地ビールから脱却し、1ブランドを確立した「コエドブルワリー」

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: 長谷川 浩和

洗練されたデザインと違いを楽しめる5種類のビールができるまで。
展開している事業内容・特徴

coedobrewery1COEDOビールをご存じだろうか。東京・池袋から電車で小1時間、江戸の台所として栄えた埼玉県川越市にあるのが株式会社協同商事 コエドブルワリーだ。

COEDOビールのラインナップは、「COEDO 紅赤 -Beniaka-」、「COEDO 瑠璃 -Ruri-」、「COEDO 伽羅 -Kyara-」、「COEDO 白 -Shiro-」、「COEDO 漆黒 -Shikkoku-」の5種類。日本の伝統色を名前に冠しており、美しいフォルムのボトルと品のある5色のラベルも秀逸。そんなデザインの美しさに加え、ビールをグラスに注げば、それぞれの違いを液体色、香り、味覚で堪能できる。ワインや日本酒を飲むような楽しみ方ができ、かつ身構えずカジュアルに飲めるのがこのビールの本来の姿であるという。

2007年、「紅赤」と「瑠璃」という2つのビールがモンドセレクション最高金賞同時受賞という華々しいデビューを飾り、当時は生産が追いつかないほど爆発的に売れた。

しかし、それまでの道のりは決して平坦ではなかった。経営難、ビール事業存続の危機、「地ビール」「観光土産」からの脱却といったさまざまな困難に直面してきた。果たして、その成功の裏には、どのような戦略があったのか。義父に請われて協同商事に入社し、事業の立て直しの指揮をとった朝霧重治氏に話を伺った。

廃棄されていた規格外の青果物を生かした地ビールでブームに乗ったものの苦労の連続。
ビジネスアイデア発想のきっかけ

コエドブルワリーの経営母体である協同商事は、有機野菜に特化した産地直送商社である。同社がビール事業に乗り出したのは、毎年大量に処分されていた規格外の薩摩芋や、連作障害を避けるために緑肥として栽培された麦を有効活用するためだった。「イモ焼酎があるなら、芋でもビールがつれるのではないか?」という着想が出発点である。

ドイツからマイスター(ビール職人)を招聘し、5年をかけて職人を育成。その結果、品質はドイツ大使館御用達となるほどに。一時は地ビールブームに乗り、当時の工場では手狭になるほど売れたが、ブームが過ぎれば鳴かず飛ばず。ブームの終焉とともに完成した新工場への設備投資が経営を圧迫するようになった。工場の稼働率を上げるために、次々とさまざまな味の地ビールを開発したり、安価な発泡酒にも手を広げるなどの試行錯誤も実らず、どれも起爆剤とはならなかった。逆に手を広げすぎたため、小江戸ビールが持つビールメーカーとしての「顔」も見えなくなってしまっていた。

そのような状況のなか、2003年に朝霧氏は副社長に就任し、事業全体の立て直しを開始する。まず着手したのが、赤字経営だったさまざまな事業を取捨選択していくことだ。この過程でビール事業を残す決断をした。というのも、ビール職人直伝のノウハウが経験として蓄積され、一つの個性を持った確かなものに成長しつつあると感じたからだ。そこで、「どう立て直していくか」が問題となった。

事業再生への第一歩は、種類の見直しとデザイン刷新

coedobrewery2朝霧氏は学生時代にヨーロッパを旅したことがあり、その際に立ち寄ったバーで「ビール」と注文したところ、「どのビールが飲みたいのか?」と一生懸命に、そして楽しげに種類を説明してくれたバーテンダーとのやり取りを思い出した。ビールの世界は奥深くさまざまな味があり、本当は楽しい飲み物のはず。しかも、本場のビール職人からその製法を伝授された小江戸ビールは、味、品質ともに申し分ない。

問題はいかに多くの人にそのことを知ってもらうか。これまでは観光地の土産物という存在に過ぎず、本当のビールの面白さを世に伝えてこなかった。お客様がわくわくするようなこだわりと品質をもったエキサイティングなビールをつくるビールメーカーになろう! 100種類にも上る製品の顔はバラバラで、一貫性がないなど、反省点がいくつも見つかった。

そして、一つひとつ課題を抽出し、細かな対処方法を考えて、反省点をすべてやり直してもダメだったら撤退しようという決意のもと、事業再生に乗り出した。

2004年春から着手した最初の見直しは、100種類にものぼる製造実績のあったアイテムの絞り込みである。ビールの味わい深さを楽しんでもらうには、多すぎても少なくてもよくない。熟考の末、残したのは5種類。そして、地ビールのイメージから脱却するために、ラベルデザインを刷新することにした。

デザイナーを探していた時に出会ったのが、コエドブルワリーのプロダクトデザインを手がけた、エイトブランディングデザインの代表兼デザイナーの西澤明洋(あきひろ)氏である。

地ビール、観光土産というイメージからの脱却

こうしてでき上がった5種類のビールで、2006年10月13日、観光地川越が連想される地域の相性を冠した「小江戸ビール」から、新しいCOEDOとして再出発を切った。当時、10月にビールの新商品を出すことは珍しかったうえに、全種類同時発売。ビールマーケットでのポジションも、それまでの地ビールから新たに「クラフトビール」と位置づけたブランドを構築していくことにした。しかし、多くの人が「クラフトビール」という言葉を初めて聞く状態。消費者側にも百貨店など販売側にもそのようなカテゴリーはなかった。

当然のように発売当初はまったく売れなかった。少人数で運営するコエドブルワリーでは、全国に営業をかける手段もなければ投資できる資金もない。だからといって何も手を打たなかったわけではなかった。朝霧氏はプロダクトの見直しをしている間も、小規模のプロジェクトをつくっては、市場で実証実験を繰り返していた。そこで、気づいたことが2点あった。

1つは、自分の目利きに自信を持っている日本人は少ないが、知人の反応や著名人などが発言したことを信用する傾向が強いということ。

2つ目は、商品に適したチャネルで、買い場の担当者に商品コンセプトをしっかり理解してもらうと起爆力となる。

こうしたデータを着々と揃えていた朝霧氏は、「大々的に費用をかけて宣伝する余裕はないが、認知度の高い賞を受賞すれば消費者に受け入れられる」という結論に至った。日本人は海外での評価に影響されやすい傾向があるため、海外の賞に出品しようと計画。品質、味には自信のあったCOEDOをモンドセレクションに「確信的に」出品した結果、見事、最高金賞を2商品で同時受賞したのだ。

こうして知名度を上げたコエドブルワリーは、世の「プレミアム」ブームにも乗り、爆発的な売り上げを記録する。

「選択しない」勇気を持つこと
将来への展望

朝霧氏は、義父が経営する協同商事に請われて入社したが、彼自身の人生プランでも、サラリーマン生活は3年ほどで卒業しようと学生時代から考えていたという。自分自身を「現状に甘んじないタイプ。自らアクションを起こして失敗したり、厳しい状況に陥ったりしてもあまりストレスを感じず、前向きに対処していくタイプ」だと分析する。

大学も最初は経済学部に入学したが、もっと実践的な学問を学びたいと商学部へ転部している。卒業後の就職先でも、3年後には「勤めていない」という選択をしていただろう。そんな、「やらない選択」をずいぶんしてきたのだそうだ。それは、コエドブルワリーを再生する際にも発揮された。しかし、同じ「やらない選択」でも、決して後ろ向きなものではなく、常に前に進むための選択でもあった。

「ベンチャービジネスでは、あれもこれもやろうとしてもできません。八方に手を伸ばしたくなりますが、拡充することよりも『これはやらない』と割り切ることが大切です。それができたら、あとはもう大丈夫ですよ」と朝霧氏は語る。

起業に大切なのは、規模でも金儲けでもない。本当に必要なものとは?

もう一つ大切なことは、会社の存在意義と社会的意義だ。朝霧氏は大手企業に勤めた経験がある。そこでは事業所ごとに独立採算制をとっていたため、1つの事業所にすべての部署・機能が揃っていた。そして、プロジェクトにさまざまな職種のスタッフがかかわり、力を合わせて事業を成功に導いていく。会社運営も、それと同じプロジェクトなのだということを学んだ。

「大切なのは会社の規模でも、金儲けでもありません。確かに利益追求は大切です。ただ、それ以前になぜ会社として存在しなければならなかったのか。集団でなければできないという理由づけと、『こういうことを実現する』という明確な存在意義。つまりほかの会社がやっていない、やれないことを、自分が実現するというものが見つかったら、トライしてみる価値があると思います」と語る。

コエドブルワリーを再生した際は、一気に知名度が上がり、生産が追いつかないほど爆発的に売れた。見事V字回復を果たしたわけだが、その後は大きく売り上げを伸ばすことよりも、少しずつ、継続的に売り上げを伸ばすプロセスを大事にしているそうだ。

今後もいたずらに種類を増やす予定はないという朝霧氏。毎年の麦の状態や消費者の嗜好を考えた味の微調整は絶えず行われ、ブランドとしての品質の維持と技をブラッシュアップさせていく試みは今も続けられている。COEDOビールの静かな成長戦略に、これからも注目していきたい。

株式会社協同商事 コエドブルワリー
代表者:朝霧重治 社員:70名
設立:1982年 URL:http://www.coedobrewery.com/
年商:22億円
事業内容:クラフトビール「コエド」の製造販売事業
メッセージ:日本のビール市場は1999年をピークに縮小し続けている市場で、規制緩和で誕生したマイクロブルワリーは産業とは言えないレベルの立ち上がりでした。日本にはアントレプレナーは不在とはよく言われるところですが、我々のようなマーケットにも機会はあるのです。Change=Chance、以前と比べるとスモールビジネスにとってやりやすい環境でもあります。かつての日本の商人がもっていた「三方よし」の精神で共にポジティブにいきましょう。

当記事の内容は 2011/12/8 時点のもので、該当のサービス内容が変わっていたり、サービス自体が停止している場合もございますので、あらかじめご了承ください。

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