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vol.1 博報堂を飛び出しSNSに挑む20代起業家×東大博士卒、研究所を飛び出して検索エンジンに挑む30代起業家×リアル宝探しゲームを運営する40代起業家。それぞれが起業に至ったストーリーとは

株式会社ボルテージ取締役会長  ファウンダー 津谷 祐司氏

株式会社ボルテージ取締役会長  ファウンダー 津谷 祐司氏

1963年、福井県生まれ。1985年、東京大学工学部都市工学科卒業後、博報堂に入社。以来11年間、主に企画・制作、空間プロデュースの仕事に従事する。在職期間中の1993年からの4年間、UCLA映画学部大学院に私費留学。監督コースで映画製作に携わる。1999年、博報堂を退職し、携帯コンテン ツ会社・株式会社ボルテージを起業。代表取締役に就任。世界初の携帯ネット対戦ゲーム「バトル東京23」でMCFモバイルコンテンツ特別賞を受賞。電子書籍 サイト「100シーンの恋」、音楽サイト「歌詞で胸キュン」、ゲームサイト「恋人ゲームシリーズ」などでヒットをとばす。監査法人トーマツが主催する企業 成長率ランキング「日本テクノロジーFast50」を2006~2013年と8年連続受賞。2010年6月上場。

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株式会社tritrue 寺田真介氏

株式会社tritrue 寺田真介氏

1979年 愛知県出身。東京大学大学院博士課程修了後、28歳で日立製作所の研究所に勤務し、国家プロジェクトなどの研究開発業務、民間企業のスマートハウス、スマートグリッドなどを円滑に動かすための、アルゴリズム設計を主に手がける。2012年1月に株式会社 tritrue(トライトゥルー)を設立。現在は位置情報に紐づいた独自の検索エンジンサービスを展開。

株式会社TIMERS 高橋才将氏

株式会社TIMERS 高橋才将氏

1987年 北海道出身。青山学院大学卒業後、博報堂に就職。大学時代はビジネスプランコンテストで優勝して、1年間限定で動画制作を事業内容とした学生起業にチャレンジした。2012年5月に株式会社Timers(タイマーズ)を起業。カップル専用アプリ「Pairy(ペアリー」と、子育て夫婦専用アプリ「Famm(ファム)」の運営。

合同会社つくる社/株式会社まちクエスト 石原淳也氏

合同会社つくる社/株式会社まちクエスト 石原淳也氏

1972年 東京都出身。7才までフランスで過ごす。東京大学卒業後、iDC国際デジタル通信に就職。ジェネシス・ジャパンに転職し、サンフランシスコで働き、起業を意識する。ウノウのスタートアップ期に参加、2010年6月に合同会社つくる社で起業。さらに2013年には株式会社まちクエストを設立。

どんなビジネスをやっている?

津谷 津谷

今日はお集まりいただき、ありがとうございます。ボルテージのファウンダー・津谷祐司と申します。当社は、“恋愛”と“戦い”のドラマをテーマとした、ストーリー型ゲームなどを制作販売している会社です。

この対談企画は2回目となりますが、僕は映画監督としての活動も行っていまして、近い将来、起業をテーマとした映画をつくりたいと考えています。そこで、この間ずっと、様々なタイプの起業家、ベンチャーキャピタリストなどに、お話をお聞きしているんです。

今回、ドリームゲートさんにお願いしたのは、「大手企業勤務経験のある起業家の話が聞きたい」ということでした。そもそもなぜ大企業への就職を選んだのか、ステイタスや安定を捨ててリスクの高い起業に挑戦したのか、そして、スタートから今日にいたるまでのプロセスなどなど――様々な側面から、お話をお聞きしていきたいと思います。

ではまず、皆さんの簡単な自己紹介と、今手がけているビジネスについて教えてもらえますか? それでは寺田君からお願いします。

寺田 寺田

tritrueの寺田真介、34歳です。出身は愛知県の豊田市で、大学は、東京大学の博士課程を修了しています。というわけで9年間、大学に在籍しましたので、就職したのは28歳です。大学院修了後は、日立製作所の研究所に勤務し、国家プロジェクトの研究開発業務、民間企業のスマートハウス、スマートグリッドなどを円滑に動かすための、アルゴリズム設計を主に手がけていました。

現在は起業して、独自で開発した検索エンジンとそれを利用したサービスを行っています。特徴は、場所に紐づいた情報検索に特化しているということ。例えば、ある場所でカレー屋さんを探していた時、グーグルで「カレー」を検索すると、クックパッドのレシピなど、そのタイミングでは必要のない情報がたくさんアップされます。簡単にいえば、場所に関係のない情報を省いて表示してくれる検索エンジンということです。

サービスを通じて分かった事の1つに、東京駅では、検索エンジンを使って「家電店」を探す人が多いんです。地方から出張に来た人が、スマホやパソコンの充電機を忘れたことに気づき、売っている店を探すんですね。つまり、東京駅に家電店を必要としていることが分かります。

従来の検索エンジンのマネタイズ・パターンだけではなく、様々な企業の出店計画など、場所に特化したマーケティングにも力を発揮できると思っています。

津谷

ありがとうございます。では、高橋君。

高橋 寺田

Timersの高橋才将、27歳です。出身は北海道で、青山学院大学を卒業後、博報堂に就職しています。大学時代、ビジネスプランコンテストで優勝し、1年間限定で動画制作を事業内容とした学生起業にチャレンジしました。主目的は大学の広報でしたから、「青学だったらかわいい女子大生の映像」、ではなくて、僕は体育会の活動に着目し、スポーツドキュメントタッチのPVを制作して、納品。ある程度の成果は残せたと思っています。

博報堂で、たくさんの企業、ビジネスを見ていくなかで、現在、当社で手がけているカップル専用アプリPairy(ペアリー)のアイデアにたどり着き、志を同じくする博報堂の同期と、DeNAのエンジニアと一緒に、2012年に起業しました。

SNSやソーシャルゲームでゆるくつながることよりも、身近な人との深いつながりを大事にしたほうが幸せになれるのではないか。そこにこそITの力を生かすべきでは――。そこがこのビジネスの原点でした。そして3人で、“身近な人との深いつながり”をキーワードとして話し合った結果、身近な人間関係で一番エネルギーにあふれるのは“恋人”であると考え、恋人同士のクローズドなアプリをつくることにしたのです。

津谷

なるほど、ありがとうございます。博報堂ということは、僕の後輩だね(笑)。では、石原君、お願いします。

石原 寺田

石原淳也です。生まれは東京ですが、7歳までフランスで過ごしました。現在、41歳です。大学は東京大学で、工学部を卒業して、iDC国際デジタル通信に入社。3年間の勤務後、コンタクトセンター向けシステムを手がけるジェネシス・ジャパンに転職しました。

1年間は日本勤務でしたが、その後、アメリカ本社勤務となります。2000年から2004年の間は、サンフランシスコのオフィスで働きました。

そして帰国後、後にZyngaに買収されたウノウのスタートアップ期に転職。ここで1年ほど、ベンチャーのやり方を学ばさせてもらい、独立。フリーのエンジニアとしてWebシステム、アプリの受託開発をしつつ、独自のWebサービスの開発を続けています。

これまでいくつかのWebサービスをリリースしてきましたが、今日紹介しますのは、「まちクエスト」という位置情報を利用したクイズラリーを誰でもつくることができるサービスです。ちなみに、2013年12月に、「まちクエスト」を運営するための法人を立ち上げています。

GPSを使った国内のゲームで有名なのは、コロプラですが、運営者側がポイントとなる場所を決めますよね。そうではなく、「まちクエスト」は、ユーザー側でスマホを活用したスタンプラリーをつくることができ、無料でユーザーが楽しめるというスタイルです。

マネタイズの方向としては、広告収入のほか、観光イベント、町おこしなどに使ってもらうことを検討しているところです。

なぜ大企業を辞めて起業したの?

津谷

ありがとうございます。みなさん、大学を出て大企業へ進み、そして起業しているんだね。では、次の質問に移ります。これは毎回聞いているのですが、皆さんが育った家庭環境はどんなものだったのか? じゃあ、寺田君から。

寺田 

うちの父は自営業というか、IT技術を使った測定器の検査を事業内容とする会社を経営しています。

津谷

何人くらいの規模の会社ですか?

寺田

40人くらいでしょうか。父はもともと中小企業に勤めていましたが水が合わず、25歳位で独立して、それからはずっと経営者です。

津谷

地方では、けっこうな規模の会社だね。寺田君は、お父さんと仲良しだった?

寺田 

父は会社の仕事が忙しくて、あまり家にいなかったんです。仲が悪いことはなかったですが、あまり父からの影響は受けていない気がします。

ただ、母はよく父に対する文句を言っていました。「お父さんは、まったく家のことを手伝ってくれない」と。そのこともあって、僕は昔から、料理、洗濯など、家事をこなしていました。

津谷

お父さんは、寺田君の起業を反対しなかった?

寺田

特に何も言われないと思っていたので、事後報告でした。父は、「ああそうか」といった感じでした。でも、母のほうは、「東大のドクターまで行って、日立に就職できたのになぜ辞めるの?」と、僕の決断を理解できないようでした。

今でもたまに電話がかかってきて「ちゃんとお金稼げているの?」と聞かれますが、「今はまだ」と伝えると、「ほらみなさい!」って言われます(笑)。

津谷

なるほどね(笑)。じゃあ、高橋君のご実家はどう?

高橋

うちの父は甲子園球児で、ポジションはピッチャーでした(笑)。そんな父は旭川市で、祖父が創業した酒販店と不動産経営を営む経営者です。酒販店のほうの従業員は6人くらいで、不動産のほうは保有しているビルで飲食店を経営したり、主にお酒を扱う店をテナントしたりしています。

家族はみんな仲良しで、今でも1年に1回は家族旅行に出かけるほどです。僕が起業する際に、反対はまったくなかったですね。祖父も創業後1度自己破産をして復活していると聞いていますから、事業経営や経営リスクに対する耐性ができているのかもしれませんね。

津谷

寺田君も高橋君も経営者の家系か。では、石原君は?

石原

父は、大学を出たあと今では誰でも知っている飲料メーカーに勤めていました。僕が小学生のとき、父が病気で2年ほど会社に行けない時期があっても、ちゃんと会社が面倒を見てくれているのをみて、僕も良い学校に進み、大企業のサラリーマンになりたい、と何となく思っていました。

ですが、僕が就職先を決めるとき、父が就職する頃に人気があったのは鉄鋼系や船舶系の重厚長大産業だったけれど、その後そうした産業が衰退していったことを例に挙げて、その時点で人気がある企業がその後も良い状態でありつづける可能性は低いという話をされたことを良く覚えています。要は時代の流れに合わせて自分で判断して決めろということだったんだと思います。

父が自ら手を挙げて海外駐在になったという話や、母方の祖父が脚本家であったということも少なからず起業するというメンタリティに影響しているのかもしれません。

津谷

起業することにご両親は反対しなかった?

石原

アメリカに移ったり、ベンチャー企業のウノウに転職しているでしょう。独立する前に、すでに両親が考える普通の道から外れていますからね(笑)。何とかやっていけるだろうと、思っていたんじゃないでしょうか。

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