第111回 株式会社リブセンス 村上太一

起業家インタビュー

執筆者: ドリームゲート事務局

第111回
株式会社リブセンス 代表取締役
村上太一 Taichi Murakami

1986年、東京都生まれ。両祖父を経営者に持つ家庭に育ち、小学生時代から将来の夢は一貫して社長になること。1995年に初めてインターネットに触れ、中学時代にプログラミングに挑戦するも断念。中学では野球、高校ではテニス部に所属した。早稲田大学高等学院へ進学。在学中に簿記2級とシステムアドミニストレータの資格を取得。早稲田大学政治経済学部の1年時、大和総研の寄附講座である「ベンチャー起業家養成講座」を受講し、ビジネスプランコンテストに出場して優勝。2006年2月、仲間4人で株式会社リブセンスを設立し、代表取締役に就任。同年4月、アルバイト情報サイト「ジョブセンス」PC版、モバイル版のサービスを開始。初年度は苦渋をなめるも、ビジネスモデルを「採用成果報酬&採用決定者にお祝い金進呈」に変更して以降、急成長。加えて現在は、転職情報サイト「ジョブセンスLink」、派遣求人サイト「ジョブセンス派遣」、不動産情報サイト「DOOR賃貸」を展開するなど、斬新なWebサービスを次々に生み出している。

ライフスタイル

好きな食べ物

レバ刺です。
昔から肉好きで、特にレバ刺が大好きです。深夜にひとりで、ふらりと食べに行くことも。渋谷周辺でお気に入りの店は「神泉ホルモン三百屋」。お酒は飲めますがあまり好きじゃない。刺激物が苦手なんです。ネギとかも。味覚が素直というか、まだ子どもなのかもしれませんね。

趣味

サーフィンです。
ネットのほうですが(笑)。よく考えられてつくられたサイトを使っている時は本当に楽しいです。ニュースサイトも面白いものを選んで見続けたりします。最近、特に面白いと思っているのが、韓国発のナンバーワン検索サイト「NAVER」の日本版。ユーザーが編集を加えていくウィキペディアのエンタメ版といった感じです。

行ってみたい場所

海外です。
中国やインドなど、今急発展を遂げている国々や、中学の頃ホームステイしたアメリカにも行ってみたいです。でも、仕事視点で考えると、中国、インドの次に"きそうな"国。そんな都市を探して調査し、今のうちにサービスの種を仕掛け、ナンバーワンを目指す。先にアジアで軽自動車の大きなシェアを取ったスズキのように。

最 近感動したこと

あまりないんです。
日常的な出来事に、あまり感動しない性質なんです。目の前で起こる短期的な問題も、中長期的な問題も、自分次第でいつでも変えられるという考え方をしているからかもしれません。ただ、当社がつくる新サイトを世の中に発信させる当日は嬉しくて感動したかな。7月頃に面白いサービスの発表が待っていますので、楽しみにしています。


採用成果報酬&採用決定者にはお祝い金を進呈。
市場に斬新かつ画期的な求人サイトを投下し急成長!

 求人広告の掲載費は無料、応募者が勤務を開始して初めて費用が発生。さらに、採用が決まった求職者にはお祝い金が贈呈される。採用できるかどうか分からない求人広告に多額の費用を支払っていた企業が喜び、また、今まで表に出てこなかった求人が出揃うことで、選択肢が増え求職者も喜ぶ。さらに、採用が決まった求職者にはお祝い金が贈呈される。そんな画期的なアルバイト求人サイト「ジョブセンス」を立ち上げ、急成長を続ける株式会社リブセンス。設立は2006年と、5年目を迎えたばかりのベンチャー企業で、創業社長の村上太一氏はなんとまだ23歳。早稲田大学在学中の1年時に、同社を学生起業した超若手アントレプレナーなのである。「生きる意味とは? これがリブセンスという社名になっているのですが、誰もが幸せになるために生きていることは間違いないと思うんです。結局、相手が幸せになることによって自分が幸せになれるような仕事をするのが一番。だから、リブセンスの企業理念は"幸せから生まれる幸せ"なのです」。今回はそんな村上氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<村上太一をつくったルーツ1>
振り回されるよりも、振り回すポジションが好き。
経営者だった両祖父に憧れ、社長を夢見た小学生

 父は建設会社に勤務するサラリーマンで、母は会計事務所を寿退社してからはずっと専業主婦。兄弟は、姉がふたり。そんな、いたって普通の家庭で育ちました。ただ、父方の祖父が中卒ながら上場企業の経営陣まで上り詰めた人で、母方の祖父も証券会社から脱サラで画廊を開いた経営者だったんです。そんな家庭に育った両親ですから、私が起業すると言った時もまったく反対しませんでした。祖父の家に遊びに行くと、すき焼きをする際、1枚1枚紙で包まれた高級な肉がテーブルに並ぶのに驚いたり(笑)、社用車が自宅まで祖父を迎えに来るシーンを眺めてかっこいいと思ったり。祖父から受けた影響も多少あるかもしれません。小さな頃から、将来は自分も社長なると決めていました。人から「やれ」と強制されたことはやりたくない性分でしたし、自分で考えたことで影響を与えられるリーダー的な立場というんでしょうか、そんなポジションが好きだった。だから常にクラスでも学級委員でしたね。振り回されるより、振り回す側になるほうが、自分には合っていると考えていました。

 なぜか、人と違うことをしないとダメだという思いがありました。学級新聞をつくる時も、他の班は教科書をコピペする程度だったのですが、私はいろんな編集を加えたりして、それを先生がほめてくれる。ああ、これでいいんだと。人と違うことをやって、何かしらの良い影響が生まれることに、昔から大きな喜びを感じていました。勉強ですか? まあ、できるほうでしたが、そればかりというわけでもありませんでした。サッカーや野球もやっていましたし、運動会ではいつもリレーの選手に選ばれていました。あと、小学4年までは、年中、Tシャツ、半ズボンで通っていたんですよ。お気に入りのTシャツと半ズボンを3枚そろえて、ローテーションさせながら。ある秋の日、母から「そろそろ衣替えしなさい」と言われて、「まだ暑いからいい」と断ったんです。その会話が2、3回続いて、母があきらめたんでしょうね。それからずっと続きました(笑)。

 小学生の時、祖父が「これからはパソコンがくる」と言い、両親に購入費をくれたんです。もらった以上は使わなければということで、家族で家電量販店に行って、モグラ叩きゲームが面白そうだという理由だけで、パソコンを選択。1995年当時は電話回線につないでインターネットにアクセスする時代でしたし、家の電話がつながらなくなると困るので、我が家では利用時間に規制がしかれていました。だから最初の頃は、ハンドスティックを使うパソコンゲームで遊んでいた程度です。インターネットにはまり始めたのは、知らない人と交流ができるチャットや掲示板の面白さを知ってからですね。2000年以前は今と違って、知らない人と交流することに対する抵抗が小さかったですし。私と同世代の人たちも同じようなきっかけでインターネットにはまった人、けっこう多いと思います。当社の取締役もそうでして、彼のキーボード操作は滅茶苦茶早いですから。

<村上太一をつくったルーツ2>
中学時代、食品会社に新しい事業アイデアを提案。
その結果は、残念ながらお礼メールが届いて終了

 1校に絞って中学受験をしましたが、不合格。実は、受験をするということに納得できないまま、両親から勧められて受験勉強をしたんです。人から「やれ」といわれたことにはやはり力が入りません。落ちたこと自体は悔しかったですが、気持ち的には晴れ晴れと、公立中学に入学しました。受験勉強して公立に進むと、すごく成績が良いんですよ。成績は常に3位以内をキープしていました。部活動は野球部に入部しました。父がソフトテニスの選手で、国体にも出場していたこともあって、本当はテニスがやりたかったのですが、なかったので。でも、顧問の先生が尊敬できる方でして。毎日、素振りすることの大切さとか。日々の努力の積み重ねがいつか必ず成果につながることを、丁寧に教えてくれました。私のポジションは5番のレフト。キャプテンの座は、キャッチャーで4番を打つ同級生に持っていかれましたが、区の大会では常に上位と、まずまずの成績を残すことができました。

 そういえば、私は中学までいっさい本を読まない子だったんです。母がかなりの読書好きで、毎晩、お酒を飲みながら本を読む習慣を持っていました。小学生の頃、そんな母から「あなたも本を読みなさい」と言われて反発したことが原因です(笑)。今思えば、もっと小説とか読んでおけば良かったと少し後悔しています。読書感想文を書く課題があるじゃないですか。原作の本を読まず、映画化されたスティーブン・キングの「グリーンマイル」を観て、感想文を提出していたくらいです。で、その感想文が校内で1番になって、表彰されたり(笑)。あと、「プロジェククトX」のようなビジネス系番組を見ては感動していました。自分もいつか、あんな感動的な仕事をしてみたいと。

 いつもいろんな事業アイデアを考えていました。"豚骨チャーハン"の素をつくったら売れるんじゃないかと思いつき、食品会社にメールで提案したこともあります。その会社に呼ばれ、試食会で意見を述べている自分をイメージしながら。結局、「ご提案をありがとうございました」という丁寧な返信メールをいただいて終わりましたけど。ネット好きなら、絶対に一度はプログラマーに憧れると思うんです。私も中学でJAVAに挑戦してみましたが、挫折……。プログラミングをマスターするためには、1冊目の教則本が大事だと思うんですが、その選択に失敗した気がします。私が手にしたのは「ピエロを動かしてみましょう」とか、内容がまったく面白くない。それ以降は、プログラミングよりも様々なサービスを使ったり、面白いサービスを考えたりする方向にシフトしていきます。

<早稲田大学高等学院へ>
スパルタで有名なテニス部の活動に集中しながらも、
起業という目標に向けた行動を確実にこなす日々

 高校受験に際しては、中学の成績、内申点共に良かったこともあり、推薦が使える私立高校をネットで検索してみたんです。そうしたら、早稲田大学高等学院に自己推薦枠というものがあって、書類選考と面談だけでOKだと。その制度を利用して受験し、合格することができました。そして、部活動は念願の硬式テニス部に入部します。ただ、ものすごい競争率を誇る部でして、1学年600人のうち100人弱が入部を志願するんですね。その足切りをするため、本入部までの期間に毎日毎日、これでもかというくらい走りこみをさせる。疲労骨折する人も出ました。私は目の前のことにひたすら集中して頑張れるタイプですから、黙々と走り続けました。結果、その年の本入部は10人程度でしたが、私もそのひとりになることができ、最後の年にはキャプテンを務めることになります。

 高校からは読書を解禁です。というのも、早大学院は日本の高校の中で蔵書量が1位。生徒が指定した書籍は、基本的にすべて取り寄せてくれるんです。それで、私も気になった本があれば指定して、読み始めるようになりました。最初に読んだのは、「ガイヤの夜明け」が書籍化されたものだったと記憶しています。日々、テニス部の練習に励みつつも、会社を興したいという思いはどんどんふくらんでいきました。そんな折、一緒に会社をやろうと話していた友人が、「ある社長主催のパーティに呼ばれたので行こう」と誘ってくれた。舞台美術などを手がける有名なアーティスト兼経営者で、頑張っている若者を応援するのが好きな方でもあるそうです。いい機会だと思い、その方のアトリエにお伺いしてみました。そうしたら、「今度、企画書をもっておいで」と。いくつか書き溜めていた事業プランの企画書をお見せしましたが、即、ダメ出しされましたね(笑)。

 当時は携帯電話のパケット料金がまだ従量課金制だったので、広告を見ることでパケット料金が無料になる昔のハイパーネット的なサービスとか、フリーペーパーではなくフリーCDRの出版・頒布事業とか。それらの企画書をつくっていました。あと、夏休み中にバイトをしたいと思ってネットで探してみたのですが、なかなかいいバイトが見つかりません。でも、街に出ると求人のチラシがあふれている。このギャップは何なんだと。だったら、自分がやりたいバイトを先に登録しておいて、求人ニーズが発生した会社がスカウトしてくれるWebサービスがあれば双方にとって便利なんじゃないか、とか。基本的には「これがあったら便利だろう」という自分目線で、いろんな事業アイデアを考えていましたね。また、高校時代は、将来起業する際に役立つかもしれないと考えて、簿記2級と、システムアドミニストレータの資格を取得しています。

<ビジネスプランコンテスト優勝>
絶対にトップになれる自信が最初からあった。優勝し起業へのスタートを切る

 高校3年まで、私は理系志向だったんですよ。でも、大学在学中に起業すると決めてから、実験や研究に時間を多く取られる理系学部はやめておこうと。それで実践的な商学部と、政治経済学部のどちらに進むか悩むわけですが、偏差値が高く、優秀で面白い学生が多く集まるだろう政経学部が良いと結論。結果的に、私は政経学部を選択し、そのとおり経済学科へ進学しています。ちなみに母は昔から、私が気になると思うような新聞記事を切り抜いてトイレの壁に張っておいてくれたんですね。高校3年のある日、翌年から早稲田大学で「ベンチャー起業家養成講座」がスタートし、ビジネスプランコンテストの優勝者は、大学のインキュベーション施設のオフィスが1年間無料で使えるという朝日新聞の記事が張ってありました。これは絶対に利用しなければと。

 大学1年の時は、遅刻もせずしっかり授業に出て、勉強していましたから、成績も良かったんですよ。私は基本的には真面目ですので。ただ2年以降は、もう起業に向けて一直線でしたから、授業はほとんど出ず、テストを受けて単位を取るのみ。大和総研の寄附講座である「ベンチャー起業家養成講座」には1年の時に当然エントリーしました。1年生から大学院2年まで200人以上の応募があって、書類選考で40人に絞られました。それをくぐり抜けた後は、どうしても優勝してオフィスがほしかったので、毎回最前列の真ん中で講義を受けましたし、講義修了後には必ず先生に企画書をチェックしてもらいました。気合の入り方が、ほかの人たちとはまったく違っていたと思います。

 私が考えていたビジネスプランは、高校時代に原型を考えたアルバイトの求人サイトです。当時は今よりも格段に景気が良く、企業はバイトが取れず困っていましたから、マーケット的にも実現可能性が高いと踏みました。早大のキャンパス内はもちろん、知り合いの女子大のキャンパス、ほか渋谷や新宿の街中でいろんな人に声をかけて、このサービスがあったら使いたいかリサーチ。一方、飲食店にも飛び込みでお伺いして、求人募集で使ってもらえそうかをリサーチ。そうやってどんどん企画をブラッシュアップしていきました。そして最終のコンテストでは無事優勝。その後、大和総研でのインターシップ期間を使ってマーケットリサーチを進め、さらに約半年間、IT系ベンチャー企業で営業のアルバイトを経験。そして、大学1年の2006年2月8日、満を持して株式会社リブセンスを設立することになるのです。

●次週、「採用成果報酬型・求人サイトは採用決定者へ祝い金。ジョブセンスが求人市場の常識を変える!」の後編へ続く→

"幸せから生まれる幸せ"を理念として新規事業を連発。
23歳の起業家が目指す、Webサービスの未来とは?

<リブセンス、起業!>
つらすぎる日々に耐えかね事業の売却を考えるが、
スタッフへの年初あいさつで継続を決断する

 大和総研でのインターンシップの最終日、コンサルタント20人くらいの前で私の事業プランを発表しました。最後に、「君はなぜそのビジネスをやりたいのか?」とコンサルタントの方から聞かれた私は、「やりたいから、やるんです」と答えていました。今考えても、よくそんなこと言えたなと(笑)。ビジネスプランコンテストで優勝してから半年間、IT系のベンチャー企業で営業のアルバイトをしていますが、それまで私はアフィリエイトやリスティングという単語すら知りませんでした。電話で法人営業するための基本もここで教わりましたし、社長や社員の方々にランチタイムや仕事帰りの食事に誘ってもらって、いろんなことを質問しました。この会社には本当にお世話になりましたし、今でも感謝しています。そんな準備期間を終えて、リブセンスをスタート。創業時の仲間は私を含めて4人です。1円起業の制度が始まった後だったので、私が200万円、プログラマーのふたりが50万円ずつ出資して資本金は300万円でした。

 Skypeで毎夜、毎夜、会議をしたり、朝7時に喫茶店に集まってディスカッションしたり。徐々にサイトの制作は進めていました。そして2006年4月、アルバイト求人サイト「ジョブセンス」のPC版、モバイル版のサービスを開始。当初は企業の掲載料は無料、応募1件当たり4000円の成果報酬型のビジネスモデルでした。創業前、初年度年商7000万円、2期目3億円というやたら右肩上がりの計画を立てていましたけど、1年目はまったくだめでしたね。役員報酬も半年後にやっと5万円です。僕自身はそれ以降も取っていない月がありますし。それでビジネスモデルを採用決定後の成果報酬、プラス採用が決まった求職者には祝い金も出すという仕組みに完全に切り替えたのがその年の11月。法人営業が格段にやりやすくなりましたけど、既存にないまったく新しいサービスです。リスクなしのモデルとして受け入れてもらえる自信はありましたが、本当にビジネスとして成り立つかどうかは不安でした。

 実は2006年の年末、売り上げが伸びず、先が見えない日々があまりにつらすぎて、知り合いの経営者に1本の電話をかけたんですよ。「社長、この事業を買ってくれませんか?」と。事業の畳み方自体わかりませんでしたし、お客さまがいるサービスを投げ出すわけにはいきませんから。その社長は、「わかった。でも、役員会議にかけないといけない。ちょっと検討させてくれ」と。そして年が明け、全スタッフを前にした当社の仕事始めの年頭あいさつで、「今年も頑張ろう!」とみんなに向けて話をしました。そしたらその雰囲気でスイッチが入った。まだまだいけるって。その後すぐに、オフィスの非常階段にこっそり隠れ、社員に聞こえないようにその社長に携帯電話で連絡しました。「すみません。やっぱり頑張ってみます」「そのほうがいい。それは良かったな」と。私は本当に感覚で生きているんですね(笑)。

<ひたすら仕事!>
様々な経験から多くの貴重な気づきを得て、経営者としての役割と仕事の要点を学んでいく

 その後、SEOを盤石にするため、ひたすら勉強して自社でツールを開発。2007年、「アルバイト」と入力すれば当社が検索サイトのトップに表示されるようになると、求人広告の掲載申し込みも、求職者からのアクセスもうなぎ昇りに伸びていきました。当時は本当に朝から晩までひたすら仕事をする日々が続いていて、平日の朝6時寝て、8時に起きるつもりが、夕方の4時に目が覚めたことがありました。おそるおそる携帯の履歴を確認すると、何件もの着信履歴。1日のアポイントをすべてすっぽかしてしまった。おまけにその日は、高校時代、私がバイトで大変お世話になった飲食チェーンの部長との約束があって……。大目玉をくらいましたよ。そうそう、この頃初めて全スタッフが集まった飲み会を開催したんです。この席で私が少し弱音っぽいことを言ったんですよ、確か。そうしたらスタッフのみんなが、「もっと頑張れるから任せてくれて大丈夫」みたいな雰囲気をつくってくれた。ああ、ひとりで悩んだり、踏ん張り続けるのではなく、もっと仲間を信じて頼っていいのかもしれないと、少しだけ気が楽になりましたね。

 初年度年商500万円が、2期目には7000万円へと大幅に増加しています。2008年5月に、社員向けの転職求人サイト「ジョブセンスリンク」のPC版、モバイル版のサービスを開始。こちらも簡単には軌道に乗ってくれませんでしたね。多くのバイトを募集する飲食店チェーンなどは、1社と契約すればチェーン他店舗の求人も、ほか様々な職種の採用も自然と拡大していきます。でも、社員採用は、基本的にひとつの企業にひとつの求人案件の場合が多いんです。なので、バイト採用に比べて、社員採用の企業開拓は難しい。また、私は「ジョブセンスリンク」の部門長にサイト運営の部分はすべてお任せで、転職サイトにはほぼノータッチ。これも良くなかった。そう気づいてから、彼と今後の展開について向き合って話をするようにしてみたんですね。やはり関心を持つということは、大切です。それ以降「ジョブセンスリンク」もいっきに良くなっていきましたから。社長の役割と存在意義の大きさを、改めて認識できた出来事でした。

 今では、「ジョブセンス」の掲載求人件数は2万件を超え、「ジョブセンスリンク」は約1000件強。ハローワークに登録されている求人情報も網羅しています。今のところ、世の中に良い影響を与えることができるメディアとして育ってくれているのではないでしょうか。ちなみに、「ジョブセンス」の1人採用当たりの成功報酬は3万円。「ジョブセンスリンク」は年収の20%。完全に採用されてから費用が発生するという安心感も手伝って、どんどん利用企業が増えています。当然ながら、当社のやり方を真似た後続企業もかなり出現。とある大手企業が子会社をつくって、成功報酬型の求人サイトサービスを開始しました。だから、もはや成功報酬というビジネスモデルの目新しさだけでは売れません。今後も、「なくなったら困る!」とより多くの方から思っていただけるサービスであり続けるよう、さらにサービスを進化させていく必要があります。

<未来へ~リブセンスが目指すもの>
平和で健全な成長戦略を継続していきながら、リブセンスをできる限り大きな会社に育てたい

 職を探している人と働き手を求めている企業双方をつなぐサービスとして、2009年11月には派遣社員求人サイト「ジョブセンス派遣」を、また、今年の4月には賃貸住居を探している人と不動産オーナー双方をつなぐ不動産賃貸情報サイト「door賃貸」をスタートしています。どちらも、まだまだ不便を感じているサービス領域であり、仕組みを改善できると踏んで挑戦を始めたビジネスです。当社は、既存にあるマーケットで"ナンバーワン"を取りに行くビジネスと、未開拓のマーケットで"オンリーワン"をつくり出すビジネスの両方を手がけてきたい。レシピなら「クックパッド」、グルメのランキングなら「食べログ」。ひとつの新しい文化、代名詞になるようなオンリーワンのサービス創出に取り組み始めます。

 私はまだ23歳ですが、60歳くらいまではバリバリ働いていたいと思っています。だから、それまでにリブセンスをできるだけ大きな会社にしていきたいです。ただ、社員が辞めることを前提に大量採用するといった規模拡大はしたくありません。現在、当社の社員数は約30名ですが、半数は技術者。社員採用を始めてから、まだ1人だけしか退職者が出ていません。会社の成長と社員の幸せが常に同じベクトルに向かっているような、そんな平和で健全な成長を続けていけるといいですね。そうそう、私はクックパッド社の上場式典を見学しています。何でもイメージが大事だと思っていて、自分も上場記念の打鐘をするシーンをこの目に焼き付けてイメージしようと。まずは打鐘する前に、こっちを向いて記念撮影のポーズ。そこまでイメージしています(笑)。できるだけ早いタイミングで、実現したいですね。

 ちなみに23歳の私は、新卒入社でいえばまだ2年目の新人で、社員の中では最年少であるにもかかわらず社長。来年4月には新卒3人を迎え、やっと年下の社員を持つことができるわけです(笑)。そんな私の夢は、もっともっと影響力のある会社をつくること。世の中を見渡してみて、何かが「変だ」「おかしい」と思った時に変えることのできる力を持ちたい。教育でいうと、すでにひとつ変えたいと考えていることがあります。私が高校生だった頃に、成功した経営者に会えて、話をすることができたらもっと何かが違っていた気がするんです。今もそんな授業や講座を持った高校の話をほとんど聞くことがないので、たとえば自分の力でそのような環境を高校生のためにつくってあげたい。でも、大きな影響力のある会社になるためには、まず自分に余裕を増やさなければなりません。今、個人的に毎月ユニセフ募金をしていますが、私が今以上に成功すれば、その額は必然的に大きくなっていきます。やりたいことを実現するためには、今やらなければならないことを着実にこなし、成長することが不可欠だと思っています。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
自分が幸せになれることで、相手を幸せにできること。
まずは自分目線のアイデアを仕事にするのが一番

 何事も大した意味はないと思っています。高校時代に「何でテニスを頑張るの?」と聞かれても、「楽しいから」であり、起業前に「なぜこのビジネスを手がけるの?」と聞かれても、「やりたいから」でした。でも、そうやってやると決めたことに関しては、必死で黙々とやるんです。ただ、その対象が時おり変わっているだけ。では、生きる意味とは? これがリブセンスという社名になっているのですが、誰もが幸せになるために生きていることは間違いないと思うんです。誰かに贈り物をした時、相手を幸せな気持ちにするという側面もありますが、もうひとつはその行為をしている自分が好きだからじゃないですか。そう考えていくと、結局、相手が幸せになることによって自分が幸せになれるような仕事をするのが一番。だから、リブセンスのモットーは「幸せから生まれる幸せ」なのです。

 大学生の方々には、学生起業にはいろんなメリットがあるので、ぜひやるべきと言いたい。特に、1、2年ならすぐに失敗してもそのまま学生に戻れるじゃないですか。年を取れば取るほど、成功率もリスクも高まっていきます。考えていることがあるのなら前に一歩を踏み出して、行動に移しましょうよ。私は小さな頃から大学時代まで、ずっと起業することを口に出して周囲に話していました。それによって得られた貴重な情報もたくさんあります。行動しないと、やりたいことの本質は見えてこないのです。一方、社会人の方々には、きちんと成果を出してから起業しましょうとお伝えしたいです。逃避で始めたことは、大成しないと思います。できることなら今いる会社でトップを取って、惜しまれながら会社を去る。そんな起業の始まりが、大成するやり方だと思います。

 今後、ビジネスチャンスのあるマーケットをひとつ挙げるとするなら、介護関連ビジネス。日本は世界でナンバーワンの長寿大国で、少子高齢化まっしぐらです。そして、同じような道をたどる国がきっと出てきます。特に一人っ子政策を講じていた中国などは間違いないでしょうね。今のうちに国内で介護関連ビジネスにトライしてノウハウをしっかり貯め、海外へ持っていきやすいような仕組みを構築しておけばいい。そのほかにもネットのニュースサイトで1日に数百件の記事を見る。見出しの単語を見ているだけで、事業アイデアが思い浮かぶことだってあります。新しい情報デバイスがどんどん生まれて、いつでもどこでもネットにアクセスできる便利な世の中なのですから、情報をどんどん仕入れて使わないともったいないですよ。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓
※この記事は2011年に取材、執筆されたものです。

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