第107回 夢展望株式会社 岡 隆宏

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

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第107回
夢展望株式会社 代表取締役社長
岡 隆宏 Takahiro Oka

1961年、大阪府生まれ。1985年、関西学院大学商学部卒業後、大手企業に就職するも、半年で依願退職。その後、レンタルCD・ビデオ事業などを展開する中小企業へ再就職。小売り、卸、メーカー業務を担当し、それぞれの長所、短所をくまなく知る。1998年に独立・起業。OEM事業を主とする、夢展望株式会社(旧・ドリームビジョン)を設立し、代表取締役に就任。当初は、ゲーム、トレーディングカード、フィギュアなどの玩具を扱っていた。その後、いくつかの事業を手がけ、2006年より、ファッション、アパレルのネット販売事業に特化。中国の縫製工場との直接取引による、自社プライベートブランド大量生産を行なう、「製造ネット小売業」という新業態を構築。「圧倒的な品揃え、激安価格、買いたくなる画像」が、20~30代の女性F1層から圧倒的な支持を受け、2008年度に黒字化。2009年9月期の年商46億円。そのうちモバイルからの売り上げが約80%を占め、今年度も50%以上の成長を見込んでいる。

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ライフスタイル

好きな食べ物

ラーメンです……。
ラーメンが好きですね。あっさり系のしょうゆ味が。大阪発祥の「どうとんぼり神座(かむくら)」とかが好みです。うまいですよね。お酒はプライベートではほとんど飲みません。でも、2カ月くらい先まで社員との飲み会が決まっています。肝臓のケアをしっかりしないと。「僕に何でも意見言っていいよ」という会ですね。

趣味

ゴルフです。
だいたい日曜日は妻と一緒にゴルフ。平日はしない、接待ゴルフにもほとんど行かない。ゴルフは思いどおりにいかないところがいいですね。自然との闘いですし、運不運もある。なんとなく商売に相通ずるスポーツという気がしています。そういった意味では、精神鍛錬になるし、僕にとっては修業みたいなものなのかもしれません。

行ってみたい場所

オーガスタです。
アメリカはジョージア州、マスターズ・トーナメントが開催される「オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ」に一度行ってみたいですね。プレーは無理でしょうが、マスターズの観戦でもいい。国内なら、昨年行った宮古島。土地柄も人柄も良く、ホテルも最高でびっくりしましたよ。ただ、ホテルの値段にもびっくりしましたけど。高くて(笑)。

最近感動したこと

『ポップティーン』の記事です。
50万部売れている、女性向けの『ポップティーン』という雑誌があります。発売日まで知らなかったのですが、「読者1000人に聞いた! No1・ECショップ発表」という記事が出たんです。第1位は……「おいおい、うちやんけ!」(笑)。2位の「SHIBUYA 109 NET SHOP」に100票以上の差をつけ、ダントツの1位でした。感動しました!


「安可愛の神!」「神的通販!」。その勢いは止まらない。
激安ファッションアイテムで、女性のハートをゲット!

 競合は、存在しない――。「製造ネット小売業」という新業態を構築し、20~30代の女性F1層の会員数が190万人を超える。掲載ファッションアイテム数5300点強。毎月の投入新商品、400~500点。今も爆発的な勢いで急成長を遂げている、ファッションアイテムのネット通信販売企業、夢展望株式会社。従業員数208名、平均年齢28歳。女性比率は75%だ。夢展望を創業し、陣頭指揮を取るのが、岡隆宏氏。2006年に同社がアパレルビジネスに参入するまで、実は岡氏はまったく別の事業を手がけていた。そんな氏は言う。「僕はこのビジネスにたどり着くまで、ずっとエンターテインメントに関わる仕事をしてきました。どんな商売であっても、楽しくないとお客さまは来てくれないと思っています」。今回は、そんな岡氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<岡隆宏をつくったルーツ1>
目立ちたがり屋で、子分いっぱいのガキ大将。母の口癖は「目指せ大手企業のサラリーマン」

 うちの親族には、サラリーマン家庭がないんですよ。父も建設関連事業を営む自営業者でした。とても子煩悩な父でして、子どもの頃、休日はずっと一緒に遊んでくれた。トランプやったり、キャッチボールしたり。絶対に家に仕事を持ち込まない人で、仕事の愚痴もいっさい聞いたことがない。あれやれこれやれなんて言わずに、自由にさせてくれる。そんな父を僕は尊敬していました。母は真逆でして、しつけや勉強にかなりうるさかったですね。今考えると、いいバランスの両親だったと思います。そんな母は、自営業の不安定さがわかっているから、いつも僕に「大人になったら、大手企業のサラリーマンになりなさい」と言っていました。ちなみに妹は無事にサラリーマンの夫と結婚し、東京で幸せに暮らしています。

 目立ちたがり屋でしたね、僕は。子分がいっぱいいて、まあ、ガキ大将ですよ。先生をちょっと泣かしたこともあるし。そうそう、僕は小学生時代、一度も席替えしたことがなかったんです。いつも最前列の教壇のすぐそば。いわゆるVIP席(笑)。それだけ先生に目をつけられていた。ただ、勉強はそれほど好きじゃないけど、普通にできていましたよ。要領がいんでしょうね。テスト前は一夜漬けどころか朝漬けで、なんとか普通の成績を保っていましたから。遊びはドッジボールにはまっていました。朝7時に学校に着いて、グラウンドの陣地を取って、チーム対向で勝負する。あれは楽しかったですね。

 あとは仲間を引き連れて、自転車で遠出したりね。片道3時間くらいかけて、山や川まで遊びに。計画なんてしないから、いつも帰りが遅くなって大変でした。中学では担任の先生が素晴らしい人で、頭ごなしに叱る人ではなく、ほめて伸ばすというんでしょうか。その先生が大好きでしたね。今では僕の息子が通う中学の校長先生になられていて、30年ぶりに再会したんです。僕の顔を見るなり、名前、住んでいた町、妹のことまですぐに思い出してくれて、感動しました。「先生、30年ぶりですし、教え子も数百人いたのに、すごい記憶力ですね」「そりゃあ、君のことは忘れられないよ」と。確かに、いろいろご迷惑をおかけしましたからね(笑)

<岡隆宏をつくったルーツ2>
大学の学園祭で、商売の面白さを体感。アルバイト先で、掛け算ビジネスの魅力を知る

 中学では帰宅部。部活動って嫌いだったんです。特に上下関係がイヤだったから。友だちとゲーセンやボーリング場で遊んだり、あと、ビートルズはまりました。ノートに英語の歌詞を書いて覚えてましたからね。この頃の夢ですか? ほら、コンサバな母から「大手企業のサラリーマンに」ってずっと言われていたでしょう。だから、夢はそれですよ。高校は、大阪府立渋谷高校に進学。楽天の中村紀洋選手や、イモ欽トリオの長江健次さんが後輩です。半分が進学、半分が就職という感じの学校でした。高校でも相変わらず帰宅部で、友だちとつるんでばかり。ちなみに恋はですね、バス通学の途中で出会ったすごくかわいい女の子にほれたんですが、結局、思いを伝えられず終わってしまいました。

 僕は一浪しているので、予備校に通っています。それまで成績の順位って気にしたことがなかったのですが、予備校ではランキングがわかるでしょう。人生で初めて自分の成績のランクを知って、それからは燃えましたね。必死で勉強しました。自分で目標を決めて、それに向かって頑張ることが好きなんです。そして無事、関西学院大学の商学部に合格することができました。サークルはテニス同好会と広告研究会に所属。3回生の時に、学園祭の模擬店の店長を任されたんですよ。他団体のブースでは、とうもろこしとか、焼きそばとか、1種類の食べ物しか出さないところ、僕は、いくつかの食べ物を売ることに。これが予想を超える大当たり。だんどりをしっかり組んで、人をうまく使って、売り上げ的にも大成功。翌年の学園祭では、他団体もみんな真似していましたね。この経験が、僕に商売の面白さを教えてくれたんです。

 あと、小売りも行うレンタルCD・ビデオ店と家庭教師のバイトもしてました。家庭教師はフリーペーパーに自分で広告を出して、たくさんの応募の中から、羽振りの良さそうな自営業の家庭を選んでね。2、3人の生徒を掛け持ちして、月に20万円くらいは稼いでた。でも、家庭教師って、自分ひとりが商材ですから、ある意味1+1の足し算の商売。でも、小売業って多店舗展開できるし、人を育てれば、掛け算的に拡大できる商売でしょう。そのことに気づいてすぐに、家庭教師をすっぱりやめて、レンタルCD・ビデオ店のバイトに専念しました。経済的にはかなり苦しくなりました(笑)。でも、2年間続けて、最終的には店長クラスの仕事も任せてもらった。商売の基本は、この時に学ばせてもらったと思っています。

<就職先を半年で退社>
母に泣かれるも、大手企業を依願退職。大学時代にバイトした会社に再就職

 商売の面白さを知ったとはいえ、母のたっての希望がありますからね。就職しなければと。僕はマーケティングのゼミに所属してたんですが、そのゼミのOB・OGを招いた会社説明会を開催したんですよ。今では当たり前ですが、当時はこれがゼミ仲間の学生にも、先輩たちが勤める会社にもかなり喜ばれましてね。僕も、自分で企画したその会社説明会を通じて、あるOBが勤務する一部上場企業A社に就職することになるんです。もちろん、母は喜びましたねえ。先ほど話をした模擬店の成功も、小売業でのバイトも、この会社説明会もそうですが、結局僕は、仲間を集めて一緒に盛り上がったり、喜んでもらうことが好きなんですね。父が建設業の経営者だったでしょう。職人をガチっと束ねて仕事をするうしろ姿を見て育っていますから、少なからず影響を受けているのかもしれません。

 大学を卒業後、大手企業のA社に入社してみたら、新卒同期数十人のうち、私立大出身者は僕を含めて数人のみで、あとは東大を筆頭としたトップクラスの国立大出身者ばかり。そして半年間の研修期間中に、あることがわかった。まず、東大派閥がかなり強いということ。さらに、給与テーブルが卒業大学によって数年先まで決まっているということ。福利厚生は最高で、居心地も良かったのですが……。でもこれじゃあ、いくら頑張っても出世できそうもないし、将来に夢が持てないでしょう。研修期間が終わったらこの会社を退社しようと、早々に決めました。だから、僕は入社から半年で、就職した会社を辞めているんですよ。母は、もちろんがっかりしましたよねえ(笑)。

 で、どうしたかというと、大学時代にバイトでお世話になった、レンタルCD・ビデオ店の展開、ほかゲームや玩具の卸、製造も行う会社に戻って社員になりました。ここで僕は、チェーンオペレーション、取引先との交渉や組織づくりなど、幅広い仕事にかかわることになります。計13年勤務しましたが、最初の7、8年は小売部門を、その後の6年間は卸部門とメーカー部門を3年ずつ担当。小売り、卸、メーカーとすべてに携わりましたが、商売の川上から川下まで、それぞれの長所と短所をくまなく体感しましたね。そうこうしているうちに、店舗数が20店舗くらいになり、人も増え、会社が大きくなって、自分の自由度が効かなくなってきた。サラリーマンはリスクが少ないけど、決裁権がありません。そこに窮屈さを感じ始めたんですね。「じゃあ、思い切って独立するか」と決めたのが、1998年のことでした。

<「SARS」被害>
順調な成長が、香港で起きた事件でストップ。国内でできる、新たな事業の柱を模索する

 景気も悪かったですし、大人数でやるのもどうかと思っていたので、最初は僕も含めて5、6人の仲間で夢展望(設立当初の社名はドリームビジョン)をスタート。ゲームやフィギュア、トレーディングカードなど、ホビー関係の商品企画&OEM製造会社ですね。営業には自信がありましたし、頭の中には、アイデアがくさるほどありました。僕が社長で営業責任者、企画と生産を仲間に任せ、すべてを自分で即断即決。香港に貿易会社を置いて、製造は中国の工場です。立ち上げから5年くらいはこのビジネスは順調に伸びていきました。でも、2003年、香港でSARSの最初の感染者が出てしまった。しかも、なんとその患者が当社の香港拠点のビルに勤務していたんです。社員の家族からは「絶対に香港に行かせないで!」と懇願されました。当然ですよね。

 僕にとって、社員もその家族も大切な存在ですから、もちろん行かせたくはなかった。でも、社員たちは「クライアントに迷惑をかけられないでしょう」と、自主的に行ってくれました。そんな彼らが、命がけで香港から持ち帰った商品サンプルをクライアントに届けに行ったら、「潜伏期間中は来社しないでください」と……。商売にならないわけです。さらに為替レートが急変し、1ドル80円の円高に。まさに、泣きっ面に蜂ですよ。必死で貯めていたドルの価値が目減りしていく。カントリーリスクの怖さを痛感しました。そもそも、商品企画&OEM製造ビジネスは、そんなリスクをはらみながら、それほど高い収益力があるわけでもない。「国内でできる、新たな事業の柱をつくらねば」と考え始めることになります。

 そう思い始めてからすぐ、半年くらいの間に異業種交流会や勉強会に参加し、いろんな人と会いまくりました。当時は癒しブームで、酸素バーやアロマテラピーがはやってた。そんな折に出会ったのが、錠剤を水に入れると香りと酸素が生まれるという商品です。その開発者と契約し、僕がパッケージデザインを考え、販路を開拓。テレビや雑誌にどんどん取り上げてもらい、爆発的に売れました。電話回線がパンクしましたからね。その後、今度は京都で環境にやさしい石けんをつくっている職人さんと出会い、この石けんの販売をお手伝い。これも売れに売れました。いい商材を持っているけど、売り方がわからなくて困っている。そんな人と組むビジネスです。ただ、これでは他力本願。川上から川下まですべて自分たちでコントロールできる、垂直統合型のビジネスはないかと模索し始めた時、いわゆる「ネット問屋」の存在を知るんですよ。

●次週、「ファッション業界初! "製造ネット小売業"のパイオニアとして急成長!」の後編へ続く→

「製造ネット小売業」という新業態を武器に、
アジアナンバーワンのファッションサイトを目指す

<ネットビジネスへ>
グルメ、オークション、ブランドは撤退。4枚目の切り札、アパレルでの勝負を決意

 アロマ&酸素の錠剤や石けんを売っていたら、2、3社大口の取引先があったんです。調べてみたら、それが「ネット問屋」だった。売れそうな商材を仕入れて、商材を探しているECショップに卸販売するという。僕たちはある意味メーカーで、卸問屋に定価の40%くらいで販売し、卸問屋はECショップに定価の50%くらいで卸す。在庫、売り掛けリスクがあって、広告費も必要な僕たちが一番大変なのはおかしい。だったら、メーカー機能を持ったECショップになれば、中抜きされずに利益が増える。「これだ!」と。2005年でしたか、そんな仕組みのビジネスに転換したのは。ダイエットコスメなどを中心に扱い始め、また業績が上向き始めたのですが、1年後くらいで薬事法が改正され、規制が厳しくなりダイエット系の商材が売りづらくなった。クレームも多くなり、社員の顧客対応業務も煩雑に。いくら儲かっても、社員が楽しくないと事業は続きません。

 そこでまた方向転換を強いられたのですが、すでに10万人くらいの会員がいたんですよ。そのほとんどが女性です。何を提供したら彼女たちが喜ぶか、いろんな試行錯誤が始まります。グルメ通販、ブランド品通販、オークションと検討し、実行に移しましたが、どれも大失敗。でも、ある国内ブランドに足しげく通い、オーナーに直接取引をお願いした、「くしゅくしゅブーツ」が、数千足の単位で売れた。「ネットで靴が売れるわけがない」と誰もが反対しましたが、「サイズが合わない場合のみ交換します。その際の送料も負担します」という安心材料をつけ販売を開始。そして、ふたを開けたら、自分も驚くほどの大成功ですよ。ここから、ファッション業界初の「製造ネット小売業」としての展開がスタートするのです。

 それが2006年のこと。それからは、お客さまとの対話を繰り返しながら、商品ラインナップを増やしていった感じでしょうか。「お気に入りのブーツを手に入れたら、それに合う、服、バッグもそろえたい。トータルコーディネートで展開してほしい」という声が、お客さまから届き始めたのです。それを当社のバイヤーに伝え、最初は商社や問屋の協力を仰ぎながら商品を増やし、徐々に自社でデザインした商品を投入していきました。製造は中国の提携工場に大量発注をかけることで、劇的に安い価格を設定。渋谷の109で販売している同等の商品の半値以下と考えてもらえば、その安さがおわかりになるでしょうか。さらに、有名女性ファッション誌にタイアップ広告を打ち、認知度を高める戦略も実施。加速度的に会員が増えていきました。

<3年目の黒字化>
「ウルトラ美脚ストレッチスーツ6点セット」。1万円ぽっきりの激安価格で6万着強を販売!

 2007年に大ヒットアイテムが生まれました。スカート、パンツ2本、ジャケット、ブラウス、ベルトがセットになった「ウルトラ美脚ストレッチスーツ6点セット」。価格は1万円ぽっきりです。6万着を超える販売数となり、2008年には初の黒字化を達成しています。商品が売れ、大ヒットが生まれることはもちろん嬉しいのですが、在庫管理と配送業務が急激に増加し、僕も社員も大変な思いをしましたよ。配送作業をWebデザイナーやバイヤーなど、社内のみんなに手伝ってもらって、僕なんてぎっくり腰になりましたし(笑)。まさに物流との戦いでしたね。会社の急成長に社員の成長がついていってないというか、みんなにつらい思いをさせてしまったことは反省しています。

 ちなみに、2009年9月度の年商は約46億円です。夢展望のショップには、パソコンとモバイルでアクセスできますが、売り上げの約80%はモバイルからなんですよ。モバイルの画面って小さいでしょう。銀行からは「携帯で服を買うわけがない」と言われ、気持ちいいくらいに融資を断られました(笑)。ベンチャーキャピタルは僕の戦略を理解してくれ、出資してくれましたけど。まあ、やってみないとわからないのですが、ECショップの商流は確実にモバイルにシフトしています。近い将来、パソコンでの販売はやめるかもしれないですね。ECは衝動買い。でも一度でも衝動買いしてくれたお客さまはリピーターになってくれます。その購買行動に、モバイルはぴったりなんです。現在の掲載アイテム数は5300点強。月間に400~500アイテムの新商品が追加されています。平均価格は3000円ほど、お客さまの平均年齢は26歳くらいですね。

 僕はこのビジネスにたどり着くまで、ずっとエンターテインメントに関わる仕事をしてきました。どんな商売であっても、楽しくないとお客さまは支持してくれないと思っています。「圧倒的な品揃え、激安価格、買いたくなる画像」。この3つが、お客さまに買い物を楽しんでもらうためのこだわりです。特に、画像にはうるさいですよ。スタートから3年間は赤字続きでしたが、Webデザイナー増員と撮影に関しては専用スタジオを設けるなど、どんどん投資を増加させていきました。普通の会社なら、真っ先に削る経費なんでしょうけど。先ほども話しましたが、ECは衝動買い。今、動画にも注力し始めていますが、画像がきれいで楽しければ洋服だって生きてくる。衝動買いの機会は、それによって確実に増えるのです。やっぱりエンターテインメントの仕事が、今でも僕は大好きなんですね。

<未来へ~夢展望が目指すもの>
Eコマース、広告、課金という、3本の柱をしっかり育て、成長を継続

 夢展望の会員数は、現在190万人。そのほとんどが20~30代の女性という、いわゆるF1層です。当社は女性ファッションのカテゴリキラーであり、優良な顧客層をセグメントできています。ちなみに1日のアクセス数は、500万ページビューです。その中には、男性はいないし、おじいちゃん、おばあちゃんもいません。媒体としての価値、信用度もうなぎのぼりで高まっており、ドコモ、au、楽天、ビッダーズの女性向けアパレルショップ内ですべて売り上げ1位。ここまで成長してくれたメディアの力を生かさない手はないでしょう。今後は、Eコマース、広告、課金という、3本の柱をしっかり育てていきたいと考えているところです。

 Eコマースと広告は言わずもがなですが、課金ビジネスも面白いですよ。なにせ、80%の売り上げがモバイルからですからね。いろんなコンテンツを開発して毎月315円の利用料をいただく。その代わり、モバイル会員しか買えない限定アイテムや先行販売、セール価格を用意したりすることで、利用料の元が取れるような仕組みを将来的に作っていきたい。また、アンケート機能をスタートさせたのですが、セグメントされた190万人にわずか2時間でリサーチができる。そして、多い時には1000~2000人のフィードバックがあります。これによるマーケティングリサーチビジネスも可能でしょうし、そもそも、お客さまから当社へのご要望を直接聞くことができます。未来に向けて、お客さまと対話しながら、客さまに楽しんでもらえる商材をラインナップしていきたいですね。

 海外展開としては、昨年秋に台湾、今月(2009年4月)に上海へ進出。来年あたりに韓国への進出を計画しています。もちろんその先はさらなるワールドワイドな展開もあるでしょう。日本の「カワイイ文化」は、今や世界中が注目していますから。雑誌などとのクロスメディア戦略も今以上に仕掛けていきたいですし、夢展望MOOK本もそのうち出してみたい。やりたいことは山ほどありますが、やはり大切なのは人材です。外部研修を増やすなど、社員教育に力を入れていますが、それでも事業成長のスピードのほうが早い。だから、よりお客さまに楽しんでもらえるよう、夢展望の事業に力を貸していただけるブレーンを常に求めています。社員というかたちでも、協力会社というかたちでもかまわないと思っています。「我こそは!」、と思った方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡を!

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
7回失敗しても8回目に成功すれば帳尻は合う。
70%の勝算があるなら、ぜひ起業にチャレンジを!

 僕の座右の銘は「七転び八起き」。7回失敗しても8回目に成功すれば帳尻は合うんです。もちろん、バクチのような勝ち目のない戦はダメですが、70%くらいの勝算があるのなら、起業にチャレンジする価値があると思います。「くしゅくしゅブーツ」も、「モバイル販売」も周囲から反対されましたが、まだITは始まったばかり。やってみないと結果がわからないことって、たくさんあるんですよ。ただ、ダラダラやるのはいけません。一気に死に物狂いでトライすること。そしてダメだと判断したら、きれいに幕を引く。引き際が大事なんです。僕も、メンズファッションに手を出して大損し、オークションも大失敗。石の上にも3年とよく言いますが、2年かな。2年経って、人材、市場性、目標予算のうち1つでもダメなら、スパッとやめること。社員の手前カッコ悪いですが。

 僕の周りの苦しんでいる経営者を見ると、だいたいが、まずい状況なのに3年とか4年とか踏ん張っている。それで経営者自身が傷ついて、社員に逃げられて、取引先から信用を失うという……。だから2年を限度に、必死でやってみてください。そうそう、グルメ通販を始めた時、冬にカニ鍋セットを販売したんです。そしたら大雪で、お客さまに商品が届かない事態となった。誕生日の人もいたし、家族で楽しみにしていた人もいました。クレームの嵐ですよ。その日は12月3日で、僕の誕生日。自分が家族とお祝いの食卓を囲んでいる時に、そんなトラブルですからね。神様のお告げだったんでしょうか、人の幸せを壊してしまったと反省し、これは社会性がないビジネスなのかもしれないと、撤退を決めました。人を不幸にしないかどうか、これも事業を続けるうえで大切なポイントです。

 大きく事業を成長させたいなら、やはり人材が必要です。一番大切なのはお客さま、二番目が取引先、3番目が社員という考え方の会社が多いですが、当社はまったく逆。社員が一番大事。社員が会社に満足していないと、良い商品やサービスが生まれないと思うんです。特に当社は女性社員が多く、ファッションやトレンドを扱うビジネスですから、ノリが良くないとダメ。社員がつまらないと、それがお客さまや取引先にバレてしまうんです。だから僕は、社員や、社員を支えてくれている家族が楽しくなるような福利厚生や教育、そしてマネジメントをいつも心がけています。もちろん、何でも我がままを聞いてあげるというのではありません。信頼関係をしっかり醸成するということ。それは取引先との関係も同じです。うまくいっている時こそ、あぐらをかかず、相手の気持ちを考えて接する。あくまでも対等な立場で。ひとりで大きなビジネスをつくることはできないのです。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓

現役社長 経営ゼミナール

Q.今のネットの現状でレディスファッションの店舗を立ち上げるとしたら差別化のポイントとしてどんなものが考えられるでしょうか? (大阪府 会社員)

A.
差別化のポイントは、まず価格、次にデザイン、そして広告(ブランディング)です。
問屋から仕入れて販売するモデルは簡単に参入できますが、資金繰りが忙しいばっかりで肝心の利益がでません。今からだとニッチな人に支持されるような個性的なデザインの低価格のオリジナル商品でないと失敗するリスクが高いです。

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