Vol.01 二十五歳で就農を決意。就農の軌跡と夢に迫る[新規就農]

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局
今回取材した山木幸介さんは、千葉県山武市でチーム「三つ豆」を結成し、3人のメンバーで農作物を生産/販売する29歳。出身は茨城県水戸市、農業にゆかりのない生活環境で育った彼がなぜ農業に興味をもったのか、なぜ就農できたのか、その軌跡と夢を聞いた。

「人の役にたてる仕事」「自分が成長できる仕事」それが農業

 農業にゆかりのない生活環境で育った山木さんが、なぜ農業をやろうと考えるようになったのか。その転機は大学院を卒業するときだった。

 大学/大学院と微生物利用を専攻していた山本さんは、これまでの学業を活かしながらも、人の役にたてる仕事であり、自分が成長できる仕事を探していた。

 そんな時、自らの責任で生産し、お客様が食べることによって直接的な反応もわかる。そんなダイレクトでやりがいのある仕事が農業だと考えた彼は、25歳で新規就農を目指した。

 

右も左もわからない。新規就農に欠かせないのが、師匠となる存在の有無

 新規就農を考えた彼は、行動を起こした。レタス農家で4カ月のボランティアを行い、農業が自分にあっているものか確認。その後、農作物の販売を主とする農業法人での研修を経験した。地元生産者の野菜を集荷し販売するこの農業法人での最初の業務は、農作物の集荷と出荷。この出会いが後の彼の新規就農を支えた。出荷に来た地元生産者と積極的なコミュニケーションをとり、仲のよくなった地元生産者の畑に伺い、研修させてもらった。

 こうした努力の姿が生産者に買われ、多くの師匠を得ることになった。

 

2人の女性を説得し、チーム「三つ豆」を結成。3年は何が何でもやる

 今後の農業は自主販売ルートの多様性が必要と感じていた彼は、同年代の友人数名と新規就農の先輩や師匠の作った野菜を販売する営業マンを企画する。まずは販売ルートを確保することができなければ、新規就農も実現しないと考えたからだ。

 しかし若い担い手の少ないこの業界において、若者が集まっていることは稀なケースだった。そして「せっかくチームを組んでいるんではないか。農業やってみないか。」という師匠の一言で道が変わることとなる。そこで同じ職場で働いていた女性(当時25歳)と師匠のもとで働いていた女性(当時25 歳)3名とで「3年は何が何でも農業やろう」とチームを組み、師匠から借りた1.7haの畑を利用して、野菜づくりを始めることになった。彼が28歳の時、チーム「三つ豆」が結成された。

 

有機農業を続けるためには、消費者を巻き込んだコミュニティが必要

 行動開始から1年で、農地確保を実現させた彼の夢を聞いた。有機農業を続けるためには、農作物のブランド化や、消費者に理解される魅力ある農業を行なっていくことが必要である。

 消費者が農業に興味をもってもらうキッカケとして、2006年に"とうもろこし生活"というコミュニティを、バイオ教育の株式会社リバネスと共同でサービスを開始した。このコミュニティ参加者は、都内の種まきイベントに参加し、自宅に持ち帰る。発芽した苗は「三つ豆」に郵送、「三つ豆」の畑で育てられる。

 参加者は定期的な成育状況をホームページ上で確認でき、収穫時には現地に収穫にいくという仕組みだ。参加者は自ら発芽させたとうもろこしだけあって、収穫の喜びや味わいは格別と好評のようだ。"現場"と先端化学で農業に触れられるイベントとして今後も発信していく予定だという。

 

プロフィール

山木幸介さん(29歳)。茨城県水戸市出身。チーム「三つ豆」代表。東京薬科大学でバイオを専攻。
筑波大学大学院進学後、微生物を使った環境浄化を学ぶ。卒業後、1年のアジア遊学を挟み、25歳で新規就農を決意。
農業ボランティアや農業法人でのアルバイトを経験する。
28歳の時、職場での友人たちと3人で「三つ豆」を結成し、野菜の生産を開始。
現在1.3haの畑と0.2haの田んぼで生産を行っている。

業種・業態

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