力していました。ある程度ふたつの組織運営を後進に任せられるようになったタイミングで動き出したのが、ファンドレイズといわれるNPOの資金開拓活動の研究です。これももともと、知り合いのNPO法人の方が資金難で困っているという話を聞き、私の経営者仲間をボランティアでマッチングしたことがことの始まり。私自身も、議員インターシップをNPO法人化し、その資金的捻出に頭を悩ませた経験もありましたしね。そして、現在チャリティ・プラットフォームの理事をお願いしている村上世彰さんと出会ったのは、彼がまだ官僚だった1999年頃。「本格的にNPOを支援する活動に取り組もう」という話になりだしたのは2004年からです。

 村上さん曰く、「この国を変えていくためのヒントはNPOだと思う」と。しかし、多くのNPOのリーダーは現場活動が多忙で、支援者を開拓し、ケアするための余力がないのが現状です。何度も村上さんと議論を重ねるうちに、自分たちが「継続して寄付をし続けたいかどうか」という問題が浮かび上がってきました。NPOが寄付者に活動報告することは、株式会社のIR活動に似ています。上場企業は情報を開示することで信用と賛同を得て、株主という支援者を募りますよね。私たちは、NPOにも同じような仕組みが必要だと強く感じました。情報公開をしないままではNPOが胡散臭いと思われるのも当然です。四季報もないですし、帝国データバンクのような調査機関もない。だったら本気でそのインフラを整えようと動き始めた2006年、なんと村上さんが逮捕されてしまった……。でも、その後彼から、「せっかく議論と調査を重ねていたのに申し訳ない。本気でNPO支援をやりたいから一緒にやろう」という連絡が入ったのです。

 確かに、これまでの議論を無駄にしたくなかったし、NPO支援と村上さんの逮捕はまったく関係ありません。そこで当初の予定どおり2007年5月に設立したのが、NPOの活動を支援するNPO、特定非営利活動法人チャリティ・プラットフォームというわけです。まず手がけたのが、信頼できるNPOのデータベース構築ですね。全国に約4万あるNPO法人、2万5000ある財団・社団法人のうち、事業規模の上位6000団体ぐらいを直接訪問して、我々のチームで審査・評価し、そのデータベースを公開し、運営しています。そして、「日本における寄付文化の創造」をミッションに掲げ、データベース運営のほかにも、社会貢献に興味を持つ企業とNPOの架け橋となり、お互いがwin-winとなる社会貢献の関係構築を提案。たぶん、成長が見込まれる企業を探してきて、投資家に出資を募るベンチャーキャピタルに似ていると思います。ただし、寄付したお金は1円も返ってきませんから金銭的リターンはありません。見返りは、「自分が協力したことで世の中が良くなった」という達成感です。

 そして、さらなるベスト・アンド・ブライテストの仕組みを探すために、チャリティの世界の先進国、アメリカとイギリスのマーケットをリサーチする中で出会ったのが、イギリスにある「JustGiving」というインターネットサービスだったのです。

<未来へ~チャリティ・プラットフォームが目指すもの>
日本国内の個人寄付市場をどんどん拡大していく。
寄付大国アメリカ、イギリスを抜き去り世界一へ!

  NPO白書2010年によると、アメリカの寄付市場は約20兆円で、94%が個人からの寄付。一方のイギリスは1.5兆円で、同じく94%が個人。これに対して日本の寄付市場は7000億円で、個人寄付はそのうち30%です。日本でも企業はかなり寄付している。実は我々も設立当初、企業に対して「寄付をしてください」とお願いをしてみましたが、なかなか……。不景気ということもありましたし、寄付するくらいなら事業への投資や、株主への配当、それから従業員への賞与に使いたいという声が多く、100社回ってほぼ全滅という感じでした。そこで、企業からの寄付ではなく、個人からの寄付を集めるために「個人からの寄付集めに協力してください」という方向に舵を切ったところ、80%以上の企業が賛同してくれた。
それは、募金箱を設置してもらう、寄付が付いた商品を開発・販売してもらうという方法です。ちなみに、先に話したイギリスの「JustGiving」は、10年前にスタートしたインターネットサービスですが、すでに約1200万人が参加し、年間で約300億円の個人寄付を集めるサービスに成長しています。

 そこで、個人向けの寄付文化創造を促進するために、「日本でこれをやらせてほしい」と提携を持ちかけ、1年以上の交渉を経て合意に至り、今年(2010年)の3月9日、日本版サービスをスタートさせました。これも、「寄付してください」ではなく、「寄付を集めてください」のやり方です。今年(2010年)の24時間テレビでははるな愛さんが走ることで、視聴者から数億円の寄付が集まりましたよね。その寄付金が障害者支援、福祉支援に回るのですが、JustGivingというサービスは「誰でもはるな愛さんのようにNPOのために寄付を集めるファンドレイザーになれます」というネットサービスです。
すでにたくさんの方に賛同いただいていて、元プロ野球選手の古田敦也さんや、元マラソン選手の有森裕子さんにも協力いただいています。古田さんは、もともとニートなどの若者自立支援のNPOにかかわっていて、そこを応援するために人生初のトライアスロン参加したんですよ。古田さんにトライアスロン参加とJustGIVING上でのファンドレイジング活動をお願いした時に、「大吾、おまえもやるんだろうな?」と(笑)。私も同じくトライアスロンを始め、JustGiving上でファンドレイジングをしています。

 そういう仕掛けをこれからどんどん展開していきたい。「なぜ寄付をしないのか?」という質問に対して、上位にくる答えが「不信感がある」「頼まれていないから」という調査結果があります。私たちの頑張りで、これらの障壁をできるだけ早く壊していきたいです。現在(2010年11月)、「JustGiving Japan」への寄付総額は、8カ月経過時点で約2000万円。すでにイギリス本国の「JustGiving」の1年目の1400万円を上回っているんですね。今では年間300億円の寄付を集める英国JustGivingから「ロケットスタートじゃない? 人口もGDPもイギリスの2倍なんだから当然よね。」と言われました(笑)。

 何にせよ、チャリティ・プラットフォームおよび「JustGiving Japan」の目標は、早く黒字を実現するということ。イギリスの「JustGiving」は黒字化まで8年かかっていますが、私たちは3年後の実現を目指しています。その先は、派手なことを言いますが、イギリスを抜いて世界一になる。日本は、人口、GDPともにイギリスの倍ですから、負けている状態のほうがおかしいじゃないですか(笑)。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
やりたいことが見つからない人は、
夢を持っている人のそばにいることです

  本音を言えば、起業を考える際に、NPOという分野に興味を持ってほしいと思ってはいます。頭の中に一瞬でもいいから思い浮かべてくださいと。ただ、企業で求められるスキルと、NPOで求められるスキルにほとんど違いはありません。NPO経営に求められるスキルが10あるとすれば、9.5までは企業で求められる経営スキルと一緒です。NPOならではの部分は0.5程度だろうと。私は両方の経験がありますから、そんな実感を持っているんです。何が言いたいかというと、NPOはまだ成功事例も少ないですし、研究されつくしていない部分も多いので、勉強しようと思っても情報が少ないため難しい。だったら株式会社の中で、そのスキル、仕組みを勉強したほうがいい。そのうえで、NPO経営に興味があったり、NPOでしかできない仕事なのであれば、ぜひやってみてほしい。そんな考え方です。それがひとつ。

 もうひとつ重要なことがあります。NPO法人、株式会社、財団法人、社団法人といった法人格は、やりたいことが決まって、最後の最後に決めればいいと思います。法人格は乗り物みたいなもの。達成したい成果のために、一番有利な乗り物を使いましょうということ。たとえば、東京から博多まで行くとしましょう。飛行機か新幹線か、車で行くか、行く場所を決めた後に決めますよね。たまに「NPOやりたんですけど、どうすればいいですか?」という質問をされますが、とても変な質問だなと思ってしまいます。私は、株式会社の有利なポイント、NPOの有利なポイントをかなり研究しました。日本のNPOはまだまだ不完全ですし、これからもきっと仕組みが変わっていきます。一方、株式会社はかなり研究されてますし、多くの成功事例もあります。そういった意味で、本当にやりたいことが決まっていて、どうしてもNPOというわけでないのなら、まずは株式会社を検討してみるのがいいのかもしれません。

 最後に、何をやりたいのかが見つからない、昔の私のような「夢なし君」へのメッセージです。すべて自己体験からのアドバイスなのですが、ひとつはお金を貯めておけということ。やりたいことが見つかったら、本も読みたくなるし、人とも会いたくなるし、やはりお金がかかりますから。やりたいことが見つからない時に、できるだけ貯めておいたほうがいい。もうひとつは、本を読んでおくこと。自分にやりたいことを問いかけてわからないのなら、外部に求めるしかない。本には他人の考えや人生ががいっぱい書いてあるでしょう。それを読んで、自分もそう思う、自分はそう思わないと考えてみる。それがオリジナリティを育てることにつながると思うんです。オリジナリティは比較からしか生まれないんです。あとは、友だちをたくさんつくっておくこと。ひとりでできることなんてあまりないですからね。私なんて、大学時代につくった人脈のお釣りでいまだに生きています(笑)。最後は手前みそですが、インターンに行きましょう。やりたいことを見つけた人、夢を持っている人のそばにいると、「僕はどうだろう」と考える機会が増えます。このことが、自分のこれからを考えるうえで、とても大切だと思います。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓

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