第170回 株式会社Looop 中村創一郎

起業家インタビュー

執筆者: ドリームゲート事務局

株式会社Looop
代表取締役社長
中村創一郎 Soichiro Nakamura

1978年、京都府生まれ。北京語言文化大学(現 北京語言大学)在学中にネットビジネスを始め、中国の製品を日本で販売。2002年、北京康茂商務諮詢服務有限公司に入社し、日系企業と中国企業との橋渡しを行うコンサルティング業務に携わる。2007年、株式会社UMCでレアメタルの調達と販売業務に携わる。2011年4月、東日本大震災被災地への太陽光発電所の設置を契機に日本での起業を決意。株式会社Looopを設立し、代表取締役社長に就任。

ライフスタイル

趣味
多彩です。

山登り、ラグビー、凧上げなどなど、いろいろあるのですが、一つだけ挙げるとするなら、「シヴィライゼーション4」です。文明をモチーフとしたターン制のシミュレーションゲーム(ストラテジーゲーム)なのですが、これがめちゃくちゃ面白いんですよ。あまりにも好きで好きでたまらないので、自分の見える範囲には置かないことにしています(笑)。

行ってみたい場所
宇宙です。

宇宙から地球を見てみたいですね。僕たちがどんな星に住んでいるのか、そしてこれからどんな未来をつくるのか、宇宙からイメージしてみたいと思います。

好きな食べ物
もし「○○」だった場合、何を選ぶか?

僕はよくこんなことを考えるんですよ。「宇宙に一つだけ持っていけるとしたら、何を選ぶ?」。例えば肉類だと、牛、豚、鶏。この3つのうちだったら、僕は鶏を選ぶ。なぜなら、卵を産むし、ケンタッキーが大好きだから。魚類なら、塩じゃけとイクラが食べたいから鮭。野菜類なら、大豆。豆腐、納豆が食べられるし、もやしになるから。果物類だったら、いちごか、りんごか、桃か、みかんか……悩むんですよね(笑)。果物が一番難しい。

設立3年目で年商69億円を達成!
太陽光発電事業、世界一を目指す

東日本大震災の発生以降、原子力にも化石燃料にも頼らない再生可能エネルギーへの注目度がいっきに高まり、日本経済再生につながる大きなビジネスチャンスと目されている。今、破竹の勢いで急成長を遂げ、同業界から注目を集めているのが、中村創一郎氏が率いるベンチャー、株式会社Looop。主な事業内容は、ソーラー発電所の設置と、太陽光発電機器の販売だ。2011年設立の若い会社だが、2013年度の年商はすでに69億円。そして自らも起業家である中村氏は今、起業家支援にも力を入れている。自然エネルギーを利用した売電ビジネスは元手はなくとも、きちんとした事業計画をつくり銀行を口説き、融資を得ることで、会社員をやりながら収入を得ることができます。実際に、そういった方が弊社のお客さまのなかにはたくさんいます。そこから得た売電収入を原資として、次なるビジネスを考えることもできます」。今回はそんな中村氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<中村創一郎をつくったルーツ1>
自然と国際交流していた少年時代。
最初の商売体験はジュースの販売

 僕が生まれた頃、父は、レアメタルを追い求め、世界を飛び回っていた商社マンでした。後に起業し、レアメタル資源開発輸入事業を営むアドバンスマテリアルジャパン(AMJ)の社長となる人物です。国会議員の秘書だった母は、そんな父と恋に落ち、姉と僕、弟、三人の子宝を授かりました。僕の本籍はずっと京都ですが、3歳までは東京の荻窪で、その後は千葉の稲毛で育っています。3月が誕生日の早生まれだったせいか、同年代と比べ幼い子どもでした。成績も悪いし、何事にも集中できない。今で言えばADHD(注意欠陥多動性障害)だったかもしれません。

 友達はたくさん居て、いつもクラスでは中心だったと思います。(みんな面白がって、ちょっかいだしていたのかもしれませんが・・・)
計算だけはやたらと早くて、算数の成績だけはよかったです。また、父が日本に居るときは毎朝五時に起こされて、千葉港を散歩していました。よくわらかない船の船長に話しかけ、この船の積み荷はなにか?
どこから来て、どこから行くのか? 船の中を見学させてくれないか?
といった感じで退屈しませんでした。毎月、めちゃくちゃ難しい問題(クイズ、パズル、哲学的な質問など多種多様でした)をだされるんですが、この問題を解かないとお小遣いがもらえないんですよ。なので、なんとかヒントをもらおうと親父にいろんな質問をしたり、インターネットがないから図書館で関連の図鑑を読みまくったり。今思えば、あれがブレストになってたんですね。

 最初の商売体験は小4の時。家の近所にディスカウントショップができ、サイダーが何と1缶39円と激安です。お小遣いでそれを大量に買ってきて、海釣りをしている人に100円で売ろうと考えました。でも、冷やすという頭がなく、ぬるいまま。まったく売れなかった……。結局、祖母やその従兄に無理やり買ってもらって、大損害は免れました。千葉港をへとへとになるまで売り歩いた原体験は、いまの僕の現場主義の源になっていると思います。また、単純な売買ではなく、付加価値をつける必要性を強く感じました。

 父の仕事が海外に関係深いものだったので、外国人の友人の子どもたちがよく家にホームステイしていました。こんなこともありました。小学校でお楽しみ会というイベントがあって、父が「ハワイのジムが来日しているので、学校にゲストとして連れていく」と。当時の千葉市って外国人なんてほとんどいないですから、僕は得意になって皆に「お楽しみ会に外国人が来るぞ」と言いふらしていたんです。しかし当日、父もジムさんも来ず……。後で聞いたら、前日、六本木で二人とも飲み過ぎてつぶれ、起きられなくなったと(笑)。ただ、小さな頃から異文化に触れさせてもらえたこと、国際交流を体験させてもらったことはとても感謝しています。

<中村創一郎をつくったルーツ2>
スパルタ塾で、勉強への意欲がふくらむ。
希望の高校へ進学するも1年で留年決定

 中学3年の一学期まで、勉強は大の苦手だし、まったくやる気が出ませんでした。このままじゃまずいと考えた両親は、その夏休みから僕を塾に通わせることに。東京の渋谷にあった、厳しいことで有名な超スパルタ塾です。生徒は少人数制で、そのほとんどが帰国子女。毎朝8時から授業がスタートし、繰り返し、繰り返し、できるようになるまで超難関高校の過去の受験問題を解き続ける。できなければ先生の両手ビンタが待っている。帰るのは、だいたいが終電です。夏休み中ほぼ休みはなく、そんな猛勉強の日々を続けたんですよ。スパルタ塾の効果はてきめん。自分でも信じられないほど、勉強ができるようになりました。

 夏休みが明けて、市川市に引っ越したのですが、転校した中学で最初の試験の結果は校内でダントツの1位。先生もクラスメートも僕のことを優等生と思ったのでしょう。高校は国立の東工大付属高校(現東京工業大学附属科学技術高等学校)に合格。ラグビー部に入部し、楽しい高校生活が幕を開けたのです。高校の場所は東京港区、自由な校風、制服もなし。放課後には、大井競馬場のトゥインクルレースも何とか歩いて観に行ける(笑)。ラグビー部ではフランカーのポジションで、練習が遅くなったら部室に泊ったり。文化祭や体育祭もすごく楽しくて、本当に毎日が充実していました。そのおかけで、勉強をまったくやらなくなってしまったんですよ。

 一学期が過ぎ、二学期が終わり、迎えた三学期の2月、母と僕は担任の先生から学校に呼び出されました。「残念ながら、中村君は2年生に進級できません。留年です」。何と高校1年にして、ダブルことが決定してしまった。自分のせいとはいえ、あまりの仕打ち。大ショックですよ……。中村家のルールで、15歳の春にはヨーロッパを一人旅することが決まっています。ルールですから、姉もその旅を経験しました。そして、留年で落ち込んでいる僕を見かねた父は、「将来は、海外に留学するという選択肢もある。旅の最後に必ずイギリスに立ち寄ること。オックスフォードやケンブリッジを見て帰ってこい」と、送り出してくれたのです。

<15歳の欧州一人旅>
欧州旅行の経験が海外志向に火をつける。
高校を自主退学し、留学の道を目指す

 鉄道でヨーロッパを周遊できるユーレイルパスを購入して、フランス、イタリア、スイス、オランダ、ドイツ、イギリスを回るコースを計画し、旅立ちました。いきなり、最初に入国したフランスのシャルル・ド・ゴール国際空港で事件が起こります。係員らしき人物に「ユーレイルパスのチェックをする」と言われ、パスを渡して待っていたのですが、係員がまったく帰ってこない。そう、詐欺だったのです。手持ちのお金は1000ドルのみ。しかし、落ち込んでいても何も始まりません。まずは、パリ北駅に行き、これから帰国しそうな日本人旅行者を探しました。そして、彼らに声をかけ、使い残したユーレイルパスをもらったり、格安で譲ってもらったり。そうやって何とか、その後の旅の交通手段を確保したのです。

 そして、気分を一新するため、まずは遊ぶことを決めた(笑)。南仏を訪ね、アルル、アビニヨンをめぐり、ロワールで古城を見て、美味しい料理を堪能し、その後、叔父がいるオランダのアムステルダムを目指しました。その親戚から300ドルの餞別をゲットして、その後の旅を継続。ちなみに、叔父からは後日、両親にきっちり請求が届いたそうです(笑)。そして、父のアドバイスに従い、イギリスでケンブリッジとオックスフォードのキャンパスを訪れ、ヨーロッパ一人旅が終わりました。帰国して高校生活に戻ってはみましたが、何もかもが面白くない。多感な時期にヨーロッパを旅して様々なことを経験したせいか、日常生活が色あせたように感じてしまった。で、どうしたかといいますと、両親に内緒で、高校に退学届を出したのです。

 もちろん、後になってばれるわけですが、自分としては、どうしてもこのもやもやした気持ちと日常から1日でも早く離れたかった。ただ、大学には進学するつもりでしたから、大学入学資格検定(現高等学校卒業程度認定試験)を受験することを決めた。大検には約1年間の勉強で、合格することができました。もちろん、海外の大学に留学する夢はあきらめていません。日本の大学へ進学してからのほうが、留学しやすかったので、合格できそうな大学を片っ端から受験して、杏林大学に入学させていただきました。

 同大学は医学部があったため、小さいながらも設備が充実していました。図書館には珍しい本がたくさんありましたし、PCも使えたので(当時は珍しい常時接続!)、ずっと図書館にこもっていました。蛇足ですが、保健学部という珍しい学部があって女子が多い。工業高校に行ってた僕には楽園でした!。しかし、15歳の一人旅で見学したイギリスの大学に、どうしても留学したかったので、アルバイトを死に物狂いでやっていました。

<留学生活>
世界各国の学生と中国の大学で切磋琢磨。
在学中にECビジネスをスタートさせる

 宅急便のバイトで、70万円ほどを貯めたタイミングで、父に相談してみました。すると、父が言うわけです。「あのなあ、ケンブリッジ、オックスフォードに行くなら、年間最低600万円は必要だ。でも、70万円で行ける国はある。それは、これから伸びゆく国、中国だ」と。ちなみに、アメリカに留学したかった姉は、父の策略でカザフスタンに留学しています。それは、カザフで豊富なチタンが採れたから。自分の商売をスムーズに運ぶため、姉をカザフの要人の家にホームステイさせた。まるで戦国時代の武将の戦略ですよ。また当時、中国にレアアースが大量にあることがわかった。結果、資金不足の僕は、中国への留学を決断します。節約のため中国へ渡る際は、飛行機ではなく、船便で(笑)。最初のホームステイ先は、姉の時と同じく、中国の要人の家でした。

 父の策略に乗せられた感はありましたが、行ってみたら中国は僕に向いていた。何でもありで、勢いがあったから。進学した先は、北京語言大学です。ホームステイの後は、学生寮に入寮。この大学には、欧米からはもちろん、アフリカ、オセアニアなどなど、本当にいろんな国々の学生たちが留学していました。多種多様な異文化に触れられたことも、得難い経験となりました。大学では、ラグビー部にも所属しました。チームはまさにインターナショナルな人種のるつぼ。ジャスティン(スコティッシュ)とアラン(デンマークとマレーシアのハーフ)という2人が、僕の代のキャプテンだったのですが、欧米人のリーダーシップはものすごいんですよ。チームを一つにまとめ上げ、ぶれることなくまっしぐらに突き進む。北京には10チームのリーグがあったのですが、上位に食い込むことができたのは彼らのリーダーシップが大きかったです。彼らから学んだリーダーシップは、経営者となった僕の大切な原動力となっています。

 留学中、父にお金を無心したのですが、断られ、その代わりだったのか、父はデスクトップコンピュータを持って北京にやってきました。「これをやるから、何とかしてみろ」と。それから自作でECサイトを立ち上げ、いろいろ検討した結果、商材はチャイナドレスに決定。200円が原価で、売値は2900円。これがものすごく売れたんですよ。毎月、50万円ほどの現金収入が生まれ、貧乏だった留学生活がいっきに楽になりました。で、2年に進学した頃、日本人留学生の女性と付き合い始め、彼女の家に転がり込んで暮らしているうちに妊娠が発覚。すぐに結婚を決意し、彼女のご両親にごあいさつに行きました。そこで出された条件は、「娘を卒業させること。君が定職に就くこと」。そんなプロセスで、留学生活は終焉を迎えました。



東日本大震災を機に中国から日本へ帰還。
再生可能エネルギー事業で日本を元気に!

<ビジネス修業時代>
いくつかのビジネスを経験しながら、
ライバルに勝つための要諦を学ぶ

 北京に拠点を置く、コマースクリエイトというコンサルティング会社に入社し、中国でビジネスを展開している日系企業向けのサポートサービスに従事することになりました。ここには3年ほどお世話になって、退職。経営に対して、ネットサポートに力を入れるべき、サービスにもっと付加価値を、など、いろんな提案をしたのですが受け入れてもらえず……。22歳の若造だったので当然かもしれませんが、ジレンマが膨らんでいったのです。自分は人に使われる性分ではないこともよくわかりました。その後、帰国して、京都で暮らし始めます。いろんなビジネスアイデアを温めていましたが、ひとまずパソコンのネット販売を始めることに。中国と台湾から部品を調達し、自宅で自らオーダーどおりに組み立てて発送。2000年頃のパソコンブームにうまく乗って販売は順調に推移します。

 ただ、販売数が増えると、購入者からの相談件数も増えていく。そのほとんどが、ハードではなくて、OSに関するものなんですよ。スティーブ・ジョブスが「ソフトとハードは一体であるべき」と言ったこと、本当に正しい。将来的なパソコン販売事業の行く末と、顧客とのやり取りの煩雑さをいろいろ考えた結果、このビジネスからは1年で撤退。ちょうどその頃、妻との離婚話が持ち上がるのです。じゃあ、と、妻に提案しました。「最後に家族で思い出づくりをしよう。商売で貯めた貯蓄が数百万円ある。キャンピングカーを買って、日本一周の旅に出かけよう」。で、実際にその旅に出たわけですよ。そして、旅の最中に新たな子宝を授かった。結果、離婚話はきれいさっぱり消えました(笑)。出発から1年ほどで、資金が底を尽き、思い出づくりの旅も終了です。

 その後、レアメタル商社である株式会社UMCの手伝いをすることに。父の会社AMJが事業規模が拡大したことで、UMCが小ロットの商売を引き受けるという関係の会社です。そして僕は上海に渡り、中国を専門とするレアメタルの調達業務に従事することになりました。レアメタルの発掘現場に通い、情報を収集し、いろんなカンファレンスで日本のレアメタル市場の状況を中国語で報告するなど、忙しく働いていました。でも、ある時、気づいたのです。レアメタルビジネスの一番のポイントは、モノを押さえること。つまり、いい価格でモノを押さえることができれば、買い手はいくらでもいるということに。

 そのうちに、父の会社であるAMJと、UMCが競合するケースも出てきました。それまではAMJの言うことを聞きながら、ビジネスを進めてきました。でもここからは、自分たちの力で成長させていこうとなりました。その後、UMCは4年間ずっと増収増益です。もめましたけどね、AMJと。でも、人からどう思われようが、顧客が選ばざるを得ない“機能”を持った者が、ビジネスの世界では勝者になるのです。僕の場合のそれは、中国に住んでいて、モノを押さえられたということ。「余人をもって代え難し」その存在になることが一番大事。嫌な思いもしましたが、UMCの仕事をとおし、ビジネスの要諦を学ばせてもらいました。今、僕が舵を取っている弊社Looopも、そんな存在になることを目指しています。

<大挑戦者祭への参加が転機に>
成功を続けていたレアメタル事業を離れ、
再生可能エネルギー事業をスタート!

 私は、ドリームゲートの「大挑戦者祭2010―グランプリファイナル」に選ばれ、ANAインターコンチネンタルホテルの壇上で、1000人を超える観客を前に、UMCのビジネスをプレゼンテーションした経験があります。審査員は著名な経営者7名。結果、審査員からいただいた評価は、資金提供検討1名、業務提携 2名、販売協力1名という素晴らしいものでした。グランプリファイナルに選ばれてから、ドリームゲートのアドバイザー・入野さんに、伝わるビジネスプランのつくり方、刺さるプレゼンの方法など、本当に懇切丁寧に指導してもらったのです。1000人を前にプレゼンしたことで度胸もつきましたし、ロジカルな営業トークも身についた。ちなみに、データ配信事業を始めたのは2010年に入ってから。そこから一気にUMCの売り上げが増加しています。入野さんの指導のおかげで、商品がどんどん売れるようになった。その機会をつくってくれたドリームゲートと、アドバイザーの入野さんには、本当に感謝しています。

 そんなわけで、UMCのレアメタルビジネスはものすごく儲かるようになっていました。僕自身の収入も増え、ちょっと天狗になっていたと思います。その一方で、本当にこのままでいいのかと悩んでもいたのです。本当は、自分で一から仲間をつくって、みんなを巻き込みながら、一緒に大きな成功を掴みたいと。
「人類の未来は全方向に無限」学生のときに読んだ本の題名です。(フリ-マン・ダイソン著 1990年)
技術革新が人類の未来に様々な可能性を与えることを示唆する内容でした。主な技術のポイントは、遺伝子、人工知能、太陽光。中でも特に興味を持ったのが、蝶の形をした宇宙船です。羽の部分が太陽光パネルとなり、太陽系圏内であれば、どこでも太陽光エネルギーのみで行くことが可能な宇宙船です。未来の宇宙船は核融合によるものばかりを考えていたので、発想の転換に驚かされたのを覚えています。

 Looop創業のきっかけは、東日本大震災での太陽光パネル設置ボランティアです。当時、パネルの原料になるシリコンを納品している取引先のご好意でソ-ラ-パネルをいただくことになり、電力供給が途絶えた被災地に入り、独立型の太陽光発電システムを設置して回りました。本当にたくさんの被災者の方々から感謝されました。その活動のなかで、ふと気づいたんですよ。地べたにパネルを置けば発電できて、その場ですぐに電力を使うことができる。電力が届かない場所は地球上にいくらでもあるわけで、ニーズは無限大である。例えばそれは、山奥でも、例えば宇宙でも――。

 この時、点と点が繋がった瞬間でした。雷に打たれたような感覚です。 中国で培った素材(レアメタル)に関するノウハウ、太陽光設置のボランティア、そして学生時代に憧れた宇宙船、この3つの点がつながったのです。起業しなければいけない、大げさではなく天命だと思いました。すぐに3人の仲間と一緒にLooopを設立。再生可能エネルギー事業をスタートさせたのです。

<未来へ~Looopが目指すもの>
世界一の電力会社になることを、
Looopは本気で目指しています

 弊社のお客さまの多くは、地方に遊休地を保有されている、売電収入を目的とされる優良企業もしくは富裕層の個人です。売電収入を得るために競合他社に比べてより確かだろうと思っていただける商品、サービスを提供しているのが弊社だと自負しています。弊社を選んでいただければほぼ間違いないという安心感をお売りしているということです。最低58坪のスペースがあれば、個人でもソーラー発電所を組み立てることができ、所有できる弊社の「MY発電所キット」の価格は約250万円。必要な部材をキットとしてパッケージにし、わかりやすい設置マニュアル、手厚い導入サポートを提供することによって、お客さまに安心してご購入いただける商品としてご好評をいただいています。

 これによる売電収入は年間で40万円~50万円なので、利回りでいうと20%くらいでしょうか。ご自分で組み立て・設置することが前提ですが、5年で投資額すべてを回収できる可能性が高いということです。設立から1年目は、とにかく一人でも多くのお客さまにLooopを知っていただき、製品をお売りする活動に集中しました。一番悩ましかったのは、お客さまから、「本当に20年間、製品とサービスの保証をし続けられるの?」
と聞かれることでした。「もちろんです!」と答えるも、なんの根拠もありません。そこで、考えたのが、僕達も発電所を保有すればいいんじゃないかと。「もちろんです!我々も発電所を保有していますので、お客様と共に20年間歩んでいきます」と答えることが出来るようになってから、販売は一気に増加しました。発電所保有は、はじめに相当なキャッシュが必要ですが、ドリームゲートで培った事業計画のノウハウがあり、銀行説得は意外とすんなりいきました。

 太陽光発電システムを含む、再生可能エネルギーで発電された電力ついては、「再生可能エネルギーの固定価格買取制度」によって、一定の条件で電力会社へ売却することができます。お客さまにお売りしたLooopの製品が発電する電気総量の30%は、当社も発電所をつくって売電収入を得ていく。お売りした製品が生み出した電気総量が100メガワットだとすると、当社は30メガワットを発電するということ。そうすればLooopが得る売電収入で、経営を維持していくことができる。これが会社を絶対につぶさないために打ち立てた社内の方針です。2年目は、総力を挙げて自社の発電所を設置するための遊休地を探し、そのバランスを実現に近づけるために奔走しました。

 創業メンバーは3人でしたが、設立4年目に入った今期、スタッフは100名に増加。本当にいい人材がそろってくれたと思っています。そして、2013年度の年商は69億円。繰り返しになりますが、今後も20年間、確実にLooopのお客さまを守り続けること。そのために、自分たちもしっかり売電収入を得られるように発電所を増やし続けていくこと。この2つをしっかり継続することが基本ですね。そして、将来的には電力の小売り自由化を見据え、お客さまから電力を仕入れて販売する事業にも乗り出します。目標に掲げた2020年の年商が2000億円。そして、2030年に1兆円、2050年には50兆円。世界一の電力会社になることを、Looopは本気で目指しています。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
Looopの太陽光発電事業に参画することで、
ビジネスを学び、起業資金を手に入れませんか?

 ドリームゲートの読者の方々は、これからご自分でビジネスを興そうという方々ですよね。ぜひ、Looopの太陽光発電事業をやってみませんか。自分が思い描く事業を立ち上げるためには、先立つもの、資金が必要ですよ。きっと読者の方々のなかには、事業計画書を書くことが得意な方も多いでしょう。Looopが提供している仕組みを活用すれば、元手はなくとも、きちんとした事業計画をつくって銀行を口説き、融資を得ることで、会社員をやりながら売電収入を得ることができます。実際に、そういった方が弊社のお客さまのなかにはたくさんいます。そこから得た売電収入を原資として、次なるビジネスを考えることもできる。もちろん、Looopのビジネスを実際に実行し、理解してもらうことで、将来的に弊社の代理店となって独立する道もあります。

 そして今、Looopは、一緒に戦える人材を求めています。考えるのが得意な人、動くのが得意な人、人間の能力は人それぞれ。チームで戦うラグビーでも同じですよね。そういった意味では、自分の意志でLooopのビジネスに参加して、一緒に戦えることが求める人材の第一条件です。もうひとつは、とても希少な存在ではありますが、イノベーションを起こせる人材。それは我々が思いつかないような、言葉にできないようなアイデアを考えてくれる人材ですね。まさに、宇宙人か魔法使いか、余人をもって代え難き人材ということです。ただ、たくさんの人と個性が交わることで素晴らしいイノベーションが生まれると思っていますから、例え宇宙人であろうが排斥せず、そんな彼らをしっかり受け入れるような社風と文化を維持できるよう組織づくりを行っています。

起業を目指されている方々に言いたいのは、世界を目指せ、人のできないことをやろうということ。スケールの大きな野望を抱いてほしいと思っています。あとは、先ほどもお話ししたように、余人を持って代え難き“機能”を持つ努力をすることでしょうか。最近、日本の起業家を見ていると、みんなスケールが小さいと思ってしまうんですよ。どうせやるなら、ソフトバンクの孫正義さんを目標にしましょうよ。孫さんが起業した時代に比べ、起業家にとっての環境は格段によくなっています。でも、いまだに孫さんを超えるような起業家が出現していません。僕自身、孫さんのような素晴らしい起業家と、同じ時代に生き、ビジネスで切磋琢磨できることに感謝していますからね。孫さんを憧れではなく、本気でライバルだと考えて、ビジネスに死ぬ気で取り組んでいきます。

<了>

取材・文:菊池徳行(ハイキックス)
撮影:内海明啓

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