DGトップ 特集 起業家インタビュー MY BEST LIFE 挑戦する生き方 第69回 株式会社ティーサーブ 池谷貴行 株式会社ティーサーブ 代表取締役社長 池谷貴行 前編2

株式会社ティーサーブ 代表取締役社長 池谷貴行 前編2

last modified 2009-02-16 16:20

株式会社ティーサーブ 代表取締役社長 池谷貴行氏のビジネスからプライベートに至るまでのインタビューです。起業したい方、経営者には必見です。

<20万円のロードレーサーをローンで購入>ニューヨークでは3000人、東京では自分だけ。独立のきっかけは自分の意思ではなく偶然に

株式会社ティーサーブ 代表取締役社長 池谷貴行

 PR会社のスタッフたちから、「池谷、これを丸の内のクライアントに急ぎで届けて」と指示されて、バスや電車を使って届けるというのがメッセンジャーボーイの主な仕事でした。この仕事を24歳くらいから1年半ほど続けるのですが、ある時、ふと気づいたんですよ。クライアントの多くは都心に固まっていて、PR会社からだいたい直線距離で3㎞以内。わざわざ電車を乗り継いで行くよりも、自転車で届けたほうが断然早いということに。そうすれば空き時間が増えてこれまで以上にサボれますし、おまけに、交通費もちょろまかすことができます(笑)。それで僕は、20万円もするイタリア製のロードレーサーをローンで購入するんです。基本的にかたちから入る性質なので。もちろん、浮いた交通費と給料ですぐにローン返済できるという計算もしていました。

 自転車を使ってメッセンジャーの仕事をしていることをPR会社の中でひとりだけ打ち明けている小倉さんという社員がいましてね。ある時、「池谷、これ見てみろ」って、日経新聞の記事を見せてくれたんです。「ニューヨークでは3000人のバイシクル・メッセンジャーが活躍している」という内容でした。びっくりしましたね。「俺と同じようなことやってる!」って。当時は1988年、国内ではちょうどバイク便が増え始めた時期です。バイク便はどんな感じか調べてみたら、3㎞で3000円も取っている。さらにびっくりしましたよ。わずか10分で終わる仕事で3000円ももらえるのかって。この頃、僕は大学6年生になっていました。卒業できる見込みもなく、将来展望もまったく見えず、かなり焦っていたんですよね。何たって38単位ですから(苦笑)。

 独立決断のきっかけは、小倉さんの転職にあります。彼が転職した会社でもバイク便を使っていたのですが、僕のことを気遣ってくれたのでしょう、「俺の専属メッセンジャーになってほしい。PR会社のバイトの空き時間でいい。ポケベル持ってくれ、そこに連絡するから」と。それで、価格をバイク便の半額の3㎞1500円に設定して、PR会社の仕事を続けながら、副業的に小倉さんからの仕事もお受けするように。するとその安さが評判になり、小倉さんが勤務する会社の別の社員たちからもどんどん仕事を頼まれるようになってきた。そして数カ月後、PR会社の仕事に支障をきたすようになったタイミングで、退職する旨を会社に伝えたんです。「社長、お世話になりました。でも、バイシクル・メッセンジャーの仕事で独立するので引き続き仕事はください」と営業も忘れずに(笑)。

<お前は金融、俺はマスコミ>悪友を誘い、事業を本格始動させる。夢は東京で新しい文化を生み出すこと
株式会社ティーサーブ 代表取締役社長 池谷貴行

 事務所なんて構えられませんから、日比谷公園でポケベルひとつ持って、自転車で待機するというスタイル。東京メッセンジャー・サービスという屋号もつけました。忘れもしない1990年の3月。僕は25歳になっていました。価格は副業時代と同じく3km1500円です。これが予想を超える大反響でして、多い日は1日15~16件をこなしたでしょうか。3カ月後にはもうひとりでこなしきれなくなり、例の悪友・田中に声をかけたんです。先ほども話しましたとおり、彼は外資系証券会社でメッセンジャーボーイのバイトをやっていて、この時、バックオフィスの正社員になっていました。すでに、けっこうな給料をもらっていたはずです。

 もともと田中と僕とは、田舎から東京に憧れてやってきた悪友で、折につけ、「いつかこの東京で新しいカルチャーを立ち上げることができないだろうか」って話し合っていたんですよ。それで、「自分の力を使って、クライアントの大切なものを全力で届けるこの仕事は尊い仕事だと思う。しかも、バイシクル・メッセンジャーはカッコいいし、スマートだ。一緒に自転車便のカルチャーを育てていかないか」と誘ってみたのです。すると、ほぼふたつ返事で「よし、一緒にやろう!」となった。せっかく社員になっていたのに(笑)。「じゃあ、田中は金融系のクライアントを頼む。俺はマスコミ系を担当するから」。これがティーサーブの本格的なスタートといえますね。

 経費を切り詰めるために20万円くらいの中古車を買って、これを本部としました。新橋あたりの100円パーキングにその車を止めましてね(笑)。そのうちにハンディフォン(携帯電話)が登場し、「これはいい」とふたりで購入。1台10万円、基本料金月3万円という時代です。その携帯電話に、ばんばんオーダーが入ってきましたよ。当時、携帯電話の通話料は3秒10円でしたから、電話会社にもけっこう貢献したと思います。この状態を3年ほど僕と田中のふたりきりで継続し、ティーサーブはいよいよ仕組み化、効率化に向けて動き始めるのです。その手始めとして早稲田大学と明治大学に張り紙をしてバイトを募集しました。それはそうと大学はどうなったかって? 僕はもちろん、田中も中退しています(笑)。

 
 
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