(株)nci 藤田 憲一 前編1

last modified 2007-08-01 19:18
ドリームゲートスペシャルインタビュー MY BEST LIFE 挑戦する生き方

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第16回(前編)株式会社nci 代表取締役社長 藤田憲一 Kenichi Fujita  



余命3カ月の宣告期限を振り切って、ただいま、人生の総仕上げに挑戦中です

 2006年1月23日。スキルス胃ガンの再発が見つかり、藤田憲一氏は余命3カ月の宣告を受けた。この日は、ライブドアの堀江貴文氏が逮捕された日。「逮捕されて、すべてを失ったとしても生きられるだけうらやましい」。思わず口に出た言葉……。出口の見えない絶望……。しかし、絶望感にさいなまれる中で、彼は新たな光を見つけた。「今の医療が治せない病気なら、自分の力で治すための行動をしてみよう」。「例え病気は治せなくて死んでしまったとしても、生きているうちに意味があるものを残そう」。そして、「藤田憲一という人生の総仕上げ」と題した事業計画を書き上げた。この計画の根底には、彼がずっと胸に抱いてきた、「個人が情報発信をし、社会に影響を与える世の中をつくりたい」という志がある。さあ、行動開始。自分流の「メディアとネットの融合」を目指して……。自ら灯したその光が、藤田憲一という人間に1日、1時間、1秒だけでも先の未来を見せようとしているのか、取材日である今日7月10日は、彼が余命宣告を受けたリミットからすでに2カ月と2週間を経過している。この日、藤田氏は、優しく、ていねいに、そしてゆっくりと私たちのインタビューに答えてくれた。青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

●このインタビューは前編・後編と2回に分けて掲載する。

<藤田憲一をつくったルーツ1>ヤンチャな幼稚園児が、目立ちたがりの野球少年に

 私は生まれてから6歳までを愛媛県で過ごしました。素行があまりにも悪かった幼稚園児の私を見ながら、両親は「どんな子になってしまうのだろう」と不安に思っていたそうです(苦笑)。相当バツが悪かったのか、両親は自主的に私を転園させたほど。なんでも、年上の子に命令されるのが相当イヤで、すぐに歯向っちゃう子どもだったんですって。それで、本当は私立の小学校に入れたかったらしいのですが、あきらめたんですって。

 小学生になると、剣道、サッカー、野球を始めます。この頃は大阪にいましたから、周囲には野球好きが多い。だから、将来は野球選手になろうと思った時期もあります。私は、当たり前に取れるボールでもジャンピングキャッチしたり、普通に投げればいいのにジャンピングスローとかしちゃうんですよ。なんとなく、上手に見えるじゃないですか(笑)。

 でも、さすがは大阪です。街のリトルリーグにもすごい選手がたくさんいるし、全国優勝するようなチームもある。メジャースポーツの世界にはすごい奴がたくさんいる。この中でトップクラスを目指すのは至難の技だと判断し、中学の途中で野球はやめました。その後にはまったのは、音楽ですね。

 中学の頃住んでいたのは、大阪の泉州エリア。これは有名な話なのですが、あの清原選手が優等生と言われていた、とってもガラの悪い街でした。また当時はツッパリブームで、校内暴力が横行している時代。駅前なんて本当に不良の溜まり場で、友人たちは誰も近づかない。でも、私は平気で遊びに行ってました。虚勢を張ることで、自分を強く見せたかったんでしょうね。同級生にも「勉強とかしてるんじゃねーよ」とか言いながらも、自分は隠れてしこしこ勉強してました(笑)。学科でいうと、数学が昔から得意。公式を覚えるのが嫌いで、公式を使わずにゼロから答えを見つけだすことが好きでしたね。



<藤田憲一をつくったルーツ2>会社員の家庭に育ち、厳格な父の影響を大いに受ける

 ちなみに父は、NTTに勤務する会社員でした。転勤で、小中高を通じて高松、大阪、東京と3回引っ越ししています。父はとても厳しい人で、運動でも勉強でもいつも一番になれって私に言ってましたね。一番になれるような子じゃないのに(笑)。結果、よくベランダに追い出されるというおしおきを受けました。

 そんな厳しい父ですが、私は影響を強く受けていると思っています。まず、母がいつも「私はお父さんを尊敬してる」って言っていましたね。そんなこともあり私も昔から「尊敬する人は?」という質問に、必ず「父です」って答えてるんですよ。また、大阪時代に住んでいたのは大手企業の社宅が集まる町で、いわゆるエリート会社員を親にもつ友だちが多かった。彼らの家に遊びに行くと「仕事を通していかに社会に貢献するか」という話を語ってくれる。一方で、親が社長というお金持ちの友だちも大勢いました。しかし、彼らの親は「自分の権力」「高級車や家中の高級品」「有名人の知人」「海外旅行などの豪遊自慢」とか虚栄心の強さばかりが目立って格好悪く思えた。この頃から私は、そんなお金持ちには憧れることはなく、会社員家庭のおだやかさというか、安定感のほうに惹かれていました。

 こんなエピソードがあります。父は、仕事の成果報酬としてもらった会社の株を持っていました。NTTが上場したとき、私は母に「今売却したらいくらになるね」という話をしたんですが、そのことが父の耳に入り、それはこっぴどく叱られました。父はお金よりも、人の役に立つ仕事をすることのほうが大切だと考える、いわゆる日本人会社員の象徴のような人なんです。高校に入学して、小遣い稼ぎのためにファストフード店でバイトを始めたときも、父が店まで来て、すぐに連れ帰されました。お金のためのバイトよりも、今やるべき大切なことがあるだろうということだったのだと思います。

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