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第117回 株式会社ヤッパ 伊藤正裕

起業家インタビュー

執筆者: ドリームゲート事務局

- 目次 -

第117回
株式会社ヤッパ 代表取締役社長
伊藤正裕 Masahiro Ito

1983年、東京都生まれ、芦屋育ち。母から英語が使えるようにと勧められ、3歳からインターナショナル・スクールに通い始める。2001年、大阪インターナショナル・スクール(OIS)を卒業。OIS在学中の2000年6月、16歳でiモードを利用したCRM(顧客情報管理)の手法を考案し、特許を出願。学業のかたわらビジネス展開を見越し、自ら企画営業をスタート。同年12月、17歳で株式会社ヤッパを設立。2001年5月、世界で唯一の3D技術を保有するイスラエルの3Di社と契約(その後買収)。特約店制度やさらなる独自技術の開発に注力し、3D画像の製作数を飛躍的に伸ばした。2004年5月、フランス(パリ)に、翌年6月にアメリカに海外支社を設立。2005年頃より、携帯のUIなどミドルウェア事業、電子出版ソリューション事業へのシフトを開始。2008年末、3D画像事業を加賀電子に譲渡。現在は電子出版ソリューション事業に注力し、新聞社、雑誌社などを中心とした幅広い顧客がヤッパのクライアントとなっている。第29回経済界大賞「青年経営者賞」受賞。

ライフスタイル

好きな食べ物

すき焼きです。
家業が肉を扱っていたせいか、小さな頃からご馳走といえば、すき焼きでした。ですから、今でもすき焼きが好きですね。ちなみに、食べ物の好き嫌いはほとんどありません。しかし、お酒はいっさい飲みません。体質的に受け付けないです。でももし、飲んでいたら体が持たないと思いますので、お酒が飲めなくて良かったと思います。

趣味

車の運転と読書です。
車の運転が大好きです。時間があれば遠出もします。これまで、いろんな車に乗ってきました。開発者の話や、パーツのこだわり等、好きだから調べては、いろいろと乗り換えてきました。ちなみに、今の愛車は小さなアウディです。その前は、インサイトでした。読書も好きでよく読みますが、ビジネス書等とかではなく、フィクションが多いです。

行ってみたい場所

ギリシャです。
旅行は好きです。でも、最近はご無沙汰で、去年に妻とオーストラリアに出かけたのが最後です。1日2万円でヨットをレンタルして、7日間、ふたりで無人島クルーズを楽しみました。それが最高に面白かったです。いつになるかはわかりませんが、今度は、ギリシャや、地中海あたりを旅行してみたいと考えています。

最近感動したこと

子どもが生まれてくること。
今年の11月に、子どもが生まれる予定です。なんだかとても不思議な気分で、我が子の誕生が本当に楽しみです。妻の妊娠がわかってからは、体調も良いし、仕事も順調です。よく眠れるようになりましたし、生活パターンもしっかり守っています。もっときちんとしなければという、父としての心地良い責任感が醸成されているのかもしれません。

10年前、17歳でヤッパを設立した青年社長が、
電子出版ソリューション事業で世界と勝負する!!

 社名はヤッパ。「やっぱ、いいよね」「やっぱ、面白い」の"やっぱ"を由来とし、10年前の設立当時、17歳だった青年社長、伊藤正裕氏がつけた社名である。2000年代初頭、ヤッパは3D画像事業を軌道に乗せ、一躍有名ベンチャーの仲間入りを果たす。が、2005年を境に、大きく2つの新規事業に会社の軸足をシフトし始める。そして現在の主力事業は、電子出版ソリューション。産経新聞、日本経済新聞などの新聞社、ほか多くの雑誌社がヤッパの技術を採用し、スマートフォンやタブレットコンピュータに、電子出版物を配信している。常に3年後を見越し、生き残るためにはどんな事業が最適か、自分たちができることで世の中への貢献につながる事業は何か、伊藤氏が考え続けたことの答が、今のヤッパにある。
「私が定めた会社のゴールとしましては、常に社会にしっかり貢献している会社であることです。自らの事業が世の中に本当に役立っているか、なくてはならない会社になっているかどうか。そういった意義ある仕事をできるだけ長く続け、大きくしていくということです。」
今回はそんな伊藤氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<伊藤正裕の子供時代>
できるだけ早く一人前にならなければ……。そんな強迫観念につきまとわれた少年時代

 生まれたのは東京ですが、生後7、8カ月後に兵庫県の芦屋市に転居しています。父方の祖父は伊藤ハムの創業者で、父も祖父を継いで伊藤ハムの社長を務めていました。一方、母方の祖父は、アメリカの会社が買い付けに来るようなおもちゃ問屋の経営者で、流暢な英語を話す人でした。ちなみに、私は両親が40歳を超えて産んでくれた一人っ子です。なので、父からは「普通の親子と比べて一緒にいられる時間はきっと短い。だから、できるだけ早く独り立ちするように」と小さな頃から言われていました。また、母からは「家業はあるけど、正裕は関係ない。お父さんの会社には入れません」と言われていました。将来は英語を使って外国で仕事をする機会が増えるだろうという母の勧めもあって、私は幼稚園からインターナショナル・スクールに通うことになりました。

 当時のインターナショナル・スクールは、今と違って日本人の生徒はごくわずかです。小学生の頃は、同級生は外国人ばかりで、ハーフでもない日本人は私一人だったと記憶しています。そんな環境で過ごしていましたから、人種の違いなんてまったく気にすることもなく、これが普通なのだと思っていましたね。また、神戸の山奥に住んでいましたから、インターナショナル・スクールに通うのは遠くて大変でした。放課後に友だちと遊ぶ時間なんてないわけです。だから、家に帰って船やガンダムのプラモデルをつくったり、それらをモチーフにした架空のストーリーを考えたり。そうやって自宅の部屋で、空想の世界にひたって遊ぶことが多かったですね。

 勉強は正直得意ではなかったです。自分で納得できたものにはのめり込めるのですが、根が頑固なのか、そうでないと頑張れないですね。ただ、私が受けたインターナショナル・スクールの教育で、今でも役立っていると思えるものはいくつもあります。幼稚園の時でしたが、ショウ・アンド・テルというメソッドで、自分の好きなおもちゃを幼稚園に持って行って、教室でみんなが輪になって座り、そのおもちゃを紹介し合うのです。どんなおもちゃで、いつ、どこで手に入れたのか、そして、なぜそれが好きなのか、論理的に自分の言葉で説明し、友だちを説得しなければなりません。毎週のようにその授業が行われ、説明が終わった後に、友だち同士でそのおもちゃで遊んだり、交換したり。説得力とコミュニケーション能力を育んでくれたトレーニングでしたね。

<伊藤正裕の学生時代>
3歳からインターナショナル・スクールで学び、
物事の真相や本質を探る思考力を鍛えられる。

 仕事柄、「理数系ですよね?」とよく聞かれますが、数学が苦手で、好きなのは文系。中学時代に好きだったのは世界史です。特に第一次世界大戦以降の近代史は面白かったですね。たとえば、ヒットラーの第二次世界大戦での行動背景を説明する為に図版などを自作してみんなの前で発表するわけです。つまり答えは一つだけではない、自分流に考えて、それをわかりやすく表現せよと。そんな、決まりきった答えのない勉強が好きでした。

 歴史の最終試験も思い出深いものでした。1934年のある新聞に掲載された、ヨーロッパの国際情勢を風刺した政治漫画を題材とし、その漫画から汲み取れることをすべて考えよ、という内容でした。漫画の中の登場人物は誰を象徴していて、何を持っていて、服は何を意味しているのか。さらに、当時の社会的経済状況はどうだったか、また、この新聞はどこの新聞社のもので、その新聞社は政治的には何党寄りで、論調にバイアスがかかっていないか、等。そこまでしっかり説明できないと合格点をもらえない試験でした。何とか及第点が取れた程度の成績でしたが、物事の真相や本質を探っていく思考力はずいぶん鍛えられたと思っています。インターナショナル・スクールでは、たくさんの得難い親友もできました。カナダ人やインド人など、今でもみんな一緒になって遊んでいます。

 中学3年の時に、シリコンバレーの高校に1年間留学しました。一人っ子でお坊ちゃん育ちだった私を寮生活で鍛えようという両親の思惑だったのだと思います。当時の私は、アメリカの大学への進学を希望していました。それで、そのままアメリカに残って大学進学を目指すために、ある名門高校を受験しました。しかし、その高校に合格していたにもかかわらず、ちょっとした連絡ミスがあって、行きそびれてしまい、結局、帰国して、大阪・千里にあるインターナショナル・スクールに再び通うことになりました。でも、芦屋の自宅から学校までの通学時間は往復で4時間もかかります。そんな私を心配した母が、勉強に集中させるため、学校の近くにアパートを借りてくれました。

<17歳で会社設立>
携帯を使ったCRM事業で起業するもとん挫。
差別化を求めて行きついたのが「3D」だった

 アパートは学校から歩いて10分弱の場所にありました。最初は自炊をしていたのですが、だんだん面倒になって、コンビニエンスストアに毎日出入りするようになったのです。買い物をしてレジに行くと、店員が私の顔を見ながら、何かをレジ端末に打ち込んでいることに気付きました。いったい何をしているのだろうと不思議に思い、ネットを使って調べてみました。そうしたら、それはPOS(販売時点情報管理)データの収集で、顧客の年齢や性別、地域、職業などの情報を集めているということがわかりました。そして、これらの情報を使って、様々な企業がマーケティングを行っているという。それをもっと効率的に集めることができれば、ビジネスになるのではないだろうか……。ピンときたのです。その後、携帯電話を使っていてあることに気付きました。面白い占いサイトを見つけて、遊んでいた時のことです。自分の運勢を知るためには、年齢や性別、地域、職業など、いわゆる4大属性を、何の警戒心もなく、誰もが必ず入力します。ここで、先ほどお話したマーケティングデータ収集のビジネスと、占いサイトが結びついたわけです。

 様々な人たちに相談しながら事業計画書を作成し、2000年の6月、まずは占いサイトを通して顧客データの収集を行うビジネスモデルの特許を出願しました。父からは、「人様のお金で失敗するわけには行かない。会社をつくって起業するか、大学に進学するか自分で決めなさい」と選択を求められました。日本の場合、インターナショナル・スクールからでは、海外の大学に行くしかありません。たとえば、行き先がアメリカだと、ある程度まとまった金額が必要となります。大学資金として用意してくれていたその費用を起業資金として使ってもいいと言ってもらえました。

 そして私は携帯の公式サイトをつくる為に起業を選択し、2000年12月に株式会社ヤッパを設立します。まだインターナショナル・スクールに在学中で、17歳の時でした。それからすぐに携帯の公式サイトをつくろうと大手携帯電話キャリアに100ページにもおよぶ企画書をつくり、足かけ約11カ月も通って交渉を続けました。その一方で、複数の有名企業へ、このビジネスモデルを活用いただく為の営業もしました。応援してくださる企業はたくさんあったのですが、結局、大手企業からすると、アイデアが良くても生まれたての小さなベンチャー企業は信用されず、なかなかビジネスにはつながりません。ただし、ここであきらめるわけにはいきませんでした。小さな会社が勝負するためには、ほかの会社が持っていないものを持つしかない。差別化するためには技術、テクノロジーだと方向転換し、必死で調べる中で行きついたのが「3D」だったのです。ここでこの携帯の公式サイトをつくるビジネスモデルはお蔵入りとなります。

<ピンチの連続!>
乗っ取り屋に騙され倒産の危機に陥るが、
自動車メーカーを顧客に3D画像事業が急伸

 最初に出会った3Dの技術者は、実は自前の技術を何も持っていない詐欺師同然の人物でした。ただし、パソコンで動かせる3D画像が本物なら、ものすごいビジネスチャンスとなることは、営業のプロセスでわかっていました。その後、インターネットを使って世界の3D技術を調べていく中で見つけたのが、イスラエルの3Di社でした。この会社は、プラグイン無しで3D画像を動かすことができる素晴らしい技術を持っていました。しかし、マーケティングがうまくいっておらず、その商用化に苦しんでいたのです。その技術を何とか日本で売らせてほしいと粘り強く直接交渉し、2001年6月に独占契約を結ぶことに成功しました。もちろんそのままの状態では売れないので、3Di社の技術を核に、日本の企業に受け入れてもらうためのさらなる技術開発に取り組みました。ちなみに、その翌年には世界展開を進めるため、同社を買収しています。

 地道な営業活動を続け、同時に特約店開拓を進め、徐々に我々の3D制作点数が増加していきます。もちろん、順風満帆だったわけではありません。ある会社から、この3D技術を絶賛され、大型受注を取りに行ったことがありました。契約も無事に成立し、その対応のために、技術者も増員し、そろそろ本格的な作業を、という寸前で入金予定日の前日に「見積もり額がひとケタ多い」と難癖をふっかけてきた会社もありました。聞けば、その会社は乗っ取り屋としても有名で、最初においしい話をしておいて、ぎりぎりになって発注をドタキャンさせて、資金が続かなくなったベンチャー企業を安く買いたたくという手管です。本当に倒産寸前まで追い込まれましたが、第3者割当増資を行うことで、何とかその時はピンチを乗り越えることができました。

 当時は社員みんなで考えながら、毎日、売れる商品について考えていました。そんな中、自動車が好きな3D技術者が、自動車の3D画像をつくっていたのです。画面の中で様々な角度に動かせて、色やパーツも自由に変えられるという。これを見た、カーディーラー出身の営業スタッフが、「見積もり機能を付加すれば、絶対に自動車メーカーに売り込める」と言い出しました。デモシステムをつくって私自身が営業に回った結果、長い年月を経てこのコンフィギュレーターシステムは、国内大手クルマメーカー数社に採用いただきました。また、海外への営業も進め、ヨーロッパやアメリカの有名メーカーにも採用いただきました。そうやって会社設立から5年後の2005年頃までは、3D画像のビジネスを推進していくのですが、ヤッパは継続のために大きなかじ取りを決断することになります。

●次週、「17歳の社長も今では27歳に。世界から求められるインターフェイスカンパニーを目指す!」の後編へ続く→

人と情報との接点=インターフェイス創造企業として、
最先端の技術を、より早く、より安く提供し続ける

<新規事業へのシフト>
3D事業からの撤退を徐々にスタートし、電子出版ソリューション事業を立ち上げる

 設立当初から、常に、より安く、より早く、良いものをお届けする。これが我々のミッションです。3D画像の制作スタッフには時給制でフィーを払うわけですから、それは固定費として絶対に出ていくお金です。その間にたくさんつくらないと、原価が下がらない。そのことは数学が苦手な私にもわかったので、生産管理は徹底しました。3D画像はクリエイティブなものでありながら、工業製品と同じようなクオリティコントロールと大量生産ができる。そうやって良いものを早くつくれれば、売れないはずがないと。業界事情を知らなかったからできた、斬新で新鮮なアプローチだと思っています。だから多くのお客様から求めていただけたのだと思っています。

 今でも、我々が開発したコンフィギュレーターシステムをお使いいただいているメーカーさんがあります。ただし、この事業そのものは、2008年末に技術とスタッフごと加賀電子さんに譲渡しています。実は、2006年くらいから携帯電話のミドルウェア事業にシフトしつつありました。携帯電話のグラフィックライブラリーをつくるというビジネスです。携帯電話の中で3Dの技術を使い、ユーザーインターフェースを向上させるために、画面の遷移や画面の動きを滑らかにするという。そんなテクノロジーをキャリアや端末メーカーに採用いただき、1台につき、いくらかいただくわけです。NDA(秘密保持契約)がありますから、個別社名は申し上げられませんが、国内外の様々なキャリア、メーカーに採用いただいています。

 その携帯ミドルウェア事業と同時並行して、電子出版のビジネスを2005年頃から始めています。電子新聞というかたちで、産経新聞さんの「産経NetView(ネットビュー)」が最初で、他大手新聞社数社へも採用いただいております。また、iPhone発売以降は、iPhone上での電子新聞や、電子雑誌というものをiPadを含めて展開しています。2本立てで新規事業に軸を移していきました。その結果、現在の我々の主軸事業になっているのが、電子出版事業です。おかげさまで多くのお客様から採用いただいています。

<新しいデバイスがメディアを変える>
次々と生まれる新しいデバイスに、マーケットは確実に食われていく

 新規事業にシフトするためには、かなり前から既存の事業を見極めないとダメです。かじ取りには、ある程度の時間がかかりますから。障害物が見えてからかじを切っても、おそらくその障害物にぶつかってしまうでしょう。更に、直感的な目線も大事です。常に自分の事業を、あたかも他人かのように、一歩引いて、この方向性で本当に正しいのか監視し続けなければなりません。直感は鍛えることができます。それは世の中の動向、流れを必死で追いかけ、勉強するしかありません。私も色々なニュースやブログ、新商品の情報を、一所懸命見ていましたし、その行為自体が好きでもありました。ネットブックが登場したのが2005年前後だったと思います。その後、スマートフォンが誕生し、携帯電話とパソコンの間のセグメントがどんどん埋まっていきます。そんな流れを見ていると、パソコンに向かって仕事をするタイミングが減っていくことが予測できました。

 そうやって世の中の流れを俯瞰して見ていたからこそ、新しい路線を探さないといけないという危機感が持てたのです。30人から50人、売り上げ数億円の会社で考えると、新規事業を立ち上げて、本格稼働させるためには最低でも18カ月、1年半はかかると思います。2年、3年かかるのは当たり前と思っておいたほうが良いくらいです。そういう意味では、今から2年後、3年後のことを見越して、今を考えなければならないので、3年後まで100%現在のビジネスが安泰していると言いきれるかどうか。さらに成長し続けられるかどうか。少しでも不安があるのであれば、変化の方法を考えていくことが大事だと思います。

 今、当社の社員数は50人くらいです。3D事業を譲渡した時に、人がずいぶん減りました。経営手法も変えまして、不景気に対応した経営基盤をつくるために、固定費もできる限り下げ、いつも身軽な状態でいるようにしています。特にビジネスのゴールにたどりつくまでには数十年かかることもありますから、紆余曲折を経ながら最終的に到達できれば良いという考え方です。私が定めたゴールとしましては、常に社会にしっかり貢献できる会社であること。自らの事業が世の中に本当に役立っているか、なくてはならない会社になっているかどうか。そういった意義ある仕事をできるだけ長く続け、大きくしていくということでしょうか。今、コミュニケーションカンパニー、インターフェイスカンパニーを標榜していますが、常に、大量の情報と人との接点をつくる会社を目指しています。これも、3D時代から変わっていない当社のミッションです。

<未来へ~ヤッパが目指すもの>
世の中にとってなくてはならない、裏方技術者集団になっていく

 我々の電子出版のプロダクト名は「Spin Media」といいます。このSpinMediaは当社の3D技術を基に開発した独自の電子出版物配信システムです。雑誌、新聞、カタログなどの印刷物を高速技術でデジタル化し、携帯電話やパソコンにネット配信するトータルソリューションです。このSpinMediaという名前に込めた意味が、当社の2年後、3年後の成長ストーリーでもあります。Spinは回転するという意味ですが、立体は回転します。立体化技術のルーツとテクノロジーを加えながら、マスメディア、ソーシャルメディアと融合していく。また、新たにメディアをひねろうと、そんな意味でもあります。今、放送波と紙とパソコンによってインフラが大きく3つに分かれています。本来であれば競合するような情報が、インフラが違うために共存できている。要するに今、情報は供給過剰なのです。我々は、ここ2、3年で、常時接続型のiPadのようなタブレットコンピュータ、またその子孫となるデバイスが一気に普及していくと見ています。放送波を受信でき、紙の代わりにもなり、パソコンとしても使える。そうなると、既存のメディアが変わらざるを得ないわけです。

 そんな流れの中で、電子出版から新しい次世代メディアの創出、さらにコンテンツホルダーの配信のお手伝いをするというのが当社の3カ年計画であります。さらに我々がお手伝いする以上は、最新の技術で、一番のビジネスモデルで、一番早く、そして安く提供する。つまり、業種、業態は変わったけれど、3D画像事業の時のミッションとまったく変わっていないのです。そうやって本質的に、我々のお客様のお役に立つことを続けていければいい。それを目標に、世の中にとってなくてはならない、裏方技術者集団になれれば良いと思っています。結局は、基本理念を守り、自分たちにできることを必死で考えながら、会社を継続していくことが大事なのですから。

 成功する企業の条件を明確に定義することは難しいです。たとえば、2005年に大成功していた会社があったとします。でも、その会社の株価が今では数十分の1になっていたり、あるいは倒産していたりします。一歩引いた目線で見ると、2000年代にその会社は本当に成功した会社といえるのかどうか。さらにはもっと目線を引いて、2000年から2100年の100年間の間で人類に貢献した会社かどうかを見ると、その会社の社会への貢献度は長くても5年分ということになります。一方で、地味だけれども地道に100年間、本当に人様のお役に立つ仕事を続けられる会社のほうが、おそらく『成功』しているといえるはずです。なので、ブームに乗って一瞬だけ輝くのではない、経営戦術を常に駆使せねばと思っています。会社の規模感については、売り上げよりも利益率を重視しています。我々がやっているのは、まったく新しいハイリスク・ハイリターンのビジネスモデルですから、常に新規事業に再投資できる状態をつくっておきたいです。なので、これからも最先端のポジションを維持するために、少数精鋭のまま、果敢な挑戦が続いていくのだと思います。

<これか ら起業を目指す人たちへのメッセー ジ>
企業経営者はフィジカル面もメンタル面も、常にバージョンアップさせていく必要がある

 起業・独立をするかしないかは、基本的には個人の判断です。ただし、気軽にしていいものではありません。今の経済環境ですと、かなりの向かい風ですしね。起業したら、本当に、本当に、大変な瞬間という時があります。もう終わりだとか、どうにもならないとか、その時の辛さといったら、命にかかわるような大病に匹敵すると思います。難なく成功されている様に見える経営者もいらっしゃいますが、それは現在進行形ですから、そんな方にも、どこかで必ず大変な瞬間が訪れると思います。私の周囲の経営者にお聞きしても、必ずそういった経験をお持ちです。ですから、それに耐えられる、人に迷惑をかけずに続けられる、その覚悟がまずはあるかどうか。そこが重要だと思います。あとは、性格的に起業に向いているかどうかの判断でしょうか。無理してやっても意味がないわけですから。

 これは完全な私の主観ですが、自分に厳しく規則正しい生活ができているかどうか、人付き合いや、家族、家庭を大切にしているかどうか、一社会人としてきちんと自立できているかどうか、まずはこの3つがベースです。そして、飽き性であってもかまいませんが、諦めない性格かどうか。一度決めたことを最後までやり抜く根性があるかどうか。さらに、起業したら長い期間をかけて勝負することになりますので、これから5年、10年、自分の志だけにコミットできるかどうかも大切です。たとえば、人から出資を受けて、人を雇って起業したら、簡単にはやめられません。これらの質問に対する答えがすべてYESであれば、その人は起業に向いていると思います。ただし、少しでも迷いがあるなら、私的には考え直したほうが良いと思いますね。

 企業経営者はフィジカル面もメンタル面も、常に自分をバージョンアップさせていく必要があります。そういった意味では、スポーツとよく似ているといえます。スキーに例えてお話しますと、何回も滑って克服した斜面を1万回滑っても、それ以上は上達しません。一方、もしかしたら死ぬのではないかと思えるような急斜面を克服すれば、先の1万回よりも1回で上達します。これはビジネスも一緒です。人にはお勧めしませんが、起業して銀行から担保と個人保証をつけて多額の資金を借り入れたとしましょう。そうすると、いきなり超・急斜面に立ってしまうわけです。その状態で事業を始め、しっかり売り上げを挙げて、借金を返済できたとしたら、その人は経営者として一皮むけた人に成長しているはずです。何が言いたいのかといいますと、大きなリターンを取りたいなら、常にリスクが付いてくるということです。少々厳しい話になりましたが、起業するもしないも自己責任。揺るぎのない自信があるのなら、ぜひ挑戦してほしいと思います。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓

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