第158回 株式会社コマースゲート 代表取締役社長 井上 裕基

起業家インタビュー

執筆者: ドリームゲート事務局

第158回 

株式会社コマースゲート

代表取締役社長

井上 裕基 Hiroki Inoue

1975年、京都府生まれ。立命館大学理工学部卒業後の1998年4月、日本オラクル株式会社に入社。ERP(1年)/DB(1年)それぞれのエンジニアを経験。その後、CRM事業推進部にて、CRM事業立ち上げにかかわり、ソリューション構築・営業を担当。2003年6月、アクセンチュア株式会社へ。大手通信会社、FAXメーカー、テレビ局、映画配給企業などの業務改革・IT戦略立案に従事。2004年11月、株式会社サイバーエージェントへ。Eコマース事業マネージャーとして、二度の事業開発、三井物産との合弁子会社設立に携わる。2006年2月、フジテレビラボLLCへ。営業企画部長として、動画投稿&共有サイト「ワッチミー!TV」の立ち上げ、事業戦略立案、システム要件定義、デザイン検討、コンテンツ企画、営業、アライアンス、ワークフロー構築、業務改善など幅広く全般に携わる。2007年7月、株式会社コマースゲートを設立し、代表取締役社長に就任した。

ライフスタイル

好きな食べ物
焼きそばです。

なぜ好きかと聞かれても、特に理由はありません。単純に昔から好きなんですよ。特に母親のつくった焼きそばは最高ですね。外食の味に飽きているということもあります。

趣味
サーフィンとスノボです。

海外へサーフトリップに行ったり、最近はヘリスノボにはまっています。大学生の頃からサーフィンとスノボは変わらない趣味で、基本は毎週末行きます。

行ってみたい場所
世界遺産です。

エジプトのピラミッド地帯、チリのイースター島に鎮座するモアイ像、ペルーの空中都市・マチュピチュ。まだ見たことのない世界遺産を巡る旅に出かけたいですね。

10年後のグループ年商2000億円を本気で目指す!
世界で一番頼られる“ワクワク創出”企業へ

モバイル、PC、紙媒体、そしてテレビ――メディアミックスの垂直統合を完成させ、最適な広告を投下。そこに、仮想検証サイクルのスピードと高い精度のCRMで、ニーズを持つ顧客との堅固な関係性を構築。これら同業他社にはまねできないオリジナルの戦略立案および実行が奏功し、コマースゲートが自社製造した看板商品(サプリメント)は約3年で累計200万個も売れた。前期の年商17.4億円、今期の目標はなんと50億円。そんな急成長を続ける株式会社コマースゲートの指揮官が、井上裕基氏である。「世界で一番ワクワクしている社員たちと一緒に、世界で一番ワクワクする商品・サービスを世の中に提供していく。その思いは当社の規模がどんなに大きくなったとしても、ずっと揺るがないと思います」。今回はそんな井上氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

<井上裕基をつくったルーツ1>
運動神経がよくケンカも強いガキ大将。
昔から、やりたいことしかやらないタイプ

 祖父は京都の呉服問屋の丁稚奉公から大番頭に出世した後、自分で呉服店を開いた起業家です。父はもともと大手制御機器メーカーでシステムに携っていました。会社員を退職した父は家業の呉服店を継ぎ、今も二条城近くで経営を続けています。ただ、呉服業界は年々市場規模が縮小しており、父は昔取った杵柄で、商売にITでの事業リノベーションを提案するビジネスも展開。売り上げは、呉服店よりもこちらのほうが断然高いそうです。私は、兄と妹に挟まれた、三人きょうだいの次男。幼稚園の頃からガキ大将で、運動神経がよくケンカも強かった。正直、今から考えますと調子に乗っていたと思います。昔は、やりたいことしかやらないタイプでした。意に反することをしていると、ストレスが溜まる性質だったんです。通知表は、5段階評価で体育だけが5、あとはほとんど3だった記憶があります。でも、先生は「やればできる」と言ってくれていました。教育上そのように言ってくれたのだと思いますが、精神的には意外と救われていました(笑)。

 小学1年の頃、「こいつはすごい」と感じた同級生の親友がいました。体の大きな5年や6年の上級生たちからケンカを売られても、まったくひるまずかかっていく。誰もがびびってできないことを、平気でやってのけてしまう。まさに、「千万人といえども我ゆかん」。生まれながらのカリスマっているんですよね。その親友に憧れたわけではないですが、「こいつには絶対に負けられない」という強い刺激をもらいました。小学校3年から、硬式野球を始めました。最初は楽しくやっていましたが、野球って先輩後輩の関係がきついじゃないですか。私はたった1年早く生まれたというだけで先輩風を吹かす上級生に対してあまり納得をしていませんでした。自分としてはあまり上下関係なく普通に接していたつもりだったんですが、先輩たちには生意気に見えたんでしょうね。ある日突然、大人数の先輩たちに囲まれてぼこぼこにされました(笑)。その時、年功序列ではなく、実力主義のほうが自分には合っていると心に刻まれた気がします。

 野球をやっていた時に、練習メニューのなかで、走っている時が一番楽しいことに気づいたんですよ。だから、中学では陸上部に入部して、800mの中距離を選択。日々楽しくすごしていましたが、あまりにも普通の自分に、だんだん危機感を覚えるように……。それで、自分を追い込まないといけないと思い立ち、偏差値の高い進学校へ行くための受験勉強を始めました。結果、授業料半額の特待生待遇で、私立花園高校に合格。陸上部の門を叩きましたが、中距離種目はやってないことがわかり、そのまま帰宅部に。仲間と3on3のバスケをやったり、女の子と遊んだり。あと時間を見つけては、好きな本を読みあさる日々。すると、あっという間に高校3年になり、大学受験の時期が訪れた。父から「このままでは、どこも受からないぞ」と言われ、夏頃からやっと本気モードになりました。それからは、自分で立てたスケジュールにまったく負けることなく、一心不乱に受験勉強を続けました。

<井上裕基をつくったルーツ2>
「そもそも自分が生きている意味とは何なのか」。
就活前の徹底的な自己分析でその答えに出会う

 できるだけ、親に金銭的な負担をかけないよう、第一志望は国立大学でした。世の森羅万象は、数式と言葉で定義づけられるじゃないですか。なぜそれが起きるのか? そういう本質的なことを考える癖が昔からありました。なので、物理と国語が得意科目だったんです。ただし、苦手な英語が足を引っ張って、センター試験は残念な結果に……。浪人は親に負担をかけるし、時間ももったいないと思っていましたから、現役で行ける大学に入ろうと考え、結果、合格した立命館大学の理工学部に進学しました。また、就職は自分の一生を左右するくらい大事だと考えていたので、就活が始まる3年生になるまでは好きなことに時間を使おうと。バーテンダーのバイトをする傍ら、夏はサーフィン、冬はスノーボードを楽しんでいました。そのバーのバイトに1歳年上の先輩がいたんですが、彼は、めちゃくちゃ頑張る熱い男だった。大学が同じということもあったのか、私は彼に気に入られ、大事な仕事を任せてもらうようになりました。

 彼は、本気で世界的な建築家になることを夢見ていて、バイトが深夜に及んでも大学の授業にはしっかり出る。おまけに、いろんなコンペに作品を出品して、入賞を果たす。私から見れば、いったいいつ寝ているのかと驚くくらい。そんな彼が、まるで赤ペン先生のように、手取り足取り、私のバイト仕事の指導をしてくれた。明確な夢があれば、人間どこまでも頑張れる。そんな人生の成功哲学を実地で教えてくれた彼のことを尊敬していましたし、ある意味、私を覚醒させてくれた人だったと思っています。そして、大学3年生になり、就活を始める際、「そもそも自分が生きている意味とは何なのか」を、徹底的に自己分析することからスタートしました。時間をかけて突き詰めていった結果、ワクワクできるような大きなことを成し遂げたい、それも世界史の教科書に名前が残るような――。そんな“志”がかたちになっていったのです。

 もうひとつ、徹底的な自己分析をするなかで思い出したシーンがあります。幼少の頃、父が運転する車に乗っていて、信号待ちをしていた時のことです。「この信号のシステムは、お父さんがつくったんだよ」と父が私に言ったんです。その時、私は、父が仕事で成し遂げたことに感銘し、衝撃を受けました。そして、子ども心に思ったんです。「いつか自分も父親になったら、子どもに自慢できるような、社会に貢献できるインフラを残すような価値の高い仕事をしたい」。私が就活をした1996、1997年当時は、まだITビジネスの萌芽が出始めの頃です。まだまだ先達が少ないITマーケットなら、若者の自分にとっても大きなチャンスが残されている。また、自分なりに未来の社会を予想した時に、ITが世界を変えるということを確信しました。そうやって必死に自分の進むべき道を模索していった結果、「まずは世界ナンバーワンのIT企業に就職する」という選択肢が見えてきました。

<就活>
多数の返信ハガキの中から偶然手に取った1枚。
就職した日本オラクルとの運命的な出会い

 そうやって自分が就職すべきはIT業界、そして世界ナンバーワン企業と完全にターゲットを絞り、就活を始めました。大学の受験の時もそうでしたが、一度「こうだ」と決めたらそこに集中する。興味のないほかの業界は一切受けませんでした。絶対に内定を得るために、履歴書の書き方・内容も徹底的にこだわり、面接も想定質問を書き出し、受け答えの練習も何度もやりました。実際の面接での応対も、ほかの学生に比べて圧倒的に熱かったと思います(笑)。結果、その会社も含め、受けた会社すべてから内定をいただいたのですが、ある時、無作為にエントリーハガキを出していた企業から、ふと目に留まったのが、卵の絵が描いてあるハガキ。それが日本オラクルからの返信ハガキで、目をとおすと、初任給28万円とある。「何でこんなに高いのか?」。そこから同社に興味をひかれ、話を聞きに伺いました。すると、他の企業とは採用選考フローのスピード感がまったく違い、ものすごく早い。さらに当時からCEOのラリー・エリソンは「ネットワーク・コンピューティング・アーキテクチャ」という、今のクラウドソリューションのようなことを提唱していました。

 今考えてもすごいことですが、ITブームがピークを迎える2000年の3年前でしたので、当時も何かが変わるような……そんな夜明け前の空気を感じ、どうしようもなく熱くなったのを覚えています。最後の決め手はカリスマ的な人事担当者からの「うちに来れば、君たちの可能性をどこまでも伸ばすバックアップをしてあげる」という、その熱い言葉にワクワクし、強い魅力を感じてしまった。結果、1998年4月、私は日本オラクルからの内定を獲得し、同社に就職することになります。予想していたとおり、「世の中を変えてやろう」と本気で考えている仲間がたくさんいて、自分の決断は間違っていなかったと安堵しました。しかし、エンジニアとして業務に当たっていた1999年2月、日本オラクルが上場。そこから、社内の雰囲気が少しずつ変わり始めます。私自身はしっかり目の前の仕事をこなし、インセンティブも他の社員の2倍ほどもらえたりと、ある一定の評価を得ていました。また、3年目からは新規事業の立ち上げを担当し、仕事自体は面白かったのです。

 しかし、ITバブルになり株価がものすごく上がり、社員は毎日株の話ばかり。バブルがはじけた後、社員の気持ちもはじけたかのようになり、自分の情熱を注ぐ場所がなくなったと感じてしまいました。会社を愛していたので、そういう状況を心底変えたかったのですが、当時の私にはボトムアップでどうやって変えていけばよいのかよくわからなかった。自分のふがいなさと解決力のなさを痛感しました。自分に足りない解決力=ソリューション能力を高めたい。そこで導きだした選択肢が、問題解決と提案を仕事とするコンサルティング会社への転職でした。自分の強みはIT。行くべきは、自分をとことん追い込んで、新たな自分を覚醒させてくれるような組織。どうせならやはり一番レベルの高いコンサルティング会社がよいと思い、IT戦略では世界1位のコンサルティングで会社であるアクセンチュアに入社しました。そして、私は自分を成長させるため、2003年6月、アクセンチュアで働き始めることになりました。

<成長のスピードを上げろ!>
「コンサル、ITベンチャー、放送会社で働くも、
さらなる高みを目指して起業を目指す

 初出勤したその日から、いきなりのハードワーク。徹夜で翌朝7時まで仕事しました。仕事内容も、手ごわいプロジェクトで、弱い自分を追い込み、覚醒させるためには、最適な環境だと感じました。大手通信会社、テレビ局など、日本のインフラを支える企業クライアントに向けて、CRMコンサルティングを構築し提案する日々。アクセンチュアでは、常に自己成長できているワクワク感が続いていました。ただ、1年が過ぎた頃、優秀なコンサルタントにはなれそうだけど、やはり自分は、プレーヤーとして新たなインフラをつくる仕事がしたい、と思い始めました。上級パートナー二人から、引き留めてもらいましたが、私のなかですでに次に挑戦すべきステージのイメージは固まっていました。それは、新たなビジネスをインキュベーションできる仕事。そして、当時の役員に誘われて移ったのが、当時、アメブロを立ち上げたばかりのサイバーエージェントでした。

 2004年11月に入社し、ECサイトの立ち上げを担当することになりました。それは、自分が入社する以前に1年半もの期間をかけて構築したプラットフォームを活用したECビジネス。すぐに自分なりに他のECビジネスを調べ、検証してみたのですが、このままではまったく売れると思えなかったため「カットオーバーを一旦延期し、仕切り直したほうがよい」。そう結論し、すぐさま提案したのですが、聞き入れてもらえませんでした。後から気づいたんですが、現場に対して、私はエリート然の“べき論”をぶってしまっていたんですね。メンバーが全員そっぽを向き、誰もついてこなくなった……。このままではまずいと、悪い部分はメンバーに心から謝罪を入れ、人を変えるのではなく自分が変わることから再スタートしました。それまでの態度を改め、謙虚なマネジメントを心がけ、そのEC事業は徐々に上向いていきましたが、3カ月でタイムアップ。結局、事業撤退を余儀なくされてしまいました。

 サイバーエージェントは素晴らしい会社で、失敗した者にもセカンドチャンスを与えてくれます。次に、三井物産とのファッション通販の合弁子会社立ち上げをゼロから担当させていただき、開始後の数カ月で月商数千万円まで育てることに成功します。すると、今度はその子会社に転籍せよとの辞令が。どうすべきか迷っていたちょうどその頃、「フジテレビがネットとの融合事業を、新規の子会社をつくって始めるのでやってみないか」というお誘いが。聞けば、事業戦略立案からすべて任せてくれるという、これまた自分を追い込める素晴らしい機会。新しいインフラづくりに取り組めるこのチャンスを逃す手はないと、そのお誘いを受けることに決めました。2006年2月、フジテレビラボLLCの創業メンバーとなり、もうここに骨を埋めようと本気で仕事を始めたわけなのですが、関係企業が多く、なかなか意思決定ができない環境でした。自分は社会貢献できるインフラビジネス構築に素直に取り組みたいだけなのに、このままでは自分の夢にたどり着けないのではないかという疑問が生じました。そこからですね、初めて起業という道を真剣に模索し始めたのは。自分が望んでいる環境がこの世にないなら自分でつくるしかない、と本気で考えたんです。

●次週、「3年以内に年商100億円! 世界一のワクワク創出企業になる!」の後編へ続く→


世の中をパラダイムシフトさせる価値を創出し、
世界史の教科書に載るようなビジネスをつくる

<起業へ>
事業開始から4カ月後に月商は3000万円を突破。
ただし、実は赤字で大ピンチ!

 もう転職しても意味がない。自分の思いどおりにビジネスをしたいなら、すべて自己責任で事業を動かせる起業しかないのではないか……。ある優秀なベンチャーキャピタルのCEOから、「一緒にやろう」という、ありがたい申し出もいただきました。ただ、自分で決めた道を、スピード感を持って意思決定し、思いを貫き、走り続ける環境を自らつくる。そう考えたら、自然とワクワクしている自分がいたのです。そして、2007年7月に500万円のキャッシュと共に立ち上げたのが、今のコマースゲートです。当初はペット用品をSEOで販売するモデルでした。しかし、まったく売れなかった。あっと言う間に資金は減っていくし、すぐに新しいことに取り組まないといけなかった。そこで、あるEC企業の経営者から「サプリメント市場は、今後まだまだ伸びる」という話を聞いていたことを思い出し、その経営者に連絡を取って、「サプリのECやります」と言ったら「商品は卸すけど、販売サイトが要ります」と言われました。そこからすぐに知り合いのデザイナーにお願いし、わずか1週間でつくってもらったのがモバイルとPCのECサイト「恋するコスメ」です。

 それから広告を少しずつ打ち始め、7月の初月売り上げが200万円。で、広告代理店の担当者から「絶対売れます」と提案された100万円の広告企画に乗ったら、これがまったく売れない(苦笑)。資本金も底を尽きそうで、このままだと会社が潰れるという状況だったので、すぐに広告代理店に乗りこんで、「御社のNo.1の営業を担当に付けてください!」と必死で交渉した結果、思いが通じたのか、エースの営業部長含めて3人体制で広告を提案してもらうことができました。彼らから出てくる提案を精査しながら、さらに広告を投下していきました。すると、翌月の月商が1000万円、その翌月が2000万円、さらにその翌月が3000万円と倍々ゲームで売り上げが増加。本音を言いますと、少し調子に乗っていたんですが、それも束の間。経営の数字をきちんと見直すと、累積赤字が800万円にふくらんでいました。自分の経営者としての未熟さに、「ガーン」と打ちのめされた感じでした。でも、落ち込んでいても仕方ないので、無駄なコストを排除する筋肉質の経営へのシフトをすぐに決断。コスト構造を見て、何か下げられるものはないのか?と考えた時に、当時仕入れていた商品のコストを下げるしかない。そのためには、自分で商品をつくるしかないと考えました。ただ、まだつくる知識もノウハウもありません。なので、そこから少しの期間は、テレビショッピングなどの売れ残り在庫を格安で仕入れ、クリエイティブのノウハウを蓄積しながら、少しずつ経営を利益体質に改善していきました。
 
 そんな時に某上場通販企業様と知り合いました。当初は本当にキャッシュのない時でしたので、当社を買収するという話がきっかけでした。それくらい当時は追い込まれていたのです。しかし、少しずつ利益体質になっていた時でしたので、結局会社を売るのは止めて、モバイルECの事業部門をコンサルティングさせていただきました。そんな活動と並行して、やはり絶対的な価値を世の中に提供したいという思いが強く、サプリメントを自社開発する下準備も進めていました。その時に出会った某卸会社様との提携がブレイクスルーのきっかけでした。自社開発したサプリをヒットさせるために、某有名タレントを起用したんです。しかし、彼女を起用するためには莫大な費用がかかる。しかし、私があまりにも熱く話をするので、その思いが伝わったのか、わずか30分で「その費用をうちが一旦持ちましょう」と快諾してくださった。結果、販売開始から3カ月で10万個を販売し、その費用を全額お返しし、さらにその後も売れ続け、先方も大きな利益を手にし、ご恩をお返ししました。そこから同様のビジネスモデルを横展開し、様々な人気タレントさんとのタイアップ・サプリを製造・販売しながら、PCとモバイルECのCRMの精度を少しずつ強化させていきました。

<ワクワクすること>
企業理念をしっかり定めてから以降、
仕事に対する取り組み姿勢が変わっていった

 会社設立1年後、月商が1億円を超えました。ただ、私自身、そのことに対してあまり感動を覚えなかったんです。会社がつぶれる心配がなくなったことは、素直にうれしかったのでやっと一息ついたのですが、それ以上でもそれ以下でもなかったです。そもそも、私が起業する際に志していたのは、世の中をパラダイムシフトさせるようなインパクトのある価値を創出し、世界史の教科書に載りたいということ。また、それを追い求めることで、常にワクワクする人生を送りたいということ。やはり、生きる本当の意味を知った者だけが、世界で一番ワクワクできる、と思うのです。それを自分自身の原動力とするだけではなく、会社の存在意義=企業理念にも改めて定義することにしました。世界で一番ワクワクしている社員たちと一緒に、世界で一番ワクワクする商品・サービス・インフラを世の中に提供していく。その思いは当社の規模がどんなに大きくなったとしても、ずっと揺るがないと思います。

 2010年、トマトの抽出物、リコピンを含んだダイエット・サプリ「夜スリム トマ美ちゃん」をリリース。当時はまだ、リコピンがブームとなる前でしたが、その分野では多分1位のシェアだったと思います。しかし、2012年の2月当たりから、リコピンが大ブームとなり、当社の売り上げも倍になったのですが、私は喜ぶどころか逆に、それまでブルーオーシャンだったリコピンダイエット市場がレッドオーシャン化する危機感を覚えたのです。このままでは、新規参入を目指す大手企業にシェアを乗っ取られる可能性がある……。追い詰められた私は、一気に業界を席巻するような勝負を何かしら仕掛ける必要性を感じました。2012年3月からテレビCMの検討をすぐに始め、多くの代理店さんから提案をいただき、翌月にはGOを決断。5月に撮影を開始し、6月にはテレビCMがオンエアされていました。これが期待していた以上の費用対効果を挙げ、その後もCMの投下量をどんどん増加。そして、「夜スリム トマ美ちゃん」は、今では累計販売数200万個を超える、当社の看板商品となっています。チャンスはピンチでもあり、ピンチはチャンスに変えられると考えています。

 通信販売ビジネスの面白いところは、0から1を生み出せば、これを一気に1万倍に持っていけるビジネスモデルであること。だから、小さくてもいい、その1をいかにたくさんつくるかが重要なポイントとなります。そのために、一商品に対するPDCAのサイクルをいかに早く、お金をできるだけかけずに回すかが大事です。同時にスピード感も非常に大事で、圧倒的な仮想検証サイクルのスピードと精度の高さが、当社の急成長を支えている大きな武器といえるでしょう。そして、それを支えているのは人財です。当社にはものすごく優秀なメンバーが揃っており、その人間力の高さが今のコマースゲートをつくっていると考えています。そんな理念を一つに共有した今のメンバーと一緒に働けることに、私は心から感謝しています。

<未来へ~コマースゲートが目指すもの>
プロダクトアウトでイノベーティブな商品を販売し、
世の中をパラダイムシフトするインフラに昇華させる

モバイル、PC、紙メディアの広告に加え、テレビという強力な媒体を使えるようになったことで、メディアミックスの垂直統合が実現しました。そして、そこに当社の強みである、PDCAサイクルのスピードと、精度の高いCRMを投下することで、強い販売力を手にすることができたわけです。昨年の年商が17.4億円で、今年の目標は50億円、来年70億円、3年後が100億円。年商がまだ7億円だった2年前に5カ年計画をつくっていて、5年後に100億円と言いきっています。その時は私以外誰一人として、「いける」と思っていなかったはず。でも、今では社員全員が「本当にいけそうだ」と思い始めています。

 そして、海外展開も始まっていて、昨年、中国・上海に100%独自資本で会社を設立。ドラッグストアへの展開を皮切りに、日本と同じく、メディアミックスの販売手法を展開していく計画です。実は、中国で、いくつかの成分の製造と販売の許認可を日本企業として初めて取得しました。これは過去、どんな大手企業にもできなかったことです。私たちのようなベンチャー企業は、このような不可能と思われることを可能にしていく必要があると考えています。中国では、ドラッグストアで販売されているサプリメントはアメリカ製やオーストラリア製、韓国製などが非常に強く、日本製のサプリはあまり見かけません。私は、日本のために、何としてでもそこに風穴を開けたいんです。そして最終的に、中国だけではなく、多くの海外で得た売り上げを日本に還流させる仕組みを構築し、これまで日本を支えてくださった先達からバトンを受け取り、未来の日本の子どもたちに希望溢れる日本を残したい。それが私たち30代、40代の若手経営者の使命だと思っています。

 私のビジョンとしては、10年後に国内年商1000億円、海外年商1000億円。トータル2000億円の規模のビジネスに育てたい。日本は製造立国であり、売り方はわかからないけど素晴らしい成分などをつくれる会社が多いと思います。つい最近上場した某成分開発企業も、2年前はかなり厳しい経営状況でした。そこで当社が50万個ほど販売を手伝った後、上場されています。素晴らしい成分だったので、私も社会に貢献できたことが嬉しいです。今、目指している企業像はアップルです。プロダクトアウトでイノベーティブな商品を販売し、インフラに昇華させていく。私がやりたいのはそういうことです。そして、そのような大きな価値を世の中に生み出し、最終的に世界史の教科書に載るようなビジネスを創り上げる。そんな大きなインパクトのある仕事を、本気で一緒にやりたい熱い人は、いつでも大歓迎です。

<これから起業を目指す人たちへのメッセージ>
起業とは目的ではなく、自己実現の一手段に過ぎない。
起業のために起業する、とりあえず上場は共感できない

 まずお伝えしておきたいのは、起業とは目的ではなく、一つの手段であるということ。何のために起業するのかというポイントを、自分としっかり向き合って、徹底的に深掘りしてほしいです。究極まで深掘りするためには、やはり、自分はいったい何のために生きているのか――。その答えを明確にしておく必要があります。それが見つかるまでは、安易な起業をしても大きく成功しないと思います。起業は自己表現の手段だと考えています。そういった意味では、私は、スポーツ選手も芸術家も自分もあまり変わらないと思っています。例えば、イチロー選手は野球という道で素晴らしいプレーをすることで多くのファンを感動に導いている。芸術家は自分の作品で人々を感動させます。私たちのビジネス、商品やサービスも同様に、魂を込めた創造物と呼べると思います。そのビジネスをとおして、いかに自分を表現し、どんなメッセージを伝えたいのか。それがないなかで、お金儲けだけの起業をしても虚しいだけだと思います。

 正直言って、そもそも私は起業するつもりはありませんでした。起業前の仕事で、思いどおりのことができていれば、会社を辞めることはなかったでしょう。それができなかったから、起業という選択をしただけです。ただ、ある意味、その選択をして本当によかったと思っています。起業したことで、最高の仲間たちと、心からワクワクできる毎日を送ることができていますから。先述しましたが、会社設立1年後に、月商1億円になりました。その時に思ったのが、「これは本当にこの先も続くのか?」という疑問でした。そんなわけはありません。次の芽、次の芽をつくり続けるためには、生み出した利益を人に投資していくしかない。なぜなら、商品もお金も人が生みだすものですから。そう考えて採用に力を入れてきた結果、たくさんの素晴らしい仲間たちと出会えた。志を同じくする同志を増やし続けたことが、事業を継続・発展させられた最大のポイントだと思います。優秀な同志を得るためには、自分を常に成長させて、「この人と一緒に働きたい」と思ってもらうしかないと考えています。

 初年度の年商が3億円、次が7億円、3期目に5億円に落ちて、4期目が7億円。年商を下げることなく積み上げていけていれば、もっと早く10億円を超えていたはずです。ただ、新しいことに取り組み、やっと芽を出すと、既存の売り上げが下がったり、めげずに次を成功させるとほかがまた下がる……なんていうことがこれまでもありました。でも、その時々に新しい取り組みを優秀なメンバーがやっていなかったら、この会社はきっと潰れていたでしょう。リスクを先手先手で見とおして、先回りして色々なことに取り組んでおかないといけない。だから、海外展開もする、新規事業にも挑戦する……そうやって油断することなく常に自分を追い込みながら、今もチャレンジし続けています。ちなみにお金って、物心ともにの物欲は満たしてくれますが、精神的な欲をすべて満たしてくれるものではありませんよね。究極はやはり、私利私欲ではなく、他利利他です。私は、社員の幸せがあって、初めて自分の幸せがあると思っています。業績が横ばいの会社に、社員、お客さまの幸せはない。なぜなら、売り上げはお客さまの「ありがとう」の数ですし、売り上げ横ばいの会社で社員が成長できるとは思えません。そうやって考えると、経営者は会社を右肩上がりに成長させ続けることが義務づけられていると思うのです。

<了>

取材・文:菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影:内海明啓

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