第10回 グロービス・グループ 代表 堀 義人

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

- 目次 -

第10回
グロービス・グループ
代表 堀 義人 Yoshito Hori

京都大学工学部卒業後、住友商事株式会社に入社。米国ハーバード大学経営大学院修士課程修了(MBA)。帰国し、新規事業開発などを手がけた後、同社を退 職。1992年、株式会社グロービスを設立。若手起業家が集まる「YEO(Young Entrepreneur's Organization)」の日本初代会長に就任。99年、エイパックス・グロービス・パートナーズ(AGP)、現・グロービス・キャピタル・パート ナーズ(GCP)設立。現在、経済同友会幹事、日本ベンチャーキャピタル協会理事、世界経済フォーラム(WEF)主催のNew Asian Leaders 日本代表などを歴任中。2006年4月、グロービス経営大学院を開学し、学長に就任した。著書に、『人生の座標軸』(講談社)、『吾人(ごじん)の任 務』(東洋経済新報社)など多数。

ライフスタイル

好きな食べ物

さっぱり系の和食とエスニックが好き。
さっぱり系の和食も好きなのですが、外食でレストランを選ぶ時は、ベトナム料理、タイ料理など、アジアのエスニックが多いですね。辛いものも全く平気です し。お酒は、シャンパンから焼酎までいろんな種類をたしなみますよ。最近は赤ワインにちょっと凝っています。最上級のものを選んでいただくと、その深みに 驚くと同時に感動します。

ファミリー

妻と男の子5人の7人家族 
妻と子どもが5人の7人家族です。子どもは、男、男、男、そして男、男……、全員男の子なんですよ(笑)。上から、今年で9歳、7歳、5歳、3歳、一番下 が今6カ月です。だから休日はひたすら子どもたちと遊んでいますね。野球、サッカー、テニス、水泳、スキーにローラーブレードまで。体力も使いますし大変 ですが、いいリフレッシュになり楽しいですよ。

趣味

今でも水泳は続けています。
今でも水泳は続けています。毎年、ジャパン・マスターズ大会にトライしているんです。ですから週に2、3回はプールで1000~2000m泳いでいます。 目標があって、50歳までに日本で3位以内入賞、80歳で世界一の記録を打ち立てたいんです。あとは週1回の囲碁です。こちらは四半期ごとにリーグ戦に出 場しています。成績がいいとランクが上がり、悪いと落ちる。ベンチャーマーケットみたいですね(笑)。

もしも一週間休みがとれたら

アメリカかオーストラリアに行きたいですね。
ファミリーと一緒なら、アメリカかオーストラリアに行きたいですね。子どもたちに僕が見てきた国を見せてあげたいんです。もしもひとりで行っていいなら、 ブータンかペルーですかね。バックパック旅行はHBS時代にさんざんやったので、今はちょっといいところに泊まりたいです(笑)。

経営マネジメントの支援という軸をぶらすことなく、一起業家として社会に貢献していくことが僕の使命

 今年2月、笑顔の堀義人氏が『フォーブス誌』アジア版(2/13号)の表紙を飾った。その特集記事は、「Venture Professor(ベンチャー経営者兼教授)が、不毛地帯と呼ばれていた日本のスタートアップ企業向けベンチャーキャピタル市場を、本気で変ようとして いる……」、そんなコメントで始まっている。そのとおり、1992年に堀氏がたったひとりでスタートしたグロービスは、現在までに、延べ2万人ものビジネ スリーダーを輩出し、200億円規模のベンチャー向けファンドも設立。そして2006年4月、文部科学省が認可した通学型では、国内初の株式会社立の経営 大学院「グロービス経営大学院」を開学した。日本の「ヒト」「カネ」「チエ」というビジネスインフラを、より堅固なものにすべく日夜走り続けている堀氏 に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<堀義人をつくったルーツ1>
父から受けた初めての注意。「クリエイティブに生きなさい」

 小さな頃は、塾などにも通いはしたのですが、長続きしなかったですね。当時は茨城県の東海村という場所で過ごしていまして、近くの田んぼで、どじょ うやザリガニをとったり、山も近くにあったので、カブト虫やクワガタ虫をとったりと、そんな遊びに夢中になってました。ガキ大将タイプではなく、仲間との 横のつながり重視。そんなですから、勉強がずばぬけてできるほうではなかったです。

 高校に進むと、僕は3つの目標を立てました。ひとつ目は、水泳で全国大会に出場すること。2つ目は、留学すること。3つ目が、東京大学か京都大学 に進学すること。水泳は中学から県の記録を次々に塗り替えていましたし、1年目に国体に出場し、全国で6位に入賞しました。そして次は留学だと。ちなみに 僕は父の仕事の関係で、3歳から1年間、5歳から2年間、アメリカで生活していたんです。だったら英語ができるかと思うじゃないですか。でも、すべて忘れ てしまっていた。それで先生からは、「今の君の成績では難しい」と言われ、一念発起で勉強し、オーストラリアへの留学の権利を獲得したのです。留学してみ て改めて気が付いたのですが、僕は外国人とのコミュニケーションで緊張する事が少ないんです。幼児期にアメリカで、同年代の友達とよくお医者さんゴッコと かして遊んでましたから。(笑)きっとその経験が生きてたんですよ。

 オーストラリアって自然の豊かな国でしょう。みんな、人生は楽しく過ごすってポリシーを大切にしているんです。ピックアップトラックにサーフボー ド、将来は学校の先生になって、地域を大切にしながら生きていく。そんな人生も素敵だなと、帰国後は学校の先生になろうと思ってました。すると父から、 「もっとクリエイティブな生き方を探してみなさい」と言われたんです。生まれて初めて父から受けた注意でした。これは聞いておいたほうがいいなと。そし て、高校入学時に立てた、東京大学か京都大学に進学するという3つ目の目標を思い出したのです。

<堀義人をつくったルーツ2>
大学を1年間休学し、社会勉強。今後の人生選択を模索した時期

 ちなみに父と祖父は科学者、母方の祖父は政治家でした。彼らの影響を受けて育った僕は、帰国後、政治家を目指して文系クラスに入ります。でも文系の 教科よりも、理数系の教科が自分に向いていることがわかった。それで、文系クラスに在籍したまま理数系の学部に進学することにしたのです。そして、京都大 学工学部に合格します。

 大学進学後は、水泳を再開。しかし、高校1年からのブランクがありますので、競技のタイムがなかなか伸びません。それで水球を始めたのですが、こ れはとても面白かったですね。関西インター・カレッジ大会での優勝も経験しましたし。一方で、工学部の勉強のほうはどうかといいますと、味気ない地道な研 究に全く興味がもてないんです。それで、科学者の道も断念。じゃあ、もっと広く社会を見るために、さまざまなアルバイトをしてみようと。京都よりも東京のほう が多くを学べそうだと感じましたので、1年間大学を休学して社会勉強をするための期間を設けました。

 本当にたくさんの業界を見ることができましたし、お金もけっこう稼ぎましたよ。多い月は80万円くらい収入があったかな。大学時代を通じて200 万くらいは貯金が残りましたからね。それで自分は社会人になったら何をしようかと考えるわけですが、最初はミーハーな感覚で広告代理店もいいかなと思った こともありました。でも、自分をしっかり見つめ直してみると、人と会うことが好きで、英語を使った仕事をしてみたい、そして、ビジネスにも興味がある。社 会を動かしているビジネス全体を理解してみたいという思いがどんどんふくらみ、世界を飛び回る商社マンという道を選択することにしたのです。

<商社マンとして活躍し、HBS留学へ>
激務をこなしながら、チャンスを狙う。ビジネススクール最高峰のHBSへ!

  そして大学卒業後は、住友商事に入社します。配属は、マレーシア、タイ、シンガポールを中心とする東南アジア向けの重化学プラント貿易を担当する部 署でした。当時、プラント営業は商社の花形ビジネス。ここでは、契約、会計、財務、国際コンソーシアムの組成など、国際的な営業プロデュースの方法を学び ました。フルターンキーと呼ばれるプラントの契約範囲を示す用語があります。その名のとおりプラントを完成させ、キーを回せば製品が出てくる状態にするまで の責任を負うという意味で、設計、調達、製作、土木、建築、据付け、試運転、トレーニングなどを含む幅広い内容をもつ契約です。そんな2000 億~3000億円の入札プロセスを、どんどん任せてもらえましたからね。僕はこの仕事にのめりこんでいきました。ここで培った実務能力と経験は、今でも僕 の大きな力となっています。

 父と祖父は留学を経験していましたし、ふたりとも大学院で修士をとっていましたので、僕も修士はとっておきたいと考えていました。政治の道と、科 学者の道は断念しましたから、僕はビジネスだと。それに加え、大学時代にMBAを取得した友達から、「MBAを取得すると、給料が3倍になる」という話を 聞いていたんですよ。ぜひMBAを取得したい! どうせなら一番名前がとおっているハーバードに行きたい! そのチャンスを仕事に励みながら、常にうか がっていたんです。後になって、給料が3倍になるって話はまゆつばだということがわかりましたが(笑)。

 このことを一度だけ父に相談したのですが、「何らかの奨学制度を使えるのではないか?」とアドバイスをもらいました。それで、すぐに調べて、社内 留学制度にエントリー。ちょうど、プラント不況が長引く中で僕は2件の大型受注を獲得していたのです。このチャンスを逃がす手はありません。それで、会社 に直訴して、社内留学の権利を獲得。それから怒涛の留学準備が始まります。当然、仕事をしながらですので、勉強をする時間もなかなかとれないですし、願書 が締め切りにおくれそうになるというピンチもありました。でも、努力が報われたのか、超難関の最終面接にクリア! 夢にまで見たハーバード・ビジネス・ス クール(HBS)への留学通知を手にしたのです。1989年3月31日。この日は、僕の生涯で忘れられない思い出となる1日となりました。

<ボストンでの生活がスタート>
日本の大手企業エリート社員が、ベンチャー経営に興味をもつまで

 日本を出発し、ボストンのHBSへ向かう飛行機の中で、僕は3つの目標を立てました。ひとつ目は、経営学を体系的に学ぶこと。2つ目は、多くの人間 に出会う機会を設けること。3つ目は、できるだけ多くの国、地域を見ておくこと。何か新しいことにチャレンジする時の僕のくせなんですね、目標を立てるの が。そして、2年間にわたる僕のHBSライフが幕を開けました。

 毎日、会社経営のケースメソッド研究・発表と、難解なカリキュラムに追われながら、世界各国からやって来たたくさんの同窓の友と知り合うことがで きました。彼らの多くは、「自分でゼロから立ち上げたビジネスを、大きく成長させることが一番かっこいい」と言います。日本の大手企業で働いていた僕に は、最初はピンときませんでしたが、だんだんとベンチャーというものに興味が湧いてきました。それで、HBSの起業クラブに所属し、ベンチャーの研究と、 多くの起業家に接する機会を増やしたのです。それを続ける中で、わかったことがあります。彼ら起業家には共通する思考回路がある。それが、 「nothing is impossible~不可能なことは何もない。とことん可能性を信じる」でした。HBSで学んでいると、自分自身にも経営者としての自覚が生まれてきま す。そうやって、僕は否応なくベンチャーの世界にはまっていくことになるのです。

 ある日、HBSのキャンパスの芝生に寝転がって考えてみました。HBSのようなビジネススクールが日本にあったらどうだろう。短期間で、低価格 で、夜間や週末など、会社員でも通いやすい環境を提供できたらどれだけ優秀な人材を輩出できるだろうか。この発想に僕はワクワクしてきたのです。そして、 「不可能なことは何もない。とことん可能性を信じよう」。この思いが、僕の中でどんどん大きくなっていきました。

ビジネススクール、ベンチャーキャピタルともに、本気でアジア・ナンバーワンを目指しています!

<たったひとりの船出>
三茶のアパート、資本金は80万円。グロービスが産声をあげた

 帰国後、住友商事でいくつかの仕事をこなしながら、社内でビジネススクールを立ち上げる提案をしてみました。しかし、当時の商社に合うようなビジネ スモデルではなかったので、企画が通る事はありませんでした。もちろん僕自身悩みましたし、多くの方から留意はされたのですが、ビジネススクールを立ち上 げるために退職を決意します。その頃、日本のMBAホルダーの行き先といえば、経営コンサルタントか、投資銀行やIT企業の雇われ経営者であって、自らベ ンチャーを起こすケースはほぼ皆無。自分で起業して失敗したとしたら、苦労して築き上げてきたせっかくのキャリアが台無しになりますからね。でも、僕は可 能性を信じ、どうしても諦めることはできなかったのです。

 そして1992年、三軒茶屋の僕のアパートを拠点とし、資本金80万円でグロービスは産声をあげました。たったひとりでの船出です。DMづくり に、発送作業まですべてを自分でこなし、渋谷の貸し会議室を借りて第1回目の授業が開催されました。とても優秀な20名の受講生が集まり、感動したことを 覚えています。大阪から通ってくれていた受講生の声に押されて、2年目には大阪に教室を開きました。この時もお金がありませんので、友人のバルニバービ社 長である佐藤裕久氏の事務所を間借りさせてもらい、何度も事務所にシュラフ(寝袋)を持ち込んで寝ました。当然、お風呂はないですから、水道の水で体をふ いたりしてね(笑)。でもこの頃、これらの経験を苦労だとは全く思いませんでした。ベンチャーならば、当然通るべきプロセスのひとつだと考えていましたか ら。

 スクール事業は初年度から黒字ではありましたが、グロービスは、創業時から外部資本に頼らない経営を続けてきました。ですので、キャッシュ的には 苦労の連続。1年目に麹町の事務所を借り、2年目から、大手企業を中心とした企業内研修を行う、グロービス・オーガニゼーション・ラーニング(GOL)を スタート。4年目には「MBAマネジメントブック」の編集を行う、グロービス・マネジメント・インスティテュート(GMI)をスタート。そして5年目に は、英国国立レスター大学との提携MBAプログラムがスタートなど、どんどん新たな仕組みや事業が立ち上がっていきました。僕自身、メンバーと一緒に必死 で走りながら、会社の体力を蓄えていく……。5年目まではそんな感じでした。 

<大きな転機の訪れ>
米国大手ベンチャーキャピタルから、うれしい提携の誘いが届く

 1996年には、国内の先輩経営者の方々からもご協力いただき、グロービス・インキュベーション・ファンド(グロービス・グループ第1号ファン ド:5.4億円)を設立。98年に、大きな転機が訪れます。アメリカの大手ベンチャーキャピタル、パトリコフ社に私たちの取り組みが認められ、提携のお誘 いを受けたのです。そして翌年の99年、エイパックス・グロービス・ジャパン・ファンド(グロービス・グループ第2号ファンド:200億円)を設立しま す。これまでに、ワークスアプリケーションズ、ネットエイジ、パソナテック、最近ではグリーなど現在までに60社強に投資をし、ハンズオン型の経営支援を 手がけています。投資にご協力いただいた各社、各人にも、高いフィードバックをお返しできていますよ。この頃から、グロービスはやっと資産の蓄積ができる ようになりました。

 その後、GMSの受講生の方々からは良きキャリア選択(職)を提示してほしい、GOLのクライアント企業からは優秀な人材を紹介してほしいという 声の高まりを受け、2000年に、経営人材の紹介を行う、グロービス・マネジメント・バンク(GMB)をスタートしました。これは、GMSの受講生、 GOLのクライアント企業、そしてグロービスファンドの投資先企業すべてに対して価値を生み出す事業となっています。

 創業前に僕が描いていた青写真があります。それは、優秀な経営人材「ヒト」を輩出し、秀でた企業に「カネ」を投資する、そして我々が研究してきた 経営サイエンス「チエ」を組み合わせることで、たくさんの成功するベンチャー企業を生み出す。そうすることで、素晴らしい世の中をつくる。そんな社会貢献 をしていきたいというものです。僕はあくまでもこの夢と使命に従って生きていく、一起業家であり続けたいと思っています。

<未来へ~グロービスが目指すもの>
アジア中の「創造と変革の志士」たちが集うビジネススクールへ!

  2003年には、グロービスのオリジナルMBAプログラム、 GDBA(Graduate Diploma in Business Administration)をスタート、そしてGMS名古屋校を開校。05年には、 経営幹部向け、グロービス・エグゼクティブ・スクール(GES)を開校。そして今年06年、 通信教育とeラーニングを提供する、グロービス・オンライン・スクール(GOS)の開校に続いて、文部科学省が通学型では、国内で初めて認可した株式会社 立の大学院、グロービス経営大学院(経営研究科 経営専攻)を開学し、僕が学長に就任しました。これは、創業時には考えられなかったことです。株式会社が大学院を経営できるんですからね。

 そういった規制緩和の波も見逃すことなく、グロービスは常にアジア・ナンバーワンのビジネススクールとなることを目指しています。04年7月に日 経産業新聞で発表された国内ビジネススクールランキングによりますと、現在、1位が慶応、2位が一橋、次いで3位にGMSが入っています。早稲田よりも上 ですからね。もともと、2012年に国内ランキング3位以内を目指していましたので、これはクリアできました。今後はアジアの統合が進んでいくと思われま すので、やはり中国、韓国、シンガポール、インドなどからも認められるようにならないといけないと思っています。

 当然、ベンチャーキャピタルでもアジア・ナンバーワンを目指します。経営を学ぶ人材にとっては、これは大きな魅力ですからね。「ヒト」「カネ」 「チエ」といった経営マネジメントインフラの総合力をどんどん高めて、アジア中の「創造と変革の志士」が集うグロービスにしていきたい。そして近い将来、 起業を目指すアジアの優秀な経営人材の多くが、経営を学ぶならアメリカよりも日本のGMSへ行きたい……そう思ってくれるような場所に、グロービスはなっ ているのだと信じています。僕もアジアの統合は進んでいくと考えていますから、そうなった時に日本人の役割はどこにあるのか、日本人は果たしてリーダー シップをとれているのかなどなど、心配なことは山ほどあります。日本のプレゼンスを高めるために、自分個人としても積極的にこの活動に参加していきたいで すね。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
自分の残りの人生に与えられた使命・任務を見つけてほしい

 まず、MBAホルダーの起業成功確率はとても高いと思います。HBSの日本人MBAホルダーで、ベンチャーにトライしているのは僕の知っている限り 6名くらい。最初が僕で、次が楽天の三木谷さん、DeNAの南場さん、ゴルフダイジェスト・オンラインの石坂さん、残りの2名もおそらくIPOするだろう と言われています。やはり、戦略の仕組み化、ドメイン設定能力、組織構築力、リーダーシップ論など、経営の定石を知っている人間は強いですね。起業を目指 して大きく成功したいという方には、MBAの取得をお勧めしたいです。

 そして起業する前に、自分の残りの人生をとおして何を成し遂げたいのか、そういった個人に与えられた使命や任務を考えてほしい。僕自身もそうでし たが、それがわかると、無限大のパワーが湧いてきますし、やらなきゃならないとなると方法論を必死で考えるようになりますから。それもお金など私欲を肥や すことではなく、より素晴らしい社会を実現するために、社会の問題を解決するために、自分の能力を最大限に発揮できることは何なのか。そうやって考えてみ てほしいです。僕は創業前に「吾人の任務」という、パーソナル・ミッション・ステートメントを書いてみました。もしも、使命や任務が見つからないという方 は、あなた自身の今後の人生に与えられるであろうパーソナル・ミッション・ステートメントを書いてみるといいですよ。なかなか書けないかもしれませんが、 書こうと努力することで、今の自分に足りない何かが見えてくると思いますよ。

最後になりますが、ぜひ、自分がワクワクする使命、任務を見つけてください。男女関係もそうですが、年収はこれくらいで、車はこれに乗っていて、身長 は……などで選んだ相手とはうまくいかないじゃないですか。やはり素直に好きだから、一緒にいると気持ちいいから、を大切にしたほうが長続きするしうまく いく。自分がワクワクして楽しい使命や任務とは何なのか、いつもその感情を察知できるアンテナをもつことも大切だと思います。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:松村秀雄

起業、経営ノウハウが詰まったツールのすべてが、
ここにあります。

無料で始める