第61回 チームラボ株式会社 猪子寿之氏

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執筆者: ドリームゲート事務局

第61回
チームラボ株式会社 代表取締役
猪子寿之 Toshiyuki Inoko

1977年、徳島県生まれ。1年間の渡米を経て、東京大学工学部応用物理計数工学科卒業。2001年3月、チームラボ創業。代表取締役に就任。04年、東 京大学大学院情報学環中退。大学では確率・統計モデルを、大学院では自然言語処理とアートを研究。2006年、純国産“オモロ”検索エンジン 「SAGOOL(サグール)」を公開。同社が設計・開発した産経新聞社のニュースサイト「iza(イザ!)」は、「Web of the Year 2006」を受賞。2007年の「au design project」で、新しいインタフェースのコンセプトモデル「actface」を発表し、「第11回文化庁メディア芸術祭審査員推薦作品」に選ばれる。 アート活動も行っており、海外の展覧会に多数参加。ブランドデータバンク取締役、産経デジタル取締役を兼任。

ライフスタイル

好きな食べ物

和食。
納豆に米に蕎麦。お酒は付き合えと言われれば、どこまでも付き合えます。ちなみに、ひとりでバーとかには行かない。自分からも誘わない。いつも誘われるのを待ってる。誘われるとすごく嬉しい(笑)。

趣味

週刊少年ジャンプ 
3歳から今までずっと読んでます。ゲームとかやりそうですが、実はあんまりやんない。あとはチームラボの仕事。僕は徳島出身なので、阿波踊りのシーズンも毎年楽しみにしています。

行ってみたい場所

北欧の国々。
スウェーデンとかフィンランド。まだ一度も行ったことないし。すごくいい国々ですよね。スカイプやリナックスが生まれた場所でもあるし、音楽などの文化もカッコイイし、社会保障もバッチリだし、格差もないし。フリーセックスだし(笑)

最近、感動したこと。

会社の存続。
今日もまだ会社が潰れてないこと。毎日が感動ですよ(笑)。

素晴らしき日本の大衆文化と技術力を武器に、
世界が「やばい!」と認める日本再生を担う。

 東京大学にほど近い文京区・本郷のちょっとした高台に、チームラボのオフィスがある。ここで、約150名の若きエンジニア、デザイナーたちが「技術と文化 の融合による日本再生」を目的に、日夜、活動を続けている。このチームを率いるのが、長身、ひげ面のこれまた若きカリスマ経営者、猪子寿之氏である。純国 産“オモロ”検索エンジン「SAGOOL(サグール)」、産経新聞社のニュースサイト「iza(イザ!)」など、これまで斬新なWebサイトを次々に開発、また昨今では携帯電話のデザインも手がけているという。今回は、そんな猪子氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<猪子寿之をつくったルーツ1>
将来の夢なんてまったくなし。 現実感にあふれたかわいげない小学生

  徳島市にある実家は開業医の歯科医です。祖父が始めて、父が二代目。そして家には祖祖父母、祖父母も一緒に暮らしていて、いわゆる4世帯住宅ですよ。そんな家庭環境で、僕はひとりっこでしたから、そうとう可愛がられて育った、わけではまったくなく。なぜなら、みんな自分に夢中だったんですよね。なんかアダムスファミリーみたいだった気がする(笑)。今では僕はうるさ型に見られているようですが、家庭の中では一番おとなしい存在でしたもん。すごく主張の多い家族で、「会話はドッジボールだ」って教えられていましたしね。「ぶつけるか、よけるかどっちかだ」って。キャッチボールじゃないのかよと(笑)。

 小学校は街中にある普通の公立。この頃は、自宅に友だちを呼んでいろいろ遊んでましたねえ。自分でゲームというか、遊びをどんどんつくっちゃうんですよ。ルールもちゃんと考えて。階段を使ったリアルインベーダーゲームとか、応接間ではワニさんゲームってのもやってたんですが、どんなのかは忘れちゃった(笑)。ひとりになったら、ずっと絵を描いてたね。とはいっても、誰に習うでもなく勝手に。宇宙基地とか、子どもっぽいマンガみたいなものですよ。両親から、勉強しろとか、あーしろ、こーしろってうるさく言われた記憶もない。だからか、通信簿の成績はだいたい3段階の真ん中。あんまり評価されていなかったということです。

 現実感にあふれた、かわいげのない子どもでしたよ。将来の夢なんてまったくなかった。周りの子たちが、「将来はサッカー選手に」とか、「お花屋さんに」とか言っている中、「簡単にプロ選手になれるかよ、花屋になって何が楽しいんだよ」って、心の中でアホらしく思ってた。でも自分も卒業文集で「10 年後の自分」を書かなきゃいけないわけです。当然、家業を継ぐもんだと思っていましたから、「歯医者になっている」といったんは書いたんだけど、「待てよ、10年後ならまだ歯科大学に行っているから、まだ歯医者になっていない」と冷静に考えたりして、だったら「歯科大学に通っているか」、「でも、そこまで現実的だとかわいくないか」……なんて何度も何度も書き直したりして。大人の視線もちょっとだけ気にしてたんです(笑)

<猪子寿之をつくったルーツ2>
のんびり自由でいられる日々を求め、国立大学付属の中学を受験

 中学は理由あって、国立大学の付属中学に進学。成績がそんなに良くなかったのに、よく入れたなって? それは算数が得意で、それも特に難しい問題になればなるほどできたからなんですよ。簡単な問題をコツコツ事務処理的に解くのは苦手だったけど。それでなんとか潜り込むことができた。なぜ、公立に進まなかったかというと、このままじゃ自分がダメになると思ったから。小学校は徳島市の街中にあって、みなさんが想像する以上にそうとう荒れてたんです。小6くらいになると、悪いグループができてきて、番長みたいなのが暴力で仕切るようになって、怖いし、いやだなと。

 上に立たれるのはあまり好きじゃないけど、僕は別に上に立ちたいとは思っていなかったし、負けっぱなしでも全然OK。なんだけど、なんとなくそれらの層に対して自分が発言しなければという雰囲気になっていって。それが不条理というか、すごくいやだった。でも、そのときにこう思った。やり方は何でもいいけど、何に対しても自由に発言ができる自分をつくりたいって。のんびり自由でいられる状態が好きなんですけど、そうするためには発言権が必要だと。進学した中学は幼稚園からのエスカレータ式だったので、僕は少数派というか超マイノリティ。それでもいろいろ画策して、行動して、卒業する頃には同級生の中でかなりの発言権を獲得していたと思います。

 なぜか中2の後半になってからサッカー部に入部しているんですよね。サッカー部の顧問から「もう上の年次は部活を卒業したから、いいだろう。猪子も入れ」とスカウトされて。まあ、試合に出られるのならカッコイイかもしれないと。生徒会長とかにはならなかったのかって? そんなものにはまったく興味ありませんでした。で、高校は公立の進学高校に進みます。家から歩いて5分と近かったので、ここでいいやと。思えば、小・中・高と、すべて自宅から徒歩10分圏内にありましたよ。

<電波が降りてくる>
バブルが崩壊し始めた頃から、日本再生の強迫観念にさいなまれる

  高校でも、基本はのんびり自由にやりたかった。でも、ある日「日本を再生せよ」という電波みたいなものが降りてきた。当時はそんなに言語化できてな かったけど、そんな感じの電波が(笑)。なんだか日本はここままじゃまずい、ダメになる、将来もずっと豊かな日本にするために自分が何とかしなければと。バブルが崩壊し始めた頃だったと思います。それからは、のんびり自由どころではなく、「日本を再生」という強迫観念にさいなまれていくわけです。

 脅迫されているから、「じゃあどうすればいいんだ」っていろいろ考えるんですよね。政治家という道もあるけど、過去に成功している革命のプロセスを紐解いていくと、大衆が新しいものを求めた結果として政治が変わっている。政治は後付けで変わっていくということ。日本は民主主義なんだから、やはりマーケットに新しいニーズを生み出すことができれば自然と大きな変化につながっていくだろうと。そうやって考えた結果として、自分は日本再生のためにマーケットにコミットしていこうと決めたんです。

 さて、マーケットで何をするか。日本が世界的に見ても経済的に豊かな国で、みんながある程度平等に幸せなのはなぜか? 当たり前ですが、世界的に見て、日本が買っているものより、売っているものが高いから。中小企業がつくる部品、大手企業がつくる家電製品、車、全部そうでしょう。それら業界はすべてテクノロジー・オリエンテッドの世界なんです。日本再生を思い始めた当時、不動産会社や金融会社で働いている人たちがすごく儲かっていたんですよ。でも、本当に日本の経済を支えてきた技術畑の人たちが苦しんでいる。この状況を変えるべきなんじゃないかと。

 そもそも、日本がアメリカの真似なんてしてもムダなんです。国家が経済的に潤うためには、儲ける、借り入れる、出資を募る、略奪する。この4つしかない。でも、日本の国民性を考えていくと、儲けるしかできないと思うんです。だったら、「JAPANはやばい!」って思われるくらいの、日本発のテクノロジーを開発して儲けるしかないじゃないですか。

<インターネットとの出逢い>
起業を思い立つも逃避を重ね、 あっという間に大学4年生に

 日経ビジネスか何か忘れましたが、当時、日本企業の時価総額ランキング特集を読んだんです。そしたら、上位のほとんどが、半官半民企業、免許が必要だったりする規制で守られた事業を行う企業、旧財閥系などなど。そこにソニーやトヨタ自動車などのテクノロジー系企業が少しだけ混ざっていた。で、もっと調べていくと鹿島建設だったかな、当時の社長から遡って3人の歴代社長がみんな建設官僚出身の婿養子だったんです。「おお、これだ!」と。「東京大学に入って、逆・玉の輿だ! まずは体制の側から日本再生だ!」と。真剣に“逆玉”を目指して、東京大学を受験。現役で合格しました。

 あれは忘れもしない1995年。NHKの「新・電子立国」という番組を見て、ものすごい衝撃を受けてしまった。東大に入学する前か、入学してすぐのタイミングだったと思います。それまでテレビ、ラジオ、新聞などのメディアは体制側の管理下に置かれてきました。しかし、インターネットの登場により、みんながメディアを自由に持ち、情報を発信することができて、しかも、その情報を誰でも自由に受けとることができる世界が始まる。でも、「新・電子立国」で紹介されているのは、シリコングラフィックス、マイクロソフト、ネットスケープなどといったアメリカの話ばかり。「JAPAN、大丈夫かよ……」と。

 それでも社会ががらりと変わる一大事だと。21世紀の世の中は情報化社会に突入し、産業の中心が置き換わる。そこで競争力の源泉となるインターネットという武器が、誰にでも使えるようになるわけですからね。そこからは一気に方向転換。“逆玉”を目指すのはあっさりやめました(笑)。すぐにインターネットに夢中になっていくんです。日本再生のための強迫観念は相変わらず続いていますから、さてインターネットを使ってどうしようかと考えた。別にどこかの企業に就職しても良かったのですが、テクノロジー・オリエンテッドで日本再生に挑戦するメッセージを発している会社がなかったので、自分で起業する しかない。で、早く起業しよう、起業しようと思いつつ、逃避に逃避を重ね、あっという間に大学4年生になっていました(笑)。

クリエイティブ・インダストリーを
創出できる技術者集団であり続けたい

<チームラボ誕生!>
最初の仕事は風俗店からの依頼。 ホームページ制作15万円の受注

 大学4年生だった2000年の12月に、東大と東工大の工学部出身の5人が集まって、チームラボ有限会社を設立。最初のオフィスは僕の下宿でした。「やってやる!」と決心したんですが、食っていく自信がそれほどなくて、大学院に席を置きながらレコメンデーションエンジンをつくってたんですよ。インターネットの登場は多様化時代の幕開けですから、世の中の無数の情報ニーズに対応できるような。でも、つくったはいいものの、それが売れるかどうかは別物なわけで……。翌年3月に創業し、8坪のオフィスに移転してからが大変だった。知り合いのつてをたどって、風俗店のホームページをつくったり。その仕事が最初の仕事で、受注金額は15万円でしたね。

 創業してからは、とにかく目の前の仕事をひたすらこなし、なんとか食いつないでいる状態が続きました。でも、テクノロジーをベースに文化を発信し、日本を豊かにしたい。この日本再生の思いだけは、一瞬たりとも忘れたことがありません。僕は戦後の70年代から80年代にかけてせっかく順調に成長していった日本の急発展を、かなり短命に終わらせてしまったと思ってます。本当にもったいない。原因は文化の輸出をしなかったことに尽きる。バイクのハーレーって、リッター3kmしか走れないおんぼろバイクですよ。あの排気音だって、技術が不足しているだけ。一方、ホンダのスーパーカブの燃費は120kmを超えています。なぜ日本でハーレーがはやっているかわかりますか? ハリウッドの映画産業が、「ハーレーはカッコイイ」という、ライフスタイル文化の輸出に成功したからです。テクノロジーで負けても、長生きできるものがあるということです。

 だから日本の経済の豊かさを維持するためには、テクノロジーをベースにした素晴らしい日本文化を発信し続けるしかないんです。日本の大衆文化は海外から尊敬されてないと思っているかもしれませんが、海外で『ドラゴンボール』の作者である鳥山明、『スーパーマリオブラザーズ』を制作した宮本茂なんてものすごく高い評価をされていますよ。宮本茂なんて、あのポール・マッカートニーがわざわざ会いにやってくるんですから。彼らこそ、「JAPAN、やばい!」ですよ。マラソンのQちゃんに、国民栄誉賞あげてる場合じゃないと思うんですけど(笑)。

<オモロアルゴリズムの挑戦>
客観的なお勧めよりも、 主観的な“おもろい”を!

 日本発のテクノロジーで文化発信の手伝いをしたいといいましたが、ここ数年、自分も文化の創り手になりたいと考えるようになって(笑)。これまで培ってきた技術力を駆使して、10種類くらいの水墨画をつくって、動画のデジタルアートで表現してみたんですよ。3次元水墨絵巻「花紅(ハナハクレナイ)」と名づけたんですが、これがかなり評判良くて、イタリアのミラノサローネへの出展を皮切りに、上海、ロンドン、ソウル、台北、バンコクなど、世界各国からお呼びがかかっています。そして、絶賛されています(笑)。

 話を戻しますが、うちが設計・開発を手がけた、産経新聞社の「iza(イザ!)」ってサイトがあります。これは、従来のような一方的に記事を発信するだけのニュースサイトではなくて、そのニュースに関連するブログや過去の記事もアップされ、さらに読者からも情報が集まり、その場で交換され、シェアできるというもの。ひとつのページの中に存在する、小さなインターネットの世界観をイメージして設計しています。さきほど、多様化の話をしましたが、一部のメディア側の人間が世の中から情報を選び、編集し、再配布するだけでは、多様化のスピードにもうついていけなくなっていると思っています。「iza(イザ!)」の狙いは当たったようで、予想を超えたページビューを挙げています。

 独自のアルゴリズム“オモロアルゴリズム”を搭載した新型検索エンジン「SAGOOL(サグール)」も、世の中の多様化ニーズを意識して設計しました。GoogleやYahoo!に代表されるリンク数に重きが置かれたロボット型検索エンジンでは抽出することがだんだんに難しくなってきた、人の主観や興味を反映した検索結果の抽出を目指しています。大多数が求める客観的なものよりも、本当は主観的な「おもろい」ことのほうが個人にとっては大事なはず。そうそう、「SAGOOL(サグール)」の動画検索版「サグールテレビ」もリリースしました。システムはまだベータ版で発展途上の段階ですけど、ぜひ、自分にとって「おもろい」情報が見つかるかどうか使ってみてください。

<未来へ~チームラボが目指すもの>
日本を世界にアピールできる 未来へのものづくりを続けるだけ

 チームラボはエンジニアとデザイナーだけのクリエイター集団です。創業からずるずるとメンバーが増えていって、今、総勢で150名くらい。営業はひとりもいないんです。海外拠点としては上海にチームラボ上海が、あと、頼んでもいないのにある上場企業の役員が会社を辞めてつくってしまった、チームラボセールスという会社があります(笑)。それらを含めると、総勢200名強のチームになります。今後も独自のレコメンデーションエンジンや、マッチングアルゴリズムの研究開発はしっかり続けていきますけど、僕は受託仕事も嫌いじゃないんです。「iza(イザ!)」のケースもそうですが、いつも未来へのヒントが残せたという実感がありますからね。

 テクノロジー開発と文化発信の両面を大切にしながら、これからも本気で日本再生を目指していきますよ。やっぱり社会経済が豊かなほうが有利ですから。みんながある程度お金を持っていて、それなりに忙しくしている状態が。そういった意味で考えると、残念ながらインドではiPodのようなクリエイティブ・インダストリーは生まれません。そもそもあの国ではごく一部の大金持ちしかiPod、買えないし。大衆のほとんどは、今日飯を食うために必死になっている。テクノロジーは客観的なものだから、高度な教育によって素晴らしい技術者は出てくるかもしれない。けど、大衆が求めているライフスタイル文化がそこに交わらないから、「やばい!」って商品は生まれないんですよ。

 技術と文化が融合した、その先にあるアウトプットが、クリエイティブ・インダストリー。日本にはそれを生みだす土壌がある。たとえば、ニンテンドーの「Wii」。テクノロジーの素晴らしさはもちろん、デザインもすごくカッコイイじゃないですか。チームラボも、そんなクリエイティブ・インダストリーを創出できる技術者集団であり続けたい。「JAPAN、やばい!」って、日本が世界から認められる未来へのものづくりを続けていきます。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
お金儲けが目的でもいいけれど、明確な役割があったほうがいい

 起業したい人へのメッセージですか? 僕がそんなこと言っていいんですか(笑)? まあ、どうしても言えというなら、「したくなったらすればいい」ってことですかね。でも、いろいろやりたいことを考えてみて、その役割を担っている人や会社が世の中に見つからなければ、やってみてもいいかもしれない。で、実際にやってみて、社会が本当に必要としていることなのであれば、自然と寿命を延ばしてくれるんじゃないですか。

 ちなみに、僕自身はチームラボを立ち上げてからこのかた、一度も事業をやめたいと思ったことはない。変態的で(笑)、かつ最高の仲間たちと、企業として日本の社会を豊かにするために、一緒にいいものをつくるために手を動かす。そのアウトプットのプロセスが最高に楽しいからね。正直言って、今やってるこの仕事を仕事って言っちゃいかんのじゃないかと思ってるんです。仕事と遊びの境目がいっさいないから(笑)。

 お金儲けが目的でもそれはそれでOKだと思うけど、やっぱりはっきりした役割があったほうがいい。ちなみにうちはけっこう無計画で、半年後の売り上げはもしかしたらゼロかもしれない。ただ、いいものづくりをし続けるだけ。あ、ちなみに僕はそんなにビジネスが得意じゃないんです。だから、上場とかまったく興味がない。のんびりと自由がなくなりそうだし、利益にコミットするのも苦手ですから(苦笑)。もちろん、日本再生の役割も大切だけど、自分が幸せな状態はずっと維持したいですね。それが続けばいいなと思ってる。死ぬまでずっと(笑)。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:山口雅之

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