その時、偉人たちはどう動いたのか? 本田技研工業創業者 本田宗一郎 2

この記事はに専門家 によって監修されました。

執筆者: ドリームゲート事務局

エピソード2「社業飛躍の決断」
「少しでも前進の可能性のあるほうを選ぶのが経営者として当然の責務」 (47歳:独立25年目)

 資本金6000万円の頃。リスクを冒して海外から新鋭の機械を4億54万円分も購入したはいいが、運悪くも不況にぶつかってしまった時のエピソード。

  51年頃、輸出振興および輸入防止を政府に働きかけるための民間業者の会合があったが、宗一郎は、そんな安易な道を選ぶことに強い反発を感じて不参加を決 めた。日本の技術がすぐれていて、製品が良ければいいだけの話。

「“良品に国境はなし”という言葉を身をもって実現しよう、世界一性能のいいエンジンを開発して輸出をはかろうと決心した」

  しかし、どれだけいいアイデアがあっても、それを実現できる道具がなければどうにもならないと、外国製の高性能の機械を導入したいと考えた。

「世界の進歩から取り残されて自滅するか。危険を冒してでも新鋭機械を導入して勝負するか。私は後者を選んだ。ともに危険である以上、少しでも前進の可能 性のあるほうを選ぶのが経営者として当然の責務と判断したからである」

  ところが、時あたかも不況に突入。無謀な購入に、銀行が資金を融通してくれるはずもない。そこで、製品出荷後10数日で代金を回収(現金75%、手形 25%)する方法を当時の藤澤専務が考案。機械代に当てて乗り切った。

  この時、宗一郎が良い製品をつくり、名コンビと名を馳せた藤澤が経理を仕切るという役割分担が確立。全社一丸となって苦境を乗り切ろうと努力し、理論的に 資金をもっとも早く回転させる財務手法や時間を大切にする風土を構築した。

「本田技研の基礎は、この時に固まったといって差し支えない」(宗一郎)

私 たちならこうする!

(株)ネクシィーズ代表取締役社長 近藤太香巳氏

僕もこのエピソードのような状況なら挑戦しますね。「勝ちに行くときは一気に!」ですから。そこで見合わせていても未来はないでしょう。でも、僕なら「手 形25%」はやらないなぁ(笑)。ファンドからお金を集めると思います。今だから言える方法論ですが。

シナジーマーケティング(株)代表取締役社長 谷井等氏

時代が変われば顧客の要望も進化していきますから、それに応えるために必要な投資はリスクを取ってでも行うべきです。
ただし、「ベンチャー」ならいいと思いますが、「アドベンチャー」はNG。リスクを見極め、それを乗り越えられるという目算が立った上で行うべきです。 「こういう状況になったらこう打開する」という方策を用意できればいいでしょう。可能性があるから、というだけで投資するのは無謀のように思いますね。

際コーポレーション株式会社 代表取締役 中島 武氏

本田さんは、経営者としての判断というより、そういう設備が持ちたくて仕方なかったんでしょうね。
自分にはこういう決断はできないと思いますね。際コーポレーションが数千億円投資してすごい餃子工場をつくり、大手冷凍食品会社のようになれるか、と迫ら れてもムリでしょう。もしかしたら、今、そうなるかどうかの岐路に立っているのかもしれませんが。

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