株式会社ガリバーインターナショナル代表取締役社長 羽鳥兼市 前編1
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2008-01-08 20:38
株式会社ガリバーインターナショナル代表取締役社長 羽鳥兼市氏のビジネスからプライベートに至るまでのインタビューです。起業したい方、経営者には必見です。
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安く買い叩かれているのでは? 高く売りつけられているのでは? 一昔前までの、中古車販売業者はうさんくさいというイメージが付きまとっていた。この部分にメスを入れ、業界のイメージアップに貢献し、一般消費者が安心して中古車の売買ができる世の中をつくった男がいる。それがガリバーインターナショナルの代表取締役社長・羽鳥兼市氏だ。買取専門店のパイオニアとして誕生した同社は、買い取った車の展示販売はいっさい行わず、オークション会場に売却するという独自のビジネスモデルを確立させ、また、インターネットを利用した車販売システム「ドルフィネット」を武器として、急成長を遂げる。そんな羽鳥氏の54歳からの挑戦は、市場から大きな支持を得て、10年を待たずして東証1部市場に上場を果たした。ガリバーインターナショナル創業以前、羽鳥氏は詐欺による事業倒産を経験している。どん底から反撃の狼煙を上げたのだ。今回は、そんな羽鳥氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。
母の実家は福島県で江戸時代から続く理髪店。父の実家は海産物問屋だったのですが、この理髪店に髪を切りに来たことで母と知り合いになり、結婚。父も理容師の資格を取得して、一緒に理髪店を経営し始めたんですよ。今ではCS(カスタマーサティスファクション=顧客満足)の必要性が叫ばれていますが、当時から父はそれを実践していました。50年ほど前ですからね。コーヒーなんて誰も飲んだことがない時代に、コーヒー出して接客したり、テレビを街で一番早く導入したりで、毎日、待ち合いスペースは超満員。また、せっかく髪を切ってさっぱりしたのに、雨が降ってきたらお客さまがかわいそうだと、車を購入。無償で送って差し上げるわけです。市内にまだ車が数台しかなかった頃ですから、車に乗りたくて理髪店に来る人も多かったそうですよ。
家族構成は両親に、僕とあとは姉と妹が6人。男の子は私ひとりきりだったので、とても大事に育てられました。夕食の魚は一番大きいのが私で、次が父、そのほかが姉や妹に回される。おかげで、我が家の姉妹からはすごく恨まれていたみたいですよ(笑)。商売人夫婦の子どもとして生まれたからか、ビジネスとの出合いも早かった。小学2年の時、学校の授業で市場を見学に行ったら、大好きな納豆が市価の半額で卸売りされている。これを買って自分で売れば儲かるんじゃないかと、市場で交渉したんです。
1本の納豆を5円、20本単位で卸してくれると聞いて小遣いで購入し、翌朝、町内で売ってみたら全部売れた。次は売れた全額で40本購入して、また売る。市場のおじさんもうまかったな。「君は商売がじょうずだね」なんて持ち上げられて。扱い量がどんどん倍になっていくのがすごくうれしいわけです。朝売れない分は、夜も売り歩くのですが、売れなくてべそをかいたことも。でも、子どもながらわかってるんですよ。キップがいい大人がいる場所を。「坊や、全部置いていきな。買ってあげるから」って。当時の私にとっては、夢中になれる楽しいゲームだったんですね。
父は、理髪店の経営を退いて、再生タイヤ工場の経営を始めたのです。東京にタイヤの仕入れに行くのですが、中学生の私を連れて一緒に行くんですよ。どうしても私のことを商売人にしたかったんでしょうね。学校の先生には正直に話しました。「3日間、父の仕事を手伝って東京に行くので学校休みます」と。最初は「何考えてんだ」なんて言われていましたが、最後のほうは「羽鳥、頑張ってこいよ」って(笑)。まあ、学校の勉強よりも、父と一緒に行った東京の社会見学のほうが、社会に出てからはるかに役立っていると思っています。
高校へ行くつもりはなかったのですが、姉が「高校くらいは行ってもらわないと恥ずかしくて困る」と。もう受け付けの締め切りを過ぎていたので、自分で願書を書いて、中学卒業の2カ月前から必死で受験勉強を開始。それで福島県立須賀川高校に進学しました。高校でもビジネスは続けていましたね。今もそうなのですが、私は物欲というものがあまりないのです。なので、小さな頃から稼いだお金や小遣いがたまっている。それを資金として、3万円で外車のルノーを購入。タイヤ再生工場から始まった父の会社は、板金塗装、整備と事業を拡大していたので、そこに頼んで、真っ赤に塗装してもらった。原価は6万~7万円かかりましたが、27万円でそのルノーは売れました。当時の会社員の初任給が7000円くらいだったはずなので、高校生にしてみれば大金です。
今度はその資金を元手にモーターボートを購入。猪苗代湖でボートの遊覧サービスをしている業者があったのですが、商売があまりうまくない。8人集まれば1回4000円。それじゃあだめだと、私はひとり500円で8人までOKですと、宣伝文句を変えたわけです。スタート当初から大人気ですよ。平日は業者にボートを貸し出して、売り上げの半分を渡し、休日は自分でサービス。高校3年の時には、3艇のボートを所有するまでになっていました。この頃が一番裕福だったんじゃないでしょうか(笑)。
高校に行くとやっぱり大学に行きたくなりまして、東京の大学を受験しました。合格して、生活道具をすべて送ったタイミングで、父に泣かれましてね。東京に息子を取られてしまうと思ったんでしょう。好きな車を買ってやるから、残って一緒に商売しようと。結局、シボレーエンペラーというド派手な車を買ってもらって、家業の羽鳥自動車工業へ入社することになるのです。でも、1年と半年、必ず帰ってくるという約束で、父の知り合いの東京・三田にあったエンパイヤ自動車という自動車工場に修行に行かせてもらいました。ここでも、同僚にシボレーエンペラーを1日数千円でレンタルして、ちょっとした小遣い稼ぎをしていましたよ(笑)。
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