第15回 株式会社サマンサタバサジャパンリミテッド 寺田 和正

起業家インタビュー

執筆者: ドリームゲート事務局

第15回
株式会社サマンサタバサジャパンリミテッド代表取締役社長
寺田 和正 Kazumasa Terada

1965年、広島県福山市生まれ。大学3年の時にカナダに留学し、革ジャンのイージーオーダービジネスを始める。88年、大学卒業後に野村貿易に就職。 91年、独立して海外ブランドの輸入卸で起業。94年、SPA(製造小売業)に転換し、サマンサタバサジャパンリミテッド設立。代表ブランド「サマンサタバサ」が誕生し、東京・渋谷のパルコに1号店オープン。99年、「バイオレットハンガー」誕生以降、毎年のように新ブランドを誕生させる。02年の春夏コレクションよりヒルトン姉妹を「サマンサタバサ」のプロモーションモデルに起用(デザイナーとしても活動)。以降、数々のセレブとプロモーションやデザインでコラボレーションを行う。05年12月、東証マザーズ上場。06年6月現在、バッグ8ブランド、ジュエリー2ブランド、小物1ブランドを擁し、全国に直営117店舗を展開。06年、オンラインショップの運営ほかネットビジネスを手がけるWW by Samantha Thavasa設立。

ライフスタイル

好きな食べ物

カレーライスが大好き 
カレーライスが大好き。「これさえあればほかに何もいらない」っていうくらい好きです。それに、ラーメンとか麺類も好きですよ。

リラックス法

友人とワイワイお酒を飲んでバカ話をすることかな 
普段のリラックス法ですか? 友人とワイワイお酒を飲んでバカ話をすることかな。お酒はワインが好きですね。

自分自身のファッション

愛車はアストン・マーチン
会う人に合わせるのはもちろん、自分自身の気分で着替えています。社長室のクローゼットに用意しているんです。愛車はアストン・マーチン。友人の鈴木亜久里さんに薦められて買いました。

もしも一週間休みがとれたら

南の島に行って、ボーッと過ごしてみたい
もし1週間オフが取れたら、南の島に行って、なんにもしないでボーッと過ごしてみたい。でも行けたところで、何も考えないで、とはいかないんですよね。オフであっても、つい感じていたビジネスアイデアについて考えちゃうんです。

ブランドビジネスの可能性を追求する

 カラフルで華やか。一目でそれとわかる個性的なデザインのバッグがいま、若い女性のハートをわしづかみにしている。ヒルトンホテル創業者一族のヒルトン姉 妹、歌手のビヨンセ、プロテニス選手のマリア・シャラポワ、サッカーのベッカム選手夫人のヴィクトリア、人気モデルの “エビちゃん”こと蛯原友里など、セレブを起用したプロモーションやデザインでも話題を集める。そのブランドとは「サマンサタバサ」。率いるのは寺田和正 氏。華やかなファッションの世界でタクトを振るいながらも着実に経営を推し進め、創業11年で東証マザーズに上場を果たす。創業時から世界を目指し、あえ て社名に「ジャパンリミテッド」とつけた。ニューヨークでの海外1号店オープンも間近に迫り、インターネットとリアルを融合する新しいブランドビジネスに も乗り出す――。そんな寺田氏の今日を築いた転機や、チャレンジブルな経営哲学を語っていただいた。

寺田和正をつくったルーツ(1)
“カッコイイ”経営者の父親に憧れ中学2年で起業を決意!

 父は、僕が物心ついた時から家業の会社の経営者でしたが、外車を運転して、友人がたくさんいて、と、とにかくスマートでかっこよかったですね。憧れ ていましたよ。とは言え、そんなにすごく裕福だとか、子供に帝王学を授けるような厳しさがあるとかいったことはなく、普通の家庭だったと思います。そんな 父親の姿をずっと見ていたからでしょうが、子供の頃からばくぜんと将来は社長になりたいと思っていましたね。もちろん、人並みに「野球選手もカッコイイ な」「商社マンもいい」などといろんな情報に接するたびに思っていましたけど、最終的にはいつも「やはり社長になりたい」という思いに戻っていきました。

  中学2年生の時でした。父親にはっきりと「家の会社の後継者は誰なの?」って聞いたことがあるんです。すると、「まだ決めているわけじゃないが……」とい う答え。それで、兄が継ぐんだなと察しました。その頃には、もう相当はっきりと「将来は経営者になる」と思っていましたから、父親のちょっとした表情や言 葉のニュアンスで感じ取ることができたんだと思います。その時に「ならば自分で会社をつくればいい」と強く思いましたね。

  そうと決まれば、一人では会社をつくれないことはわかっていましたので、一緒にやってくれる友人を探し始めたんです。遊び半分とかではなく、あくまで本気 ですよ。「あいつは話し方が上手だから営業をやってもらおう」とか、役割分担を考えて声をかけました。みんな「やろうやろう」と言ってくれましたよ。中学 生でそこまでやる人はあまりいないと言われますが、僕はそもそも周りの人と比べることをしないので、よくわかりません。とにかく真剣に考えていたことは確 かです。高校時代には、「社長ともなればゴルフくらいできないと」と練習を始めました。父親と一緒にコースも回りましたよ。当時、接待といえばゴルフか マージャンが当たり前で、それをこなして営業が完結するという時代でしたから。

寺田和正をつくったルーツ(2)
大都会・東京で活躍するイメージと故郷・福山への思い

 どんなビジネスをするかということを、いっつも考えていました。たまに東京に遊びに出かけた時は、例えば原宿のクレープ屋さんを見て、「これを福山 でやるとしたらどんなスタイルがいいか」なんてね。高校時代は、絶対に東京の大学に進学しよう、と思っていました。日本の首都で、ビジネスの中心地ですか らね。アメリカなんかはロスからニューヨークに行くのも大変だけど、日本は国土が狭いから福山から簡単に行けるでしょう。日本人に生まれてよかったと思い ましたよ。世界的な大都会にすぐ行けるわけですから。
でも、故郷の福山のことを忘れたことはありませんね。戻れるものなら戻りたいと思っています。愛情溢れる人たちがいるし、帰るたびに、以前栄えていたとこ ろがどんどんさびれていく姿を見るのは忍びない。今はまだサマンサは世界を目指している途上なので協力することは難しいですが、いずれ会社から引退したら 一旗挙げて、俺の力で栄えさせてやりたいって思いますよ。

  福山には、「洋服の青山」でお馴染みの青山商事さんの本社があります。創業者の青山五郎会長とは、子供の頃から家族ぐるみのお付き合いをしていただいてい ます。先日も、青山さんの喜寿を祝うパーティーが福山で開かれたので行ってきました。「ようやくスタートラインに立った」などとスピーチされて、意気盛 ん。世間では青山さんはワンマン経営者と思われているようですが、そうじゃないんです。力強いリーダーシップを発揮されていながら、人の意見をよく聞い て、自分が間違っていたらそれを率直に認めるという度量がある。そんな青山さんを支えている周囲の人も素晴らしい。同じ経営者として、本当に学ばせても らっています。

初めての挫折
受験に失敗し、志望大学をあきらめた自分の“意思の弱さ”を悔やむ

  実は、入りたい大学があったんですが、受験で失敗しました。周りの落ちた友だちはみんな浪人しましたが、僕は別の大学を受験して入った。本当は僕も 浪人して希望の大学に行きたかったんですが、母親に強く反対されましてね。「浪人したって勉強なんかしない、ダメになる」って言うんです。そう言われて、 自分でも「確かにそうかもしれない」って思っちゃったんですね。そうしたら次の年、浪人していた友だちが入りたかった大学に合格した。もう悔しくて悔しく てたまりませんでした。大学2年になった最初の頃は、毎晩のように飲み明かしてましたよ。

 何が悔し かったのかと言うと、親の言うことを覆せなかった自分の心の弱さなんです。人生では、決断しなくてはいけない分かれ道に遭遇しますよね。片方は自分の意思 を貫きとおす道。もう片方は、周りの意見やアドバイスに従う道。後者を選択する人って非常に多いと思うんです。その選択の結果ダメだった場合の「自分の考 えではない、誰々が言ったことだから」という言いわけを用意しておきたいから。僕の場合がまさにそうだった。「確かに、浪人して合格しなかったら大変なこ とになるな。そこまではできない」と安易な道を選択してしまった。そのことが悔しかったんです。人生で初めての挫折だったと思います。

  それで、3年になったら留学することを決めました。経営者になるなら英語ぐらいしゃべれなくちゃ、と。このこともまた、周りからは大反対です。僕は物事に 熱中すると止まらなくなって、年に2回くらい倒れていたんです、40度の熱を出して。母親は、病気になったらどうするんだと言い、当時付き合っていた彼女 も「行かないで」と泣くわけです。自分もそんなに体力に自信があったわけじゃないし、大好きな彼女と離れるのはイヤだから、行きたくないなと思うんです。 でも、会社を経営するには英語という武器は絶対に必要になる、と決意した。初めて周囲に背いて自分の意思を貫きましたね。自分で決めるということは、責任 が発生するということ。そのことの素晴らしさを初めて味わったわけです。

カナダへの留学と就職
学生ビジネスで当てたものの会社員を経験しておこうと戦略的に就職

 留学地のカナダに着いてしばらく経った頃、父親が脳梗塞で倒れたんです。電話で、父は「心配して帰ってきても病気は治らない。英語の習得や海外での 生活経験が今後の家族のためにもなる」と言いました。母親は「お父さんが死んだら生活は苦しくなる。覚悟してね」と。それで、自分は恵まれた家庭に甘えて いたんだなと気づかされました。すぐにビジネスを始めようと思って、カナダの大学生を英会話の講師として日本に紹介する仲介業をやり、その後、革ジャンを 日本で売る仕事を始めたんです。日本では1着30万円くらいする革ジャンがカナダでは10万円程度。観光に来る日本人はよく買っていたんですが、サイズが 合わなくてかっこ悪いの(笑)。なら日本人用につくればいいと思って、イージーオーダーを始めたんです。日本でフェアをやって、お客さんのサイズを測って カナダの工場に発注するわけです。お金がなかったから前金をもらってね。安かったこともあって、当たりましたよ。

  そのままそのビジネスを本格的に立ち上げる選択肢もあったんですが、一度はサラリーマンを経験しておこうと、大学を卒業して就職することにしました。この ままうまくいくはずもない、とも思っていましたから。いずれ海外のファッションブランドにかかわる会社を起こすと決めていましたから、そのシミュレーショ ンをするためにすぐに海外出張をさせてくれる会社を探し、野村貿易という中堅商社が浮上。就職活動シーズンの真っ只中に帰国して、この1社に絞って応募し ました。絶対に入社できるという自信がありましたから、ほかの会社は全く考えませんでしたね。

 入社 して半年後に、工作機械の商談でヨーロッパの8カ国に8泊10日で出張させてもらいました。いい経験になりましたよ。頭の半分では起業への思いはありまし たが、会社員になったからには社長を目指そうと思い込んで仕事していました。それが当然でしょう? だから、すぐ上の先輩社員はライバルと思って仲良くし ませんでしたね。また、会社の悪口をいう人もたくさんいて、相当ケンカもしました。だって、採用面接の時は「一生懸命がんばります」とか言って、入った後 で会社の悪口とか言うわけでしょう。給料がどうのこうのと。そんなの入る前からわかってただろう、と思うんです。そんなことがあったから、サマンサを起業 した時に、社員に対して「やりがい、プライド、良い報酬、そして信頼」を感じてもらうことが大事だと考え、それを企業理念にして今日までこだわってきてい るわけです。

サマンサタバサ寺田社長。女の子たちのハートをつかんで上場へ

ファッションブランドの輸入卸→SPAに転換
育て上げたブランドが大手に寝返っても「自分の責任」と腹をくくる

 サラリーマンを2年半経験して、91年に独立しました。賛成してくれたのは父親と祖母だけで、周囲からは反対されましたよ。バブルが崩壊した後だっ たから、「できるわけない、失敗するのが落ち」と。周囲は、失敗して父親を債務などに巻き込むことを恐れているようでした。本人からそう言われるならわか るけど、なんで周りから言われるのかと思いましたね。でも、そう言われてやめる人もたくさんいるでしょう。そこを越えて、自分で責任を取ると決めたらやる しかないんです。景気がいい悪いは関係ない。事実、起業した頃は、大変さよりも毎日が楽しくて仕方なかったですね。子供の頃から思い続けてきた経営者にい よいよなれるかと思うと。朝会社に行って、気がつくと夜中の1時2時という感じでね。

 しばらくは海外の ファッションブランドの輸入卸をやっていましたが、3年後にそれと並行しながらSPA(製造小売業)に転換して、サマンサタバサジャパンリミテッドを設立 しました。それには大きな理由があります。僕はプライドを大事にしているので、並行輸入ではなく、あくまでも日本の正規代理店としての契約を結んでビジネ スをしたかったんです。でも、ニューヨークのマディソン・アベニューに軒を連ねるような大手のブランドは全部代理店が決まっていて、つけ入る余地はない。 だから、大手の代理店には見向きもされないような新興のブランドを探すことになるわけです。そのブランドを日本で売れるようにするために、いかに魅力的な ものにするかを必死に考えてアドバイスする。そんな努力を重ねて売れ始め、認知度が上がると、大手が行くわけですよ。「寺田のところは1億? それでは しょうがないでしょう。うちなら5億は行きますよ」と。その瞬間に、努力を積み重ねてつくった1億円という金額でも小さく思えてしまうんですね。それで乗 り換えられてしまった。

 この話を聞いて、多くの人はひどい話だといってくれます。「そこまでして裏切るなん て」と。確かに悲しいことですが、でも僕は、それもそうだと思うんですよ。そのブランドにしてみれば大きく飛躍できるチャンスなわけですから。で、こうい うことになるかもしれないブランドを見つけてきて育てたのは、僕が決めたことなんです。そういう人と付き合ったのは僕の責任。人を見る目がなかったと。だ から恨み節は言いたくない。でも、その後で僕に会いたいと言ってきても絶対に会いません。そこまでお人好しじゃないし、僕の中では終わったことですから。 その人にとってはいい思い出だろうからまた寄ってくるんでしょうけど、2度と付き合わないです。

「サマンサタバサ」の誕生
「良い場所、良い人、良い商品、良い宣伝」にこだわる

 いくら愛情を込めたところで、自分のものでなければこういうことになる。だからSPAとして自社ブランド「サマンサタバサ」を立ち上げたんです。こ のブランドを成長させていくために、「良い場所、良い人、良い商品、良い宣伝」にこだわってきました。いつも新鮮で、いつまでも愛されるブランドであり続 けるために、店舗開発、人材育成、商品づくり、プロモーション活動という4つの要素を大切にしている。商品のデザインから販売に至るまで、すべての工程を 自ら手がけています。

 当初、20代前半の若い女性をターゲットにしたのは、一番ブランドに興味があ り、ファッションをリードしている層だから。現在は10代から40代くらいまで年齢層は広がっていますが、それは意識的に広げていきました。サマンサの バッグというと、ピンクでキラキラして、というイメージがあるでしょうが、長い歴史のあるブランドには伝統では勝てないですから、ファッション性を強く打 ち出すことにしたわけです。

 東京・渋谷のパルコに1号店を出しました。出店場所は、10代向けの妹 ブランドである「サマンサベガ」以外は、主要都市の、しかもデパートやファッションビルの1階入り口近くで最低20坪という条件にこだわっています。で も、当初はそんな良い場所には入れませんでした。交渉に行くと、ビルの人から「ここでどうですか」と引っ込んだ場所を提示されるわけです。身の丈をわかっ ていますから、最終的にはそこで始めますが、でも「僕はここでやりたい」と一番良い場所を要求しましたね。設立して5年くらい経った頃、できて2年くらい のブランドが、ニューヨークのデザイナーというだけで、あるファッションビルの良い場所を取ったことがありました。それを知って本当に腹が立ちましたね。 絶対にその場所を取り返してやると思いましたよ。

上場と“セレブ”から“ソーシャライツ”へ
上場で“大人の会社”へ社会的責任を強く意識

  ヴィクトリア・ベッカムやシャラポワ、ビヨンセなどのセレブリティたちにプロモーションやデザインで協力してもらっていますが、セレブなら誰でもい いというわけではなく、サマンサのバッグを本気で気に入ってくれている人を選んでいます。例えばヒルトン姉妹は、99年頃からニューヨークのショールーム で買ってくれていた。それで、何か一緒にできませんかと話しかけて始まったことなんです。これからもセレブとのコラボレーションは続けていきますが、今は ソーシャライツにも関心があります。ソーシャライツとは、チャリティなど社会貢献に熱心な名家出身であり、社交界の中心人物のこと。既にティンズリー・モ ティマーというソーシャライト(社交家)を起用しています。『VOGUE』や『ELLE』というファッション誌はもちろん、ニューヨーク・タイムズにもよ く登場する知性の持ち主です。当社も東証マザーズに上場して社会的責任を強く求められていますから、そういった方向を打ち出していきたいと。   上場してわかったことですが、先人のつくりあげてきたシステムには素晴らしいものがありますね。例えば稟議制度。最初は面倒だと思いましたが、社会的責任 のある組織として必要なことで、やってなかったのは間違いだと納得できたんです。当社ではそれまでは中途半端にやっていたんですね。上場して良かったなと 思うことの一つは、そのようにして大人の会社の仲間入りができるかなということがあります。とにかく、社会的責任が厳しく問われていると実感しています。 これだけいわれて大変な思いをするくらいならと、これからは逆に非上場の会社が増えるかもしれないと思うくらい。ちなみに、上場してM&Aを仕掛 けられることについてはあまり心配していません。この会社は自分でなければ経営できないというオリジナリティを突き詰めている自信がありますから。

ネットと世界への新展開
フラッグショップOPEN、新会社設立、そしていよいよ世界へと羽ばたく

 そのオリジナルな展開として、2005年10月に「サマンサタバサワールドウォーカー」という公式モバイルサイトを開設して、そこでしか買えないブ ランド「STNY by Samantha Thavasa」を立ち上げました。これにより、さらに多くのお客さまにサマンサの商品をお求めいただけるようにしたわけです。そして、この考えを推し進 め、今年の2月末にネットビジネスのブランド化を追求する新会社「WW by Samantha Thavasa」を設立しました。オンラインショッピングモールを核にして、エンターテインメントなどのコンテンツやファイナンス機能の提供、リアルの雑 誌を創刊して連動させるなど、あらゆるフィールドにチャレンジしていきたい。これまで、テクノロジーであるネットとリアルの世界はなかなか融合できないと 思われてきましたけど、ある一つのキーワードで結ばれつつあると読んでいます。今年は、ネットが第2のステージに上がる元年になるんじゃないかな。だか ら、WWは副業的なものではなく、いずれは「by Samantha Thavasa」を外して、独自性のあるブランドビジネスを目指していきたいと思っています。

 自分 たちでは、まだブレイクとまでは行っていないと思っているんですが、2005年4月、表参道の交差点にフラッグシップショップ「サマンサタバサ DELUXE表参道GATES店」をオープンさせたことは、一つの到達点かなと思います。でも、その“門”をくぐって世界に羽ばたいていくのはこれから。 諸事情で遅れていますが、ニューヨークの海外第1号店もじきにオープンし、世界への展開もいよいよ本格化させます。また、この秋には「SAMANTHA KINGZ」というメンズブランドも立ち上げます。しばらくは休めそうもありませんね。

<了>

取材・文:高橋 光二
撮影:内海明啓

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