「自分の農業」を見つけ出す / 富田淳也さん

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局
富田淳也さん
富田淳也さん●プロフィール
1974年、茨城県生まれ。日大拓殖学科卒業後、海外青年協力隊としてアフリカ・マラウイ共和国で農業指導。その後東京農工大学大学院に進み、 2004年夏に参加した㈱パソナ主催の農業インターンプロジェクトで就農を決意。2005年5月、鹿児島県日置市東市来町の50アールの農地を借り受けて 野菜栽培を開始。多彩な地域活動にも参加し、農業・農村の活性化につながるアイデアを練っている。
URL: http://www.kosakunin.net/index.html
 
土づくりから販路開拓まで。
自分で考えて自分で答えを出す楽しさを
追求しながら、「やりたい人がやれる農業」の
スタイルを探しあてたい。

 

茨城育ちの富田さんが、縁もゆかりもない鹿児島の地で就農したのは2005年5月のこと。

拓殖学科で学んだ大学時代に、有機農法と出会い、青年海外協力隊員 としてアフリカで農業指導の実績を積んだ気鋭の研究者の横顔を持つ富田さんが、学者でも農業法人でもなく一人の農民として農業に関わることにしたのはなぜか。

選択の背後に息づく思いを聞いた。

「自分の農業」を見つけ出すための10年

農業を始めるなら、寒いところより暖かいところ。
温泉と海と川があれば言うことナシ。

そんな土地を求めて、名刺一枚を頼りに放浪の旅に出た富田さん。

縁あって鹿児島の一隅に居場所を得て、2005年6月から一人で農業を始めている。
50アールの畑で10種類以上の野菜を育て、近隣の3つの産直センターに出荷。

「まだまだ収入というほどの額じゃない。これからですね」
と、富田さんは屈託なく笑う。

バランス感覚を備えた自由人、とでもいうのだろうか。
経歴から想起される大胆奔放なイメージと、初対面の相手にも人なつっこい笑顔を見せる気さくな人柄。
そのギャップの間に、富田さんが目指す農業のスタイルと、そこに秘められた豊かな可能性が垣間見える。

「農業との関わりが始まったのは、海外協力隊に入りたくて拓殖学科を選んだ大学時代。自主研修といいますか、有機農法を実践している千葉の農家に押しかけて(笑)、野菜づくり全般を体験させてもらったんです」

この経験を、富田さんは大学卒業と同時に開花させる。

海外青年協力隊員としてアフリカ・マラウイ共和国へ飛び、野菜栽培指導を約2年。
帰国後は、指導体験をまとめた文章が評価されて大学院の持続生物生産技術学研究室に。
そして在学中に大学や国際関係団体から研究資金を引き出し、再びマラウイへ。

「栽培指導とは別に、伝統農法の研究、加工食品の調査、農民組織の運営サポート…いろんな経験を積みました」

やがて大学院も修了。

「農業に関わる人生。方向性だけは定まっていましたが、どんなカタチがいいのか、正直わからなくて」
このとき、富田さん29歳。答え探しの試行錯誤が始まった。

楽しさも可能性も、「多様性」の中に隠れている

まず飛び込んだのが、米の裏作によるレタス栽培で、反収(10アールあたりの収入)100万円を稼ぎだす農業法人。
が、答えは出なかった。

「広い田んぼに何十人もの“作業員”が入って、ひたすらレタスを収穫していました。
経営手法としては否定しないけど、何か工場みたいで楽しめなくて」。

次に試したのは、2004年6月~12月にかけて(株)パソナが主催した農業インターンプロジェクトへの参加。結果的にはここでの体験が富田さんに就農を決意させることとなった。

「秋田県の大潟村でレタス栽培に取り組んだんですが、台風とは無縁のところなのにその年に限って台風が来てしまって…」

レタスが壊滅的な打撃を受け、卸業者への納入予定はすべてご破算。
途方に暮れながらも、
「受け入れ先の農家に少しでも恩返しをしたい」
と、インターン仲間と知恵を絞って生き残ったレタスの販路を開拓。

「各地の産直センターや学園祭など、片端からアタリをつけて売りました。
“チゲ将軍”の名前で売り出した手づくりキムチも人気で、サイトも立ち上 げたほど。
単純だけど、自分で作った野菜や加工品を自分で売るのが、とにかく楽しかった。
ああこれが農業の醍醐味だな、と」

この経験が、長年の研究と実践で膨らんだカオスをひとつの道筋の上に整列させた。

土づくりから始まり、丹精こめて育てた作物を自分で値段をつけて売りたい。
もうひとつ、単作つまり単一の作物ではリスクが大きいし、第一面白くない。
多様な作物を、経営者として、有機農法で。目指す農業のスタイルがハッキリと見えた。

農業ほど自由で楽しい職業はない。だからこそ――

「耕作放棄地」。
高齢化が進み、農業を続けられなくなった結果、放置されて荒れるに任せた農地をこう呼ぶ。
富田さんが暮らす地区でも年々増えているが、

「いやあ、ものすごい宝の山ですよ」
と富田さん。

「都会の人が農業をやりたくても、何をどうしたらいいかわからないのが実情。
でも実際には農地も家もこんなに遊んでいる。その気になれば始められるんです。
問題は、暮らしが成り立つ農業ができるかどうか。
そこをなんとかすれば、農業ほど自由で楽しい職業はないと思います。
そのことをアピールするためにも、まずは成功例をつくりたい」

1年間は実験、のつもりでスタートしたという富田さん。
試験栽培や販路開拓のデータが出揃う頃には、富田流の新しい試みを始めるつもりだ。

「とうもろこしで作るマラウイの主食“シマ”など、加工品の販売も考えています。まあ、見ててください!」
そう言って、富田さんはまた満面の笑顔を見せた

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