途絶えかけていた日本の伝統を復活させた、
帆前掛け専門店「エニシング」の挑戦

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: 本多小百合  編集:菊池 徳行(ハイキックス)

働く人の体を守る日本独自の粋な仕事着。
帆前掛けの素晴らしさを世界中に届けたい
展開している事業の内容・特徴

20160726-1その昔、江戸時代から、多くの酒屋さんやお米屋さんが身につけていた藍色の前掛けをご存じだろうか。これを今、国内の人気ラーメン店にフラワーショップ、果てはニューヨークの日本食店などがユニフォームとして採用。また、国内の若い世代のユーザーや外国人観光客のお土産としても、人気のアイテムとなっている。

厚手の前掛けをしていれば足の上に熱い鍋をのせても平気だし、骨盤あたりに紐を回しキュッとしめると腰が安定する。汚れ防止だけではく、さまざまな機能、デザイン性が見直され、ファンが増えているのだ。

今回紹介するエニシングは、そんな前掛けを企画・製造・販売する専門店だ。実店舗とインターネットで直接販売するほか、全国23店舗、海外3店舗にも商品を卸している。1枚から自由に柄をデザインできるオーダーメイド前掛けもあり、イベントやPR、ギフトにと、その用途も幅広い。

東京・小金井に構えたエニシングの本店を訪れると、実際に前掛けを手にとることができる。ウルトラマン柄の前掛け(3800円)や老舗の手ぬぐい工場とのコラボ商品(9800円)など、ほかでは決して真似できないユニークな商品が並ぶ。

エニシングのこだわりは「一号」と呼ばれる昔ながらの分厚い生地を使った前掛けだ。ヘビーに使用しても破れない丈夫さと、動きにフィットするしなやかさを兼ね備えている。実は、手間もコストもかかるこの生地は生産が途絶えかけていたが、エニシング代表の西村和弘氏の働きかけで復活することになった。世界中を探しても一号前掛けはここでしか手に入らないという。

この前掛けが江戸時代から使い続けられているのには理由がある。まず、腰にしめた紐が身体の軸を意識させ、動作を安定させるため、立ち仕事をする人でも腰を痛めにくい。厚手の生地は怪我や熱から身を守る役割もある。染め抜かれた屋号の宣伝効果も見落とせない。販売する際には、こうした前掛けのも機能をしっかりと紹介する。本店やオンラインショップだけではなく、販売代理店も前掛けの価値を理解したうえエニシングの商品を取り扱っている。

始まりはネットショップのサイドメニュー。
廃れゆく伝統産業だからこそ感じた可能性
ビジネスアイディア発想のきっかけ

20160726-2西村氏は2000年に脱サラしてエニシングを起業したが、最初に扱っていた商品は前掛けではなかった。学生時代に海外へ留学した経験から、日本文化を世界に発信したいという思いがあり、漢字をプリントしたTシャツを商品化。試験的に路上で販売したところ手応えがあり、インターネットで販売したのが始まりだった。

2004年、漢字Tシャツの販売サイトに「こんな商品もつくれる」と前掛けを掲載すると、特に宣伝をしなかったにもかかわらず注文が相次いだ。「これはいけるかも」と踏んだ西村氏は本格的な販売を計画し、さっそく前掛けの産地を調べてみたという。それが愛知県豊橋市であることを突き止め、交渉へと向かった現地で衝撃の事実を知ることになる。全盛期は市内に200軒あった関連工場は激減し、残っているのはわずか数軒。生地を織る工場に至っては、なんと最後の一軒だったのだ。

当時、西村氏が販売していた前掛けはたった1つの工場でつくられていたということだ。しかもその工場で働いていた職人は当時58歳。彼が引退すれば日本から前掛けはなくなると聞かされた。「話を聞いて驚きました。売れ始めていたので、もったいないと」。

とはいえ当時、エニシングの受注は多くて年間200枚程度。産地ではもう売れないと誰もがあきらめかけていた前掛けを西村氏はなぜ、メインに取り扱おうと思ったのだろうか。

「一番の理由は後継者がいなかったから。継ぐ人がいないということは競合もいません。商品の素晴らしさは理解していたので、帆前掛けの伝統、文化、機能をしっかり伝えていけば、お客さんはついてくるはず。何よりも僕は人の商売を真似したくなかった。誰もやっていない商売で社会に貢献したいと考えていたので、これだ!と直感しました」

2005年秋に、前掛け専門店としての看板を掲げたが、最初の3年は鳴かず飛ばず。東急ハンズの一角で販売する機会を得たものの、売り上げゼロの日が続いた。1日2枚売れた日には、売り場から拍手されたという。

2007年、偶然テレビ番組に取り上げられ、2日で200万円を売り上げた。資金があるうちにと渡米した西村氏は、留学時代に培った語学力を武器に、人気レストランなど15店舗に飛び込み営業をかけた。そのうちの1店舗とは今も取引関係が続いている。

「すべて手探りでしたが、やればやるほど結果がついてきました。2010年に実店舗ができた頃、ようやく商売としての中身が伴ってきたことを実感できました」と西村氏は当時を振り返る。今のエニシングを象徴する一号前掛けを発表したのも同時期だ。

「一号」は生地の厚みを示し、「二号」「三号」と数字が増えるほど生地は薄くなる。薄い前掛けはすぐにへたってしまうが、一号前掛けは何十年も持つ。「もっと自信をもって売れるものを」と産地の人たちに相談すると笑われた。

そもそも、前掛けはかつて、大手酒造メーカーが年末年始に系列の酒屋に配っていた無料のノベルティだったのだ。「一号前掛けの販売価格は1枚5900円。10枚単位で発注しますから」という西村氏に職人は「商売にならないだろう」と最初の10枚を見本として提供してくれたという。しかし結果、西村氏や職人の想像を超える大ヒット商品となった帆前掛け。先述したとおりさまざまな需要が掘り起こされ、今では同社の看板商品となっている。

信頼できる職人と販売代理店を育てながら、
前掛け文化を世界に広げ、未来に残したい
将来の展望

20160726-3「誰もやっていないから」と飛び込んだ世界。競合や目指すべきベンチマークはないが、参考にしている企業があるという。

「先日、おたふくソースのケーススタディを社内会議で紹介しました。お好み焼き店の開業研修や子ども向けの商品開発などにも取り組まれ、広島風お好み焼きを文化として残すための企業活動をされています。文化を残す取り組みをしている企業は参考にしていますね」

復活させた一号前掛けの安定的な生産と技術伝承のため、職人志望の若手を社員として採用し、産地の豊橋の工場へ派遣している。現在は最後の職人だった師匠のもとに3人の若手社員がつき、年間14〜15万枚を生産できるまでの体制に。もちろん、一号前掛けの生産を復活させ、商売として成り立たせるまでには、実にさまざまな人たちからの支援があった。

「温かい支援をしてくれた方々の顔を思い浮かべたら、適当な売り方はできません。だから、心と心が通じ合う会社でないと絶対に卸さないと決めています。取引する前には必ず顔を合わせ、法人相手でも担当者の顔が見えて個と個の関係になれてから、お任せしたいのです」。契約の決め手は短期間に量をさばいてもらうことではなく、長期的な協力関係だ。

ちなみに、社名のエニシングは、「縁(えにし)」に「ing」をつけ、人のご縁で役に立つ仕事をしていきたいとの思いを込めている。「モノだけ売って終わりの会社にしたくない。今後も製販の両輪をうまく回しながら、前掛け文化をしっかり残していきたいですね」。

取引を希望する会社が海外でも例外ではない。中国であろうとオーストラリアであろうと、まずは日本に来てもらい、通訳や仲介業者を通さず、西村氏は自分の言葉でこのビジネスにかけた思いを説明する。前掛けの歴史や用途を解説するリーフレットもバイリンガル仕様だ。「日本に縁のない外国人でも、自分の言葉できちんと説明すれば理解してくれます」と西村氏。

取材の最後に、起業を志す人へのアドバイスを伺うと、こんな言葉を教えてくれた。それは西村氏が起業直後に通った、日本商工会議所の起業塾の講師からの言葉だ。「人がやっていないことで、世の中が求めることだったら、きっと上手くいく――」。この教えを愚直に守り実際に体現してきた、西村氏からの力強いメッセージである。

有限会社エニシング
代表者:西村 和弘氏 設立:2000年11月
URL:http://www.anything.ne.jp/ スタッフ数:9名
(本社および赤坂オフィス6名、豊橋工場3名)
事業内容:・前掛けの企画・製造・販売

当記事の内容は 2016/07/26 時点のもので、該当のサービス内容が変わっていたり、サービス自体が停止している場合もございますので、あらかじめご了承ください。

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