DGトップ 特集 起業家インタビュー MY BEST LIFE 挑戦する生き方 第53回 (株)リンクアンドモチベーション 小笹芳央 株式会社リンクアンドモチベーション 代表取締役社長 小笹芳央 前編2

株式会社リンクアンドモチベーション 代表取締役社長 小笹芳央 前編2

last modified 2008-05-13 10:49

株式会社リンクアンドモチベーション 代表取締役社長 小笹芳央氏のビジネスからプライベートに至るまでのインタビューです。起業したい方、経営者には必見です。

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<大学生時代>ビジネス系学生団体にのめりこみ一浪一留。ハンデを取り戻すためリクルートへ

株式会社リンクアンドモチベーション 代表取締役社長 小笹芳央

  浪人時代は京都で一人暮らしをして、毎日14時間は勉強。夜に頭が冴えるものですから、徹夜して朝7時とか8時まで。で、夕方に起きるんです。だから、予備校には有名な英語の先生の授業以外、ほとんど通ってないんですよ。それでも模擬テストを受けると、結果がどんどん上がっていくので、やっぱり俺はやればできると(笑)。それで東西の有名私立大学をいくつか受験して、合格した中から早稲田の政治経済に進学することに。高校の校長先生に合格報告しに行ったら、「まさか? あの問題児が?」って驚かれました。いや、実は合格してしまった私が一番驚いていたんですが(笑)。

  晴れて大学生になったのはいいのですが、最初の1年間はくさってましたね。中高時代のラグビー部の仲間との熱い友情とか、固い絆と比べると、なんだか大学の同級生たちがとても幼く感じて。東京という場所にもなかなか馴染むことができなかった。食べ物もおいしくないし。ラグビーと決別し、早慶戦も見ないと決めていたこともあり、燃えるものが何も見つけられない。理由をつけては、大阪に帰って昔の仲間と遊んでいました。今思えば、暗い時代でしたね。いろんなものから逃げていた。周りよりも自分自身が幼かったんですよね。

  2年になって、さすがにこのままじゃまずい。東京で自分を生かすことができる基盤をつくらなければと奮起。それで仲間とある団体を立ち上げたんです。早稲田の学祭にやってくる学生たちに声をかけて、私たちが主催するイベントや旅行企画に参加してもらうという。今でいう学生起業の走りみたいなものです。これがどんどん面白くなって、いろんな大学の学生を巻き込んで主要メンバーが50人くらいに増え、お客さん候補のイベント参加者リストも最終的には1万人以上になって。収益もけっこう挙がっていました。この活動にかなり時間を費やした結果、大学を1年留年してしまうんですよ。

  5年になって就職活動を開始したのですが、やりたいことがわからない。でも、なぜか自信だけはありましたから早く社会に出たい。いろいろな会社を訪問しましたよ。まず、人的に魅力を感じたのは商社でした。いくつか内定ももらったのですが、結果、最後に受けたリクルートを選ぶんですよね。理由はいくつかありますが、ひとつは一学生である私の話をどの会社よりも真剣に聞いてくれ、とても熱心に口説いてくれたこと。もうひとつ、私は、一浪一留じゃないですか。この2年遅れのハンデを取り戻すには、社員の平均年齢が若いベンチャー企業のリクルートのほうが早そうだと考えたんです。昔からリーダー気質が強かったので、これ以上後塵を拝するのだけはごめんだよと。


<リクルート社員時代>人材開発部のトップリーダーとして、
会社始まって以来の採用成果をもたらす

株式会社リンクアンドモチベーション 代表取締役社長 小笹芳央

  リクルートへの入社を決めてから、内定者として通信回線のリセール営業のアルバイトを開始。アルバイトながらいい業績を残したんです。だから、営業希望を出して、そのとおりになるだろうと思っていたんですよ。しかし、配属は自社の新卒採用をミッションとする人材開発部であると。正直、青天の霹靂でしたよ。そうそう、私は浪人時代から大学までずっと、夜型の生活をしていましたから朝がすごく弱かったんですね。寝坊が理由で内定式に遅刻し、なんと入社式にも大幅に遅刻してしまった……。人事部長の怒りを買って、本気で回し蹴りをくらいました(笑)。

  採用の仕事は、結局、自分の会社(商品)の魅力を語って学生(顧客)を口説くという作業ですから、営業の仕事と似ているんですよね。そのことに気づいてから、この仕事がとても楽しくなりました。初年度にある程度の良い採用実績を残すことができると、2年目、3年目とどんどん難しい仕事を任されるようになります。リクルートの場合、仕事の報酬は仕事なんですね。そして、当時の江副社長から私に勅命が下りました。これまでなかなか採用できずにいた学生群を大量に採用せよと。

 どうすれば良いか戦略を考え抜いた結果、まず、私たちのチーム全員で、対象となる学生数百人すべてに会うことから始めました。そのうえで、ひとりひとりの学生の考え方や属性を分析して、全学生相関図を作成。A君を最初に口説く前に、B君を口説いたほうが確率は高いなど、その相関図を使って対策を練りながら採用活動を展開していったのです。その結果は大成功でした。

 

 7年間、人材開発部に在籍した後、自社メディアに掲載する新卒採用広告を販売する営業所長として異動。営業現場に出て真っ先に感じたのは、自分たちが一所懸命口説いて入社してくれた社員たちが疲弊していたこと。私は就職活動でリクルートの門を叩いてくれた学生たちに、広告営業の先には、人事および採用戦略、組織戦略を提案するコンサルティング業務が必ず必要とされると公言していたんです。このままでは、彼・彼女たちの信頼を裏切ることになってしまう……。そこで、コンサルティングの仕事をするための場所をつくろう。自分が彼らの灯台となって、キャリア形成の道しるべになろうと。そして取締役に直談判して、1994年に組織人事コンサルティング室を立ち上げることになるのです。その準備室のスタートは、自分ひとり、机ひとつの船出となりました。

●次週、「モチベーションエンジニアリングの旗手が手がける一大産業構築への挑戦」の後編へ続く→


 

取材・文●菊池徳行(アメイジングニッポン)
撮影●刑部友康

 


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