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赤字は覚悟の上で、「視聴覚補装具事業部」を発足させた時のエピソード。
1968年、売上高200億円突破。69年、300億円突破。70年、400億円突破……。「右手にカメラ、左手に事務機」をスローガンに、まさに“破竹の勢い”にあったキヤノン。しかし、御手洗は
「事業というものがそんなにうまくいくはずがない。いつの時代でも、いいこともあれば悪いこともある。こういう時こそ気持ちを引き締めなければならないし、この際、社会に何かお返しすることをみんなで考えたらどうか」
と発言。いろいろなアイデアが出されたが、どうせならばキヤノンにしかできないことをやりたい。そう考えた御手洗の頭に、数年前に米スタンフォード大学の研究室で見た、「盲目の少女がある器具を用いて、点字ではなく普通に印刷された文字をすらすら読んでいた光景」が鮮明に浮かび上がった。さっそくその後の研究状況を調査に行かせたところ、「これは本物。多くは売れないだろうが、世の中が必要としているならやるべき」という結論に至る。
ところが、その製品「オプタコン」は日本の盲人団体でもすでに知られていたが、輸入販売しようというところはどこにもなかったことがわかる。カメラでとらえた文字をピンの振動に変えて、ピンに指で触れて読み取るという原理のものであったが、非常に微妙な動きがポイントであるので、故障時などのアフターサービスが大変になる。また、単に機械を売るだけでなく、盲人が使いこなせるようになるための訓練士も必要となるからだ。当座、受け入れ方法を検討することになっていた総合企画室の担当者が、御手洗に「ニーズはあるが大変な経費がかかり、キヤノンでやり切れるかどうか自信がない」と報告したところ、御手洗は「ほしいという声があるのにできないとはどういうことだ。できるようにしたらどうだ」と激怒。そしてその担当者に正式に事業の担当になるよう命じた。その担当者が「自分で切実な問題を抱えた人や厚生省にいた人などがふさわしいのでは」と辞退したところ、
「困っている人がいるのに見て見ぬふりをするのか! キヤノンにそんな大馬鹿者がいるとは思わなかった」
と烈火のごとく怒ったという。
後日、担当者が御手洗に「これをしたからといって世間が評価してくれるとは限りません。盲人のためにやっていると言っても、キヤノンは宣伝のために盲人を利用しているのか、と言われます。キヤノンはいい会社だ、というようなことにはならないのではないでしょうか」と言ったところ、御手洗は
「陰徳というものがある。善というものは隠れてするものだ」
と言った。
キヤノンはこのオプタコンを毎年1億円ちかい赤字を計上しながらも、日本はおろか欧米各国に輸出し、大いに喜ばれた。 |
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