DGトップ ファーストナビ MBA 連載記事 Vol.8 ビジネスに必須の武器「質問する力」
Vol.8 ビジネスに必須の武器「質問する力」
MBAでプロフェッショナルを目指す    ■ナビゲーター: 若林計志   
ビジネスは「答えのない世界」です。誰も正しい答えを知りません。だからこそ、あらゆる機会を通じて「質問する力」を鍛えることが、ビジネスを成功させる上で強力な武器となります。

最近注目される「質問力」とは

 今回のコラムでは、起業や新規事業など、道なき道を切り開いていく際に強力な武器となる「質問力」についてご紹介したいと思います。一見簡単なようで、実はかなり難しい「質問」という行為。まずは、大前研一教授の発言をご覧下さい。 8-1

「企業内部の実態がどうなっているのか、抱えている問題はなんなのか、黙っていては何も分からないので、こちらから納得行くまでは根ほり葉ほり質問して問題の所在を明らかにしてゆかねばなりません。その訓練というのはメソッドがあるわけではありません。まずは本当に自分が理解しているかどうか、常に点検してみることです。そして、少しでも分からないところや疑問点があればとことんつきとめるということです」

「質問する場合には『どういう条件がそろっていればそうなるのか』また『どういう条件下では逆さまになるのか』などの質問を心掛けるとよい。一概に、常識が間違っているのではなく、時代、世代、年代、などの変化によって、かつて正しかったことが逆さまになってくる、ということが起こる」(大前 研一 発言集より)

 ご覧いただいた通り、質問とは新しい事実を集めたり、自分の仮説を確かめたりするために、大変有効な手段です。しかし実際は思ったほど簡単ではありません。

タウンミーティング「やらせ質問」は悪か?

 数年前、国会やマスコミを賑わしたあるニュースに「タウンミーティング」問題があります。これは内閣府が主催して地方都市に閣僚が出向き、住民と直接話し合う会合なのですが、その中で「やらせ質問」があったのではないかという疑惑が持ち上がったのです。野党もマスコミも、こぞってこれを「民主主義の否定する大問題」「茶番だ」と激しく非難しました。しかし、私はどうも論点がずれているような気がしてなりませんでした。この問題の本質は、下記ではないかと思ったのです。

「やらせ質問のおかげで、本当に質問したい人の機会が阻害されたかどうか」

 上記の質問がもし「NO」であれば、まったく問題はないはずです。確かにタウンミーティングの主催者側が、ヨイショ質問をする人を多数用意して、議論をある方向に誘導したり事前にサクラとして頼んでおいた観客だけを指名したりするようでは、アンフェアととられても仕方ありません。

 しかし読者の皆さまもよく思い出してみてください。講演会やセミナーなどに行ったときに、(一部の熱狂的ファンを除いて)それほど参加者から多く質問が出るでしょうか?実は私自身も経営者や講師をお呼びしてセミナーを開催するときに、主催者として一番肝を冷やすのが、会場から質問がほとんど出ない時なのです。こんなシーンを見たことはないでしょうか?

司会者「●●先生、素晴らしい講演をありがとうございました。それでは最後に会場から質問を受け付けたいと思います。何かご質問もある方はいらっしゃいませんか?」

会場「シーン」

司会者は困ってしまいます。講演した講演者本人も

「私の講演が下手で観客は誰一人理解できなかったのではないか」

「この主催者の集めた人は、インテリジェンスが低い人ばかりではないか」

といらぬ憶測を招いてしまいます。

 本当は2時間の講演を聞いて、参加者からまったく質問がないということのほうが問題です。さらに、2時間の講演を聞いて「あなたのおっしゃるとおり、100%全部同意します」ということなら、これこそ大きな問題です。

 先日も、六本木ヒルズにある「アカデミーヒルズ」で開催された起業家シンポジウムに、観客として参加しました。会場は600人ぐらい入る広い会場はビジネスマンで満席。1時間の熱い講演が終わったあとで、いよいよ質問タイムになりました。しかし・・・誰一人として質問しないのです。私は最後尾に座っていたのですが、手を上げたらすぐに発言できました。実際はこういう例が多いのです。

 そもそも「タウンミーティング」はアメリカでよく政治家と住民の間でよく行われており、TV中継などを見ていると、我先にとみんな手を上げて質問権を争います。しかし日本ではそうは行きません。だからこそ、タウンミーティングで、主催者が「アイスブレーキング」の目的で、最初の2~3名にやらせ質問をお願いすることは、会場の空気を暖める上で十分有効ですし、主催者はそうしてでも会場を盛り上げる責任があります。また参加者も、「ああ、このレベルの質問をすればいいんだ」ということが分かれば、質問しやすいのです。だから、やらせ質問は、それほど非難される行為とも思えないのです。しかし、なぜこれほどまで日本人は、公の場で質問できないのでしょうか?

そもそも質問をするような教育を受けていない

 読者の皆様は中学校時代、教室で質問を積極的にする子どもだったでしょうか?私は「NO」でした。

 小学校・中学校・高校では、授業が中心で質問をする機会はあまりありません。あるとすれば、「先生分かりません!」という場合です。あくまで先生が正解を持っているという前提があって、それが理解できないから質問するという形になります。

8-2

 しかし、他のクラスメート40名の中で、自分だけ質問するということは「私だけ理解する力が欠けている」ということを暗に意味する結果にもなりかねません。そうなれば、内申書も気になるかもしれないし、クラスのかわいい子にも「若林君ってバカなのね」と思われかねないから、質問はしなかったのです。

 また質問しない理由として、先生のコミュニケーション能力に問題があったのかも知れません。その場合、教室で「分からない」と先生に質問すると、2つのリスクがあります。

 1つは教えている先生自身の理解も浅い場合。その場合、結果として生徒に問われても先生は答えられません。先生に精神的な余裕がある場合は、「それはよい質問だね。先生もよく知らないから次回までにみんなで考えてみよう」と言ってしまえばよいのですが、変にプライドの高い先生の場合は、第2のリスクを冒すことになります。”批判”と捉えられてしまうのです。実は結構このパターンがあります。特に生徒の質問が鋭く、先生もよく分かっていない場合は、先生自身が狼狽してしまい、「自分で考えなさい」とか「もっと勉強してきなさい」などという怒るリアクションに変わってしまうケースがかなりあります。

 上記の理由から、もし正しい正解があるなら、わざわざ「教室で質問する」というリスクをとらなくても「後で教えてもらう」とか「参考書でも読む」という手段で解決するほうがよっぽど楽です。こういうカルチャーを大人になっても引きずってしまうのです。

 日本の学校(特に義務教育)で教えられていることは、基本的に先生が、すでに正解を知っている「答えのある世界」を前提にしています。先生は、間違ったことを伝えない、と生徒は無条件に信じています。従って、「学ぶ」ということは、”ありがたい教え”を「暗記する」こととなり、先生の役割りは仏教のお坊さんと同じく、正しい教義(教え)を説明するということになります。「質問する」という行為は、単に「解釈」の方法を教わることに終始し、「対話によって本質を探る」というところには到達しません。この理由から、いきなり「質問して下さい」といわれても、意味が理解できればそれで質問はないということになり、分からなくてもわざわざその場で聞く必要がないと感じてしまうのです。

海外では卑怯と解釈される日本人の質問

 質問力について対照的なのは西欧式の場合。海外のビジネススクールの教室では授業中に多くの質問が飛び交います。特にラテンアメリカ系の学生やヨーロッパの学生は、授業料の元を取ってやろう、といわんばかりに質問を講師にぶつけます。

 一方、日本人や韓国人は、そういう場でもあまり質問はしません。ではまったく質問がないかという、そうではなく結構あるのです。ではどうしているのでしょうか?

 読者の皆様もお分かりの通り、授業が終わった後に個人的に質問に行くのです。ただし、日本では当たり前の光景が、海外の学生には卑怯だ、という風に映る場合があります。どういうことかと言うと、「自分だけ分かればいい」というアンフェアな行為を行っていると見られる場合があるのです。

 また講師から言わせれば、授業中にたっぷり質問の機会を設けているに、どうして、日本人は後になって個人的に質問をしにくるのか不可解に映ります。それが低次元な質問ならまだしも、よい質問であれば、なおさら「どうして授業中にそれを発表してみんなで共有しないんだ」ということになります。

学びの歴史をさかのぼる

 さて、さらに質問できない謎を探っていくと、日本人の知識の習得方法に原因があることが分かります。日本は古くから海外の進んだ文明を必死に日本流に「解釈」して取り入れることに腐心してきました。下手に自分で考えたり質問したりするより、先進国の文化を「解釈」したほうが効率がよかったのです。8-3

 ここで、このことをよく表している新渡戸 稲造のエピソードがあります。

 明治時代に新渡戸 稲造は東京大学に失望して中退し、1884年にアメリカのジョンズホプキンス大学に留学しました。そこで新渡戸 稲造は社会進化論で有名なハーバード・スペンサーについての講義を受けることになりました。すでに日本でハーバード・スぺンサーについて、すべての著書を暗記するほど勉強していた新渡戸は、教授のどんな質問にも、驚くほど正確に答えられたそうです。

 しかし「ハーバード・スペンサーについてどう思うか」と聞かれたに新渡戸は狼狽しました。本人いわく、

「そんなことは考えたこともなかった」

 のです。困った新渡戸は「ハーバード・スペンサーの言うことだから正しいと思います。」と教授に答ました。そうすると教授から「それでは君は、スペンサーがいかなる考え方に基づいてこの結論に至ったか知っているのかね」とさらに突っ込まれ、新渡戸はほとほと困り果てたそうです。

 なぜ困ったか?新渡戸はクラスの誰よりもスペンサーについて造詣が深かったのですが、それはスペンサーの考え方を覚え、解釈することに留まっていたのです。そして、スペンサーが社会を分析するために使った「思考の方法(本質)」については、ほとんど関心がなかったのです。まさに、日本式の教育を受けてきた新渡戸には、この本質を問うための学習スタイルは目からウロコでした。

「質問」とは、「仮説」を検証する作業

 さて新渡戸のエピソードからもお分かりいただける通り、本来「質問」とは、ある結論に至るうえで、前提とされている「仮定(Premise)」、そしてその手法(方法)を問うことです。それが本当に正しいのか、どういう条件であれば正しいのかを、自分なりの「仮説」をぶつけて検証する作業なのです。しかし、日本では、あくまでありがたい教えを教わる、正解を教わる、ということが学びの前提になっており、今でもこういう教育は行われているために、自分なりに訓練しないと適切な質問ができるようになりません。

 現実のビジネスは明らかに「答えのない世界」です。誰も正しい答えを知りません。偉い人に「答えを教えてください」といっても、その人も知らないのです。だからこそ、読者の皆さまには、学校で習った解釈学としての学びを卒業して、あらゆる機会を通じて、前提を問い、本質に迫るための「質問する力」をトレーニングしていただければと思います。質問力を鍛えることは、読者の皆さまがビジネス上を進めていく上で、きっと強力な武器となるはずです。

ビジネス・ブレークスルーチャンネル
http://bb.bbt757.com/
トップコンサルタント、経営者、ビジネススクール教授の講義を放送している衛星放送局。
動画視聴サービスも行っている。

last modified 2009-01-19 19:43
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