ハンドメイドの腕時計作家を支援する、
プラットフォームを構築した男の挑戦

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: 古田島 大介  編集:菊池 徳行(ハイキックス)

偶然の出会いが起業のきっかけとなる。
アーティストがつくる一点物の腕時計
展開している事業の内容・特徴

20161108-1皆さんが日頃から着用している腕時計はどのようなものだろうか。大量生産されたデジタル式やアップルウォッチのようなスマートウォッチを着用している方も多いかと思う。しかし、世の中には時間を確認する道具としてだけでなく、レトロな雰囲気を持ったデザインや自分自身の時間の概念の象徴として、時計にこだわるユーザーも一定数存在している。

今回は、ハンドメイドの腕時計にフォーカスして、都内に3店舗セレクトショップを構える株式会社A STORY TOKYOの代表・柳井幸平氏に話を伺った。「現在、路面店でいうと渋谷に1店舗、新宿に2店舗を構えており、店内を使ってオンラインショップにはできないような、企画展や展示会も実施しています」。

同ブランドは、アパレルのセレクト商品も扱いながら成長を遂げているため、柳井氏の前職もアパレル業界かと思いきやそうではない。起業前は、主にmacコンピューターを活用したデザイン会社で働いていたという。柳井氏は、漫画家になることを志して上京。イラストレーションの専門学校を卒業後、漫画を描きながら、デザイン会社で働く日々を送っていた。その頃にインターネットの可能性を知ることになる。

「私が働いていた会社は、当時macユーザーにはよく知られた存在で、日本にインターネットを広めた中心人物が働いていたり、割と刺激的な職場でした。ここで働くうちに、インターネットが発達すれば、国同士ではなく個人と個人がつながる社会になり、近い将来、世界から戦争がなくなるのではとワクワクしました」

しかし、30歳のときにふとしたターニングポイントを迎える。果たしてこのままの生活を続けていていいのか――? 自問自答し始めたのだ。そこで、昔から好きだったアニメを軸に、人同士が交流できるカフェバーを開くことを決心する。デザイン会社を退職し、吉祥寺で同じような趣向のカフェでバイトを始めたある日、運命的な出会いを果たす。「すべてはあの出会いから始まっています」と柳井氏。

偶然、現在の手づくり腕時計ショップの恩師ともいえる社長A氏がお店に来店し、お互い意気投合したのだ。ハンドメイド腕時計のアーティストでもあったA氏は、柳井氏の目標であったカフェバーをオープンすることにも興味を持ち、出資もするというところまで話が進んだ。

そして、一緒に暮らしていた同居人とカフェバーを共同経営するつもりでいたが、準備を進めていよいよオープン間近に迫ったとき、同居人が逃げ出したのだという。「急に朝起きたら荷物がなくなっていました。本当にあのときは唖然としましたね……」。

すべてをカフェバーに注ぎ込むつもりだったため、仕事がまったくない状態になった柳井氏だったが、このときもくだんのA氏が助けてくれた。柳井氏がデザイン会社で働いていたことを知り、A氏の会社のHP制作やオンライン販売での仕事を与えてくれたのだ。

IT業界とは異なる仕事感がヒント。
ハンドメイド腕時計の可能性を知る
ビジネスアイディア発想のきっかけ

20161108-2カフェバーで知り合った社長は前述したように、ハンドメイド腕時計のアーティストでもあった。最初は腕時計にほとんど興味を持てなかった柳井氏だったが、しだいにショップに訪れる顧客が壊れた時計を持ち寄りA氏が修理している様子だったり、IT業界特有の合理的な働き方ではないそのビジネススタイルに興味を持ちはじめた。

「最初、社長がつくる手づくり腕時計の価値観がわかりませんでした。しかし、毎日一緒にご飯を食べに行き、色々話していくうちに、IT業界にはない、心の通い合いや人同士の関係性をすごく大切にする仕事にひかれていったのです」

柳井氏が今でも忘れられないのが、「壊れるほうがはかなくて、美しい」というA氏の言葉だ。さくらはすぐに散ってしまうが、日本人はそのはかなさを楽しめる心を持っている。また、飛んでいるときにしか見えない、蝶の羽の柄を楽しむことができる。つまり、その一瞬を美しいと思える感性を持つのが日本人――そのことを教えられたときに、大きな感銘を受けたという。

そして、これほど素晴らしい思いを持ったアーティストのハンドメイド腕時計をもっと色々な人に知ってもらいたいと一念発起し、「ハンドメイド腕時計作家の作品の発表の場」をつくることにしたのだ。しかし、いきなりアパレルセレクトショップのような路面店を開こうものなら莫大な資金が必要となる。一体どのように多店舗展開をしていったのだろうか。

「最初の原宿店をオープンしたときは、前の店舗オーナーがある事情で東京を離れなくてはならなくなったのです。私はその方とお知り合いでしたので、その場所を引き継がせてくれと伝えたところ、快く承諾してくれました。また、新宿南口店についても、知り合いの作家さんが、入居ビル3階にたまたまいた関係で、現在の5階の場所を紹介してくれました。当時はカフェだった場所ですが、またそのオーナーがお店を続けられなくなり、そのまま使わせてもらっています」

このように恩師の社長の場合も、店舗物件に関しても、小さな縁が重なりながら、出店に至っているのだ。運も実力のうちともいうが、まさにその好例といえる。

「周りから、『よく運だけでよくここまできたね』と言われるのですが、実は運を掴みにいっていると思えることもあるんですよ。知り合いをつくるのはもちろんですが、例えば、3店舗目となった新宿東口店の住所は新宿3丁目で、10年に1回空きが出るかどうかと言われるほどの人気エリアなのです。仲よくしていた新宿の不動産店に時間ができるたびに通っていたところ、偶然、今のテナントに空きが出た。しかも周りの物件と比べると格段に安かったので即決しました」

柳井氏持ち前の人懐っこさと行動力をフル稼働させながら、多店舗展開を進めてきたということだ。そうやって、賃料の安いテナントを探し、ランニングコストをできるだけ下げながら、ハンドメイド商品の買い付けや委託販売の資金に回している。そして、リアルショップでファンとの交流を促進することで“face to face”のファンを増やし、EC販売につなげる戦略が奏功しているのだ。

「デザイン会社で働いていた経験から、ネットの仕組みに詳しかったので、Webプロモーションがうまくいっているのだと思います。もちろんニッチなファンに届ける商材を扱っているため、ECに不向きな面もありますが、自社商品だけでなく他の作家さんの作品も積極的に販売し、支持を受けています」

ハンドメイド腕時計の販売数は月平均80~100本で、年末のクリスマスシーズンには300本を超えることも。価格は、ハンドメイドにしては安い2万~4万円前後。できるだけ多くのユーザーに、希少な商品を届けたいという柳井氏の思いと企業努力が、A STORY TOKYOのファンを増やしている理由のようだ。

ハンドメイド腕時計の魅力を日本だけでなく
世界に発信するため、海外出店を検討中
将来の展望

ハンドメイド腕時計を中心としながら、知り合いのファッションブランドやアクセサリーなども買い付けし販売している。時計だけに限らず、日本人クリエイターたちの才能開花を支援してきた柳井氏。今後はどのような目標があるのだろうか。

「今後の課題は山積みですが、2、3年後の海外出店が視野に入りました。販路を広げたいのはもちろんですが、作家の思いがつまった作品を世界に発信していきたいという思いが強いです」

一点物のデザイナーズブランドなど、特に日本のアート寄りな作品は海外のユーザーのほうが評価してくれる可能性が高いという。

「香港やシンガポールなども考えましたが、やはり世界のアートが集まるニューヨークで力を試したい」と柳井氏。ニューヨーク出店計画を友人たちに語ると、たまにはからかいを受けたりもしているそうだが、とことん自分の意思を貫くつもりだという。

「誰もやらないなら自分がやる」――自分の意志と志を曲げることなく、これまで経営を続けてきた柳井氏。今後も、独自路線をかたちにするため、培ってきた人脈をフルに活用しながら、そして自分の足で情報を得ながら経営に生かしていく。

IT業界のように効率的な働き方ではないのかもしれないが、柳井氏は、地道に継続していくことの大切さを教えてくれたように思う。周りがやっているからやる、流行っているからやる、そこに起業する本当の理由はないのではないか。地に足をしっかりとつけ、自分のやりたいことを、最適な方法を模索しながら継続、成長させている――A STORY TOKYO。世界に羽ばたく日を、期待して待ちたい。

株式会社 A STORY TOKYO
代表者:柳井 幸平氏 設立:2013年9月
URL:http://heavenscafe.net/ スタッフ数:10名
事業内容:
・腕時計・アクセサリー製造・卸・販売
・セレクトショップの企画・運営

当記事の内容は 2016/11/08 時点のもので、該当のサービス内容が変わっていたり、サービス自体が停止している場合もございますので、あらかじめご了承ください。

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