第2回:博報堂を飛び出してSNSビジネスに挑む20代起業家×東大博士卒、研究所を飛び出して検索エンジンベンチャーに挑む30代起業家×フリーランスで稼ぎつつリアル宝探しゲームを運営する40代起業家。それぞれが起業に至ったストーリーとは

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

vol.1 博報堂を飛び出しSNSに挑む20代起業家×東大博士卒、研究所を飛び出して検索エンジンに挑む30代起業家×リアル宝探しゲームを運営する40代起業家。それぞれが起業に至ったストーリーとは

株式会社ボルテージ取締役会長  ファウンダー 津谷 祐司氏

株式会社ボルテージ取締役会長  ファウンダー 津谷 祐司氏

1963年、福井県生まれ。1985年、東京大学工学部都市工学科卒業後、博報堂に入社。以来11年間、主に企画・制作、空間プロデュースの仕事に従事する。在職期間中の1993年からの4年間、UCLA映画学部大学院に私費留学。監督コースで映画製作に携わる。1999年、博報堂を退職し、携帯コンテン ツ会社・株式会社ボルテージを起業。代表取締役に就任。世界初の携帯ネット対戦ゲーム「バトル東京23」でMCFモバイルコンテンツ特別賞を受賞。電子書籍 サイト「100シーンの恋」、音楽サイト「歌詞で胸キュン」、ゲームサイト「恋人ゲームシリーズ」などでヒットをとばす。監査法人トーマツが主催する企業 成長率ランキング「日本テクノロジーFast50」を2006~2013年と8年連続受賞。2010年6月上場。

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株式会社tritrue 寺田真介氏

株式会社tritrue 寺田真介氏

1979年 愛知県出身。東京大学大学院博士課程修了後、28歳で日立製作所の研究所に勤務し、国家プロジェクトなどの研究開発業務、民間企業のスマートハウス、スマートグリッドなどを円滑に動かすための、アルゴリズム設計を主に手がける。2012年1月に株式会社 tritrue(トライトゥルー)を設立。現在は位置情報に紐づいた独自の検索エンジンサービスを展開。

株式会社TIMERS 高橋才将氏

株式会社TIMERS 高橋才将氏

1987年 北海道出身。青山学院大学卒業後、博報堂に就職。大学時代はビジネスプランコンテストで優勝して、1年間限定で動画制作を事業内容とした学生起業にチャレンジした。2012年5月に株式会社Timers(タイマーズ)を起業。カップル専用アプリ「Pairy(ペアリー」と、子育て夫婦専用アプリ「Famm(ファム)」の運営。

合同会社つくる社/株式会社まちクエスト 石原淳也氏

合同会社つくる社/株式会社まちクエスト 石原淳也氏

1972年 東京都出身。7才までフランスで過ごす。東京大学卒業後、iDC国際デジタル通信に就職。ジェネシス・ジャパンに転職し、サンフランシスコで働き、起業を意識する。ウノウのスタートアップ期に参加、2010年6月に合同会社つくる社で起業。さらに2013年には株式会社まちクエストを設立。

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どんなビジネスをやっている?

津谷 津谷

今日はお集まりいただき、ありがとうございます。ボルテージのファウンダー・津谷祐司と申します。当社は、“恋愛”と“戦い”のドラマをテーマとした、ストーリー型ゲームなどを制作販売している会社です。

この対談企画は2回目となりますが、僕は映画監督としての活動も行っていまして、近い将来、起業をテーマとした映画をつくりたいと考えています。そこで、この間ずっと、さまざまなタイプの起業家、ベンチャーキャピタリストなどに、お話をお聞きしているんです。

今回、ドリームゲートさんにお願いしたのは、「大手企業勤務経験のある起業家の話が聞きたい」ということでした。そもそもなぜ大企業への就職を選んだのか、ステイタスや安定を捨ててリスクの高い起業に挑戦したのか、そして、スタートから今日にいたるまでのプロセスなどなど――さまざまな側面から、お話をお聞きしていきたいと思います。

ではまず、皆さんの簡単な自己紹介と、今手がけているビジネスについて教えてもらえますか? それでは寺田君からお願いします。

寺田 寺田

tritrueの寺田真介、34歳です。出身は愛知県の豊田市で、大学は、東京大学の博士課程を修了しています。というわけで9年間、大学に在籍しましたので、就職したのは28歳です。大学院修了後は、日立製作所の研究所に勤務し、国家プロジェクトの研究開発業務、民間企業のスマートハウス、スマートグリッドなどを円滑に動かすための、アルゴリズム設計を主に手がけていました。

現在は起業して、独自で開発した検索エンジンとそれを利用したサービスを行っています。特徴は、場所に紐づいた情報検索に特化しているということ。例えば、ある場所でカレー屋さんを探していた時、グーグルで「カレー」を検索すると、クックパッドのレシピなど、そのタイミングでは必要のない情報がたくさんアップされます。簡単にいえば、場所に関係のない情報を省いて表示してくれる検索エンジンということです。

サービスを通じて分かった事の1つに、東京駅では、検索エンジンを使って「家電店」を探す人が多いんです。地方から出張に来た人が、スマホやパソコンの充電機を忘れたことに気づき、売っている店を探すんですね。つまり、東京駅に家電店を必要としていることが分かります。

従来の検索エンジンのマネタイズ・パターンだけではなく、さまざまな企業の出店計画など、場所に特化したマーケティングにも力を発揮できると思っています。

津谷

ありがとうございます。では、高橋君。

高橋 寺田

Timersの高橋才将、27歳です。出身は北海道で、青山学院大学を卒業後、博報堂に就職しています。大学時代、ビジネスプランコンテストで優勝し、1年間限定で動画制作を事業内容とした学生起業にチャレンジしました。主目的は大学の広報でしたから、「青学だったらかわいい女子大生の映像」、ではなくて、僕は体育会の活動に着目し、スポーツドキュメントタッチのPVを制作して、納品。ある程度の成果は残せたと思っています。

博報堂で、たくさんの企業、ビジネスを見ていくなかで、現在、当社で手がけているカップル専用アプリPairy(ペアリー)のアイデアにたどり着き、志を同じくする博報堂の同期と、DeNAのエンジニアと一緒に、2012年に起業しました。

SNSやソーシャルゲームでゆるくつながることよりも、身近な人との深いつながりを大事にしたほうが幸せになれるのではないか。そこにこそITの力を生かすべきでは――。そこがこのビジネスの原点でした。そして3人で、“身近な人との深いつながり”をキーワードとして話し合った結果、身近な人間関係で一番エネルギーにあふれるのは“恋人”であると考え、恋人同士のクローズドなアプリをつくることにしたのです。

津谷

なるほど、ありがとうございます。博報堂ということは、僕の後輩だね(笑)。では、石原君、お願いします。

石原 寺田

石原淳也です。生まれは東京ですが、7歳までフランスで過ごしました。現在、41歳です。大学は東京大学で、工学部を卒業して、iDC国際デジタル通信に入社。3年間の勤務後、コンタクトセンター向けシステムを手がけるジェネシス・ジャパンに転職しました。

1年間は日本勤務でしたが、その後、アメリカ本社勤務となります。2000年から2004年の間は、サンフランシスコのオフィスで働きました。

そして帰国後、後にZyngaに買収されたウノウのスタートアップ期に転職。ここで1年ほど、ベンチャーのやり方を学ばさせてもらい、独立。フリーのエンジニアとしてWebシステム、アプリの受託開発をしつつ、独自のWebサービスの開発を続けています。

これまでいくつかのWebサービスをリリースしてきましたが、今日紹介しますのは、「まちクエスト」という位置情報を利用したクイズラリーを誰でもつくることができるサービスです。ちなみに、2013年12月に、「まちクエスト」を運営するための法人を立ち上げています。

GPSを使った国内のゲームで有名なのは、コロプラですが、運営者側がポイントとなる場所を決めますよね。そうではなく、「まちクエスト」は、ユーザー側でスマホを活用したスタンプラリーをつくることができ、無料でユーザーが楽しめるというスタイルです。

マネタイズの方向としては、広告収入のほか、観光イベント、町おこしなどに使ってもらうことを検討しているところです。

なぜ大企業を辞めて起業したの?

津谷

ありがとうございます。みなさん、大学を出て大企業へ進み、そして起業しているんだね。では、次の質問に移ります。これは毎回聞いているのですが、皆さんが育った家庭環境はどんなものだったのか? じゃあ、寺田君から。

寺田

うちの父は自営業というか、IT技術を使った測定器の検査を事業内容とする会社を経営しています。

津谷

何人くらいの規模の会社ですか?

寺田

40人くらいでしょうか。父はもともと中小企業に勤めていましたが水が合わず、25歳位で独立して、それからはずっと経営者です。

津谷

地方では、けっこうな規模の会社だね。寺田君は、お父さんと仲良しだった?

寺田

父は会社の仕事が忙しくて、あまり家にいなかったんです。仲が悪いことはなかったですが、あまり父からの影響は受けていない気がします。

ただ、母はよく父に対する文句を言っていました。「お父さんは、まったく家のことを手伝ってくれない」と。そのこともあって、僕は昔から、料理、洗濯など、家事をこなしていました。

津谷

お父さんは、寺田君の起業を反対しなかった?

寺田

特に何も言われないと思っていたので、事後報告でした。父は、「ああそうか」といった感じでした。でも、母のほうは、「東大のドクターまで行って、日立に就職できたのになぜ辞めるの?」と、僕の決断を理解できないようでした。

今でもたまに電話がかかってきて「ちゃんとお金稼げているの?」と聞かれますが、「今はまだ」と伝えると、「ほらみなさい!」って言われます(笑)。

津谷

なるほどね(笑)。じゃあ、高橋君のご実家はどう?

高橋

うちの父は甲子園球児で、ポジションはピッチャーでした(笑)。そんな父は旭川市で、祖父が創業した酒販店と不動産経営を営む経営者です。酒販店のほうの従業員は6人くらいで、不動産のほうは保有しているビルで飲食店を経営したり、主にお酒を扱う店をテナントしたりしています。

家族はみんな仲良しで、今でも1年に1回は家族旅行に出かけるほどです。僕が起業する際に、反対はまったくなかったですね。祖父も創業後1度自己破産をして復活していると聞いていますから、事業経営や経営リスクに対する耐性ができているのかもしれませんね。

津谷

寺田君も高橋君も経営者の家系か。では、石原君は?

石原

父は、大学を出たあと今では誰でも知っている飲料メーカーに勤めていました。僕が小学生のとき、父が病気で2年ほど会社に行けない時期があっても、ちゃんと会社が面倒を見てくれているのをみて、僕も良い学校に進み、大企業のサラリーマンになりたい、と何となく思っていました。

ですが、僕が就職先を決めるとき、父が就職する頃に人気があったのは鉄鋼系や船舶系の重厚長大産業だったけれど、その後そうした産業が衰退していったことを例に挙げて、その時点で人気がある企業がその後も良い状態でありつづける可能性は低いという話をされたことを良く覚えています。要は時代の流れに合わせて自分で判断して決めろということだったんだと思います。

父が自ら手を挙げて海外駐在になったという話や、母方の祖父が脚本家であったということも少なからず起業するというメンタリティに影響しているのかもしれません。

津谷

起業することにご両親は反対しなかった?

石原

アメリカに移ったり、ベンチャー企業のウノウに転職しているでしょう。独立する前に、すでに両親が考える普通の道から外れていますからね(笑)。何とかやっていけるだろうと、思っていたんじゃないでしょうか。

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どんな子供でしたか? 青春時代はどんな感じでしたか?

津谷

思春期の話を教えてください。皆さん、どんな青春時代だった?

寺田 寺田

アニメおたくでしたね(笑)。中学の頃にエヴァンゲリオンが始まって、豊田市から名古屋まで自転車で4時間かけて、映画を観に行ったことを覚えています。

大学で東京に出てきたら、コミケがあるでしょ。3日くらい徹夜したりして、何度も通いました。それで、パソコンでアニメを見るようになって、インターネットの世界にのめり込んでいったという感じです。

高橋

僕が通っていた高校は、共学で、校風が自由で、学校祭などのイベントがすごく盛んだったんです。準備は深夜まで毎日やって、学校祭の当日は、各教室をアトラクション会場にして、神輿をつくって街を練り歩いたり、夜の10時とか11時まで大いに盛り上がる。あとは、合唱コンクールに、CMづくりとか、いろんなイベントがありました。

僕は毎年生徒会に参加して、リーダーとして一生懸命イベント成功のために駆けずり回っていました。その頃から、みんなが一丸となって、一つのことを成し遂げる楽しさを感じていたんですよ。だから、起業に関しても、1人でやる、はあり得ません。どうせやるなら、たくさんの人と一緒にやることを決めていました。

石原 石原

小4でファミコンを手にして、ドラクエやファミスタにはまっていました。でも、プログラミングを書き始めたのは、30歳を過ぎてからなんです。

あとは、レゴで遊んだりもしていましたから、何かを組み上げていくことに小さな頃から楽しさを感じていたんだと思います。

7歳でフランスから帰国して、日本の学校に通うようになりました。ヨーロッパはかなり個人主義が強いんです。日本の小学校で戸惑ったというか、わかったことは、日本人は出しゃばらないだということ。先生から問われた質問がわかっていても、手を挙げない。僕も徐々に手を挙げないようになりました(笑)。

ランドセルって、みんな同じものを背負って登校しますよね。なのに、うちの父から、「フランスの学校で使っていたカバンでよい」と言われ、僕一人だけ変わったカバンで登校していました。

人と一緒ではなく、自分が好きなことをやってもいいんだという気持ちは、ずっと持ち続けていると思っています。

大企業を辞めるまでの経緯は?

津谷

では、次の質問。会社を辞めるまでの経緯を教えてください。では、寺田君。

寺田

日立には結果、3年間お世話になりました。今でも、とてもいい会社だったと思っています。でも、先輩の姿を見ていると、ある程度、自分の未来が想像できてしまうんですよ。

研究所のスタッフは最終的に、研究者のままでいくか、管理職になるか、この2つの道に分かれます。研究のプロになるにはすごい才能が必要で、自分には無理だろうということがわかってしまったんです。

あと、自分の夢は、車のアストンマーチンに乗ることなのですが、ある時、先輩に「今度出るiPad、いいっすね。買いますか?」と聞いたら、「住宅ローンがあるから無理だな」と……。

「このままここにいたらダメだ。アストンマーチンなんて夢また夢だ。すぐに辞めよう」。そう強く思ったのが31歳か、32歳の時でした。事業計画などまだまったくありませんでしたが、まずは退職だと。本当に、エイヤッで決めたんです。

津谷

エイヤッ、だったのか(笑)。では、高橋君はどう?

高橋 高橋

僕の場合は、もともと事業家になりたいと思っていました。そもそも大手企業に入れるなんて思っていませんでしたが、インターンを経て、博報堂の内定をもらったんですよ。

インターンの頃は、クリエイティブ志向でしたが、評価されず営業へ。そこで、かなりすねてしまったんです(笑)。広告コンペに参加してもダメ続きで、ここは自分には向いてないのでは思い始めたんですね。

それで、もともと目指していた起業を本気で考え始め、スマホが台頭し始め、仲間が見つかったのが、入社して2年後のタイミングだったというわけです。

津谷

じゃあ、基本的には2年間ずっと、起業のチャンスをうかがっていたわけだ。ちなみに、経営者であるお父さんの背中を見ていたから、起業を目指すようになったという感覚はある?

高橋

自分では、それほどはないと思っています。でも、教師の子どもが教師になっているケースや、一流企業に勤める人の子どもが一流企業に就職するケースって、けっこう多いですよね。

そういった意味では、多少あったのかもしれないですが、父の仕事を継ぎたいと思ったことはありません。とにかく、自分でビジネスをつくりたかった。

僕はブランドビジネスに興味があって、スターバックスとか、本当にすごいと思っています。300円かそこらのコーヒーですが、スタバの哲学やブランドの下に、モチベーションの高い従業員が集まって、そこにたくさんのファンがついている。

Pairyも、ぜひ、スタバを超えるようなブランドに育てていきたいと思っています。

津谷

ちなみに、博報堂時代、スタバも担当したの?

高橋

はい。期間は短かったですが、お手伝いさせてもらいました。

津谷

なるほど。では、石原君。

石原

僕は、寺田さん、高橋さん、お二人とはちょっと、プロセスが違っていますよね。3社で働いて、独立したというかたちですから。

ただ、サンフランシスコで働いたことで、ベンチャービジネスに興味を抱くようになりました。2000年代の初めは、現地の書店でも、ホリエモンやサイバーエージェントの藤田晋氏などの起業家を取り上げたビジネス本がたくさん売られていて、僕もよくそれらの本を読んでいました。

また、アメリカで生活するようになって、Webサービスの便利さに魅了されました。そして、自分もこんなサービスをつくれたらいいなあと思うようになった。そんな頃、サンフランシスコで、ウノウの創業者である山田進太郎さんに出会うんです。本の中の起業家ではなく、実際の起業家と身近に話すことができて、起業の現実味が高まりました。

そして帰国後、ウノウで1年ほど働いて、独立。自分でプログラミングをしながら、一人でやってみたいと考え始めたのです。それが、組織を離れて、独立したプロセスですね。

津谷

では、寺田君と、高橋君に質問です。勤務先の人たちは、君たちのことを引き止めなかったの?

寺田

多少はありましたが、ほとんどの人が、「あいつはいつか辞める」と思っていたようです(笑)。

高橋

すねていた時の部署の人からはまったく止められず(笑)、仲がよかった人たちは、僕が起業したいと思っていることをよく知っていましたから、止めてもムダだろうと考えたのか、逆に応援してくれていました。

起業資金はどうやって集めた?

津谷

では、質問を変えます。スタートアップ資金はどうやってまかなったの? じゃあ、寺田君から。

寺田 高橋

何をやるか決めてなかったので、ドーナツ屋とか喫茶店とか、兎に角、自分で売上を上げられる力をつけたかった。でも、自己資金はほとんどないし、設備投資が必要なビジネスは無理だなと。で、自分に何ができるか考えてみたら、やはりITにいき着きました。

それで、ネットでベンチャーキャピタル(VC)を調べて、メールへの連絡を繰り返し、少額投資を得意としているVCから、自分で考えたWebサービスの事業計画で、500万円の投資を得ることができたんですよ。

ただ、この時に考えていたビジネスモデルはいったん」修了……。その500万円は、2年間の事業活動で、ほぼ底をついています。

現在は、検索エンジンビジネスの評価を頂いて、出資の話を幾つか頂いています。

津谷

寺田君は1人で会社を経営しているの?

寺田

いいえ、半年間口説いたプログラマーと2人で会社を立ち上げて、昨年、新たに1人を採用したので、現在は3人体制です。

津谷

現在のユーザー数と、売り上げを教えてください。

寺田

ユーザー数はまだ多くなく、残念ながら売り上げはまだありません。

津谷

それで、投資の話が!? 僕の時代だったら考えられないよ(苦笑)。じゃあ、高橋君は?

高橋

3人で自己資金を50万円ずつ出し合って、150万円の資本金でスタートしました。ちなみに、Pairyの開発を続けながら、博報堂からプランニングや制作の受託を請け負いながらやっていましたので、運転資金で困ったことはほとんどありません。

投資を受けることは最初から考えていました。ただ、少額投資ではなく、絶対に億円単位でいくと。

でも、1年目はシステムにバグがあったり、設計自体がダメダメで、投資獲得に失敗しているんです。そこから、体制を立て直して、スタートから1年半で、1億円の投資を獲得することができました。

津谷

同じ質問です。現在のユーザー数と、売り上げは?

高橋

Pairyのユーザー数は数十万人で、本格的な売り上げはまだ先ですね。

津谷

すごいね!? 君たちは本当に恵まれた時代で挑戦できていると思うよ。じゃあ、石原君、お願いします。

石原

「まちクエスト」は、昨年の11月にEast Ventures Engineer Accelerator というエンジニアのためのアクセラレータープログラムに採択され、150万円の少額投資を受けています。サービス自体は、昨年の7月にスタートして、今年の2月にアプリをリリースしました。

ここからが本格的な第2ステージの始まりで、ユーザーの獲得も本格的にはこれからだと考えています。

津谷

「まちクエスト」は1人で?

石原

いえ、6年ほど前に、Webサービスをつくる人たちの集まりがあって、その時に、位置情報系の話で盛り上がった方と、2人でやっています。
ただ、その方もgogo.gsというガソリン価格比較サイトを運営しているんです。今は、沖縄に移住していますから、遠隔パートナーというかたちです。

津谷

石原君は結婚しているんですよね。奥さんは起業に反対しなかった?

石原

反対された記憶はないです。いざとなったら、なんとかしてくれると思ってくれていると思います。ちなみに、前の会社でアメリカ行きの話が来た時、すぐに手を挙げて、「はい、行きます」と即答したんですよ。いつか、アメリカで働いてみたいと会社に伝えていましたから。

で、会社に意向を伝えた当日に、彼女にプロポーズして、渡米前までに入籍し、VISAを取って、一緒にサンフランシスコへ向かいました。

そんなプロセスで結婚してくれた女性ですからね(笑)。妻には本当に感謝しています。

津谷

今、会社を手伝ってくれているの?

石原

理面を少し手伝ってくれています。あとは、僕がつくったWebサービスを最初に使ってみて容赦なく厳しい指摘をしてくれます(笑)。

津谷

僕の場合は、スタートアップ時からずっと妻と二人三脚でやってきました。でも、会議中に意見が食い違ってケンカになったり、車の運転中に靴を投げられたりね(苦笑)。そこから、ケンカは外でやることに決めたんだけど(笑)。石原君も、一緒にやろうとは考えなかったんだ?

石原

はい、まったく。妻も、「一緒にやったら、ぜったいにケンカになる」と言っていますね(笑)。

津谷

寺田君は結婚してるんですね。

寺田

実は、結婚しています(笑)。

起業してから2年間、僕の給料は13万円、パートナーのプログラマーは自宅に住んでいたのでさらに少ない額で我慢してもらっていました。

とにかくお金がなかったので、他のスタートアップ・ベンチャーの経営者はどうやって生活できているのか、不思議でしたね。僕なんて、ランチ代は200円でおかずだけ買う、夜は絶対に家でつくって食べる。そんな生活を2年間、ずっと続けていましたから(笑)。

津谷

融資を受けようとは思わなかった?

寺田

外部からの融資受け入れは、まったく考えませんでした。最悪、親から借金することが、たまに頭をよぎりましたけど。

なぜだかずっと、簡単に成功したものは、簡単に失敗に転じてしまうと思ってたんです。だから、ぎりぎりまでは耐え抜こうと。そして、大成功してやろうと。

津谷

高橋君は、何かやばいことなかった? 危険な人物が近寄ってくるとか。

高橋

全くないですね、見た目で誤解される事多いですが(笑)。イリーガルなことには絶対に手を出さないと決めていますし。

津谷

そういえば、博報堂の下請けで、運転資金を稼いでたって言ってたけど、何となく悔しくなかった?俺は、そういうのはいやで、絶対受け付けなかった(笑)。

高橋

むしろ楽しかったです。博報堂の営業時代には大して出来なかったクリエイティブ領域の仕事を、トップで回せたので。いいクライアントにも出会え、本当に頼りにしていただけましたし。思い出に残るいい仕事もできました。プランニング、制作、営業代行的な依頼、何でも楽しくやらせてもらっていましたよ。

津谷

ちなみに、VCから怪しいお誘いとかはなかった?

高橋

よく聞きますし、ネットでもそういった注意喚起の記事がたくさん出ていますね。だから、絶対にひっかからないという自信がありました。無知は本当に怖いので、少なくともネットに出てる情報は仕入れるようにしています。

津谷

博報堂時代の同僚と、今でもよく会っている?

高橋

そうですね、仲のよかった仲間とは、よく会って飲んだりします。

津谷

しかし、高橋君は若いのに意外としっかりしてるんだね(笑)。

高橋

意外と、ですね(笑)。1億円の出資を受けましたが、創業メンバーを含めて、すでに10人くらいの陣容になっています。だから余裕なんてなくて、しっかりやらないと1年で使いきってしまう。

最初の資金調達に失敗したという話をしましたが、その後は、全部僕がその責任を全部巻き取って、自分がリーダーシップを取りながら、軌道修正していったんです。

津谷

共同創業って、失敗するってよく言われるけど、そこに不安はない?

高橋

それも、ネットでよくトラブル事例として掲載されています。でも、うちの場合は、そのことも全部わかったうえで、敢えて共同創業を選んだんですよ。

だから、どんな小さな問題でも、隠すことなく、すべてをディスカッションして、解決するようにしてるんです。ケンカするのではなく、真剣に議論して。

だから、共同創業に関する不安は今のところ皆無です。3人のバランスは、とてもいいと思っています。

津谷

寺田君も3人所帯ですが、トラブルはない?

寺田

今のところないですね。3人ともほぼ同世代なので、何かあっても、話し合いでなんとかなるかと思っています(笑)。

津谷

石原君はどう?

石原

「まちクエスト」に関しては、言いだしっぺの僕のほうの責任を重くすることをお互いに決めてスタートしています。

僕はビジネスをものすごく慎重に進めていると思います。寺田さん、高橋さんのお話を聞いていると、慎重すぎるかもしれないと不安になりました(苦笑)。

今のビジネスが失敗したらどうする?

津谷

質問を変えます。3人に聞きます。もしも、今のビジネスが失敗したら、どうしますか?

寺田

実家でニートするか、親の仕事を手伝って働きます(笑)。

高橋

仮に、失敗したとしても、また同じメンバーで新しいビジネスにチャレンジしていると思います。

石原

僕の場合は、「まちクエスト」がブレイクしなくとも、受託の仕事を続けながら、また新たなWebサービスをつくり続けていると思います。

津谷

3人とも、VCと付き合っているようですが、どんなやり取りをしているか教えてもらえますか?

寺田

進捗報告や方針について話あったりしています。

高橋

当社は逆で、週1でミーティングしています。事業会社系、ハンズオン系、少額系と3社から出資を受けていますが、それぞれから、有益なアドバイスをもらっています。IT業界や近しいビジネスの動向、組織やプロダクト、リクルーティングに関してもいろんな意見をもらうようにしています。

石原

僕の場合は、出資だけではなく、高橋さんと同じように、メンター的な意味合いも大きいと思っています。プロダクトをどうつくり込んでいくかなど、貴重なアドバイスをいただいています。

津谷

ちなみに、あくどいVCの話って聞いたことない?

寺田

そういった情報はすぐに噂になってネット上に流れるので、気をつければ大丈夫です。ですし、最近はあくどいVCはほとんどないんじゃないですか?

石原

そうですね。僕もそう思います。

津谷

じゃあ、大手企業がビジネスモデルを模倣してくるとか、そんな嫌がらせを受けたことはない?

石原

誰もが知っているWeb系の有名な会社に、僕が個人で作ったサービスとかなり似たようなサービスを作られたことはあります。個人で作ったサービスやアプリが真似される例ってまわりでもちょくちょく見かけますよ。

そもそも、それほど儲かっていませんでしたし、訴えるまではしませんでしたが、「へ~、あんな有名会社でも、こういうことやるんだ」と残念に思いましたよね。

ちなみに、真似されたなあと思ったことは2回ありましたけど、どちらの企業も結局はその事業から撤退しています。

高橋

当社も、某大手情報出版企業に真似されましたが、大失敗された模様です。“同じようなサービス”をつくることはできると思いますが、僕らのように一つに特化した、時間、ノウハウ、UXなど、こだわったプロダクトはつくれないと思うんです。

だから、大手企業が真似してくるということは、マーケット大きいということですから、逆にチャンスと捉えるようにしています。

寺田

当社は、誰にもまだ真似されていませんが、当面は、ひっそりやっていこうと思っています。他社がまねできないところまでブラッシュアップさせながら、しっかりと特許でビジネスモデルを堅固にしてく計画です。

津谷

確かに、うちもよく真似されるんだけど、本気でやっているから、ほぼ負けないですね。でも、資本力のある大手が本気でやってきたら、怖いと思わない?

高橋

やっぱりLINEは怖いと思いますね。インフラを使っているだけではなく、そもそも出すプロダクトのクオリティが高い。社員の方が本当に優秀なんだと思います。

起業家の前職の同期との付き合いはある?

津谷

質問を変えます。昔の会社の人と飲む時に、どんな話をしているの?

寺田

起業して2年間は、同窓会にいかなかったんです。自分のお金が無いのもあって。でも先日、久しぶりに同期会に行って、順調そうなことを話しました。

高橋

勤務していた頃とあまり変わらず、ずっと遊んでいます。でも、仕事の話はほとんどしませんね。

石原

同期の人とちょくちょく会ったり飲みに行ったりしますよ。そういう時って誰々が偉くなったみたいな話になったりするじゃないですか。そのときにために代表取締役社長の肩書の名刺をを用意してあります(笑)。

あと、会社員って得だなあと思います。今、うちは中1と小4の子どもがいますが、妻が「PTAの会長は、旦那さんが自由業の人にやってもらいたい」と、頼まれるそうなんです。

自分で仕事している人に有給はないですし、1日休めば売り上げがそれだけ減る。そのあたりの状況をもっと知ってほしいと思っています。

津谷

確かに会社員は意外とラクなんだよね。僕も会社員時代は、気が乗らないと映画館で時間つぶしたりしてたし、長い休みを取って、海外とか行ってたりしたからね(苦笑)。じゃあ、最後の質問です。自分のビジネスが大きな成功を収めたとしたら、どんなことをしてみたい?

寺田

日立はいい会社だと思いますが、技術者が楽しそうに働いている印象が持てませんでした。方や、マイクロソフトやグーグルはものすごく楽しそうじゃないですか。

もしもこのビジネスが成功したら、グーグル規模の会社になれると予想しています。そうしたら、日立の優秀な技術者が入りたいと思う会社くらいにしたい。技術者の天国と呼ばれるような会社にしたいと思っています。

あと、僕は、お金がなくてすごく苦労したでしょう。だから、成功した先の先かもしれませんが、技術系のVCもやってみたいですね。

高橋

どんなに大きく成功をしたとしても、プロダクトづくりとブランディングを続けている気がします。

個人的な夢としては、ホテルが好きで、色んなホテルを泊まり歩いてみたいというのはあります。ものすごい値段のものも自分でしっかり経験して、意味ある値付けって何なのか、体験って何なのか、ブランドって何なのか、じっくり考えてみたいですね。

石原

とりあえずは、自宅を現金で購入すると思います(笑)。あとは、海外のまだ行ったことがない国を数カ月ごとに旅しながら、家族はバカンス、僕はたくさんのWebサービスをつくるような生活をしてみたいですね。

もうひとつ、僕は小中学生にプログラミングを教えるボランティアをしています。お金をかけて学ぶプログラミングスクールもあるんですが、僕はそのやり方がいいとは思っていないんです。だから、僕流のやり方で、広く、たくさんの子どもたちに、プログラミングを教える活動もやってみたいですね。

最後に。起業家のモチベーションとは?

津谷

では、何か僕への質問があればお願いします。

寺田

じゃあ、僕から。なぜ、脚本を書くために起業家のインタビューを続けているのですか?

津谷 石原

作者に近い人を描いたほうが、リアリティが出るでしょう。例えば、島耕作シリーズの弘兼憲史さんは、早稲田大卒、松下電器勤務経験のある漫画家だから、サラリーマン出世物語が描ける。また、本宮ヒロシさんは高校中退のいい意味でチンピラだから、スポーツものでも、サラリーマンものでも、族とチンピラが登場する(笑)。

でも、弘兼さん、本宮さん両者ともに、自分が描きたい世界の住人たちに、「こんな生き方をしてほしい」というメッセージやエールを届けたいと思っているはずなんです。

そこは僕もまったく同じ。ただ、僕自身も起業家ですが、もっといろんなケースを頭に入れて、物語を紡ぎたい。だから、皆さんのお話を聞かせてもらっているんですよ。

寺田

ありがとうございました。

津谷

では、高橋君はどう?

高橋

会長になられたということですが、今、津谷さんの人生のモチベーションって何ですか?

津谷

ちなみに、社長の座を後進に譲ったのは、次期社長と考えていた役員が、10歳くらい下で、僕が偉くなりすぎて、意見を吸い上げることが難しくなり、このままでは現場が見えなくなるという危機感を覚えたから。長く居座りすぎて、現場が見えないまま守りに入っても面白くないからね。

なので、今は敢えて日本を離れ、恋愛ゲームの世界展開をサンフランシスコを拠点にして勝負をかけていますし、映画の企画も進めているわけだけど、この企画の成功を、世の中や、ボルテージの社業にフィードバックしていくというのが、今の僕のモチベーションだと思っています。

高橋

ありがとうございます。

津谷

では、最後に石原君お願いします。

石原

津谷さんは、始めから映画をつくることを計画されて、起業して、資金を貯めて、今に至るのでしょうか?

津谷

博報堂勤務時代の4年間、UCLA映画学部大学院に私費留学し、最初から映画をつくろうと思って、起業したんです。でも、36歳だった当時、邦画業界はどん底の不景気で、何社も映画会社を回ったけど、つくらせてもらえなかった。

その時に、声がかかったのがNTTドコモのゲームのシナリオ制作だったと。それで、映画の脚本をつくるつもりでゲームをつくっていたら、ヒットが続き、いつの間にかそれが専業となって、上場していたというのが正直なところなんです。

そもそも、自分が決めたことが、完璧に思いとおりかたちになっていくのは、映画やドラマの世界だけ(笑)。思うようにならないのが人生でしょ。必死でストーリーを考えたとしても、せいぜい3年くらい先までしか読めないと思います。そういった意味で考えると、今は、自分の志が元の鞘に収まったという感じですね。

石原

ありがとうございました。

津谷

お忙しい中、貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。やはり皆さん、大卒、大手企業勤務経験者だからか、とてもクレバーかつ手堅くやっているという印象を持ちました。それにしても、売り上げなしで、億円単位の出資を獲得できるなんてうらやましい限りです。ぜひ、その資金をむだにすることなく、頑張ってほしいと思っています。3人のドラマティックな挑戦を、これからも応援していきます。

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