開催日:2006年3月11日 会場:東京・プリズムホール
財団法人 日本サッカー協会 キャプテン 川淵三郎氏
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「21世紀のワールドカップはアジアで」。すべては、1986年メキシコワールドカップでのFIFA会長の一言から始まった。「アベランジェ会長は 親日家で知られた人でしたから、アジアとは日本のことを指していたんです」。しかし、そのころ、日本でワールドカップが開催できるとは誰も思ってはいな かったという。1968年のオリンピック以降、その予選すら通過できず、専用スタジアムもない、スター選手もほとんどいない、試合がテレビで放映されるこ ともほとんどない。それほどに日本のサッカーは貧弱だった。
そこで考えられたのがサッカーのプロ化、Jリーグの発足だった。「1965年にスタートした日本サッカーリーグ(JSL)は企業スポーツ。選手は会
社に帰属し、給料はどんなときでも保証される。それでは、中途半端な力しか出ません。だからこそ、プロ化が必要だった。諸外国と同様に、市民スポーツにす
ることが不可欠だったんです」。
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そして迎えた1990年、プロリーグへの参加チームを募集することになるのだが、その際に川渕氏らが提示した参加条件はこの上なく厳しいものだっ
た。1万5000人収容のナイター設備付きスタジアムの建設、スター選手の採用、ユースなど下部組織の保有……そのすべてのハードルが高い。「通常でした
ら、ステップバイステップでハードルを設けていくのでしょうが、過去の経験から、それではいつまでたってもハードルを越えることはできないと分かっていま
した。ダメでもともと、高いハードルを一気に越えるという強い信念を持つチームだけを採用しようと決めたのです」。こうして選ばれた10チームで、
1993年Jリーグは発足した。その後の成功は周知の事実である。
Jリーグには3つの理念がある。「日本サッカーの水準向上及びサッカーの普及促進」「豊かなスポーツ文化の振興及び国民の心身の健全な発達
への寄与」、そして「国際社会における交流及び親善への貢献」。このうちの二番目こそが、川渕氏が特にこだわった部分だ。「サッカーに限らず、誰もが気軽
にスポーツを楽しめて、スポーツが“まち”を元気にする、そんなスポーツ文化が広まることを目指しているのです」
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この二番目の理念を実現するために、川渕氏が決してゆずらなかったことがある。それが「チーム名から企業名をはずす」、そして「チームを全国に広め る」ということ。「地域とともに歩み、誰もが気軽にとなると、まず企業名は足かせになります。三菱自動車の看板が付いていれば、その地域に住むトヨタやホ ンダの社員は応援しないでしょう。それは避けたかった」。強い抵抗はあったが、今、この考え方はプロ野球の世界へも浸透しつつある。
また、Jリーグ発足から3、4年経つと、長引く不況と選手年俸の高騰によって、経営難に陥るチームが出てきた。この時期の大半の世論は、チーム数を 減らすことでリーグを再活性化しようというもの。しかし、川渕氏は断固これに反対する。「チームを減らすことは、スポーツ文化の振興という理念と相反しま す。気軽に楽しめるという意味では、1つの県にふたつのチーム、つまり全国で約100チームになってはじめて成功したといえるのです」
そこで川渕氏が採ったのは、まったく違う解決策だった。経営状況の一括公開、経営諮問委員会の設置、ゼネラルマネジャー講座の開講、株主の多様性を 図るなどである。これらの施策は功を奏し、現在はJ1、J2合わせて31チームに増加、地域に根ざしたスポーツクラブとしてその使命を追求している。目指 す世界を実現するための強いリーダーシップ、これはどんな世界での起業家にも求められることにちがいない。ゲスト審査員
(株)サイバーエージェント 藤田 晋氏
GMOインターネット(株)熊谷 正寿氏
タリーズコーヒージャパン(株)松田 公太氏
(株)テイクアンドギヴ・ニーズ 野尻 佳孝氏
(株)フォーバル 大久保 秀夫氏
ブックオフコーポレーション(株)坂本 孝氏