DGトップ ファーストナビ 飲食店 コラム記事 Vol.10 「R.バーガー」の立ち上げの秘話
Vol.10 「R.バーガー」の立ち上げの秘話
飲食店    ■ナビゲーター: 伊東博   
「R.バーガー」創立秘話 「R.バーガー」創立秘話
株式会社太魯閣 坂田 健社長(25)のインタビューを2回に分けてお送りいたします。現在までの流れや将来の夢まで幅広い話に、とても興奮いたしました。その中でも会社づくりのお話で、「従業員とは夢を語り合い、考えに共鳴する人」「従業員全員が経営者意識を持つこと」「経営者や上に立つ人は率先垂範が基本」など、興味のあるキーワードが沢山出てきました。「美」「健康」をキーワードに和チャイナバーガーカフェ R.バーガーの若き事業家 坂田 健社長を伺います。

学生時代からの歩みと家族からの影響

 1982年、熊本に生まれました。父は台湾人、母は日本人です。この血筋が私の性格のベースを創っていると最近感じます。前に突き進む”台湾人”と、石橋を叩いて渡る”日本人”の二重人格を無意識に使い分けているかもしれません。事業も「大胆かつ慎重」にという感じです。

 高校までは公立校で過ごしていましたが、大学入試直前に猛勉強し、慶應義塾大学理工学部に無事合格しました。ただ、他を一切受けなかったため、まわりから「頭がおかしい」と言われました。でもこのときからランチェスターの弱者の戦略「一点突破」を無意識に使っていたのかもしれません(笑)

 大学では目標がなく、あと一単位で留年しそうになったこともありますが、後半ではビジネスに目覚め、同時に勉強も頑張りました。06年には修士論文で学科の賞をいただき、大学院を卒業し、そのままカフェバーを起業しました。「目標・夢」の大切さを感じたのもこの頃です。


父の会社創業から現在までの歩み

 父の曾敏延は、私が幼い頃に熊本で中華・点心の飲食店を始め、小学校1年のときに東京へ引っ越してきました。今流行りの麻婆豆腐専門店や、超激安ラーメンなどを経営しました、時代が早すぎたためか、うまくいきませんでした。

 しかし、次に始めた「尾道ラーメン」がヒットし、株式会社として15億くらいまで一気に広げました。このままいけばよかったのですが、味の均一化や人材難などの問題にぶつかり、なかなかこれ以上店舗を増やせない状況になりました。40店舗を残すまでに100店舗以上創っては潰し、トライアンドエラーの状況でした。おかげで大きな負債と大きな経験が父には蓄積されました。


R.バーガー立ち上げへのキッカケと想い

 そんな状況のなか、「俺は30年前から、中華のファーストフードでM社を超えたかった」と父が言い出しました。まわりは「冗談だろ」という反応でしたが、私は「これは本気だな」と確信していました。そして2006年の9月、六本木交差点にR.バーガー1号店を父は本当にオープンさせました。

 きっかけは、「やりたい」という想いだけだったと思います。ただ他の人と違うのは30年間想い続けることと、それに向けて準備・実行し続けてきたことでしょうか。その想いが周りを巻き込み、多くの心を動かし、スタートできたのだと思います。


事業を引き継いだ経緯

 この頃私は、横浜関内でのカフェ経営で、四苦八苦していました。「もうやめよう」と思ったこともありましたが、「やれることを全部やろう」と決意し、年末にはRバーガーよりも売り上げていました。しかも選択と集中で、手間のかからないドル箱に変わりつつありました。
 しかし、このときRバーガーはボロボロになっており、事業部長、店長など、当初からいた人達もあっという間に逃げていました。無責任なサラリーマンを組織のリーダーにしてはいけないとの教訓を得ると同時に、会社のトップが現場に入れないのが本質的問題だと確信していました。

 「現場で立て直せるのはお前しかいない。やってくれ」ついにそう言われ、迷いました。どちらかに集中する以外に自信がなかったからです。そして、妻の実家で正月にゆっくり考え、Rバーガーをやると決断しました。

 カフェのスタッフや、関係者、お客様には迷惑をかけ、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、このとき決断の拠り所にしたのは、稲盛和夫の「大善と小善」という哲学です。


R.バーガー : http://www.r-burger.co.jp/

後編はこちら


last modified 2007-10-03 20:48
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