7400本が予約で完売。秩父で生まれた世界最高のウイスキー「イチローズ・モルト」

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

日本の起業家がつくったウィスキーが、世界を席巻!

展開している事業内容・特徴

chichibu1埼玉県は秩父市にある酒造会社「ベンチャーウィスキー」の名前を聞いて、ピンと来た人はかなりのウィスキー通のはず。「イチローズ・モルト」というブランドでウィスキーを製造・販売している同社は、サントリーとニッカの大企業以外では、日本でも数カ所しかない希少なウィスキーメーカーである。

ちなみに、日本のウィスキーは、世界の5大ウィスキー(スコッチ、アイリッシュ、バーボン、カナディアン、そしてジャパニーズ)と呼ばれるほどの人気で、その品質の高さから世界中に愛好家が存在している。

そして、同社のアルコール度数56%のイチローズ・モルト、カードシリーズ「キング オブ ダイヤモンズ」(KING OF DIAMONDS) は、イギリスの『ウイスキーマガジン』のジャパニーズモルト特集で最高得点の「ゴールドアワード」に選ばれた。また、世界最高のウィスキーを決める「ワールド・ウィスキー・アワード』では、2007年以降5年連続でカテゴリー別日本一という栄冠に輝き、その名は、世界のウィスキー愛好家に知れ渡っている。

同社が販売しているカードシリーズは、熟成樽ごとに瓶詰めしたウィスキーだが(こうしたウィスキーをシングルカスクという)、1シリーズでわずか200~400本という希少性もあり、今では海外にも収集家がいるほどの人気だ。chichibu2

全シリーズを集めたいというマニアも存在し、そのマニアはどうしても見つけられない2種類のウィスキーのために、わざわざスウェーデンから秩父の蒸留所まで訪ねてきた。しかし、時すでに遅し……。すべての商品は販売済みで、製造元にも在庫がなかったのだ。そこで、日本国内の販売店リストを渡したところ、なんと彼は、東京のとある販売店で1本だけ発見。そして、「残りの1本を、もしも見つけたら連絡してほしい」と頼み込んで帰国したという。

そんなベンチャーウィスキーの創業者は、肥土伊知郎(あくと・いちろう)氏。2004年9月に創業し、2007年には秩父蒸溜所を設立。創業以来、黒字経営という同社が生産するウィスキーは、年間で約3万本で、平均1万円はする高級品だが、常に完売状態なのだ。中には、予約だけで生産分がすべてが売りきれてしまう商品もある。

まだ創業して数年の若い酒造会社であるベンチャーウィスキーが、なぜ そこまでの人気を博しているのだろうか――。その秘密は、秩父の気候風土と、肥土氏の徹底したこだわりにあるようだ。

徹底したこだわりと、秩父の自然が生んだ世界最高のウィスキー

ビジネスアイデア発想のきっかけ

chichibu3肥土氏の実家は1625年から続く老舗の酒蔵。しかし、父の代に経営が悪化し、会社自体が他人の手に渡るという危機を迎えた。肥土氏は東京農業大学を卒業後、サントリーに勤めていたが、実家に戻って経営を再建することを決意する。しかし、営業譲渡先から突きつけられた再建計画には、ウィスキーづくりから撤退、期限を決めて設備の撤去、さらには「残っていた400樽相当のウィスキー原酒を廃棄する」とういう条件が課せられていた。これを聞いた肥土氏は、その原酒を自分自身が引き取って起業するというアイデアを思いつく。

だが、肥土氏には、元手もなければ免許もない(ウィスキーを扱うには保管するだけでも許認可が必要)。さらに、当時はウィスキー需要が下降の一途。古巣だったサントリーに相談しても、「簡単に大量の原酒を預かることはできない」と断られてしまう。

そんなことで彼はあきらめなかった。四方八方手を尽くし、ようやく福島県郡山市の笹の川酒造というメーカーに原酒を預かってもらう許可を得た。そして、その原酒をもとにウィスキーの企画・販売を行う会社として、ベンチャーウィスキーを設立した。

その後、肥土氏は日本中のBARを訪ねるなど、地道な営業と調査活動を重ねた。また、本場スコットランドにも視察に出向き、ウィスキーづくりを学びながら、自前の蒸留所を立ち上げる準備を進めることになる。

chichibu4しかし、蒸留所をつくるためには最低でも数億円はかかる。そこで、土地は埼玉県からのリース、施設の建設費は資産家の親戚にお願いし、賃料を払うリース契約を結んだ。それらのアイデアによって、初期投資を抑えることに成功。2007年に、念願の蒸留所を設立するのである。それでも開業費用は2億円以上かかったというから驚きだ。

土地や施設はリースだが、ウィスキーの製造設備には徹底してこだわった。ポットスチル(蒸留器)は、本場スコットランドのメーカーから直輸入している。実は、設計図さえあれば日本のメーカーに安くつくってもらうことも可能だったらしいが、わずかなかたちの違いでも味がまったく変わってしまう。そんなデリケートさゆえ、本場のメーカーに依頼することにしたのだ。

また、ウィスキーの原材料を発酵させる発酵槽には、日本古来の木材であるミズナラを用いた。ミズナラを使っているのは、世界広しといえどもベンチャーウィスキーだけだという。このミズナラが持つ独特の香りが、世界最高のウィスキーを生んだ秘密の一つである。

chichibu5熟成させる樽もさまざまな種類をそろえている。シェリー酒やバーボンの空き樽を用いるのが一般的な熟成方法だそうだが、同社はそれ以外にも木材・材質の異なる樽を使用している。なかでも、先のミズナラで作成した樽で熟成させたところ、どことなく「お香」を思わせるオリエンタルな香りがするウィスキーが生まれた。肥土氏はこれを「寺社仏閣の香り」と呼んでおり、この独特の香りが、世界のウィスキー通の舌をうならせている。

熟成蔵には、1500個ほどの樽が並ぶ。天井高10メートルはあろうかという空間の地面はむき出しで、特別な空調設備はなく、自然の換気のみ。そして、木材のレールで樽を積み上げた原始的な保管方法である。生産効率的には、空調設備を整えたコンクリートの床がよいとされる。しかし、肥土氏の味と香りへのこだわりは、そんな効率性を度外視したところから出発しているのだ。

chichibu6通常、熟成期間が長いほどウィスキーの価格は高くなる。ウィスキーの価格は、熟成年数で決めるのが一般的だからだ。しかし、期間が長いほど自然と蒸発する量も増えてしまい、生産量が落ちてしまう。この自然減を「エンジェルズ・シェア(天使の分け前)」と呼ぶのだが、あえて分け前をケチらずに熟成させるほうが、高品質なウィスキーができ上がると、肥土氏は考えている。

結果、「イチローズ・モルト」は、世界的評価を受ける高品質のシングルモルトとなり、ジャパニーズウイスキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。3年物のウィスキーがこうした高い評価を受けることは奇跡的だという。肥土氏は、夏は暑く高湿度で、冬は乾燥してとにかく寒いという日本独特の気候風土、特に秩父の厳しい気象環境が、実はウィスキーづくりに最適だったのではないかと見ている。

さらに肥土氏は、原料にも強いこだわりを持っている。モルトウィスキーの原料は、文字とおり大麦麦芽(モルト)であるが、秩父蒸溜所では、独自のモルト開発にも取り組んでいる。一般的にモルトは、モルトスターとよばれる専門業者に委託していることが多く、蒸留所が独自でモルト開発をする例は世界的にも極めて少ないようだ。

30年物のイチローズ・モルトを飲むまでは死ねない

将来への展望

chichibu7起業前、肥土氏はドリームゲートの創業セミナーに通うなどして、事業計画を練り上げたそうだ。今でこそ、ハイボールブームでウィスキーは復権したが、2004年当時はウィスキーの国内消費量は減少の一途。誰もウィスキービジネスが成功するとは思っていなかった。しかし、肥土氏はかならず成功すると信じ続け、とにかく事業計画書を片手に、夢を実現すべく奔走した。結果、数字上はまだまだ改善の余地があるが、ウィスキービジネスの展開としては、満足できる結果を得ているようだ。

実は、日本はウィスキーの輸出国である。最近は、アジアなど新興国での消費も活発で、特に中国、インド、ロシアで売れているという。しかし、そういった新しい市場で売れる商品になるためには、まずはウィスキーの成熟市場でさまざまな人に試されて、評価が定まらないとことには、売り上げがなかなか拡大しない。日本は世界の5大ウィスキー産地であり、巨大な成熟市場でもある。「日本や欧米といった成熟市場で、うちのウィスキーが楽しまれ、評価されることが、まずは大事」と肥土氏は言う。

今後の展開や将来の展望を聞いたところ、「夢は30年物のイチローズ・モルトを飲むこと。今出荷しているものは3年物だから、あと27年は経営を継続しないといけませんね」という素敵なコメントをいただいた。

ベンチャー企業に限らず、会社を30年続けるのは非常に難しい。しかし、肥土氏のこだわりと秩父の気候が生んだウィスキーは、世界中から末長く愛され続けるはずだ。

株式会社ベンチャーウィスキー
代表者:肥土 伊知郎 社員:10名
設立:2004年9月
事業内容:
ウィスキー「イチローズ・モルト」の製造・販売。

当記事の内容は 2012/2/21 時点のもので、該当のサービス内容が変わっていたり、サービス自体が停止している場合もございますので、あらかじめご了承ください。

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