第8回 プロデューサー おちまさと

起業家インタビュー

執筆者: ドリームゲート事務局

第8回
プロデューサー
おちまさと Masato Ochi

1965年、東京都生まれ。21歳でフリーの放送作家に。現在まで多くのテレビ番組の企画、構成、演出、プロデュースを手がける。代表作に「ガチンコ」 「仕立屋工場」「自分電視台~Self Produce TV~」「24人の加藤あい」「学校へ行こう!」「空飛ぶグータン」「カリスマスク」など。また様々な分野でのデザイン、ラジオのパーソナリティー、講演 など多方面で活躍中。昨今、NTT DoCoMoなど大手企業や、サイバーエージェント、テイクアンドギヴ・ニーズなどベンチャー企業とのコラボレーションによる、新規事業&プロジェクト・ プロデュースも数多く手がけている。これまでの著書として、『企画の教科書』『初対面の教科書』『企画火山!』、最新作『時間の教科書』がある。

ライフスタイル

趣味→衣

ファッションはもう大好きですね。
ファッションはもう大好きですね。1日1回はショップに入り浸っています。ファッション週刊紙『WWDジャパン』では「洋服バカ一代」という連載もやらせ ていただいてるんです。デザイナーやアパレル系の会社さんとのお付き合いも多いですし。チョイスしながら、洋服はかなり買っていますよ。

趣味→住

住空間とか建物とか好きですね
住空間とか建物とか好きですね。モデルルームとかにもけっこう行きますよ。あと、仕事柄いろいろな人と付き合いがあるので、表参道ヒルズとか、東京ミッド タウンとか、建築中からヘルメットかぶって見させてもらいました。建築途中に建物を見ると、デザインの方向性とかがよくわかって楽しいんですよ。

趣味→食

食。
はやりの店も含め、いい店はかなり知っていると思います。外で食事するのも、僕にとっては仕事ですね。ほぼ毎晩、どこかで仕事仲間やデザイナーや経営者な どの友人と会食をします。僕は深夜枠の番組を多く担当していたじゃないですか。だから、夜の遅い飲食店オーナーの方々って、けっこう僕の作品を見ていてく れてるんです。クリエイターを取り上げる番組をつくることも多いので、料理人の方々も興味持って見てくれてるみたいですよ。だから初めて行った店でも、 オーナーとすぐに仲良くなっちゃうんです。料理の種類は何でも好きですけど、選べと言われれば、しゃぶしゃぶかな?

平均的な一日

朝は9時くらいになんとなく目覚めます。
朝は9時くらいになんとなく目覚めます。それから1日が始まって、5、6カ所で打ち合わせやミーティング。その間にも、撮影やイベントをこなしたりしま す。数百人の前でイベントが終わったら、その次は社長とマンツーマンで打ち合わせとかね。次々に種類の違う仕事が押し寄せてくるので、ドアを開いた瞬間に 自分をモードチェンジするようにしています。で、1日のスケジュールの最後は、打ち合わせを兼ねた会食。帰宅するのが平均で深夜0時とか1時です。それか ら少し仕事したり、ブログ書いたりして、なんとなく寝るって感じです。

一週間休みがとれたら

もしも1週間仕事しないで休めって言われたら、沖縄に行くかな。
完全な休みは、ないですね~。もしも1週間仕事しないで休めって言われたら、沖縄に行くかな。宮古島とかね。LOHASとかスピリチャルとかが話題になる 前から、僕はパワースポットに行くのが好きだったんですよ。休みで旅行に行けたとしても、「これって仕事になるじゃん」って考えてそうですね(苦笑)。で も、一番僕が好きな時間って、企画した番組の現場でモニターのぞいている時なんですよ。「いい絵だね! これでいきましょう!」とかね。

今の仕事をリスペクトできれば、あなたの背骨は必ず強くなる

 「仕立屋工場」「自分電視台~Self Produce TV~」「24人の加藤あい」などなど、常識を覆す数々のヒット番組を連発してきた、プロデューサー・おちまさと氏。彼のクリエイティブは、テレビだけに とどまらず、ラジオ、洋服、メガネ、音楽へと広がっている。また昨今では、NTT DoCoMoのセカンドファッション携帯ブランド『ダットエムオー』の総合プロデュース、数々のベンチャー企業の新企画コラボレーションなども手がけるよ うに。今回は、そんなおちまさと氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<おちまさとをつくったルーツ:少年時代:1>
26歳で映画監督になると決めた10歳の、おち少年

 小学校4年生の時。近所の映画館で「ジョーズ」を観たんです。で、帰りにパンフレットを買って読んだらびっくりした! この映画を撮ったスピルバー グ監督の年齢が26歳。本当に驚きましたよ。何がって、僕も十数年我慢すれば、こんなすごい仕事ができる可能性があるってことにです。

 だからもっと映画を観なきゃって、スピルバーグ監督の第1作目、「激突」もその後すぐに観ました。でも、今考えれば普通の小学生の視点じゃなかっ た。この作品は、主人公の車がトラックをあおっちゃったことで、最後まで顔を見せない変質的なトラックドライバーの怒りを買ってしまい、執拗に追いかけら れるってストーリー。もちろんスリリングでめちゃくちゃ面白いんです。でも、すごい低予算でつくられているなと(笑)。車とトラック2台が登場するけど、 撮影用に最低あと1台は車が必要だとか。あー、スピルバーグ監督はこれが認められて、2作目の「ジョーズ」をつくったんだな。「ジョーズ」も「激突」も見 えない敵との戦いっていう設定は同じだし、「ジョーズ」も考えてみればサメが出てくるシーン少なかったな。実はあれもけっこう低予算でつくってたりして。 とかね。そんなことを考えながら、僕は大人になったらスクリーンの向こう側の仕事をしよう、いつか映画を撮るんだって決めていました。

 そんな感じで、物心ついた時から僕は、人と違った視点で物事を見ていましたね。例えば小学校の頃とか友だちの誕生パーティに呼ばれるじゃないです か。誕生日の子がケーキのロウソクを吹き消す瞬間、周りの全員がその子に注目してるわけです。でも僕は、それをあほ面して見ている男の子を見て面白がって たりね。

 あと、こんなこともあった。友だちと電車に乗って奥多摩に釣りに行ったんだけど、買ってもらったばかりの水筒をなくしてしまったんです。友だちも 巻き込んで一緒に探すんですが見つからない。そうこうしているうちに終電の時間が過ぎてしまった。で、一駅先まで歩けばまだ電車があるぞって、みんなで歩 き出したんですが、山をひとつ越えなきゃいけないわけです。真っ暗な山道を、みんなで半べそかきながらとぼとぼ歩いていたら、トラックの運転手さんが「お 前らなにしてんだ!?」って声かけてくれて。高尾駅だったかまで送ってくれたんですよ。「あー、この人は恩人だ」と感謝しながらも、いつか僕は子どもが主 人公の映画を撮るかもしれない、悲しみや、楽しみや、怒り、子どもとして感じる様々な気持ちの質量を、きちんと覚えて記憶に残していこうって思ってまし た。100円拾ったときの喜びとかもね(笑)。

<おちまさとをつくったルーツ:少年時代:2>
時間は刻々と過ぎていく……あるのは根拠なき自信だけ

 14歳の頃に、再び衝撃的な出会いがありました。テレビを観ていたら、漫才師の左側、小さい人のほうに目が釘付けになった。ツービート時代の、北野 たけしさんです。こんなに面白い人が世の中にいるんだ。いつかこの人に会ってみたい。そう強く思ったことを覚えています。この頃から、ブラウン管の向こう 側の仕事もしてみたいって思うようになったんですよ。
 
  「俺は絶対に、スクリーンかブラウン管の向こう側で仕事する人になるんだ!」って決めたはいいのですが、どうやったらなれるのか教えてくれる大人もいない し、コネもない。わかんないから、何をするでもなく過ごしちゃうんですよね。正直焦りました。26歳という期日まで、どんどん時間は減っていくわけです。 でも、「なりたい!」って思いが途切れることはなかったです。26歳の自分は絶対に映画撮ってるって、信じて疑いませんでしたもん。まあ、当時は全くの根 拠なき自信なんですけどね。

 「たけしさん」と「とんねるずさん」のラジオ番組に1通づつ、企画をハガキに書いて送ったことがあります。するとその2通ともが読まれたんです よ。「こいつ面白れーな」って。「あー、僕はまだ、思い続けていいんだ」って少しほっとした。向こう側の世界から、「来てもよし!」って、軽い許可印をも らったような気になったことを覚えています。

 そして、20歳。「天才たけしの元気が出るテレビ」を見ていたら、放送作家オーディションをやると。即応募しました。そしたら、総合演出をやって いたテリー伊藤さんから、「お前、面白いな。明日から来れるか」って言われて。もちろん答えは決まっていました。それからです、フリーの放送作家としてテ レビの世界に足を踏み入れたのは。だから、僕は放送作家としては珍しいオーディション組なんですよ(笑)。

<放送作家時代の幕開け>
今いるこの場所を、仕事をリスペクト。そうなれて初めて目の前の道が開ける

  そのオーディションは3000人中、10人くらいが残ったんですが、みんなどんどん辞めていきました。僕も1年目の頃、コピー取りや荷物運びなんか の雑用仕事が多くて、何か違う、辞めようかって悩んだ時期があった。でも、いつものようにコピー取りをしていた時、ふと目にしたゴミ箱。「この中身も全部 大好きなテレビに関するものじゃん」。そう気付いた瞬間、僕はなんて幸せな環境の中で働いてるんだろうって心から思えた。子どもの頃に憧れてたあの世界 に、僕は今立ってるんだと。それからは、すべての仕事をポジティブに考え、どんな小さな仕事もリスペクトしてやるようになりました。腹が据わったという か、覚悟を決めたんですね。絶対に辞めないって。あの瞬間はすごく大きかった。

 きっとみんな人生に期待しすぎなんですよ。「君に一軒店を任せたい」とか、「我が社にぜひ」とか、そろそろどっかから声がかかると思ってる。あり 得ないって(笑)。そうじゃなくて、目線を下げればチャンスはたくさん転がっている。ただ、仕事へのリスペクトの気持ちがないから、気付けないだけ。「俺 は本当はこうなのに」なんて、やらされ感で仕事している人に、チャンスは一生回ってこないですよ。どうせやるなら、何事もポジティブに取り組めるようにス イッチを切り替えなきゃ。もしくは、自分を初期設定に戻してみる。今の仕事を始めた頃を思い出してみてください。「何でもします!」だったでしょ。初期設 定に戻ると気も楽になりますから。

 あと、みんなそれほど大した仕事してないってことに気付いたほうがいい。よく街なかを急いで走っている人がいますけど、相手はそれほどあなたのこ と待ってないですって。その現実を知るためにも、試しに会社を無断欠勤してみるといい。仕事はそれほど混乱なく進んで行くでしょう。自分は代用の利く人 間、ちっぽけな存在。そんな現実に直面できて初めて、仕事がリスペクトできるようになるんだと思います。

<ジレンマを解消するため独立>
常に危機感を抱きながら勝負する!今この瞬間を生きることを大切に

  放送作家になってから、多い時は週22本のバラエティー番組と連続ドラマ1本を担当し、たくさんのヒット作品も手がけることができました。テリー伊 藤さんとの出会いは、僕にとってすごくラッキーでしたね。構成から演出までを手がけることができる希少な人ですから。彼を師匠として、仕事の一挙手一投足 を間近で盗みまくりましたよ。作家としての仕事を超え、作品の最初から最後まで、すべてを監督する企画屋としての責任感も養えたと思っています。

 仕事はすごく楽しかったんですが、27歳の頃、迷い始めた。失敗しても、視聴率が悪くても、最終責任はプロデューサーやディレクターにあって、放 送作家って何なんだって。何か自分の存在意義があやふやになっちゃった。こんなあやふやなままの大人でい続けるのはいやだと。だったら、これまで仕事で出 会った、この人ならと思える人たちと一緒に、責任を全部引っかぶってでも自分でケツ拭ける仕事をしようと決めた。そして30歳で独立し、自分の会社をつ くったんです。

 危機感が自分を強くしてくれる。本当の話、僕はこれまで、優越感とか満足感とか感じたことないんです。独立後、初プロデュースした「東京恋人」が 深夜枠では異例のヒットとなった時も、「仕立屋工場」が話題になった時も、常に次はどーする? 早く新しい企画を考えないとって。危機感を近くに置いてお けば、自ら考えるし、動かざるをえないですから。危機感のグラフが上がっていかないクリエイターはダメだと思う。攻め続けないとね。だから僕は、いつもこ の作品が最後だって思ってものづくりをしてきました。最近お付き合いが増えているベンチャー経営者の方々も、同じ発想をする人が多いですよ。

起業とは新たな常識を生み出す力。「ありそうでなかった」を連発しよう

<時間をあやつれる人になろう>
人生は残り寿命で考える。時間を巻いて、出会いを増やす

  出会いこそすべて。どんどん人に会うように自分を仕向けていますね。でも、残念ながら人間は誰もが「死」というゴールに向かって生きています。寿命 という制限があるわけです。出会いを増やすためには時間はいくらあっても足りないですから、僕はどんどん時間を巻くようにしています。例えば、朝仕事にク ルマで出かける時、自動シャッターが開くまでに7秒かかる。なぜ僕はシャッターのために、毎日毎日大切な7秒という時間を使わなければいけないのかと考え る。ならばその時間を使って、7秒で用件が済む誰かに携帯で電話をかける。そうすれば、シャッターを開けるという行為と、電話でひとつの用件を済ませると いう行為を同時にこなすことになるので、7秒で14秒生きたことになるわけです。人生は残り寿命ですから、どんどんダブルブッキング、トリプルブッキング しましょう。こうやってどんどん時間をあやつっていくことで、あなたの人生は何倍もの価値になっていくでしょう。ある時、“おちまさと双子説”が流れたこ とがありました。ひとりであんなにたくさんの仕事ができるわけないって。そう噂されたことが、すごくうれしかったですね。  こうやって時間をあやつっているからか、僕はものすごい偶然体質なんです。どうしても会いたいと思っている人に、思わぬ場所で出会う。朝ミーティ ングした人にメールしようと思って歩いていたら、向こうからその人が歩いてくる。そんなことが毎日のように起きるんですよ。笑ったのは、青山通りをクルマ で走っていた時。担当している番組のADスタッフに似たやつがいたので、「おい、何してんだ」って声をかけたんです。そしたら、「うわっ! びっくりし た。バイク便使ってこの荷物をおちさんに届けようとしてたんです」と。時間も巻けたし、経費も抑えることができました(笑)。そんな感じなので、もしかし て僕はトゥルーマンショーみたいな仕組まれた世界の中で生きてるのではと、たまに不安になることもあります(苦笑)。

 

<おちまさと式・企画のつくり方>
今の非常識は2年後にフツーの常識になる

 では、企画・プロデュースを生業としている僕が考える、企画の進め方、生み出し方を説明します。まず断言しますが、ヒットの法則なんてものは存在し ません。よく企画が「当たった」「はずれた」と表現されますが、そのとおり、僕は「企画とは予言である」と思っています。過去、信憑性を感じた予言には、 納得させられるファクターがたくさんあったように、ヒットした企画にも成功するためのファクターが隠れています。ここでひとつわかりやすい例を挙げてみま しょう。

 カラオケボックスが存在しなかった時代、カラオケはパブやスナックなどほかのお客がいるフロアで歌うものでした。しかし、これが意外と恥ずかし い。そう感じていた女性がいました。彼女はある日偶然、船舶用コンテナを運ぶトラックを目にします。あの箱の中で仲間とカラオケができたら……。これがカ ラオケボックスという新企画が生まれたエピソードです。この例から「当たる企画」をつくるためには何が必要か見えてきます。こんなものがあったら便利なの にという、ありそうでなかったものを常に意識し、記憶しておくこと。そして、その実現につながるファクターを自然に探している自分をつくること。あとは常 識を疑ってかかること。今の非常識は2年後にはフツーの常識になるくらいに思っておけばいい感じです。「カルピスウォーター」とか「甘栗むいちゃいまし た」とかも素晴らしい企画だと思っています。

 いずれにせよ、企画は結果が重要。立案して、実践して、初めて結果が判明します。ですからその結果の成功確率を高めるために僕がやっているのは、 「ポジティブプランニング→ネガティブシミュレーション」。発想の段階は、「すごいこと思いついちゃったよ!」と、すべてを肯定的に捉える。そしてその後 は、「でもここがダメかも」と、否定を何度も繰り返していきます。そうやっていくつもの壁をくぐり抜けたものを、初めて企画書に落としていくのです。ちな みに、「ポジティブ→ネガティブ」の順番を逆にしてしまうと、最悪の結果になるのはおわかりですよね。いまいちだけど、やっちゃうか。そんな企画がうまく いくはずはありませんから。

<これからのおちまさと>
24時間、常に自分のクリエイト魂が揺さぶられるものを探していく

  これまで、テレビ、ラジオ、洋服、メガネ、音楽など、様々なプロデュースを手がけてきましたし、現在も続けています。僕はあくまでもものづくりの 人、生涯クリエイターでいくと決めていますから、24時間、常に自分のクリエイト魂が揺さぶられるものを探しています。数年前から、多くのベンチャー企業 経営者とお会いしているんです。常に戦っている人たちってイメージがあって、興味があったんですね。お互いがお互いをプロデュースし合えるって関係だし、 なんだか、凹凸みたいな感じで波長が合う。ビジネスをひとつのメディアととらえれば、そこも僕の企画力が発揮できる場所だったということです。サイバー エージェント、テイクアンドギヴ・ニーズなど、新規ビジネスプロデュースを20社以上と行っています。

 やっぱり、映画はいつか撮らなきゃと思っています。映画って映像・音声技術はもちろん、キャスティング、衣装、音楽など、本当に多くの才能を集め てつくる総合芸術ですから、そのひとつひとつを自分で磨いています。すべてを自分でやりたいわけではなく、自分のこだわりの部分と、第三者の才能に頼る サービスの部分のバランスを考えながらつくれればいいと。それを自分で把握しておくためです。あと、映画は運動神経と本能でつくるものだと思っていますか ら、自分でもそのタイミングがまだわからない。それはきっと生理現象のようなものですから、いつか撮る時が来るんでしょう。

 10歳でスピルバーグ監督と出会って(笑)、放送作家になったのが20歳。30歳で独立して、40歳になった昨年、会社を新しい体制に変えること にしました。これまで僕は仮面ライダーのようにピンで戦ってきましたが、これからはマジンガーZに乗って操縦することも覚えよう、ロケットパンチも打って いこうと(笑)。これまでの人生を振り返ると必然か偶然か、10歳、20歳、30歳、40歳と、僕には10年周期で転換期が訪れています。だから、10年 本気で続ければ、人間は何でも実現できると信じてるんです。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
自分の「夢定規」を設定し、そのふり幅を縮めていこう!

 果てしない夢を持って、常に自分の現実を確認する。四畳半という現実から、ハリウッドで映画制作の夢を思うとかね。その夢と現実との振り幅が、あな たの「夢定規」です。夢のベースは、好きか嫌いかで決めていい。僕も、大好きなモノづくりの仕事以外、続けられない人ですから。あと重要なのは、今この瞬 間の自分しか信用しないこと。今やっている仕事すら、過去の自分へのご褒美くらいに思ったほうがいい。そして、ありのままの自分を素直に見つめながら、 「夢定規」の振り幅を縮めていく。その確認と継続の作業が、あなたの背骨を必ず強くしてくれます。

 どんな仕事も、相手があってのことですよね。いつも自分にうそをつくことなく、本当のことを言い続けましょう。謙虚や奥ゆかしさは大切ですが、そ ればかりでは信頼を勝ち取ることはできません。相手のすごいと思える部分はどんどんリスペクトして、でもここは僕のほうがすごいって部分はきちんと伝え る。その時のギャップが信頼を生むと思うんです。きちんと自己分析ができている人だ、という好印象も持ってもらえますしね。これはたとえ話ですが、ヤン キーがおばあさんをおぶって横断歩道を渡ってたら、とんでもなく良いことをしてるように見えるじゃないですか。「やられた!」「なるほど!」と相手に思わ せるためには、二面性をもって、物事に対処することが大切だと思います。

 「俺たちは、つかまれたらビー玉だけど、動いている限り星でいられるんだ」。以前、北野たけしさんからもらった僕が大切にしている言葉です。リスペクトの気持ちを持って、今を大切に動き続けていれば、絶対にチャンスはめぐってきます。出会いこそがすべてなんですから。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓

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