第153回 株式会社Jコミ 代表取締役社長/漫画家 赤松 健

起業家インタビュー

執筆者: ドリームゲート事務局

第153回 

株式会社Jコミ

代表取締役社長/漫画家

赤松 健 Ken Akamatsu

1968年、愛知県生まれ。私立海城高等学校から中央大学文学部国文科へ進学。大学在学中から“水野亜和”のペンネームを使い同人誌で活躍。大学卒業後の1993年、『ひと夏のKIDSゲーム』で第50回少年マガジン新人賞に入選。同年、同作が『マガジンFRESH』に掲載され、漫画家デビュー。1994年より、『週刊少年マガジン』にて『A・Iが止まらない!』の連載をスタート。連載2作目となる『ラブひな』で、その人気を確立し、第25回講談社漫画賞受賞を受賞した。連載3作目の『魔法先生ネギま!』では、「ネギ・プリ」と呼ばれる人気投票によりキャラクターの登場頻度を変動させるシステムの導入や、大月俊倫プロデュースによるイメージCD、実写テレビドラマ化におよぶ大胆なメディアミックス展開を行い話題となった。2010年より、絶版となった漫画などを電子書籍として配信するウェブサイト「Jコミ」の運営をスタート。漫画家の権利と漫画文化を守るために、「Jコミ」を通じて様々な挑戦に取り組み続けている。

ライフスタイル

好きな食べ物
和食です。

ほとんど好き嫌いなく、何でも食べますが、やっぱり寿司とか蕎麦とかの和食ですかね。そうそう、私は日本酒が好きなんですよ。最近、蕎麦屋に行って板わさで熱燗を飲むのに凝っています。

趣味
古い時代のパソコン収集です。

特に、30年ほど前に発売されたApple II(アップル ツー)。以前は4台保有していたんですけど、引っ越す時に捨てちゃって今は2台です。Apple IIに8086というCPUカードを挿してウィンドウズを走らせる遊びにはまってます。

行ってみたい場所
ボラボラ島です。

『ネギま!』を連載していた時に、休みをとって、ポリネシアのソシエテ諸島にあるボラボラ島に旅行したんですよ。フランス領だから、料理もおいしいし、トップレスのフランス人美女が日光浴してるし(笑)。もう一度行ってみたいですね。

ビューワー閲覧数が開始2年で1000万を突破!
名作漫画が無料で読めるWebサイトの快進撃

絶版となった漫画が無料で読める。しかも、作家には毎月広告収益が入る――そんな夢のような電子漫画閲覧サービス「Jコミ」が誕生したのは、2010年11月17日のこと。そして、この「Jコミ」を立ち上げた人物が、『ラブひな』や『魔法先生ネギま!』など、大ヒット漫画の作者である現役漫画家の赤松健氏だ。漫画家として大成功している赤松氏は、なぜ起業したのだろうか? 「Jコミは、いわば儲け終わった過去の作品から、もう一度収益を生み出すビジネスモデルです。また、日本の素晴らしい資産である漫画文化を守るために、漫画家の持っている権利を守り、できるだけ多くの絶版作品をここに集めて、合法的に世界へ発信していきたい。日本の漫画文化が今以上に海外に広がっていけば、世界は平和になりますよ。内気な男やツンデレな女性が増えるかもしれないけど(笑)」。今回はそんな赤松氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<赤松健をつくったルーツ1>
中2の時に見たNHKの「マイコン入門」が転機。
コンピュータとプログラミングの世界にのめり込む

 父は農林水産省の官僚で、転勤による引っ越しが多かったですね。私が生まれたのは愛知県の名古屋市ですが、それから山形、東京の北区、熊本、再び東京の東久留米、川崎と、けっこう目まぐるしく住環境は変わっていきました。なかでも、漫画『めぞん一刻』に駅舎などが登場する東久留米が長かった。西武池袋線沿いには有名な「トキワ荘」も昔あって、ある意味ここらのエリアは漫画家を目指す人にとっての聖地でしょう。その後の自分の人生に多少は影響していると思っています。弟が一人いる、二人兄弟。特に厳しくもなく、放任というわけでもなく、いたって普通の家庭でしたよ。そういえば、幼稚園の頃から小学校5年までは、エレクトーンを習っていました。高校の選択で、美術か音楽がありますが、将来漫画家になる私は音楽を選んでいるんですよ(笑)。

 まあ、小さな頃から、粘土やブロック遊びをしたり、プラモデルをつくったり、何かをかたちにする作業は好きでしたね。でも、うちに籠っているばかりではなく、中学ではサッカー部やテニス部に所属して運動もしていましたし、勉強もそこそこできた。ただ、自分のなかで大きな転機となったのは、中学に入って、NHKの「マイコン入門」という番組を見始めたこと。で、近所のスーパーの家電売り場に展示してあるパソコンPC8001に触れてから、さらにコンピュータの世界に引き込まれていくんですよ。

 その後、カシオPB-100というポケットコンピュータを入手しまして、一日中ベーシック言語によるプログラムのことを考えていました。その機種は確か、1万4800円でした。そして、中2の時に「I/O」という雑誌に自作ゲームを投稿したんです。すると、驚いたことに『プログラム電卓ゲームの本』という単行本に掲載されまして、自分の名前と投稿内容が誌面に載ったんです――しかも、なんと1万2000円の原稿料をいただきまして。自分の頭の中にある何かをかたちにして、原稿料をもらったのはもちろん初めての経験です。これは、かなり衝撃的な出来事でしたね。

<赤松健をつくったルーツ2>
将来はなにかしらの創作活動を仕事にしたい。
高3でつくったゲームで人生初の印税をゲット

 中学までは公立でしたが、高校は私立海城高等学校へ進学しました。高校ではマイコン部に所属し、最後には部長も務めています。入学祝にNECのPC-8801 mk2というマイコンを買ってもらったんですよ。それから、ベーシックより高度なマシン語を覚え、ゲームづくりに没頭し始めるんですね。で、自作のアクションRPGをソフトハウスに持ちこんでみた。すると、「これはなかなか面白い!」という評価をいただき、実際にそのゲームが高3の時に全国で発売されたんですよ。確か、定価が3800円くらいで、初版が数千本だったかな。結果、そのゲームはそこそこ売れて、当時で100万円ほどの印税をゲット。これが私にとって初めて手にした印税なんですよ(笑)。

 自分がつくったものが実際に売れて、多くの人を楽しませる――そんな快感を覚えました。あと、ゲームを買ってくれたユーザーから、いろんな提案や注文が届くことも新鮮で、面白かった。また、RPG系のゲームには当然、ストーリーが必要でしょう。この頃から、将来は何かしらの物語を創造する仕事をしたいと、強く考え始めました。では、世の中にそのような仕事ってどんなものがあるのか。高校生なのに、学校の勉強そっちのけで、調査・研究に注力し始めるんですね。それは、映画、アニメ、ゲーム、漫画、小説……。そんなですから、当然ですが、私の学校の成績は急降下で、最下位近辺をうろうろ。結局、その研究は高校卒業後も続いて、おかげで2浪するはめになるんですけど(笑)。

 なんとか中央大学文学部国文科にひっかかって、同級生より2年遅れで私の大学生活がスタートしました。実は、小説の勉強ができると思って選んだ国文科でしたが、古典の研究が主……。そんなことも知らなかったんですね(笑)。じゃあ、何をやっていたかというと、やっぱり創作活動ですよ。先に話した、映画、アニメ、ゲーム、漫画、小説などの研究会やサークルに所属して。大学では体育の授業以外、いっさい出ていませんでしたね(笑)。ちなみに、大学1年生の時に撮った8ミリ映画は、『ビジネスジャンプ』主催の映像フェスティバルで賞をもらっています。でも、ご存じのとおり、80年代当時の国内映画界はどん底の斜陽産業。また、大学でアニメ制作もやっていましたが、アニメ業界も忙しい割にまったく金回りがよくないことがわかってきました。ただ、漫画の世界だけは、ほかの業界とは違った可能性を感じていました。

<編集志望から一転……>
メジャー漫画誌の新人賞獲得で道が決まる。
勝負する場所は競争の少ないブルーオーシャン

 毎年1本、夏休みに漫画作品を描いて、『少年マガジン』『少年サンデー』『少年ジャンプ』の編集部に持ちこんでいました。また、コミケでも同人誌を出してかなりの部数が売れ、プロでもアマチュアでも、漫画の世界にはジャパニーズドリームが残っていると直感しました。で、『少年マガジン』の編集部に頼んで、週刊連載を持っている漫画作家のアシスタントを経験させてもらったんですよ。ただ、これが想像を絶する忙しさ。毎週20枚くらいの漫画を入稿して、読者からのアンケート結果に右往左往。結局、その作家さんの連載は20回で打ち切りに……。自分は創作活動が好きだけど、漫画を描き続けるのは超大変。そんな現状を目の当たりにし、参謀的な編集者のほうが向いているのでは、と自己分析するようになりました。

 実は大学を卒業した後にある編集プロダクションの面接を受け、ほぼ内定状態だったんです。それがですね、同時期に『少年マガジン』の新人賞を受賞してて、50万円の賞金までいただいていたんです。ちなみに、私はかわいい女の子が登場するちょっとエッチな作品を主に描いていたんですね。なぜマガジンに照準を絞ったかというと、そこが今でいう、ブルーオーシャンだったから。ジャンプはそもそも熾烈な競争を強いられる。サンデーはすでに美少女系漫画が大量にあった。でも、当時のマガジンはまだ硬派路線で、女の子のいわゆる「萌え」なラインがない。私の作風でも競合が少なく、勝ち残りやすいのはマガジンだと踏んだんですね。で、「賞金も出したんだから、編集者ではなく漫画家になりなさい」と、マガジンの五十嵐編集長に諭されて……。大学を卒業した私は、そんな経緯で、漫画家への道を踏み出すことになるのです。

 すぐに連載を始めたかというとそうではなくて、1年くらいは『セーラームーン』の同人誌を描きながら、コミケで売ったりしてました。それはそれで、とても楽しかったんですけどね。でも、ある日、「そろそろ1本描いてほしい」と編集者から連絡が。「赤松君はコンピュータに詳しくて、女の子の作画がうまいから、その2つを合わせた作品にしよう」と。実に安易な発想ですが、絵コンテを描いたら、編集長が「じゃあこれ、連載決定」と(笑)。急きょ、中央大学の漫研、アニメ研の仲間を招集した4人の新米アシスタントと、週刊誌で連載を始めることになるんです。作品名は『A・Iが止まらない!』。新人作家が、毎週24ページ、ですよ。超がつくほどの忙しさで、1日、1、2時間しか寝られない日々……本気で、「このままじゃ死ぬな」と思いました(笑)。

<経営を最も学んだ時期>
週刊から月刊へ引っ越しをしたおかげで、
見えてきた自分の才能とマーケットの声

 そんな状態でしたから、作画も雑になってしまって……。結果は惨敗。20回で連載打ち切りです。しかし、編集長の「だったら月刊誌に移って、余裕を持ってやってみては」という指示によって、月刊の『マガジンSPECIAL』に引っ越しして、連載を続けることに。すると、時間をかけて、ていねいに細かい描写ができたことがよかったのでしょう。月刊誌での1話目から、読者のアンケート結果が1位に! あと、私は昔からコンピュータのマニアだったわけですが、同じくパソコンマニアの方々が熱烈な応援をしてくださるようになり、単行本もかなり売れるようになりました。また、その頃全盛だったパソコン通信で、チャットなどにも積極的に参加し、これが実在の漫画家と会話ができると評判になって、『A・Iが止まらない!』は、多くのパソコンマニアに支持されながら、大人気の作品に成長していくんですよ。最終的には、PC-VANで管理人を任されるまでになりました。

 漫画の原稿料ですが、新人は1ページ1万円くらいから。それが人気に応じて上がっていく仕組みなんですね。私は最高で2万4000円くらいになったかな。でも、単行本が売れ始めると、「ページいくら」はどうでもよくなる。なにせ、単行本の印税分が大きい。この単行本の印税で稼がないと、漫画家って大きく儲けられない商売なんですよ。その頃は、単行本の表紙なんて、掲載雑誌の表紙に使ったカラーを流用するのが普通だったんですが、私はセル画を使って新たに描き起こしていました。そんな工夫も単行本が人気になった理由でしょう。読者全員プレゼントのテレホンカードも50種類以上つくったと思います。連載終盤の回では、読者アンケートの半分以上が『A・Iが止まらない!』で占められていたりしました。あまりの人気で、連載が終了した次の号の『月刊マガジンSPECIAL』の表紙が『A・Iが止まらない!』だったのには驚きましたね。「載ってないのに、いいのかよ!」って(笑)。

 次に始めた連載は、週刊誌『少年マガジン』でのリベンジ。東京大学への合格を目指す2浪中の青年が、女子寮「ひなた荘」の管理人となり、住人の美少女とドタバタを繰り広げるラブコメディ『ラブひな』です。ヤンキー系やスポ根ものなど、硬派な連載陣のなか、「萌え」や「ツンデレ」の要素をちりばめた異色の『ラブひな』は話題となり、すぐに人気に火が付きました。単行本の初版は50万部を超え、テレビ東京でアニメ化もされて、CD、DVDやゲームも売れまくり。アニメを担当したキングレコードは、『ラブひな』の大ヒットのおかげで、経営不振から立ち直ったといわれています。2年で連載を終えるつもりでしたが、あまりの人気に編集部がやめさせてくれず、1年延長して3年間。単行本の累計発行部数は1000万部を超えました。あの3年間は、漫画の制作作業はもちろん、すべての商品のチェックを自分一人でこなしてましたから、かなり大変でしたね。


世界初の“絶版漫画の図書館”をつくりたい!
漫画家による漫画家のための漫画文化を守る志

<全方向よし!>
誰にも迷惑をかけない、誰からも喜ばれる、
善意で運営される新ビジネスモデル誕生!

 『ラブひな』の連載が終わった2001年からの1年半、私は仕事を休んで、婚活に励みました(笑)。だって、連載中は忙しくてそんなことしていられないし、30歳を過ぎていましたから、ここが最後のチャンスだと。結果、努力の甲斐あって、音大卒の妻と、2002年の7月に無事結婚することができました。で、次の連載ですが、編集部は「萌え系」を期待していましたけど、私的には少し飽きてきていたので、バトルものをやりたかった。それが、今年(2012年)の3月に最終回となった、『魔法先生ネギま!』です。魔法使いの少年“ネギ”が、31人の女子中学生のクラスの担任となる物語で、最初はラブコメ路線で始めて、徐々にバトル系の要素を増やしていきました。前作『ラブひな』の時に何でも自分でやりすぎてしまった反省から、今度はアシスタント達に広範囲な仕事を割り振り、ストーリー補助やアニメ監修までしてもらって、さらに「4~8回載ったら1回休み」というサイクルだったので、比較的、余裕を持って仕事できましたね。

 『魔法先生ネギま!』には31人の女の子が登場するのですが、読者の人気投票でキャラクターの登場頻度を決めて変化を持たせるなど、延々と物語を続けていけるシステムも取り入れました。2003年から2012年までの9年が連載期間でしたが、実際にはまだまだ続けることができます。『ラブひな』同様、『魔法先生ネギま!』もアニメ、実写ドラマ、ゲームなどがヒット。単行本の累計発行部数も1000万部を超えました。次の新連載は来年(2013年)春頃を予定していますが、内容はもちろん秘密です(笑)。
 
 そして、あれは2007年頃だったでしょうか。「新古書店で全巻買いました。ネギま最高!」とか、「Winnyで落として読みました。感動しました」とか、そんな感想が届くようになったんですよ。もちろん、作家としては、あまりありがたくない(笑)。著作権の侵害ですよ。じゃあ、取り締まりを強化すればいいかというと、自分的には嫌だった。それよりも、もっといいサービスを考えて、新古書店などのパイを奪って、ダメージを与えてやろうと(笑)。そんなことを真剣に考え始めたんですよ。
 
あと、絶版になっている『マッハSOS』という漫画がどうしても読みたくて、ネットオークションで2万円くらい出して買ったことがあります。でも、作者にはまったく利益が生じません。そんなプロセスのなかで思いついたのが、「Jコミ」なんですよ。コンセプトは「絶版漫画の図書館」。Webサイトに作者の許諾を得たうえで絶版漫画をどんどんストックして、閲覧される漫画に広告を掲載する広告収益モデルです。もちろん閲覧は無料。広告収入の純利益を100%作家に還元するので、作者は、絶版になった作品から再び収益を得ることができます。作家の最新作などのアフェリエイト広告も掲載し、その販売マージンも作家へ。最新作が売れるので、これは出版社にとってもうれしいことですよね。そして読者は、無料で古い名作を読むことができる。無料で合法的にマンガが読めるので、ネットの違法流通や新古書店への対抗策にもなる。そんな全方向よしのビジネスモデルなのです。

<起業準備、そして始動>
わずか5名の陣容で、完全クラウド運営体制。
新作と新人は一切取り扱わないが基本ルール

 「Jコミ」を立ち上げるための、本格的な準備を始めたのが、2010年の夏。ちょうど電子書籍が話題になり始めた頃で、電子書籍リーダーをつくっているハードウエアメーカーや、大手ポータルサイト、広告代理店など、いろんな企業を回りました。突然のアポでも、皆さんすぐに会ってくれました。「ラブひな、読んでましたよ」って。ベンチャーの始まりは営業に苦労すると聞いていましたが、私の場合はとてもラッキーでしたね。その過程で、広告はメディアレップに依頼すればいいということがわかりました。で、結局は、自分たちで小さく始めていこうと。「Jコミ」の運営に携わっているのは、大学時代の仲間など、私を入れてたったの5人です。彼らは引き籠りで(笑)、四国や群馬に住んでいて、打ち合わせはビデオ会議システム、サーバはAmazonEC2と、完全なるクラウド運営を貫いています。

また、「Jコミ」では、新作と新人は一切取り扱いません。その二つは、今も昔も出版社の領域だと思っています。だからJコミは、出版社との問題が起きにくい。今まで、出版社から何らかの苦情が来たことは一度もありません。なんにせよ、私は誰も困らない、みんなが喜ぶサービスを構築したかったんです。そして、2010年11月26日に、「Jコミ」を仮公開しました。その際、『ラブひな』の全14巻を、PDF形式でアップしたのですが、2週間で170万ものダウンロードを記録。が、すぐに、戦略の変更を余儀なくされることになります。大手広告代理店から指摘されたのですが、PDF形式に掲載する静的な固定広告では、クライアントが満足しないと。ネット広告の多くが商品ごとの短期集中型だということを知らなかったんですね。その失敗を踏まえて、PDFのダウンロードではなく、ビューワー閲覧で自動的に旬な広告に切り替わる動的広告を採用。正式公開した2011年4月12日には、その形式へのチェンジを整えていました。

 2012年10月現在、「Jコミ」に掲載しているコミックの総タイトル数は約300で、総巻数は約900。一方読者数のほうはどうかというと、ビューワー閲覧数だけで1000万を突破しています。ちなみに、最初は知り合いの漫画家に掲載依頼をしながら、コンテンツを集めていましたが、今では漫画家が知り合いの漫画家を紹介してくれる、口コミのケースが増えてきました。何もしなくても、過去の作品がお金を生んでくれるのですから、当然といえば当然ですよね。もちろん、「あの絶版漫画を載せてほしい」という読者からのリクエストも届きます。ちなみに、定期刊行誌で連載はしていたけれど、単行本化されなかった「未単行本化作品」っていうのもあるんですよ。連載中に人気が落ちていった最後の1巻分とか。そういった作品は、直接作者から生原稿を貸していただいたりして収録しています。これらは、書店やネット上でも手に入らない、とても貴重なコンテンツなんですよ。

<未来へ~Jコミが目指すもの>
できるだけ多くの作品をここに集めて、
日本の漫画文化を世界へ発信していきたい

 結果として、ビューワー閲覧による動的広告を採用していますが、実は私的には不満だったんですよ。漫画ファンには、全巻を自分の手元にそろえておきたいという欲求がある。高解像度のPDFをそろえるという所有欲が満たされないですからね。もともと、私が読みたい昔の名作を自由に読みたいという発想で始まったビジネスでもありますし(笑)。もうひとつ、やはり動的広告だと作家へのマージン・フィードバックが少なくなる。困っている作家を助けたいという思いも薄くなってしまうわけです。それらのマイナスを埋める手法を模索している時に思いついたのが、ベンチャー企業がサービス開発をするための出資金を募るクラウドファンディングでした。そして、この9月にテストマーケティングを兼ねて実施した新サービスが、「JコミFANディング」です。

 具体的にどんなものかといいますと、単行本未収録作品やサイン色紙など特典が付いた絶版漫画のPDFを購入してくれる支援者を募ります。今回は直筆サイン付きで限定50セット、サインなしで限定50セットという制限を付けました。価格は1000~2000円です。作品の一つは、私の『ラブひなセット』、もう一つは、「Jコミ」で人気の“がぁさん先生”の作品をセットにした『がぁさん先生セット』です。ありがたいことに、『ラブひなセット』はなんと1分強で、『がぁさん先生セット』もわずか20分強で完売。20分ほどで作者が過去の作品で15万円の収入を得るというのは、これまであり得ないこと。しかも、「Jコミ」は、いっさい手数料を取りませんからね。今回のテストで、クラウドファンディングの感触はほぼつかめたので、次はもっとうまくやれると思っています。ぜひ、期待してほしいですね。

 今のところ、「Jコミ」は、ビジネスとして大きな利益を目指してはいません。このインタビューで繰り返してきましたが、Jコミは、いわば儲け終わった過去の作品から、もう一度収益を生み出すビジネスモデルなのです。また、日本の素晴らしい資産である漫画文化を守るために、漫画家の持っている権利を守り、できるだけ多くの絶版作品をここに集めて、合法的に世界へ発信していきたい。日本の漫画文化が今以上に海外に広がっていけば、世界は平和になりますよ。内気な男やツンデレな女性が増えるかもしれないけど(笑)。

ベンチャーキャピタルから、出資したいというお話がたくさんきていますが、すべてお断りしています。出資を受けると割と急いで利益を出さなきゃいけないですからね。私の見込みでは、3、4年かけてでも他社には真似できない独自のビジネスモデルを構築し、業界で唯一無二の存在感さえ示せればよいのです。そうすれば、その後はどうとでもなります。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
ベンチャーをやるなら、信用、お金、アイデア、
3つのうち最低でも2つは用意できないと危険

 最近、IPOを目指すベンチャー経営者って少なくなっていると感じています。上場できたらできたで、莫大な管理・維持費が必要ですしね。特にWebサービスの場合、出口としては、やっぱりバイアウトを目標にしている経営者が多いのではないでしょうか。ベンチャーに対する夢がなかなか持てない状況なんですよね、私の場合は、本当にラッキーでしたよね。漫画家として名が売れていて、信頼性とお金もそこそこあって、「Jコミ」という事業のアイデアがありましたから。どんな大手企業でも、すぐに門戸を開いて会ってくれましたし。これからベンチャーをやるなら、信用、お金、アイデア、この3つのうち最低でも2つは用意できないと危険、難しいのではないでしょうか。

 特に、アイデアだけっていうのはまずいですよね。電子書籍関連ビジネスのアイデアを売り込みに来る青年がけっこういるんです。話は聞きますけどね。「僕がもっと作品を売ってあげます」って(笑)。でも、作家先生たちが、そんな知らない人に大事な権利を任せるわけないじゃないですか。知名度も信用もまったくないわけですから。ちなみに、ベンチャーキャピタルも出資をする際に、経営者から担保を取るところがあるそうです。もうなかなか、エンジェルみたいな出資者って見つからないですよ。いずれにせよ、ベンチャーを目指す人たちにとって、厳しい時代になったと思います。だからこそ、起業する前に、自分で信用、お金、アイデアをしっかり準備する努力をしておかないといけない。夢のないアドバイスですみません(笑)。でも、それが真実だと思います。

 そうはいっても、ビジネスアイデアがないと、なにも始まりません。ただ、ネット系のビジネスであれば、本から学ぶようでは遅すぎる。アメリカでヒットしたビジネスが、翌日にはプログラミングされて、国内でリリースされているような現状ですからね。だから、海外のネットニュースをウォッチし続けるというのは、ありだと思います。「Jコミ」の広告収益モデルにしろ、クラウドファンディングにしろ、オリジナルの要素なんて一つもないですよ。漫画もそうなんですが、過去の秀作から学ぶことって基本ですし、とても大事なんです。それはビジネスだって同じだと思っています。ただし、消費者は「天才はいる」というロマンを持っていますから、そこの期待は裏切ってはダメですよ(笑)。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓

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